1.「ブルーメロディ」
9月になってお気に入りのお嬢さんたちから手紙を受け取る機会が増えそうだ。最初の手紙はふたつあった。でもaikoはJ-WAVEで毎日聴けるしCCCDだから、小島麻由美だけを買った。東京事変はCCCDではないと小耳にはさんだけど、そして「群青日和」はaiko同様毎日ラヂヲで聴けるけど、CCCDでも仕方なく買うだろう。コジマユもCCCDしかなかったら買ってしまうかもしれない。なんせJ-WAVEでは今回の曲を一度も聴いてないんだ。ただぼくは「少しイヤな気分」で好きなひとの音楽を入手するのが苦手なんだよ。
欲しい音楽なら買うし、欲しいのかどうか分からないなら買わない。借りてコピーしておしまいってのは、どーも性に合わない。だからコピーコントロール機能付きでもかまわないんだけど、CCCDやレーベルゲートは不備が多過ぎると思う。
ひさしぶりのコジマユは、相変わらずコジマユだった。タイトル曲は明らかに「世界残酷物語」(MORE)から引用したメロディだけど、明るく溌剌とした良い曲。カップリングはマイナーコードのナムバーが2曲で、次のアルバムは明るい感じらしいから外れたってトコかな。相変わらずの小島麻由美なんだけど、どうして毎回買ってしまうかと言うと「このひとは微妙に変化している」からなんだな。かなり個性の強い歌い手さんだから好きになったら離れられないってのもある。中毒性は充分だし、いまひとつメジャーになりきれないトコもマニア心を揺さぶる。バックのメムバーもずっと固定されているから、例えばUAや林檎みたいに新作ごとの劇的な変化はない。けれど変わっていく。簡単に言うならコジマユは「もともと歌が上手い」んだけど(いや、あのね、異論はあるでしょーけどね)「どんどん歌が上手く」なっているんだよね。
ウキウキするメロディが素直に嬉しい新曲だ。こんな手紙なら大歓迎。アルバムとツアーが楽しみになってくる。コジマユには、もっともっと歌が上手くなってほしい。ぼくは今の段階でも「日本一上手い」と思っているけどね。だからさ「ぼくはそー思っている」んだってばさ。
2.「まゆみ」
「33:55」CDプレーヤーにセットするとトータル・タイムが表示された。全10曲で34分弱、さりげなく数合わせ、此れだよ、此れが小島麻由美だ。CDフォーマットを考えれば短い。でもぼくはアナログ世代、LPは40分前後ってのが決まりだった。あ、そうか、此の事はかなり昔にもアノコの処で書いたな。あの時も小島麻由美の新作について語って筆がすべったんだっけ。
「パブロの恋人」(PCCA-02076) は、小島麻由美の一年八ヶ月ぶり、6枚目のオリジナル・アルバムだ。1995年のデビューから9年で6枚目とはわりとのんびりした感じだけど、彼女の場合「花火をみていた」空白の2年間がある。活動休止期間にはライヴ盤とシングル&レア・コンピ盤も出ているし、全活動期間を通してもアルバム未収録曲入りのシングル及びミニアルバムやトリビュート盤への参加もあり、ライヴもコンスタントに行っているからね。いや、そんなこたぁどーでもええんだ。コジマユの新しいアルバムが出たんだよ、うん、ぼかぁ嬉しいんだす、にゃんこ先生。おら、先生みたいな先生になる。
