w & m:LENNON / McCARTNEY
P:ジョージ・マーティン
E:ノーマン・スミス(7/1)
2E:ジェフ・エマリック(7/1)
録音:1963年7月1日、MIX:1963年7月4日
1963年8月23日 シングル発売(最高位1位)
パーロフォン R 5055(モノ)
デビュー・アルバム「PLEASE PLEASE ME」そしてサード・シングル「FROM ME TO YOU」と立て続けに首位を獲得したビートルズは、更に覚醒します。休む間もないツアーの日々で、新曲をゆっくり作る時間すらとれなかった「レノン・マッカートニー」は、6月26日に相部屋のニューカッスルのホテルの一室で四枚目のシングル曲を合作しなければなりませんでした。前作「FROM ME TO YOU」あたりから、矢鱈と「時間が無くて、二人で急場凌ぎに捏ち上げた」と語られるシングル曲が続き、其れらが此れだったり「I WANT TO HOLD YOUR HAND(抱きしめたい)」だったりするのは「出来過ぎてる噺」と感じられる御仁もおられるかとは思います。然し乍ら、此の楽曲や「抱きしめたい」等、当時の「シングル盤のみ限定発売曲」の録音過程を其の遺された「ミックス違い」から知る時、其れが紛れも無い真実だと解るのです。本当に、彼等は「急いで曲を書きまくっていた」ので在り、其れらが全て「名曲」になったのでした。長い下積みが、彼等に底力を蓄えさせていたのでしょう。
ポールが「コール&レスポンスの曲にしようぜ」と提案します。おそらく後にカヴァーする「KANSAS CITY 〜 HEY,HEY,HEY,HEY」みたいなイメージだったのでしょう。ジョンが「そりゃダサイぜ、一緒に歌うのが新しいだろ?」と説得します。後年までつづく「レノン・マッカートニー」の鉄壁なる曲作りが完成しました。こうして生まれた楽曲は、僅か一週間後にはレコーディングされました。B面となる「GET YOU IN THE END(仮題)」と共に、2トラックのやっつけ仕事です。三日後にはモノ・ミックスが行われ、テープが勿体無いからと上から何かを重ね録りされ、マスターは消えました。(此の世紀の暴挙に関しては、後でドイツ語ヴァージョンの項で詳しく書きます。)
ビートルズが多忙なら、ジョージ・マーティンも売れっ子プロデューサーになっていました。ブライアン・エプスタインが抱えるビートルズ以外の新人も全部プロデュースしまくります。其れが全部、バカ売れしました。ビートルズと出逢うまでは「変人窓際プロデューサー」だったマーティンは、もうウハウハですよ。彼らにとって、初のミリオン・セラーとなる「SHE LOVES YOU」の録音に立ち会ったのは、其の歴史的な名曲に相応しい布陣でした。マーティン、スミス、そしてエマリック。正にビートルズのサウンドを支えた三人が一堂に会したのです。
エンディングが「G6」で、当時のロケンロール・バンドとしては斬新でした。音楽知識が豊富だったマーティンは「こんな終わり方、此れまでなかっただろ?」とはしゃぎまくるビートルズに「ああ、こんなのは私も聴いたことがないよ!」と応えました。でも、其れは嘘です。マーティンはジャズなどではポピュラーな手法だと知っていながら、得意げになって居る「可愛いビートルズ」をノセたのです。そして、おそらく、此の「ロケンロール・バンドとしては斬新かつ不可思議」なエンディングを鳴らすと決めたのは、ジョン・レノンでしょう。
根拠は在ります。1970年代に、ジョンは「ROOTS」と云うアルバムを制作しなければならなくなりました。結局、其れは「ROCK'N'ROLL」なる「カヴァーの最高峰」に成るのですが、其のセッションで彼はプラターズの「ONLY YOU(AND YOU ALONE)」をカヴァーします。公式盤では、リンゴのソロ作品として発表され、全米5位の大ヒットになりました。(現在は、ジョンのデモも公式盤で聴けます。)原題が「ROOTS」だったアルバムは、ジョンの正に「ROOTS」をカヴァーした作品だったのです。つまり、ジョンは「ONLY YOU(AND YOU ALONE)」が好きだったのです。もうお分かりでしょう。「ONLY YOU(AND YOU ALONE)」のエンディングは「G6」なのですよ。ジョンは、知って居たんです。此のコードで終わる曲を愛していたのですからね。
さて、あたくしは「赤盤青盤(1973年)」で彼等を知った、所謂ひとつの「解散後のビートルズ世代」です。当時の日本では、ミッシェル・ポルナレフと云う仏蘭西のロック歌手が人気者でした。「シェリーに口づけ」は、おそらく現在でも愛されて居る彼の代表曲でしょう。其の楽曲構造が「SHE LOVES YOU」とおんなじだと云う事実も、音楽を愛する方々ならば御承知だと存じます。でも其れは「盗作なんて淋しい云い方はやめようよ」なのです。ポルナレフは、シャンソン界では完全なる異端児でした。「御仏蘭西のビートルズ」だったと思います。ボカァ、今でも大好きですよ。日本は不可思議な音楽環境に在ります。あたくしが洋楽者になった時、其処に在ったのは「無国籍音楽」だったのです。そして其れは、幸運で幸福な事だったのでしょう。
話を「FAB4」に戻しましょう。初期の代表曲ですから、カヴァー・ヴァージョンも多々在りますが、「Chet Atkins Picks on the Beatles」がオススメです。ジョージ・ハリスンに多大な影響を与えた「チェット・アトキンス」が後輩の楽曲を余裕でカヴァーした名盤です。つまり、ジョージがマネしたフレーズ(例えば「ALL MY LOVING」のリード等、「チェット・アトキンス奏法」と呼ばれている)を、本人が逆カヴァーしちゃったわけです。音楽家って「フレーズを拝借される」事に、わりと平気なんですよね。大らかで「音楽は共有財産」みたいに思っている処が在ります。音楽をやっている限り「自分も先達から拝借した」って事実が必ず在るわけですよ。で、「他人の事を云えないナァ」ってなっちゃう。大体「盗作だっ!」とか訴えるのって「版権を持つ出版社」なのよさ。師匠が弟子に学ぶ。こういう交流関係って、素敵じゃないか。
(小島藺子)
初出:「COPY CONTROL AGAIN」2008-6-18
REMIX-1:「COPY CONTROL」2008-9-16
(and this is REMIX-2 by 小島藺子)
初出:「COPY CONTROL AGAIN」2008-6-18
REMIX-1:「COPY CONTROL」2008-9-16
(and this is REMIX-2 by 小島藺子)