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2009年04月14日

FAB4-024:TILL THERE WAS YOU

Latin ala Lee!/Ole´ a la Lee ビートルズ事典 改訂・増補新版


 w & m:MEREDITH WILLSON

 P:ジョージ・マーティン
 E:ノーマン・スミス
 2E:リチャード・ランガム(7/18、30)、ジェフ・エマリック(8/21、10/29)
 録音:1963年7月18日、30日
 MONO MIX:1963年8月21日、STEREO MIX:1963年10月29日

 1963年11月22日 アルバム発売(「WITH THE BEATLES」 A-6)
 パーロフォン PMC 1206(モノ)、PCS 3045(ステレオ)


「WITH THE BEATLES」と云うアルバムは、初期の彼らの魅力を凝縮した傑作です。オリジナル8曲、カヴァー6曲と云うバランスは、デビュー盤と同じですが、ほとんど一発録りでやっつけたデビュー盤と違い、じっくりと時間を掛けて色んな企みを忍ばせておりました。リード・ヴォーカル担当も「ジョン:7、ポール:3、ジョージ:3、リンゴ:1」と、当時のバンド内パワー・バランスに沿ったカタチになっています。デビュー盤はたった一日のやっつけ仕事の上、リーダーで眞のリード歌手で在るジョンが風邪で不調でした。二枚目では、初期のライヴ・バンドとしてのビートルズの本当の姿が提示されたのです。そして、其処には「大ヒット・シングル」は収録されなかったっ!デビュー盤から二枚目の間には「FROM ME TO YOU」「SHE LOVES YOU」が在り、二枚目と同時進行で「I WANT TO HOLD YOUR HAND(抱きしめたい)」をレコーディングしていたのに、全部アルバム未収録です。すぎょすぎる!

さて、オリジナルが5曲続き、此処でカヴァーの登場です。前出の通り、此のアルバムでポールが歌うのはたったの三曲で、後の展開からは俄に信じられない事態でした。挙げ句に其の中の一曲は、あの天下無敵のクズ曲「HOLD ME TIGHT」ですよっ!(此の件に関しては、三曲後に、こてんぱんに叩き書き致します。)でも、流石はポールです。

他の二曲は素晴らしかった!

ブロードウェイ・ミュージカル「THE MUSIC MAN」からの曲で、ポールが参考にしたのはペギー・リーのヴァージョンです。ソロになってからポールはペギーに曲を書きますから、熱狂的なファンだったのでしょう。ジョンには「なんじゃ此の曲は?」と云われたでしょうけど、ポールは喜々としてライヴでも演奏していました。名演です。間奏のギター・ソロなんか、とてもロケンロール・バンドとは思えません。そして、此の美しいアコースティック・ギター・ソロ(ペギー・リー版の完全コピーですけど)を奏でているのは、紛れも無く、他の誰でも無く、

「我が愛しのジョージ・ハリスン」其のひとなのですっ!!
(↑出ましたっ、イコちゃんの「レコスケ節」)

あのさ、ジョージはギターが下手じゃないんだよ。聴いてよ、此れを。ライヴでもおんなじソロを弾いてたし、後の「AND I LOVE HER」でも名ソロを弾いてるでしょ?ジョージはさ、アコギの名手だったんだよ。次のアルバムから、12弦を使い出したのはジョージだ。ウクレレも上手だったんだよ。シタールだって勉強したし、シンセサイザーを初めて導入したのもジョージなの。エレキだってさ、「SOMETHING」の頃には素晴らしいソロを弾ける様になったじゃん。ジョージは、立派な「ビートルズのリード・ギタリスト」です。鈴木茂だって云ってるぞ。「ジミヘン、クラプトン、ベックとかなら何とか真似出来たけど、ジョージのギターは真似が出来なかった。だから、僕はジョージに憧れたんです」とね。

さて、日本のビートルズ研究の父である「故・香月利一」先生は、此のカヴァー曲を聴いて「おっ、こいつら只のやかましい音を出す連中じゃないんだナ」と感心し、彼らの研究を始めたのだそうです。ポールのスタンダード嗜好が無ければ、日本に於ける彼らの評価は全く違っていたでしょう。現役時代には、ビージーズやモンキーズの方が人気があったみたいなんですよ。ジョンの我流なんて、日本人には理解出来ませんよ。スタンダードじゃなきゃダメだったのよ。だからこそ、ジョンは我を捨てて、ポールと組んだのです。ポールも「何にも音楽知識が無いのに自分勝手に作れちゃう」ジョンに憧れたんです。余談ですが、ウクレレで最初に練習したのが此の曲でした。最初にこんな難曲に挑んだので、ウクレレが弾ける様になりました。其れで、楽器が弾ける片ならすぐに気付く事ですけど、後にポールが書く名曲「I WILL」は此の複雑な楽曲のコード進行を簡略化して作られたモノです。ですから「TILL THERE WAS YOU」が弾けたなら「I WILL」なんて「お茶の子さいさい」で弾けちゃうわけですよ。

しかし、「ペギー・リーをカヴァーするロケンロール・バンド」なんて前代未聞だったと思います。一寸、他の「R&B嗜好」のバンドには真似の出来ないのが此れでした。プロデューサーのマーティンは、当然、此の分野ならお得意だったのです。風変わりな音楽性を持つマーティンですが、矢張り元々は正当派の常識的な音楽家でした。そして、そんなマーティンと組んだポールの、此の「スタンダードとロックを融合した前衛」こそが、ビートルズを後の世で音楽の教科書に載せたんだよ。分るよね、同志:山崎クン?(あらら、いつの間にか「片瀬噺」に持ってくトコだった。)

「レノン・マッカートニー」は、奇跡のコムビです。前作の「A TASTE OF HONEY(蜜の味)」や此の楽曲の様なミュージカル・ナムバーをも、ポールは好んでいました。更に云えば、デッカ・オーディションでポールは「セプテンバー・イン・ザ・レイン」を、EMIでの最初のレコーディング時には「ベサメ・ムーチョ」まで歌っています。映画「LET IT BE」で「ベサメ・ムーチョ」を喜々としてがなるポールに、最初は付き合っていたジョンが途中で投げ出す場面が在ります。ジョンには、ロケンロールしかなかった。いや、ポールとは違い、ジョンは別に「音楽」じゃなくとも好かった。表現出来れば、何でも好かった。ポールは「音楽家」です。でも、ジョンは「芸術家」だったのです。そんな二人が偶然にもタッグを組んでしまったのです。

「最強」です。


(小島藺子/姫川未亜)


初出:「COPY CONTROL AGAIN」2008-6-22
REMIX-1:「COPY CONTROL」2008-9-23

(and this is REMIX-2 by 小島藺子)



posted by 栗 at 00:05| FAB4 | 更新情報をチェックする