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2009年05月23日

FAB4-058:BABY'S IN BLACK

アストリット・キルヒヘア ビートルズが愛した女 Beatle Country


 w & m:LENNON / McCARTNEY

 P:ジョージ・マーティン
 E:ノーマン・スミス
 2E:ロン・ベンダー(8/11、14)、トニー・クラーク(10/26)、マイク・ストーン(11/4)
 録音:1964年8月11日(take 14)
 MONO MIX:1964年8月14日(ラフ・ミックス)、10月26日
 STEREO MIX:1964年11月4日

 1964年12月4日 アルバム発売(「BEATLES FOR SALE」 A-3)
 パーロフォン PMC 1240(モノ)、PCS 3062(ステレオ)


アルバム「BEATLES FOR SALE」は1964年8月11日に此の楽曲から録音が開始されました。正真正銘の「レノン・マッカートニー」作品です。ライヴでも御馴染みの、レノマカの「エバリー風二重唱」が存分に楽しめる曲を、ジョンとポールは過酷なツアーのホテルで書いたと云われております。絶対主導者:レノンは、ツアー中のホテルで相棒ポールとの二人部屋を要求し実行していました。世界中の憧れだったジョン・レノンと、ポール・マッカートニーだけが一緒だったのです。其の場所を得る為に、ポールは14才の時から努力を重ね、時には非情な手段まで使い、遂にはレノンに「俺と同室はポールだ。ジョージとリッチーは他の部屋にしろよな。」と云わせたのです。レノンの楽曲が二曲続き、此の「レノマカ」楽曲に繋がります。ワルツ風で、ポールによる高音のハモりが印象的ですが、おそらく詩はレノンでしょう。

「BABY'S IN BLACK」は、ビートルズのメムバーでジョンの親友であるスチュアート・サトクリフの婚約者アストリッド・キルヒヘアを歌った曲と云われています。スチュが夭折したショックから立ち直れないアストリッドを見て、ジョンは辛かったのでしょう。「自分が無理矢理スチュをバンドに入れなければ、もしかしたらスチュは21歳の若さで死ぬこともなく、芸術家夫婦としてアストリッドと幸せな人生を送れたのではないか?」と悔やんだのかもしれません。此の暗い世界観こそが当時のジョン・レノンでした。「NO REPLY」(アノコから返事がないから死にたい)、「I'M A LOSER」(俺は負け犬)と来て、トドメが此の「BABY'S IN BLACK」(アノコが喪服を着ている、どうしたらいいんだ?)です。世界制覇を成し遂げた楽団の王様:ジョン・レノンは「俺は裸の王様だ」と自ら宣言したのです。

暗く疲れ切った表情を晒したジャケットに象徴される様に、ビートルズは変わってしまいました。時間的な制約からカヴァーを6曲入れてお茶を濁したのだけど、オリジナル8曲だけを並べれば余りにも暗く落ち込んだ楽曲が連なっています。1964年のジョンは、悟ってしまったのです。「此れは嘘だ!」と「成功を手にして待っていたのは、絶望だった!」と、正直に吐露したのです。其れが遂に次作で「HELP !」と云う叫びになります。ジョン・レノンは真摯です。彼は生涯、真実を歌った。だからこそ、僕たちは彼が創った楽団を愛したのです。四時間にも及んだアルバム「BEATLES FOR SALE」セッションの初日は、結局、此の楽曲の14テイクに費やされました。しかも、完奏出来たのはたったの5回でした。其の原因は、追っかけジョージのリード・ギターがへっぽこだったからです。海賊盤で聴ける録音風景では、絶対王者ジョニーが「弟分ジョージ・ハリスンに駄目出しをする鉄拳制裁発言」が聴けます。其れを受けたジョージ・マーティンまでもが、ジョンに従うのです。ジョン・レノンは、最早「プロデューサー」でも在ったのでした。


(小島藺子)



posted by 栗 at 20:40| FAB4 | 更新情報をチェックする