其の壱
大瀧さんの指摘で「ふたりのシーズン」の元ネタが「サマータイム」だと解ったくらいですから、あたくしの耳なんてまったくもってダメですな。「サマータイム」って曲は師匠もおっしゃってますけど、ゾンビーズ自身がファースト・アルバムでカヴァーしていまして、彼らのオリジナル・アルバムって二枚しかなくて、つまり二枚目で(と云うかシングルが売れたから二枚目が出たのだけど)「タイム・オブ・シーズン」なんだから、云われてみれば「なるほど」って噺なんですけどね。
どうも「サマータイム」ってゆーとジャニスの熱唱の印象が強く、ポールもカヴァーしてるのだけどジャニス版を洒落でやってる感じがしてね。でもゾンビーズの「サマータイム」を改めて聴くと、そこから「ふたりのシーズン」にまっすぐ繋がっているのが分ります。もともとはガーシュインの曲だけれど、それが変型して「ふたりのシーズン」になったり、同じ曲のはずなのにジャニスのオリジナルみたいになるってのが音楽でして、これこそが「インスパイヤ」いやさ「インスパイア」ってモンでしょうな。
かつては「著作権料よこせリクエスト大会」とか、最近では「音楽の偶然」なんてラジオのコーナーがあって、でもそれは素人でも分る相似形にすぎないわけです。先日もウルフルズの曲がイーグルスの「テイク・イット・イージー」に何故か似てるなんて指摘があって、ピストンは「うーん、これはアレンジって云うか雰囲気(なぜか変換出来たっ!!)が似てるんだね」なんて云ってにやにやみあみあしてましたけど、あたくしは初めてウルフルズのその曲を聴いて「これは、ビーチ・ボーイズの『コットン・フィールズ』そのまんまじゃねーかっ!」と思ったね。(余談ですが、トータスくんは少し前にラッパーと組んで♪初恋のあのこは〜♪とかゆー曲をやってたけど、耳があるなら誰でもカニエちゃんのショートケーキつーか替え歌だと。)
で、問題はイーグルスがビーチ・ボーイズからナニしてたってことが発覚しちゃうことですよ。ま、「コットン・フィールズ」ってのは彼らのオリジナルではなくフォーク・ソングのカヴァーなのだけど、それにしたってあのアレンジは紛れも無くビーチ・ボーイズのモノなわけでして。いや、でも、ビーチ・ボーイズのあのスタイルってのは、チャック・ベリーとフォー・フレッシュメンの融合ですから、結局は他にもビートルズとかストーンズとかの元になったチャック・ベリーじじいが一番なんだってことになってしまいますなぁ。でもでもでも、チャックにアレを教えたのはマイケル・J・フォックスだし、彼はジミヘンが好きで調子に乗って弾きまくってたぞ。だからだ、師匠のディック・デールあたりが元になっちまうんだよな、となるとタランティーノか、じゃあ僕らのチバちゃんが一番えらいんだな。
ん?あたくしは、なんの噺をしてたんだっけ?
其の弐
sweetbox の新しいアルバムに「Bold & Delicious」が収録されるらしいね。彼らは「Everything's Gonna Be Alright」など、クラシックをサンプリング(つーかそのまんまカラオケに)して、ラップと女性ヴォーカルを乗せるって楽曲が有名だけど、「Bold & Delicious」はそんな彼ら(つーかGEO)のオリジナルなんだってね。
最初にラジオで聴いた時には、てっきり「あゆ」が英語で歌っているのかと思ったのだけどね。ま、エイベックスお得意の「カヴァーがオリジナルより先に出る」ってやつなのかな?那奈ちゃんのデビュー曲を思わせる様な展開ではあります。ちなみに、女王あゆは勿論、sweetboxも片瀬クンも、みんな所属レコード会社はエイベックスです。
「Everything's Gonna Be Alright」ってのは、つまり「G線上のアリア」でして、下降進行コードなんですね。これは「カノン」進行と基本的には同じで、バロック音楽ってのは、みんなこんな感じなんですよ。(おいおい、そんなこと云って、えーのか?)でもって、これが「魔法の旋律」なのでして、バッハが「俺が作ったんだよ〜ん。だから、パクったら金をくれっ!」とか云ったら、いくらパッフェルベルが「もとは俺のカノンだけど、ま、えーや、おまいにくれてやる」って云っても、もう此の世にオリジナルなんてなくなってしまうんです。
高校時代の話です。あたくしは、覚えたてのプロコルハルムの「青い影」をつたないピアノで弾いていました。すると、幼少時代からピアノとヴァイオリンを習っていた友人が「おまえが弾いてるのはバッハだ」と云うのです。「いや、これは一寸昔のロックだよ」と返すと、彼は云いました。「そうかもしれないけど、もともとはクラシックの旋律だよ。歌が乗ってるだけだ。それは「G線上のアリア」って曲だ。」
ビートルズがクラシックの要素を取り入れたのは、20世紀最大の音楽集団と云われる所以のひとつですけど、其れは有名な「Yesterday」などだけを指すのではありません。「Hello Goodbye」のオケを聴いて下さいな。アレは紛れも無く「青い影」でして、つまり「G線上のアリア」なのです。そして其れは「カノン」進行に他ならないわけです。KREVAの「イッサイガッサイ」は「カノン」をそのまんまオケにした様な楽曲ですけど、そのKREVAが所属するKICK THE CAN CREWが(本人のお墨付きで)ラップでカヴァーした山下達郎の名曲「クリスマス・イブ」も間奏で早回しアカペラでネタばれしている様に「カノン」です。間奏で早回しするってのは、ビートルズの「In My Life 」でのピアノ間奏早回しから繋がっていますが、そこでマーティンが弾いていたのも「カノン」です。マーティンは「YELLOW SUBMARINE」のサントラで「G線上のアリア」をそのまんま引用しています。
さて、本日はこのへんで勘弁しときましょうかね。なんてったって、今日はジョージのお誕生日だもん。「MY SWEET LOAD」を高らかに聴かなきゃならんっ!!