新作に伴ってライヴの方もガンガンやっちゃうみたいだ。今日も下北のヴィレヴァンでインストア、北海道なんかにも行っちゃうみたいだよ、その流れで塚本さんとのふたりでライヴハウス!なんてのも今月末にはあるし、来月からは全国ツアーだ。おいおい追加公演まで決まってるよ。今更いろいろ決まっても平日ばかりなので、最初に発表されたツアーの初日と最終日しか行けませんな。そー言えば去年は同日開催の片瀬那奈と小島麻由美の学園祭を梯子したりもしたな。あの日、両方観たのは絶対に私ひとりだと思うぞ。片瀬に関してはジェシー・ハリスと梯子もしたけど、あれも私だけだろーな。まぁ世の中にはもっと凄い梯子をしているひとも多々いるけどね、私の場合はカップリングの振幅が変だよなぁ。未亜だからしょーがねーか。
一聴して「蛇むすめ」が頭から離れなくなる、もうね此れはタイトルでわくわくしてたからね、うん期待以上の出来だ。明るいアルバムなんて噂もあったけど、前半の流れは確かに暗くはないけど、こりゃサイケだよ。完璧に確信犯的な様々な過去からの引用、意味深で無意味な歌詞、肝心なトコは官能的なスキャット、もはや桃源郷だよ。「砂漠の向こう」までの展開は美しすぎる。溶けてしまいそうだ。何より全体を通して「小島麻由美の声」が「オン」なのがイイ!!前作は音がこもっていて少し残念だったんだよね。後半のアッパーな感じも滅茶苦茶イイ!!此れだよ、此れが小島麻由美なんだよ。ぼくは今、此のアルバムだけでいい、もう他のCDはトレイにセットしなくていい、何度も何度も33:55を繰り返し聴くだけでいいんだ。
ぼかぁ、コジマユが大好きなんだなぁ。こうしてまたコジマユの新しいアルバムを聴けるだけで幸せだなぁ。ずっとずっと小島麻由美のうたを聴いて生きていきたいな。小島麻由美の歌には、ぼくの好きな「音楽」のほとんどすべてが在る。ジョンのロケンロールも、キンクスの甘いメロディも、昭和歌謡やGSや日本語のロックも、あの日のせつない洋楽も、ジャズもクラシックもサントラもソウルも何でもかんでもごちゃまぜに聴いてた10代のぼくが好きになったモノ、つまり其れは単純に「音楽」だったんだ。
そして思ったのは「小島麻由美はやっぱり、ずば抜けて歌が上手い!」ってことだ。また今回は更に上手くなっていたので、とってもとっても嬉しい。「茶色の小瓶」でレノン・パロディの叫びを聴いて堪え切れずに涙が出たよ。ありがとう、まゆみ。
「こんなことしか言えないぼくを許して」
3.「小島麻由美とアノコとSMiLE」
幻の街に行った。其処は僕が18歳から27歳まで住んでいた処で、例え外観が当時と違ってしまっても訪れる時にはビタースイートな感覚を呼び戻す。八木山に長く住んで居たのでテレビ塔が見えると「きゅん」となったりもする。僕は昔、確かに仙台に居た。
小島麻由美のツアーが仙台から始まると知って、土曜日だと言うので行ってみようと思った。彼女が仙台でライヴを行うのは初めてだから、きっと狭い箱だろうし、もしかしたら東京では演奏しない「ベストヒット(そんなもんがコジマユにあるのか?ってのは無しね)」な選曲も期待。。。確かに狭い、なんだ此処?って位に狭い処でのライヴだった。インストアみたいなスペースでフルが観れたって感じ。コジマユは基本的に何処でも同じなわけで、だけど御馴染みの客のつっこみはないし、こりゃ最後は「唖然」とするんだろうなぁなどと通ぶったりもしつつ、じっくりと楽しんでしまった。
