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2009年05月07日

FAB4-047:I'M HAPPY JUST TO DANCE WITH YOU
(すてきなダンス)

ネオン(紙ジャケット仕様) hdnj.jpg


 w & m:LENNON / McCARTNEY

 P:ジョージ・マーティン
 E:ノーマン・スミス
 2E:リチャード・ランガム(3/1)、A.B.リンカーン(3/3)、ジェフ・エマリック(6/22)
 録音:1964年3月1日
 MONO MIX:1964年3月3日
 STEREO MIX:1964年6月22日

 1964年7月10日 アルバム発売(「A HARD DAY'S NIGHT」 A-4)
 パーロフォン PMC 1230(モノ)、PCS 3058(ステレオ)


レノン・マッカートニーは、最早「かわいこちゃんアイドル」では無くなっていました。特に此の当時「絶対的な主導者」で在ったジョン・レノンは、可愛いポップ・ソングだって書けたけれど、もうそんなモンは歌う気がなかったのです。ポールもジョンを追い、寡作ながらマイナー調の「大人のラヴソング」へと進んでいました。ポールは一方、お気楽なジャンクを書き飛ばしていて(「アホみたい」な楽曲です)、出来が悪い其れらは他の後輩にあげて、「レノマカ」の名前だけでヒットさせていました。いや、ホントに酷い曲ばっかですよ。例えば「Tip Of My Tongue」とか「One And One Is Two」とかさ、題名を聴いただけで「とほほ、、、」じゃん。実際に目も当てられない「駄曲」です。でも、売れた。其の点、ジョンには「プロ意識」が在りました。流石はキャロル姐御を尊敬しているだけ在って、他人に提供した楽曲もしっかり練られた名曲ばかりです。

さて、そんなジョンが、当時は未だマトモな曲を書けなかった「弟分:追っかけジョージ」の為に書いたのが「すてきなダンス」でした。「A HARD DAY'S NIGHT」セッションでは、ジョージの為に曲を書き、リンゴには自分の十八番カヴァーを譲る「余裕たっぷり」なボス振りを遺憾なく発揮したわけです。もうすぐ息子(ジュリアン)も生まれる既婚者で「大人」なレノンには、此の曲を歌うモチベーションが湧きませんでした。いや、当初からジョージの為に「職業作家」として書いた曲でしょう。言わば此れは、ジョン・レノン版「ロコモーション」です。キャロル姐御がリトル・エヴァに自信作を提供した様に、レノンはやってみたかったのです。バックに徹したジョンが盛大に盛り上げます。ポールも呼応して、鉄壁な「レノマカ合いの手」を叫びまくります。エンディングまで♪おーお、おーーお、うおーっ!♪とやりたい放題ですよっ!

そして、其れに乗せられた「いたいけジョージ」の若々しく甘い声が「可愛い」のだ。「ジョージ・ハリスン、21才。」思えば、映画「A HARD DAY'S NIGHT」でパティと共演し、二人は「恋におちた」のです。其の共演シーンでジョンとポールが歌っていたのが「I SHOULD HAVE KNOWN BETTER(恋する二人)」なのだ。出来過ぎた様なドラマティック過ぎる出来事でした。其れが「1964年のビートルズ」であり、世界は彼らに跪きました。そして、其の中心に居たのが「ジョン・レノン」です。世界は、ジョンのモノになったのです。其れで好い気になって腑抜けにならなかったのが、ジョンの恐るべき才気でした。彼は、思った。

「おい、此れは、何かおかしいぞ?」と。

其れは、たった数ヶ月後の次作で早くも表面化します。日本盤のジャケットにも使われた映画での演奏シーンは、素晴らしいです。ジョージの活き活きとした歌や軽やかなステップも好いけれど、やはり、作者で在るジョンのギターですよ。ジョンは天才歌手であると同時に、類い稀なる「天才リズム・ギタリスト」でも在りました。圧倒的な存在感です。ジョンのギターだけで、充分に「音楽」になってしまっている!正に「才能」です。完全なる我流なのに、如何なる名手よりも、ジョンのギターは高らかに歌っています。名曲!名演!!大好きです。


(小島藺子/姫川未亜)


初出:「COPY CONTROL」2008-10-15

(REMIX by 小島藺子)



posted by 栗 at 00:03| FAB4 | 更新情報をチェックする