盗作なんて「さみしい噺」は、したくないね。
其の参
かつて「新世紀エヴァンゲリオン」の監督である庵野秀明氏は、過去の作品との類似を指摘され「エヴァは過去の名作をコラージュした作品だ」と開き直りました。つづけて「もはや意識しなくとも過去のコラージュになるのは必然であって、では何がオリジナルなのかと云えば、そこに加えた自分史しかない」と(うろおぼえだけど)語り、彼と同い歳であるあたくしは「なるほどね」と思ったものです。
大瀧師匠が「「新作」と称するものはオリジナルに気がつかないか、あるいは隠しているかのカヴァー・ヴァージョンに過ぎないというのが僕の考え方。」と語ったことは、以前も書きましたが、10ccは「オレたちが始めた頃は、元ネタなんてビートルズとかビーチ・ボーイズくらいしかなかったから、そりゃもう大変だったんだぞ。今の若僧は、なんでも揃ってんだから楽勝だろ?がっはっはっは」とオヤジ節を炸裂していましたね。流石はギズモなんて変な楽器を考案したうえ、分裂しただけはありますね。ま、前記の発言をしたのはエリックとグレアムの方で「なんだかんだ云ったって「I'M NOT IN LOVE」を書いたのはオレたちなんだから、あっち(ゴドレー&クレーム)が10ccなわけねーだろ?」とか云いたい放題でしたね。そのうえ「向こうと仲が悪いって?んなわけねーだろ、オレさま(エリック)の女房の妹はロル(クレーム)のかみさんなんだぞ。今でも隣に住んでるよ。つまりオレたちはファミリーなんだよ」と来るんだからね。てか、今じゃグレアムだけで10ccなんだってね。あ、随分と脱線したな。
ま、そーゆーわけで、「過去の遺産の上からしか新作は生まれない」(タツロー・談)のですから、やれ「パクリ」だ、それ「盗作」だ、なんて「淋しい噺」は、もーええじゃまいか。「オマージュ」とか「パロディ」とか色々と言い換えたところで、やってることは一緒なんですから、「はい、ショートケーキしましたけど、何か?」で構わないでしょ。
「 ん な こ た ー な い 」
なんでかってぇーと、そりゃつまりアレだ、そーゆーのを全部一緒にしちゃうと「合意のうえで愛のあるセックルをしたのとレイプでは、やってる行為は同じなんだから」ってことになるでしょ?ん、違うか。じゃあ、こーゆーことか。妙子「ノビュキはカナさんをしゅきになって、カナさんと寝たんれしょ?」伸木「ああ、寝たよっ!でも一度だけだ」妙子「一度れも寝たことに変わりはないやないっ!れったいに許さないっ!!キーーっ!!!」伸木「おまえだって、あの金井とかゆー学生と寝たんだろ?」妙子「潤くんとは、一回目は新鮮らった。二回目で冷めた。三回で飽きて、別れたのよさ、あっちょんぶりけ」伸木「なにぃ?三回も寝たのかぁーっ!!俺は、家を出るっ!」妙子「れったいに、認めないっ!」(おいおい、みーちゃんは?)ってことに、あれ?なんの噺をしてたんだっけ?
