w & m:ENOTRIS JOHNSON / RICHARD PENNIMAN / ROBERT BLACKWELL
P:ジョージ・マーティン
E:ノーマン・スミス
2E:リチャード・ランガム(3/10、6/4)、ジェフ・エマリック(6/22)
録音:1964年3月1日
MONO MIX:1964年3月10日、6月4日
STEREO MIX:1964年6月22日
1964年6月19日 EP発売(「LONG TALL SALLY」A-1)、パーロフォン GEP 8913(モノ)
ポール・マッカートニーの数多在るカヴァー・ソングの中で、最高傑作にして別格の存在が此の楽曲です。我が愛しの「小野未来」ちゃんも「イエスタデイでしょ?あたし、好きだナ☆」と語る様に、ポールと云えば「美しい曲を書き歌うバラード歌手」ってのが定番な評価となりました。其れは、「同志:山崎クン」が驚愕した様に、
「かつては不良の音楽と云われて居たのに、
音楽の教科書に載ってるじゃまいかっ!」
って「コペルニクス的転換」が成されたからです。其れは、ジョンが殺されたから起こった事です。伝説になったから、安心して、安全なモンだって事にしようとしたのです。だから、若造どもはヌカすのだ。「ポールは、ロックじゃないよね〜」なんぞと云う暴言を、平気で吐くのだよ。「ロックじゃない」ひとが、こんな絶唱を出来ますかしら?結局、おまいらはさ、聴いてないのよさ。な〜んにも知らないのとおんなじなんだぜ。「聴いてなんぼ」なんです。後追いでもええから、
「体験しなきゃ語れない」のよさ。
さ〜てと、此の楽曲から始まる EP盤「LONG TALL SALLY」は、三枚目のアルバムで在り彼らにとって初主演映画のサントラ盤としての側面も在った「A HARD DAY'S NIGHT」セッションで録音された四曲が収められています。しかし、其れらはすべて、本国では其の四曲入りEP盤でしか聴けない楽曲で構成されていました。アルバム「A HARD DAY'S NIGHT」には、先行シングルとアルバム同時発売シングルの四曲が重複してしまい、セカンドで「全曲アルバム用でシングルとのダブリなしっ!」と云う快挙を遂げた彼らにしては些かお粗末な展開にも見えます。でも、其れは此の「EP盤の存在」で、帳消しになります。
超多忙過ぎた彼らでしたが、前作同様にアルバム全曲新録で行けるだけの録音はしたのです。されど、サントラ盤でも在ると云う縛りから、キラーチューンをシングル盤でも出さなければならなかったっ。そして、更には、当時「第一期のピーク」に達してしまった「早熟の奇才:ジョン」は、どうしても全曲オリジナルで作りたかった。此のEPに収められた四曲中、三曲はカヴァーです。そして、唯一のオリジナルを書いたのはジョンでした。最早「ジョンの創作意欲を止める手だて」など無かった。
1964年に、確かにジョンは開花してしまったのでした。
そんなジョンを追うポールは、此のカヴァー曲で秘めたる己に能力に気付きます。なな、なんと、此の楽曲は「正真正銘の一発録り!」です。現在もCDで聴ける演奏と歌は、たった一回で終わったスタジオ・ライヴです。パーソネルは、ビートルズの四人とピアノ担当のジョージ・マーティンです。マーティンの「俺様もメムバーなら、、、」なる野望が達成された瞬間だったでしょう。そして、何よりもポールの叫びが素晴らしい。ズバリ云って、当時のポールは白人史上最高のハード・ロック・ヴォーカリストです。其の後も20代前半のポールを超える存在などいません。流石のレノンも舌を巻いたでしょう。そして、ニヤリと笑ったはずです。
「やっぱ、俺様が見初めただけあるぜっ!」と。
ポールは、オリジナルのリトル・リチャードの大ファンでした。そして、其の憧れの人とツアーを行う機会を得たのです。時は1962年、やっとメジャー・デビューが決まった頃のお話です。もう、ポールは最高の気分でした。挙げ句に、尊敬する神様に気に入られちゃったんですよ。けど、どーも噺がおかしくなって行きました。リトル・リチャードは、ポールが好みのタイプだったみたいです。そーです、彼は「真性『ウホッ』のひと」だったのです。ポールは「可愛いお尻を散々追っかけ回される事」となりました。そして、其の当時リトル・リチャードのバックでキーボードを担当していたのが、当時未だ10代だった「ビリー・プレストン」でした。一説によると、意気投合したビートルズ・サイドから「ビリーを五人目のメムバーにしたい」との要請が在った様です。既にスケジュールがいっぱいだったビリーは1962年には断ってしまうのですが、那奈年後に再会を果たすのでした。
「ドラマティックだナァ!」
当時のライヴでもラスト・ナムバーとして何度も演奏された楽曲ですので、此れも彼らのオリジナルだと思っている「新しいファン」もいるかもしれません。其れ程に、此処でのポールは神懸かっています。1973年に制作された「ジェームス・ポール・マッカートニー・ショウ」での「スタジオ・ライヴ」を、中学生の時に「世界のワンマンショー(NHK)」で観ました。ヴィデオなんて無い時代だったから、カセットテープに録音しながら、一瞬も見逃すまいと、固唾を飲んで観ていたんだよ。そして、ポールは最後に此の曲を歌った。
格好よかった。嬉しかった。シビレたよ。
そしてポールは現在でも「シャウト」をヤメません。壱度でも、彼のライヴを体験した片なら、彼もまたジョンに負けず劣らずの「ロケンローラー」だと分るはずです。てかさ、彼がやった事こそが「ロック」なんだよ。後に詳しく語るけど、例えば「YESTERDAY」や「HEY JUDE」や「LET IT BE」ってポール作の「ビートル・スタンダード」ってさ、今でこそ「スタンダード」って思われてますけど、発表時には「誰も考えつかなかった斬新過ぎる楽曲」だったんだよ。其れを普通の曲と認めさせてしまったのが、ビートルズなのよさ。てか、そんな事すら分からないなんて、余りにも不憫です。お話になりません。
(小島藺子/姫川未亜)
初出:「COPY CONTROL AGAIN」2008-7-8
REMIX-1:「COPY CONTROL」2008-10-7
(and this is REMIX-2 by 小島藺子)
初出:「COPY CONTROL AGAIN」2008-7-8
REMIX-1:「COPY CONTROL」2008-10-7
(and this is REMIX-2 by 小島藺子)