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2009年04月10日

FAB4-020:ALL I'VE GOT TO DO

Kid Blue/Louise Goffin An A CaPPella Tribute to The Beatles


 w & m:LENNON / McCARTNEY

 P:ジョージ・マーティン
 E:ノーマン・スミス
 2E:リチャード・ランガム(9/11)、ジェフ・エマリック(9/30、10/29)
 録音:1963年9月11日
 MONO MIX:1963年9月30日、STEREO MIX:1963年10月29日

 1963年11月22日 アルバム発売(「WITH THE BEATLES」 A-2)
 パーロフォン PMC 1206(モノ)、PCS 3045(ステレオ)


ジョン・レノンが書いた楽曲です。初期のビートルズは未亡人のヨーコさんが10億光年回くりかえし云う通り「ジョンが作り、ジョンがリーダーのバンド」でした。でもさ、ヨーコさんが初めてジョンに逢った頃には、事情は違っていたのですよ。其れは未だ先のお話です。

「PLEASE PLEASE ME」とは違い、ツアーと併行してとは云え「WITH THE BEATLES」のレコーディングは、1963年7月から10月までの約参ヶ月もの時間を掛けさせてもらえました。いや、其れは、実際には過酷なツアーやメディア露出の連続で、マトモに丸一日中スタジオに籠って「やっつけ仕事」を捏ち上げる事すらも「不可能」になってしまったからだったのです。デビュー盤以上の過酷過ぎる状況で、断続的に時間さえ作れたのなら彼等は「WITH THE BEATLES」を録音しました。されど、デビュー盤では風邪で不調だった(アレでも不調だったのだよ!)ジョン・レノンは、同じ轍は踏まなかった。次作「A HARD DAY'S NIGHT」が「ハッキリ云って、レノンのソロじゃんっ!」になってしまう明らかな予感が、此のセカンド・アルバムには刻まれて居ます。最早、彼等は「当時の本来の姿」を隠さなかった。「PLEASE PLEASE ME」では平等に見えた「唄い手」が、実は「ジョン・レノン」だと云う事実を赤ら様にしました。「ポールがパートナー」って、冗談だろ?と思える程に「ジョンと彼の楽団」と化した「1963年のビートルズ」が居ます。

一曲目に続いて、「レノン節」が高らかに歌い上げられます。特にミディアム・テンポの此の曲は、ジョンの「歌の上手さ」が際立った名唱でしょう。其の息づかいや「Yeah !」とか「Oh !」など「意味のない言葉」を歌う部分などにまで、艶っぽさが満ちています。22才のジョン・レノンは「世界一の天才ヴォーカリスト」でした。(過去形が口惜しい。)「レノン・マッカートニー」が「ゴフィン&キング」をお手本にしていた事は有名ですが、特にジョンはキャロル・キングにゾッコンだった様です。其の尊敬する作家チームの愛娘ルイーズ・ゴフィンがデビュー作「KID BLUE(1979)」で此の曲をカヴァーしています。アノ「ロコモーション」を歌ったリトル・エバがベビー・シッターをしたのがルイーズと云う事にもなります。ジョンは、其のカヴァーを聴けたのでしょうか?もし聴いていたのなら、さぞかし喜んだでしょう。


(小島藺子)


初出:「COPY CONTROL AGAIN」2008-6-19
REMIX-1:「COPY CONTROL」2008-9-19

(and this is REMIX-2 by 小島藺子)



posted by 栗 at 00:07| FAB4 | 更新情報をチェックする