例えば、「(Just Like) STARTING OVER」と云うジョン・レノンの有名な曲があります。エルヴィスとロイ・オービソンを意識した展開で、歌い方やアレンジもそれ風にしたオールディーズのパロディみたいな曲で、イントロには自身の傑作「MOTHER」を茶化した趣向まで取り入れています。で、この曲、いろんな過去の曲からメロディーも引用していて、そのひとつにビーチ・ボーイズの「DON'T WORRY BABY」がよく挙げられますね。ところが、その「DON'T WORRY BABY」ってのは、ロネッツの「BE MY BABY」を意識してブライアンが書いた曲なのです。所謂アンサー・ソングってことなんでしょうね、わざわざ「BABY」ってネタ元を明かして、同じ様に太鼓で始めているのですから。その「BE MY BABY」をプロデュースしたのが、フィル・スペクターで、ジョンとは浅からぬ関係です。なにせ、ジョン自身がスペクターのプロデュースで「BE MY BABY」をカヴァーしていますからね。♪く〜るり〜く〜るり〜♪
そして、ジョージの「MY SWEET LORD」をプロデュースしたのもスペクターなのです。盗作問題で騒がれたシフォンズの「HE'S SO FINE」は、ロネッツの「BE MY BABY」と同時代の曲で同じ様なガールズ・グループによる作品でありまして、スペクターが知らないわけがないんですよ。「MY SWEET LORD」はジョージではなく、ビリー・プレストンによるカヴァーの方が二ヶ月ほど先に発表されていて、もともとビリーが弾くゴスペル風リフから出来た曲だとも云われています。つまり、セルフ・カヴァーで、ビリーへの提供曲だったのでしょう。ビリーによるヴァージョンを聴くと「HE'S SO FINE」を連想するのは困難です。よーするに、スペクターは意図的に、それをかつての自身へのオマージュへとつくりかえたのではないでしょうか。それを「盗作」で片付けてしまうのは、大瀧師匠の発言を借りれば「あの裁判官は音楽のことをまったくわかっていない」ってことなのでは?と思う今日このごろ、みなさん如何お過ごしですか?
其の肆
ビートルズはカヴァーを得意としたバンドでもあったのですが、なにせレコード・デビューをした頃には長い下積みを経ていて完全に出来上がっていた為、公式盤ではわずか24曲程度しかカヴァーを聴くことが出来なかったのです。しかし、ソロになってからジョンは決定盤とも云えるカヴァー集「ロケンロール」1975 を発表してくれたし、ポールも「CHOBA B CCCP」1988 と「RUN DEVIL RUN」1999(こちらはオリジナルも3曲含みますが)と、ビートルズの起源を知らしめる名盤を残しています。そして、BBCでのラジオ音源も公式化されました。以前も書いたことですが、公式では2枚組でオリジナル・アルバムでは聴けなかったカヴァー曲が多く収録されていますし、ウチには10枚組の箱があります。「ジョンとヨーコのバラード」が「LONESOME TEARS IN MY EYES」(Johnny Burnetto Trio) のパクリだと云われるのは、そりゃ聴けばギター・フレーズなんかまんまなのだから当たり前なのですけど、BBC音源でジョン本人の歌でカヴァーしているから発覚したってのが、ホントのトコなんじゃないかな。
ポールが語る様に「ビートルズは盗作集団」なのでありまして、また、それを自ら明かすのが好きみたいです。例えば、彼らはライヴの最後はリトル・リチャードの「のっぽのサリー」で締めるっての定番だったのだけど、「やっぱ、オリジナルで終わりてーよな」ってことになりまして、ポールが「I'M DOWN」を書くわけです。リトル・リチャードが主題歌を歌う「女はそれを我慢できない(The Girl Can't Help It)」を観て、一気に書き上げたのだそうですよ。そりゃそーでしょー、まんまじゃねーか。「のっぽのサリー」と「女はそれを我慢できない」を足して割ると「I'M DOWN」になるんですよ。ポールって、分り易いよなぁ。ま、「リトル・リチャードはポールがお好き」だったので、なんの問題もなかったのですけどね。
そんな古いロケンロールのコンピ盤を聴いていると、Johnny and the Hurricanes の「CROSSFIRE」って曲に出逢えます。これを指摘しているのをあたくしは未だに知らないのですが、この曲ってインストなんだけど「SHE'S A WOMAN」そのまんまなんですよ。ポール、おまえって奴は。「Yesterday」を書いた時に、あんまり簡単に出来たので「これは盗作じゃないのか?」とみんなに訊いたって噺があるけど、なるほど「そりゃーマエがあるんだから、心配だろーよっ!!」とほほ。
さてさて、ショートケーキの噺でジョージの「MY SWEET LORD」と同じくらいに有名なのが、「COME TOGETHER」です。これはチャック・ベリーの「YOU CAN'T CATCH ME」の盗作だと云われ「訴えてやるっ!」って話になっていたのです。勿論、チャックは漢ですから、そんなこたぁーしません。出版権を持っていた野郎(敢えて名は伏せるが、モーリス・レヴィという阿呆である)が、ジョンに文句をつけたわけですよ。でもって、裁判沙汰にするよりもジョンが自分が出版権を持つ楽曲をレコードに入れた方が儲かるって考えて、三曲カヴァーしろってことになったわけだ。そんな事情もあって「ロケンロール」が出たのだけど、ジョンはよりによって「YOU CAN'T CATCH ME」そのものをカヴァーして収録したのです。かっこええっ!!
