w & m:LENNON / McCARTNEY
P:ジョージ・マーティン
E:ノーマン・スミス
2E:リチャード・ランガム(2/25、26)、A.B.リンカーン(3/3)、ジェフ・エマリック(6/22)
録音:1964年2月25日、26日
MONO MIX:1964年3月3日
STEREO MIX:1964年6月22日
1964年7月10日 アルバム発売(「A HARD DAY'S NIGHT」 A-2)
パーロフォン PMC 1230(モノ)、PCS 3058(ステレオ)
大昔に、NHK-FM で「山下達郎のサウンド・ストリート」と云う番組が在りました。彼だけではなく、月曜日から金曜日まで其のプログラムは放送されていて、あたくしにとって「音楽の先生」と云える存在でした。何せ、1980年代前半には、あれほどに多様な音楽を聴かせてくれる番組はなかったのです。未だ「タワーレコード」も「HMV」も無かったのです。レコードは高価で、レンタル店も未だ存在していなかった1970年代から1980年代前半に、頼れるのは「ラジオ」だけでした。其のラジオ番組でも、AMやFMで洋楽を流してくれるのは稀有な存在でした。だから中学生時代から「FEN」ばっか聴いていました。洋楽を聴いている友人とも話が合わなくなって行きました。現在とは違い、当時の洋楽はかなりのタイムラグが在って日本で発売されていたからです。あたくしはリアルタイムで「最新ビルボード・チャート」を追っかけていたのです。ずっと「FEN」ばっか聴いていたら、いつの間にか「ニュース」や「スポーツ実況」も楽しく聴ける様になっていました。英語が、日常言語になってしまったのです。
そんな10代に聴いていた「日本のラジオ番組」は、「オールナイト・ニッポン」、「ヤング・ジョッキー」、「日立ミュージック・イン・ハイフォニック」、「GO! GO! ナイアガラ」ってなモンでした。単純に、洋楽を流してくれるから、聴いていました。其の流れで「サウンド・ストリート」に繋がり、タツローの日は全部エアチェックして気に入った曲だけ編集し、何度も繰り返し聴きました。当時は手に入らない楽曲を、タツローは惜しげも無く嬉々として流してくれました。リクエストも読んでもらいました。正に、「山下達郎」サンは「洋楽の先生」でした。でも、彼にも師匠がいたのです。御存知、大瀧詠一大先生です。其の師弟が、現在も「新春放談」を継続しているわけですが、其の始まりが「サウンド・ストリート」だったのです。
「長い枕だにゃあ。」(長万部キャッツ声で)
其の時、二人の先生が「エヴァリー・ブラザーズ」を弾き語りしました。其の音源は、今では「ようつべ」などで容易に聴けます。其の中で「キャシーズ・クラウン」を演奏した時に、大瀧師匠がギターを弾きながら「音楽の魔法を解説」しやがったのよさ。
「コレさ、ジョンの『恋する二人』の元ネタなんだよね」と。
実際に、頭からコード進行がおんなじである事を、歌いながら明かしてくれたのですよ。
師匠に告ぐ。「途轍も無い衝撃でした!」
ジョンは当時、締め切りに追われて、半ばイヤイヤながらに楽曲を量産していました。其れでもクオリティが高かったのです。相方のポールが未だ発展途上だった為、全ては「チーフ・ビートル」で「ボス」で「リーダー」で在る「ジョン・レノン」の肩に重くのしかかっていました。「1964年の俺は、三文ライターだったんだ。下らない曲を書き飛ばし、下らない映画にまで出たんだよ」とレノンは述懐しました。されど、ジョン・レノンの才気が其れを「永遠の美」にしたのです。
此の曲がエヴァリーを元ネタにしている様に、ジョンの曲には「原型」が在るモノが多いのです。ソロ時代の代表曲になってしまった「イマジン」が、ベルベッツの「バナナ」から戴いたってのは、かなり有名な噺ですし、「THE BALLAD OF JOHN AND YOKO(ジョンとヨーコのバラード)」なんてリード・ギターまで完コピで原曲(しかも、BBCライヴでカヴァーした楽曲)のマネをしまくっています。殺される前に最後に書いてデモを録音したと云われる「DEAR JOHN」では、途中で♪セプテンバー、ノベンバー♪と「元ネタ曲」をそのまんま歌っています。「COME TOGETHER」の盗作問題もありました。でもね、音楽なんてもんは「全て先達の偉大なる遺産の上に成り立っている」のです。其れは、遠い神代の昔からの決まりなのです。何にも無いトコから突然に何かは生まれません。では「パクリ」とか「盗作」と「オリジナル」の境界線は何処に在るのか?って事になりますね。其れは、此の楽曲なんかが好い例でしょう。此れがエヴァリーだって事実を云われなきゃ分らないんですよ。ジョンとポールが大のエヴァリー好きって知っていたのに、大瀧師匠に種明かしされるまで、少なくともあたくしは気付かなかった!
大好きな曲です。理屈抜きに楽しくなっちゃう。在る意味、コレこそが「1964年のビートルズ」でしょう。生き生きしていて、ジョンの「あはは〜ん♪」に萌えます。映画ではポールも歌っているのだけど、声は聞こえません。其れは「口パク」ではなく「逆口パク」なのです。確かに、ポールも歌っています。でも、音声が「レコード版」なだけです。
「嗚呼、ポール、哀れなりっ!」
(小島藺子/姫川未亜)
初出:「COPY CONTROL AGAIN」2008-8-5
REMIX-1:「COPY CONTROL」2008-10-13
(and this is REMIX-2 by 小島藺子)
初出:「COPY CONTROL AGAIN」2008-8-5
REMIX-1:「COPY CONTROL」2008-10-13
(and this is REMIX-2 by 小島藺子)
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