
1. NIAGARA MOON 試論
此れは、はっぴいえんど解散後に大滝詠一師匠が出した最初のアルバムです。
ソロ名義では二作目なんですけど、ファースト「大瀧詠一」は「はっぴいえんどの大瀧」によるアルバムと云う印象が強く、実際在籍中に制作されて作詞の半数が松本隆で細野さんと茂も参加ってなわけですから、まぁアレは「はっぴいえんど」って呼ばれてもええんぢゃないかって作品なんです。勿論、其れだけでは無いのが師匠らしいトコですけどね。
さて、30周年盤を聴きました。やはり凄い。もうね、此れは聴いてもらうしかないわけなんです。説明不要。オリジナル盤や初CD化、20周年盤等を持っていても聴くべし!本編のマスタリングも別だし、何よりボーナス・トラックが全く違うんですから全部聴かないとね。
此の作品でも細野さんと茂が参加しています。「はっぴいえんど」のメムバーで参加していないのは松本隆だけです。其れだけで、こんなにも違うモンなんでしょうか。「はっぴいえんど」とは、松本隆だったのでしょうか。いいえ、そうぢゃないんだ。「ジョンの魂」がポール色を完全に排除してビートルズとは別のモノとなったのに、何故か最もビートルズらしい作品とも云える様に、松本抜きの世界が最も「はっぴいえんど」的な展開だったと云えるのです。
同年に発表された茂の大傑作「バンド・ワゴン」が、松本の作詞で大瀧の歌唱を模倣し「はっぴいえんどの4枚目」なんて云われたりもします。其れは其れでアリだけど、其の本質に果敢に立ち向かって行った大滝の試行錯誤が、6年後「ロンバケ」での再会で結実するのです。「はっぴいえんど」とは、松本が作詞して大瀧が曲を書いて歌うバンドでした。「風をあつめて」が代表曲となった今では、少し意味不明でしょうけどね。
2. 続 NIAGARA MOON 試論
1975年上半期、もと「はっぴいえんど」の連中は、其の本性を露にし爆発しました。
「はっぴいえんど」は1973年9月21日の解散コンサートで終止符を打ちますが、正式解散は1972年12月31日です。大瀧のソロ(1972年11月25日発売)、正式解散(1972年12月31日)、はっぴいえんどのサード「HAPPY END」(1973年2月25日発売)、細野さんのソロ「HOSONO HOUSE」(1973年5月25日発売)、はっぴいえんどのベスト「CITY」(1973年9月10日発売)と来て、再結成コンサートとしての「解散コンサート」が行われたのです。
解散コンサートには、南佳孝(松本隆が作詞、プロデュース、デレクターを担当した「摩天楼のヒロイン」で同日にデビュー)、(松本隆の)ムーンライダース、キャラメル・ママ(細野、茂が参加)も出演し、大滝はココナツ・バンクとシュガー・ベイブを従えてのソロ・パートも披露しています。解散は、新たなる門出だったのです。
御存知の通り、松本は職業作詞家へと転身し、細野&茂はキャラメル・ママ〜ティン・パン・アレーとしてプレイヤー&アレンジャー集団の道へと進みました。一方、大滝はCMソングで頭角を表しながら、個人レーベル「ナイアガラ」を立ち上げ、自宅に本格的な個人スタジオを作るのです。「HOSONO HOUSE」も自宅録音ですが、大滝がやったのは細野さんの宅録とは本質的に違っていました。
さて、1975年、まず1月に小坂忠「ほうろう」が発売されました。此れは小坂のソロですが、実際は細野さんとのコラボです。バックにはティン・パン・ファミリー総出演で、松本も作詞で参加しています。3月には鈴木茂が「BAND WAGON」で鮮烈なソロ・デビュー。単身渡米し、サンタナ・バンド、スライ&ファミリー・ストーン、タワー・オブ・パワー、リトル・フィートなどのメムバーをバックにギターを弾きまくり、松本の作詞を大瀧のものまねで歌うと云う「はっぴいえんど」好きには堪らない名盤を世に問いました。4月に、SUGAR BABE「SONGS」が大滝のレーベル「ナイアガラ」の第一弾として発売され、5月の「NIAGARA MOON」と続くのです。翌6月には荒井由実「コバルト・アワー」、細野晴臣「トロピカル・ダンディ」まで出てしまうんですから、夢の様な時代でした。
簡単に云うと「DOWN TOWN」とか「卒業写真」とか、タツローやユーミンに普遍的な名曲ポップスをやらせといて、大滝師匠は「三文ソング」とか細野さんは「北京ダック」とか、わけわかんねーことをやってたってことですな。すげえなぁ。
3. 続々 NIAGARA MOON 試論
全12曲で28分28秒。オリジナルの「NIAGARA MOON」は30分にも満たない作品ですが、今回のボーナス・トラックで其のレコーディングの全貌が明らかになりました。ボーナス・トラックは14テイクにも及び、収録時間は40分近くもあるのです。本篇よりもボーナス・トラックの方が長いって。
当時の大滝はCMソングで様々なリズムの実験を試みておりまして、「NIAGARA MOON」には其のCM曲を発展させた作品も多く収録されています。11曲目には、三ツ矢サイダーのCMソングがそのまんま入っていたりもします。そもそも「ナイアガラ」を立ち上げてエレックと契約したのは、CMソングをレコードにしたかったからだと云われていますが、当時「CMソングをそのままレコード化する」なんてことは、全くもって常識外れだったのです。なにしろタイアップなんて概念すらなくて、コマソンはあくまでもコマーシャル用に30秒位のサイズで制作されていた消耗品だったのですからね。