で、ここで問題なのは「COME TOGETHER」を書いたのは確かにジョンだけど、クレジットは「レノン・マッカートニー」なわけで、ポールにも責任があるんじゃないんでしょうか?ええ、彼はちゃんとやってました。「ロケンロール」にはバディ・ホリーのカヴァーも入っていて、なんとその版権をポールは買っていたのです。つまり「ロケンロール」が売れれば、モーリスも儲かるけど、ポールも儲かるわけだ。
まったく、ポール、お前って奴は。
其の伍
何故このシリーズが「ONDO」カテゴリなのか?と突っ込まれる前に解説しておきましょう。「ONDO」と云うカテゴリでは「日本語のロック」を語って参りました。そして其れは「大瀧詠一」師匠が23年も前に提唱した「分母分子論」へと繋がっています。ですから、「此れはなんちゃらのパクリだ、盗作だ、エピゴーネンだ、やーい!やーい!!」なんて噺をしたいのではありません。「何処から来て、何処へ行くのか」を、考えているだけなのです。
日本の大衆音楽と云うのは「J-POP」に限らず、すべてが洋楽から始まっています。クラシックやジャズは当然ですけど、演歌もジャズや韓国歌謡が変化したモノですし、文部省唱歌なんてのもすべて洋楽を翻訳したモノ(よーするに替え歌だな)でありまして、「蛍の光」だってスコットランド民謡です。「君が代」ですら、日本独自のメロディーではありません。明治以前の雅楽や民謡あたりまで遡らないと、独自のメロディーなんてないのです。いくら洋楽が好きでも、私たちは、どうやっても英語圏のひとにはなれません。日本人なのだから、おとなしく日本語のうたを聴いて楽しんでいればええのでしょうけど、残念ながら其れらはすべて洋楽の翻訳です。王様がやる「直訳ロック」と、最先端のカッチョエエ「日本語ヒップホップ・ユニットの楽曲」は、立ち位置になんら変わりはないわけですよ。例えば、♪I believe myself 信じることで〜♪この不可思議な詩は、一体なんなのでしょう?「危険が危ない」天才バカボンのパパみたいじゃないですか。でも、それが当たり前になっているのが日本のヒット曲です。九ちゃんやミコちゃんの「ヒッパレ時代」から、まったく進歩していません。何故か?其れは、元が洋楽だからなのです。
大瀧さんは、はっぴいえんど時代に日本語を洋楽に乗せる為に、松本隆氏が書いた詩をすべてローマ字にして英語感覚で乗せたとのこと。それは、ある意味、もはや日本語ではありません。だから「春よ来い」では♪お正月といえば〜炬燵を囲んで〜お雑煮を食べながら〜歌留多をしてた、もぉおおおのおおおおでえ〜す♪なんてトンデモな展開になりました。ここで一番印象に残るのは「ものです」って部分で、其れには本来なら強い意味などないのです。後の「A LONG VACATION」では、いよいよ凄いことになって来ます。「恋するカレン」の冒頭で「キャンドルを暗くしてスローな曲がかかると」と云う部分を♪きゃーんどるをーくーらくしいてえ〜すーろぉおおおおなきょくがかかると〜♪ですよ。「スロー」ってもともと英語なのに、日本語として気持ち良くうたう為に解体されてしまったのです。明らかに洋楽を元にした大瀧さんの楽曲が、日本語で歌った瞬間に「歌謡」になるのですから面白いですね。
さて、「ラ・バンバ」と「ツィスト・アンド・シャウト」が、同じコード進行なので一緒に歌えるってのは分り易いのですが、ディランの「LIKE A ROLLING STONE」も一緒に歌えるってトコが「音楽の必然」です。ディランがエレキ・ギターを持ったのは、アニマルズの「朝日があたる家」を聴いて衝撃を受けたからといわれています。つまりトラディショナル・ソングでも、アレンジ次第でロケンロールになるのだと開眼したのです。それで出来た「LIKE A ROLLING STONE」が、アイズレーからヒントを得たとは考えにくいですね。リフはビートルズがカヴァーした「TWIST & SHOUT」からの転用でしょう。ちなみに、1971年のジョンのお誕生日パーティーで仲間たちと酔っぱらって演奏したテープを聴いたことがあるのですが、そこでジョンは「TWIST & SHOUT〜LIKE A ROLLING STONE」と云う曲を演奏しています。
其の陸
日本では、洋楽から影響を受けて発生した音楽が、段々と其のルーツを見失っていくと云う傾向が、遥か昔からあります。ロカビリーの頃、最初にカヴァーをしたひとたちは間違いなく「エルヴィス」を日本語でやっている気持ちだったでしょうね。そこでオリジナルをやってみようってなると、どうも変なことになってしまう。そもそも「若大将」が語る様に「エルヴィスを日本語でやるなんて、馬鹿じゃないのか?」だったのですから、致し方ない。