「大変なことになってるみたいですよ、あ、不安にさせてどうする」ってMCで新潟の大地震のことを知ったけれど、ぼくらはあまりにも無力だと思うしかなかった。いや、はっきり言うけど「地震」の話はまったく頭になかった。あの曲に心をふるわせる自分が居ただけだった。小島麻由美は素晴らしいアーティストだけど、天災に対しては無効だ。まったく関係がない。
開演前に少しだけ時間があったのでHMVに行ってspymobと「SMiLE」を買った。仙台に向かう車中で読む本を探していた時に、今月は「レコードコレクターズ」をまだ買っていなかったことに気付いて、慌てて購入。其れは「SMiLE」特集で、僕があの頃からずっと追いかけていた音楽のひとつだった。spymobを買ったのは2枚で1690円のおまけみたいなモンで、とっくに出ていた「SMiLE」を仙台で買うことに意味があった。とっくに出ているはずだったモノが37年後に出て、約一ヶ月放置していたのは「今日此処で買え」と言うことなんだろう。つまり僕は少なくとも一ヶ月の間、いつものCD屋に行ってなかったんだな。
東京にもどって「SMiLE」を聴いている。確かに幻は幻の侭で良かったのかもしれない。でも此の音楽は発表されるべきだった。予備知識などいらない。笑っているアノコは、とても綺麗だった。そう、それでいいんだよ。
4.「小島麻由美と WILD HONEY」
小島麻由美の東京公演を観に行く前に、ぼくはずっとビーチ・ボーイズを聴いて居た。其れはきっと、仙台で彼女を観た時に「SMiLE」を買ったからだったかもしれない。いや、小島麻由美とビーチ・ボーイズに関連などないと思う。只、ぼくはそうして居ただけだ。
仙台ではとても狭いスペースで、最後列に居たアノコの顔まで判別出来たけれど、其れは別に狭いからではなかったことが分った。何故ならぼくは、東京でも2階席に居る彼を即座に見つけてしまったからだ。仙台と東京では、ほとんど同じセットでありながら印象はかなり違って居た。新しいアルバムで核となる「蛇むすめ」を異なる編成で聴けただけでも、仙台と東京を観た価値は充分だった。確かにSAXが唸る東京での演奏は此の曲が本来在るべき姿だったけれど、初めてライヴで聴いたSAXなしの「蛇むすめ」の妖しさも捨てがたい。今回、ぼくは「蛇むすめ」さえ聴ければ良いと考えて居た。
全体的に地味な選曲のライヴに聴こえたのは「花火を見ていた」頃を境にして復活した小島麻由美の今を全面に出したからだろう。本人にとって初の全国ツアーなのだからベスト・ヒット集で良かったのだけれど、まるで意図的にルートを外す様に彼女は選曲した。
ヒットしたかどうかは別として数多くのシングル曲が彼女には在る。「結婚相談所」「恋の極楽特急」「先生のお気に入り」「真夏の海」「はつ恋」「セシルカットブルース」「真夜中のパーティー」「わいわいわい」「甘い恋」「ロックステディ ガール」「愛しのキッズ」などが其れだ。しかし今回のツアーでは、在ろう事か上記の曲が只の一曲も歌われなかったのだ。此れを意図的ではないとしたら他にどう考えるべきなのだろう?