個人レーベルとして「ナイアガラ」を設立した大滝ですが、レーベルを強調する為に第一弾は自分のソロ作品ではなく SUGAR BABE のアルバムを出すことにします。山下達郎と大貫妙子が在籍していた此のバンドは、ドリーミーでポップな方向性だったので、連続リリースとなる「NIAGARA MOON」は敢えて大滝のポップな部分(所謂「夢で逢えたら」→「ロンバケ」路線)を意識的に排除することになったのです。また、はっぴいえんど的な叙情性(松本隆の世界)からも、大きく離れなければならなかった(松本の詩を歌わされていたと大滝は述懐している)ので、自作の言葉遊びに終始した意味不明な日本語をニューオリンズのリズムに乗せると云う「乾き切った」世界が展開されています。
「はっぴいえんど」は洋楽に日本語を乗せる試みに挑み「日本語ロックの草分け」とされていますが、「風街ろまん」で到達した世界は「ロック」と云うより「フォーク」に近いモノだったと思います。「ゆでめん」での初期衝動を発展させて行ったのは、大滝単独作品「颱風」や「はいからはくち」のリテイクで、其れは大滝のソロでの「びんぼう」や「あつさのせい」へと直結しています。そうした「日本語ロック」に対するこだわりが、「NIAGARA MOON」と云う前代未聞の「日本語ロック」を作らせたのでしょう。
オープニングで後のドリーミーなナイアガラ・サウンドに継承されるテーマ曲で始まりながら、突然のカット・アウトから間髪入れず「三文ソング」に繋げる部分は、30年の時を経ても未だに新鮮で衝撃的です。其処から流れる様に展開する前人未到の「リズム歌謡ロック」の数々は、近年でもCMや映画の主題歌に取り上げられる程「瑞々しい」新しい音楽です。
今回収録のボーナス・トラックは、珠玉の28分28秒が「如何にして作られたのか?」を教えてくれました。でも、そんな種明かしがなくとも、本篇を聴くだけで充分なんです。
愛すべきサンボマスターのファンに告ぐ。此れが「日本語ロック」です。
4. 続々続 NIAGARA MOON 試論
大滝詠一の代表作と云えば、此れはもう誰が何と云おうとも「A LONG VACATION」です。最近でも「君は天然色」や「スピーチ・バルーン」がCMに使用され、発売から四半世紀近く経った現在でも色褪せない此の名盤は「永遠のマスターピース」として今後も聴き続けられて行くのでしょう。音楽史的にも、大滝は「元・はっぴいえんど」で、ソロでは「ロンバケ」の作者として語り継がれて行くと思います。
しかし、ジョン・レノンが「元・ビートルズ」で、ソロでは「イマジン」の作者として語り継がれていることに対して「なんだかなぁー。」と思う様に、大滝詠一が「ロンバケ」だけで評価されたのでは「納得がいかない」んです。ジョンは亡くなってしまったので、自分の作品がどんな風に継承されて行くのかを見ることが出来ません。ゆえに、大滝が執拗に過去の作品をリマスタリングして行く姿に、あたくしは感動するのです。
「NIAGARA MOON」は、'70年代のナイアガラで唯一リミックス盤が存在しない作品です。ナイアガラのリミックスは賛否両論が在るものの、それぞれが楽しめる作品になっているのですが、此れだけは手を加えないって処に大滝の自信が伺えます。これぞ「永遠のマスターピース」でしょう。
5. 続々続々 NIAGARA MOON 試論
「A LONG VACATION」の大成功は、多くの新たなファンを獲得したものの、捻くれたオールド・ファンにとっては「喰い足りない」と云わせることとなりました。
発表当時、大滝さんの「DJ パーティー」に参加する機会が在って、今も昔もそんなモンにのこのこ出掛けるのは「コアな」ヲタばかりなので、安心してあたくしもシビアな質問ばかりしてしまったのだよ。若気のいたりと云うか、相変わらずと云うか、本人が触れて欲しくない「ナイアガラ暗黒時代」について執拗に訊ねたのだけど、売れて来たところにヲタに囲まれて気分も上々の師匠からは、本音も出た。
曰く「僕だってロンバケまで妥協しなきゃ売れないんだよ。今の日本には、布谷くん(「ナイガアラ音頭」を歌った怪人)の様な才能を認める土壌がない。」あの大傑作を「妥協の産物」と云い切る大滝(敬称略、以下同)に、底知れぬ凄みを感じた夜だった。
それならば、大滝詠一が目指した「妥協なき作品」とは、何だったのだろう?コンセプトとしては「NIAGARA CALENDAR '78」か。此れが売れなきゃ引退するとまで云って居たが、見事に売れず、ナイアガラは崩壊へと進むのだ。しかし、其のコンセプトは「ロンバケ」にそのまま使われているので(当時、其れを見抜いたのは一番弟子とも云える山下達郎だけだった)結果的には間違ってはいなかったわけだね。
大滝自身は「ファースト」「ロンバケ」そして「NIAGARA MOON」を自己ベストとしている。「処女作」と「大衆性を獲得した傑作」をベストとするのは当然なので、彼にとっての真のベストが「NIAGARA MOON」で在ることの証明とも取れる発言だろう。
夢と希望と実験に満ち溢れた此の作品には「後ろ向きの妥協」など、全く存在しないのだ。
(小島藺子)
初出「COPY CONTROL」2005-3-19〜3-22 全5回連載
初出「COPY CONTROL」2005-3-19〜3-22 全5回連載