坂本九ちゃんは、自分では「エルヴィス」のマネをしているつもりで「GIブルース」なんかを日本語でうたっていたのですが、それはまったく別のモノにしか聴こえません。東京ビートルズを聴いて、それがビートルズを日本語にしただけとは到底思えない様に、言語の問題も大きいけれど、なんてったって音が違うのです。そして、その九ちゃんに憧れて歌手になるってコが出てきます。「エルヴィス」と「彼」の間には、「九ちゃんが存在する」わけで、そーすると♪あのこはルイジアナママ、やって来たのはニューオリン、髪はキンキラ目は青さ、本物だよデキシクイン、まぁーいるじあなまま、ほにおりん♪なんてことになるのです。
GS時代には、かなり優秀なミュージシャンも出てくるのですけど、芸能界のシステムへ巻き込まれメジャーな連中は歌謡曲化していきます。けれど、GSがお手本にしていたのは紛れも無く同時代の英米のロックだったわけです。ところが、そのGSにあこがれて音楽の道へと進むと、当然「洋楽と彼らの間にはGSが存在」します。フォークでも、岡林でも拓郎でも泉谷でも、当初は明らかに「ディランの翻訳」から始まっています。しかし、その日本語フォークに感化されて現れた方たちにとっては、ディランよりも岡林の方が重要だったから「四畳半フォーク」なんて奇怪な世界が登場したりします。其の岡林のバックバンドも担当した「はっぴいえんど」も、日本語ロックを作ったつもりが「ニューミュージック」なんてわけわからないカテゴリの元になってしまいました。
アリシア・キーズが普通に自分が生まれる前のソウルを歌ったり、ノラ・ジョーンズがカントリーのバンドをやったりするのは、彼女たちのルーツがしっかりとそばにあるからでしょう。それと同じ様なことを日本のミュージシャンがやるのは、とても困難なことだと思います。はっきり云ってしまうと、邦楽には原点回帰が出来ないのです。だって、其れは自国には無いのですから。自分のルーツがどこにあるのかを知らずに音楽を作っているのでは、とてもおつきあいする気にはなれません。
ジョンの「ロケンロール」を聴けば、彼が何処から来たのかが、はっきりと分ります。アリシアのステージを観れば、何故に彼女が歌っているのかが、明確に示されます。かたや、洋楽の替え歌をやっていながら、最新洋楽チャートの感想を訊かれ「何言ってんのか分らん」って、スゲエよ。彼女(大塚愛ちんちん)は、自分が何をやっているのか、分っていないのです。ユーミンやサザンを、もっと言えばドリカムやコムロやミスチルを、更に言ってしまうとミーシャやヒッキーやaikoや林檎あたりを「ルーツ」として、新しいコが出てきます。ユーミンですら、洋楽との間にGSが存在しています。その「ユーミンに勝つ!」と出て来たドリカムと洋楽の間にはユーミンとGSが入ってきます。さらにそのドリカムを手本にしたコには、単純なバカラックやカーペンターズやアースやエルトンなどの超有名曲からの引用すら、もはや「わからない」のです。だからこそ、そうゆーコが相似形を発見すると「盗作」としか思えないわけですよ。で、こーゆーのは「アリ」なんだって、普通に考えてつまらないことをやってしまうのでしょう。あたくしはドリカムを積極的に好きな方ではないのだけど、例えば「晴れたらいいね」とか云う曲のエンディングが、バカラックの「雨にぬれても」からの引用だってのは、納得がいくのです。ちゃんと世界観が繋がっていますからね。
一体、何故、そこにその旋律が出てくるのか?音楽を愛する方たちにきちんとその「構図」を説明出来ないでやってるのが「盗作」ってモンなんじゃないでしょうか。本人がおっしゃる通り、何もわかってないのでしょう。
其の那奈〜未亜イコ対談篇〜
未亜:ねえ、姐御、東京事変の新作のタイトル、知ってます?
イコ:「大人」と書いて「アダルト」だろ?つまんね。
未亜:そーじゃなくって、次のやつですよ。なんかね、「アダルト・ヴィデオ」ってタイトルらしいよ。
イコ:はあ、益々つまらんな。林檎が5Pでもやらかすのか?いよいよ終わったな。
未亜:そんなこといったら、コアな林檎ちゃんヲタに殺められちゃいますよ。ガクガクブルブル。
イコ:「大人」だの「AV」だの、本人は気が利いてるつもりなんだろ?イタすぎるんだよ。はい、撤収。
未亜:あーあ、姐御はついに全国数千万の林檎ちゃん好きを敵に回しましたね。ぼかあ、無関係ですからね。
イコ:おまえは、「愛ゆえに」って10ccの名曲でも聴き直して出直せよ。ダメなもんはダメなんだよ。無理してついていくなんて、それこそ失礼じゃないのさ。スライだってダメになっちまうのが、商業音楽ってもんだよ。
未亜:さっきまでスティーヴィーを聴いていたのに、スライですか。
イコ:全然おかしくないだろ?音楽は♪ふぁんきー♪が一番えらいんだよ。あたくしはな、トリビュート盤より、やっぱオリジナルを聴け!と声を大にして言いたいわけだ。
未亜:それは酔った勢いで、その日に買った新品を未開封であげちゃったからでしょ?負け惜しみなんじゃないの。大体いま聴いてんのって、お手軽なベスト盤じゃん。
イコ:はて?一体なんの話やら。
未亜:まー、スティーヴィーからスライってのは分らなくも無いんだけどさ、なんで次に「クレイジーキャッツ HONDARA盤」を待機させているんですか?どーして姐御は、スライから植木屋に繋げるわけ?
