w & m:LENNON / McCARTNEY
P:ジョージ・マーティン
E:ノーマン・スミス
2E:ロン・ベンダー(8/14)、トニー・クラーク(10/26)、マイク・ストーン(11/4)
録音:1964年8月14日(take 8)
MONO MIX:1964年8月14日(ラフ・ミックス)、10月26日
STEREO MIX:1964年11月4日
1964年12月4日 アルバム発売(「BEATLES FOR SALE」 A-2)
パーロフォン PMC 1240(モノ)、PCS 3062(ステレオ)
一曲目の「NO REPLY」に続いて、ジョンの傑作が登場です。前曲の「NO REPLY」は「アンソロジー1」にも収録された「リハーサル・テイク」を聴くと、かなり明るい楽曲だった事が判明します。アレンジは其れ以前の「I WANT TO HOLD YOUR HAND(抱きしめたい)」の様なスタイルで、最後は大笑いして途中でヤメてしまうのでした。其れは、矢張り当初はトミー用に書いた提供曲だったからなのでしょう。テキトーなガイドとして録音されたのだと思います。所謂ひとつのブートでも、「NO REPLY」は其のテイクが有名です。しかし、最初から自分たちで演奏する楽曲として作られた「I'M A LOSER」は8テイクの全てを聴く事が可能です。其処には、真剣を持ったジョン・レノンが居ます。
続けざまに8テイクを録音するのですが、ジョンが殺気立っているのがハッキリと分ります。エンジニアに怒鳴り散らし、ジョージ・ハリスンに駄目出しをする「絶対支配者:ジョン・レノン様」が、音を聴いただけで目に浮かびます。ジョンはアコギをかき鳴らしハモニカを吹きながら、枯れた声で力強く歌います。明らかにボブ・ディランから影響を受けたスタイルなのですが、最早「ディラン」では無い「何か」になってしまいました。と云うのも、此の「BEATLES FOR SALE」と云う作品が、ディランだけでは無く「全米への敬愛」から作られたからです。サウンド的には、ディランと云うよりも「ロカビリー」です。ジョージのギターなんて、丸っきり、そうです。つまり、とても「チグハグ」なんです。全体的にカントリー&ウエスタンの風味も在る「BEATLES FOR SALE」ですが、当時「C&W」に精通していたのはリンゴ・スターだけでした。根っからの「カントリー好き」だったリンゴの貢献も大きいと云えるでしょう。「あっ。珍しく褒めちゃったよ!」
衝撃的なのは、当時人気絶頂の世界一のアイドル・バンドの絶対リーダーが書いたのが此れだったと云う事実です。ジョンは夢を叶え、世界制覇を成し遂げました。でも待っていたのは「勝利の美酒」ではなかった。「ほろ苦い虚しい薬」しか無かった。ジョン・レノンと云う「莫迦正直者」が正しかったのは、其の心境を楽曲にして全世界に配信した事です。此の世界観は、実は既に前作から始まっていました。父親への複雑な愛憎を歌った「I'LL BE BACK」で終わったソロ作品集「A HARD DAY'S NIGHT」の次作だった「BEATLES FOR SALE」の冒頭の二曲である「NO REPLY」と「I'M A LOSER」は、完全なる続編です。
「BEATLES FOR SALE」は、過密スケジュールゆえ、オリジナルは8曲しか用意出来ませんでした。其の内訳は、「ジョン:3」「ポール:3」「レノマカ:2」です。一見、遂に「レノマカ覚醒」と思わせる割合ですが、正直に云えば未だ「レノン=那奈ちゃん(7):マカ=みーちゃん(3)」位なのです。大体やね、ポールが此の時に単独で書いたのは「EVERY LITTLE THING」と「WHAT YOU'RE DOING」だけじゃん。「EVERY LITTLE THING」はジョンが歌っているし、もう壱曲の「I'LL FOLLOW THE SUN」は五年前に書いた作品の焼き直しです。更には6曲収録されたカヴァー曲での主役も、当然ジョンです。1964年とは「THE BEATLES が世界制覇した年」では無く、「JOHN LENNON の時代」でした。
其の「世界の王者」が、「俺は負け犬」と歌ったのです。
(小島藺子/姫川未亜)
初出:「COPY CONTROL」2008-12-2
(REMIX by 小島藺子)
初出:「COPY CONTROL」2008-12-2
(REMIX by 小島藺子)
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