それでも小島麻由美のライヴは素晴らしかった。ブルース・コードを基調としてスキャットが炸裂するナムバーを中心に展開したけれど、後半で弾ける「茶色の小瓶」や「さよなら夏の光」を持って来たのも素敵だった。とは云え其れはアルバムと同じ展開なのだから、もしかしたら彼女は「何も考えてない」のかもしれない。唯一シングル曲として披露された「面影」(仙台)「ブルーメロディ」(東京)は、驚きと戸惑いを隠せない弾き語りだったりもした。いや、しかしアレは何だったんだろう?やりたいからやったってことなんだろうなぁ。あたしは、かつて「大貫先生に師事して居た時代(1975〜1997)」に、ター坊が「ロック宣言」をしてリッケンバッカー・レノン型でエレキ弾き語り!をやった過去の白昼夢(1986年頃だった)を思い出しました。ター坊もコジマユも「楽器に気を取られて、歌がメロメロになってしまった」のです。。。
狂おしいほどに美しい「砂漠の向こう」と「ひまわり」には感動するしかなかった。特に「ひまわり」の間奏で塚本さんが掻きむしるギターは、音楽が何故ぼくらを虜にしてしまうのかを数多の言葉よりも雄弁に語ってくれた。余談だけれど、東京では最前列に居たぼくが間奏に入る直前に目の前に移動したコジマユと目が合ってしまった。ぼくは塚本さんの劇的なソロを期待して居てコジマユの存在すら忘れて居たのだけど、真っ正面に彼女は居たのだ。小島麻由美は、ぼくの目を見て悪戯っぽく「にやり」と笑った。「やられたな」、と思った。
だけど、今回のツアーで最も心を打たれたのは仙台も東京も同じ曲だった。なんと小島麻由美はあの「ぱぶろっく」をキーボードの弾き語りで歌ったのだ。此れは犯罪行為だと思う。仙台ではあまりのことに呆然とするしかなかったけれど、東京は二度目だから少し冷静に観察して居た。辿々しく鍵盤を叩きながら、サビを歌う小島麻由美の目が潤んで居た。「此のひとは美しいうたを作るために生まれてきたんだなぁ」と思った。そう、だからきっと、ぼくはブライアンのうたを聴いて彼女のライヴに行ったんだろう。
5.「DARLIN'」
昨日のタイトルはビーチ・ボーイズの曲名なら何でもよかったのだけど、小島麻由美が「蜜蜂」を歌って居たので「WILD HONEY」にしたんです。1967年の問題作でジャケットが「花と蜜蜂」のサイケなイラストなのね、それに昨日のキーボードが「WILD HONEY」してたってのも在るな。(DOORSみたいだったと言わないのが未亜的でイコ的で栗的です。)小島麻由美って60'Sの影響も強いみたいで、ぼくはしばしばKINKSなんかを思い出すのだけどね。「昭和歌謡」と言うより「洋楽志向」のひとだと思っています。
1970年代にはビートルズを聴いていてもバカにされたものですから「ビーチ・ボーイズが好き」なんて言ったら、そりゃもう大変でした。まさか「SMiLE」がオリコン上位にランクされる日が来るとはねぇ。現在の日本に於ける彼等に対する評価は「PET SOUNDS」がCD化された1988年以後に降って湧いたのですよ。アナログ時代にビーチ・ボーイズを聴いているひとなんか全くいませんでした。大体レコードが売ってなかった、輸入盤で買っていたもんなぁ。現在進行形で「PET SOUNDS」以後もビーチ・ボーイズを愛していたのはイギリスのひとくらいだと思います。その中にはポール・マッカートニーと言うひとも居たのですね。ポールの才能が中期から開花したのは、ジョンに対する憧れとブライアンに対するライバル意識があったからで、こと音楽に関するならビーチ・ボーイズが居なければビートルズはあんな展開になってません。ま、ブライアンも「ビートルズに勝ちたい!」とラリラリにヘロヘロだったから、お互い様ですけどね。そう、ビートルズのライバルはストーンズではなくビーチ・ボーイズだったのです。
「DARLIN'」は「WILD HONEY」のB面1曲目に入っていて、「なんぢゃこりゃ?」と思いながらA面(スティーヴィーのカバーとかを同時代にやってるんですよ、あのビーチ・ボーイズが!)を聴き終えた耳に其れはもう爽やかに神々しく響いたものです。此のオリジナルを聴いた瞬間、其れまでぼくのアイドルだった「山下達郎さん」や「10CC」は只の「紹介おじさん」になってしまったのです。でもきっと「達郎さん」や「ロル・クレーム」が居なかったら、ぼくはビーチ・ボーイズを聴かなかったかもしれません。
さて「M.I.U. ALBUM」でも聴こうかな。
(小島藺子/姫川未亜)
初出「COPY CONTROL」
2004-9-6、9-15、10-24、11-4、11-5 全5回連作
初出「COPY CONTROL」
2004-9-6、9-15、10-24、11-4、11-5 全5回連作