イコ:おまえさんは音楽を知らないな。むふふふふ。
未亜:はあ?こんな展開は、単なる姐御の趣味じゃん。スライと「スーダラ節」なんて、無関係ですよ。
イコ:つくづくノータリンだな。スライと植木等がやってんのは、まったくおんなじことじゃないの。おまえはジャンルとかに捕われているだけなんだよ。スライも植木屋も「意味もなくひとを昂揚させる」パワーを発散しまくってるじゃないか。これはまったくもって同じ構図なんだよ。♪すた〜ん!ななななななななな♪ってのと、♪そーのうちなんとかな〜るだろぉおお〜ぶわはっはっはっ!♪ってのは、同じことを言ってるの。
未亜:姐御は狂ってる。
イコ:ばかもん!大瀧師匠は、エルヴィスの「ハウンド・ドッグ」と植木さんの「スーダラ節」は同じだって言ってるぞ。
未亜:そんな姐御以上にわけわからん先達の発言なんて、もっとイカレてますよっ!!
イコ:「遺憾に存じます」のイントロは、ビートルズの「抱きしめたい」と同じじゃないか。ギターを弾いている寺内タケシ様はな、ここだけの話だけど「エレキ・ギターは俺さまが発明した」と公言してるんだぞ。
未亜:そんな俺さま節は、若大将の「俺さまの方がビートルズなんかより先にエルヴィスを聴いてたし、多重録音だってやってたんだ」ってのと同じですよ。「武道館でライヴってのも、ビートルズと俺さまが草分けだ」とか言ってるけど、若大将は映画のロケでの話じゃないですか。
イコ:でも、若大将は嘘をついてねーだろ?確かに彼の方が年上なんだし生まれながらにして金持ちだったんだから、ビートルズなんか小僧だったんだよ。ビートルズが全米制覇する一年も前に、坂本九の「スキヤキ」は全米チャートで首位に立っているのだよ。「スーダラ節」は1961年に出たんだぞ。その頃、ビートルズなんてハンブルグで便座を首にかけて歌ってたんだからな。なんもかんもが、ビートルズから始まったわけじゃないのだよ。
未亜:あのぉ、、、「なんもかんもが、ビートルズから始まった」って、姐御の決め台詞じゃないですか。
イコ:んなもん、わかりやすいからそーいっとくだけだよ。説明すんのが面倒くさいだろ?便利なんだよ、ビートルズから始まったってのは。ほら、日本でもとりあえず「はっぴいえんど」からとか言っとくと、若僧なんかは妙に納得するだろ?GSだのヒッパレだのロカビリーだのと掘り下げていったら、話が始まんないからな。
未亜:いや、充分掘り下げまくってませんか?アキラだのクレイジーだの。
イコ:そりゃおまえ、若僧の頃から大瀧さんだの細野さんだのタツローだのに鍛えられたからな。タツローなんか、もともと、まるっきりブラック・ミュージックじゃん。スティーヴィーやスライの70年代前半のアルバムなんか聴いてると、タツローだの茂だのが1975年にやっていたのはショートケーキばっかじゃん!ってことになっちゃいますな。
未亜:よく訴えられなかったね。
イコ:だって、日本じゃ誰も聴いてなかったんだもん。それに、タツローだって茂だって、さっぱり売れてなかったからね。ただ、それがその後の日本の音楽の主流になっていくわけよ。当時は「シティ・ミュージック」とかわけわからんジャンル分けになっていたんだけど、それってブラック・ミュージックの翻訳だったんだよね。大体が通好みで表面には出て来なかったんだけど、たまに例えば八神純子の「水色の雨」とかが歌謡曲化して売れるのさ。で、あれってスティーヴィーの「ANOTHER STAR」の替え歌だろ?
未亜:なるほど、そーやって売れると「パープル・タウン」みたいに訴えられるわけですね。
イコ:でさ、今はユーミンだのサザンだのタツローだのから始まっているのよ。その本質が隠れてしまったの。タツローが「誰も聴いてない音楽ばっか好んで聴いている僕の音楽が受け入れられるのが奇妙だ」とか、クワタが「自分が作った音楽が200万枚も売れるなんて理解できない」とか言ってた頃に、ユーミンは「200万枚売れるのは当然よ。だって、マーケティングして作ったんだもん」って言ったんだよ。で、それは、もう15年以上も昔の話なんだな。その後の90年代に何が起こって、今どーなっているのかは分るでしょ?
未亜:ヒッキーの1枚目は800万枚くらい売れたんだっけ?林檎ちゃんの「勝訴」も200万枚かな。確かに良い作品でしたけど、売れればええってもんじゃないんですね。
イコ:ま、クレイジーを聴いていると、そんなこたどーでもえ〜〜じゃまいか?って気分になるな。
未亜:なんだよ、それ。姐御の話なんか、マトモに聞くもんじゃないね。
イコ:さて、次は「WINGSPAN」でも観て、にやにやみあみあしよーかなっと。
未亜:だから、植木屋の次がポールって、なんのカンケーがあるんだよーっ!!
イコ:それはね、(以下、延々とつづくので、次回へ。)
其のタコ
MADONNA の「bootleg mix」を聴いてて思いますよ、DJってぇのはやりたい放題ですなぁ。公式リミックスですら原型を留めないほど解体し再構築されたモンを採用しているマドンナですから、bootleg なんてのはもはや無法地帯です。で、興味深いのは、他ならぬマドンナ本人がそーゆーことを楽しんでいる感じがするトコです。
「ユリイカ」誌での「近田vsピストン対談」でも、「マドンナはDJ感覚なのではないか?」と指摘されていますが、あたくしも同意見ですね。確かにマドンナの嗅覚は一歩先を読むDJ的なモンなのでしょう。でも、それだけではマドンナはマドンナになれませんね。だって、それならマドンナよりも例えば William Orbit とか sasha の方がより有名になってないとおかしいんですよ。でも「RAY OF LIGHT」は誰が何と言おうと「マドンナの作品」なのです。
DJは音源をピックアップして再構築するのだけど、マドンナはそういうDJやプロデューサーすらもピックアップする「スーパーDJ」であって、なにより「音楽家」なのです。あたくしは、彼女より以前からそんなことをやらかしていた御方を、ふたりほど存じております。そして、それこそが「サー・ポール・マッカートニー」と「大瀧詠一」と云う師匠であります。ポールに関してこれから述べることは、彼を御存知の方には説明不要で、よく知らない方には「ちんぷんかんぷん」でしょう。
「ビートルズで最も前衛的だったのは、ポールです」
未亜:おいおい、前衛っていえばヨーコと結ばれたジョンでしょう?ジョージだってインドだのシンセサイザーだのと新たな道を開いたじゃないですか。
イコ:いえいえ、それは彼らが自分の中になかったモノを求めた結果に過ぎませんよ。対してポールは、天然です。「YESTERDAY」を聴いてみてよ。1965年にロック・バンドが弦楽四重奏をバックにアコギのソロ弾き語りをやるなんて発想はありえないんだよ。それがプロデューサー「サー・ジョージ・マーティン」の手腕だとするなら、彼が同じ趣向で「YESTERDAY」の雛形としてプロデュースしたジェリー&ペースメーカーズの「YOU NEVER WALK ALONE」のダササ加減は一体なんなんだ?大体、そんな曲「コアなサッカー好き」でもない限り誰も知らないだろ。ほれ、これだよ、聴け。
未亜:げげっ。パット・プーンですか?これは、、、だ、だせ〜。
イコ:な、マーティンって、ちっともロックじゃないんだよ。あとね、ジョンが「いつも俺の曲が実験の場にされた」って言ってるけど、それはつまりポールが実験してたってことだろ?あの「Tomorrow Never Knows」でさえ、ポールの奇想天外なアレンジで完成したんだよ。中期以降のジョンのサイケ・ソングは全部ポールのアレンジでビートルズになったんだぞ。
未亜:おやおや、姐御はジョン派だと思ってたのに、実はポール派でしたか。
イコ:ぼけなすちゃんっ!おまえは何十年ビートルズを聴いてんだよっ!!ジョンとポールでビートルズだろーが。ふたりでひとつの「レノン・マッカートニー」なんだから、ジョン派もポール派もねーんだよ。ちなみに、あたくしは「ジョージ・ヲタ」なんだよ。覚えとけっ。
未亜:なんで怒られてんのかわかりません。
てなわけで、ポールはもともと「よこはまたそがれ♪あの〜ひと〜は♪」な御仁なのでありまして、「世紀のメロディーメイカー」なんてーのは、彼の一面だけを捕えたもんに過ぎないのです。ソロになってからの、多くのリミックスや別名プロジェクトを聴けば、ポールこそが「スーパーDJミュージシャン」の元祖だと思い知らされるわけだよ。ん?で、大瀧師匠はどーしてだって?そうか、君は「ラブジェネ」の主題歌で知ったんだもんな。わかったわかった、MDを作って強制的に聴かせてやろーじゃないか。マドンナは、ポールとナイアガラの娘だよ。あ、そーか、マドンナもよく知らないんだっけ?大丈夫。音楽は知識じゃない。こんなヨタ噺からは、音なんて出やしないだろ?好きなもんを好きに聴いていればええんだ。いや、ホントだよ。好きな音楽くらい、自分でみつけなきゃ、やってらんねーだろ?
そんなあたくしは、「SOMETHING 」の♪どわなりーはなー♪のトコは、「JUNK」の頭の♪もーたかーはんどばー♪と同じだってことに、ついさっきウクレレを弾いてて気付いたよ。当時、発売は「SOMETHING 」が先だったけど、「JUNK」が元だってのは現在なら明確な事実だね。なるほど、ポールが「SOMETHING 」をウクレレでやるわけだ。
#9
はっぴいえんどの「はいからはくち」が MOBY GRAPE の「Omaha」だったり、細野さんの「恋は桃色」が同じく MOBY GRAPE の「Right Before My Eyes」であるなんてのは、所謂「分る奴だけ分って欲しい」って感じなのでしょう。
細野さんの場合は「風来坊」(はっぴいえんど名儀)でToddの「Hello It's Me」を引用していたり、「風をあつめて」(同じくはっぴいえんど名儀)は James Taylor そのまんまだったり、後のYMOもクラフトワークとジョルジュオ・モローダーの融合だったりもするのですけど、なんとなく真面目な印象を受けます。でも、「はらいそ」の最後なんかを聴くと、やはり大瀧さんと同じバンドにいたひとなのだなぁ〜と妙に納得しますね。ひとことで言うと「ふざけてる」んです。音楽って、存在自体がコミカルなのですよ。
大瀧さんが曲を書いた「はいからはくち」は、何度もレコーディングし直され、その度に別のモノとなっていきます。「風街ろまん」ではハードなヴァージョンになり、その後のライヴではスカ風にアレンジされ、挙げ句に大瀧さんのソロ「ウララカ」と合体したフィル・スペクター風と原型を留めないカタチへと変貌します。「ウララカ」は、一聴して The Crystals の「DA DOO RON RON」を下敷きにしていると分るのですが、「はいからはくち」も構造としては全く同じであると言う種明かしを、音楽そのもので行っているのでしょう。「幸せな結末」にカップリングされた「HAPPY END で始めよう」を聴くと、それが「はいからはくち」と「ウララカ」を合体させた発展型だと分ります。この執念は、一体なんなのでしょう。
そんな「執念のひと」大瀧さんが尊敬する植木等さんの「遺憾に存じます」は、1965年11月15日に発売されています。ブルー・コメッツの「ブルー・シャトウ」が1967年ですから、GSブームに便乗して生まれた作品ではないことは明らかですね。クレージーのサウンドはジャズが基本ですが、ビートルズ来日の半年も前にエレキ・サウンドを導入してしまったのですから「ふざけて」います。ちなみに、美空ひばりがブルコメをバックにミニ・スカートで「真っ赤な太陽」を歌うのは、1967年6月です。どれだけクレイジーが早かったのかがお分かりになるでしょう。
ビートルズが来日した時に、彼らに逢ったのは若大将でしたけど、同じレコード会社と言う理由なら植木さんでも良かったんじゃないですかね。後輩のドリフは前座で出ていますから、話は在ったんじゃないでしょうか?ま、植木さんにとって、ビートルズなんて「ちゃんちゃらおかしい」小僧にすぎなかったのでしょうけど。(後に長渕剛が紅白で中継で三曲も熱唱した時に、「スーダラ伝説」を短縮版で歌った植木さんは「おや、まだうたってんの?」と言い、イラつく会場を和ませた。)植木さんやひばりちゃんによるエレキ作品を聴くと、明らかな違和感があります。それは洋楽の翻訳を超えてしまっているからなのでしょう。アキラの洋楽の解釈にも同じ様な「ちんぷんかんぷん」感が漂うのですが、アキラは天才だからなぁ。
クリスタル・ケイがジャム&ルイスのプロデュースによって英語で歌う曲を聴くと、ジャネット・ジャクソンとどこが違うのか、あたくしのつたない耳では判別がつきません。そして、それが、ついに洋楽と同じ立ち位置に来たとは到底思えないのです。そんな方法で、日本人はグラミーを取れるのでしょうか?ピンク・レディーや永ちゃんや聖子ちゃんやヒッキーなんかと同じことをやっていては、永遠に「スキヤキ」は食べられませんね。
「此の拙文を、多羅尾伴内師匠に捧ぐ」
(小島藺子/姫川未亜)
初出「COPY CONTROL」
2006-2-19、2-25〜3-1、3-4、3-11〜3-12、 全9回連作
初出「COPY CONTROL」
2006-2-19、2-25〜3-1、3-4、3-11〜3-12、 全9回連作