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2009年04月02日

FAB4-012:A TASTE OF HONEY(蜜の味)

Classic Masters - A Taste of Honey フジテレビ系ドラマ「蜜の味〜A Taste Of Honey〜」オリジナルサウンドトラック Whipped Cream & Other Delights


 w & m:BOBBY SCOTT / RIC MARLOW

 P:ジョージ・マーティン
 E:ノーマン・スミス
 2E:リチャード・ランガム(2/11)、A.B.リンカーン(2/25)
 録音:1963年2月11日、MIX:1963年2月25日

 1963年3月22日 アルバム発売、パーロフォン PMC 1201(モノ)
 1963年4月26日 ステレオ盤発売、パーロフォン PCS 3042
 (「PLEASE PLEASE ME」 B-5)


何度もしつこく云いますが、アルバム「PLEASE PLEASE ME」は、既発シングル4曲以外の10曲をたったの一日で、基本的にはスタジオ・ライヴの一発録りに限りなく近いカタチで録音されました。ゆえに、全14曲中半数近い6曲がカヴァーです。すべて、長い下積み時代に何度も演奏した楽曲でした。ビートルズの起源をジョンとポールが出逢い、ジョンがポールを自分のバンドに加入させた1957年7月6日と考えるなら(いや、実際に彼ら二人が組んだ瞬間こそが起源です)、メジャー・デビューまでなんと6年近くも掛かっています。

更に云えば、世界制覇を成し遂げる「1964年(米国初上陸!ビルボード首位!!日本でもデビュー、いや全世界でデビュー!!!)」まで、なんと、8年近くも掛かっているのです。20世紀最大の音楽集団、いや「世界を変えた!」と永遠に称される彼等が大成功を収めるまで、苦節八年!此の事実を知る時、「僕らのチッポケな苦労なんて塵みたいなもんじゃまいか?」と思えます。16才と15才だったジョンとポールは、メジャー・デビュー時には既に22才と20才になっていました。「20世紀最大の天才音楽家」と云われる「レノン・マッカートニー」が、六年も掛かってようやく掴んだチャンスでした。そう考えると、繰り返しますが「下積み無しでの成功など、此の世には無い」のだと解ります。

此の楽曲は、古いミュージカル・ナムバーです。ポールは父親の影響で、ロケンロール以外のこうした音楽も好んでいました。ロケンロール道一直線だったジョンは、此の曲が大嫌いだと公言していて、ライヴでも「俺が嫌いな曲をやるよ」とか平気で言い放ち、丸っきりやる気ナッシング状態で演奏しちゃったりなんかしていました。でもジョンが偉いのは、自分は嫌いだけど「自分には無いポールのセンスを尊重していた」ところです。後に「REVOLVER(1966)」で彼等二人のパワー・バランスが遂に逆転した時、ツアー中のホテルで二人っきりで完成したばかりのアセテート盤を聴き、ジョンはポールに云いました。「俺は、自分が書いた曲よりもお前が書いた曲の方が好きなのかもしれない。」と。ポールは涙が出る程に感激し、其の後の「ポール主導路線」へと暴走するのです。つまり、ジョンはポールを「乗せた」のだよ。ジョン・レノンは、偉大なるリーダーでした。我を捨て、グループの成功を優先する術を知っていました。

現に、初期レノン・マッカートニー作品では、圧倒的にジョンの作品の方が光っています。ヴォーカリストとしても、完全にジョンは完成していました。ポールは、未だ発展途上です。だって彼は当時まだ二十歳だったのですからね。されど、こうした「他のロケンロール・バンドなら絶対にカヴァーしない曲」を見つけ、レパートリーに加える天性の音楽的なセンスは抜群でした。そんなポールの「何でもあり」な天然音楽家的感性が、彼自身のオリジナル作品にも反映され「世紀のメロディ・メイカー」と賞賛されるまでに、そう時間は掛かりません。あの至上の名曲「YESTERDAY」をポールが夢で聴くのは、たった二年後、彼が22才の時なのです。


(小島藺子/姫川未亜)


初出:「COPY CONTROL AGAIN」2008-6-16
REMIX-1:「COPY CONTROL」2008-9-11

(and this is REMIX-2 by 小島藺子)



posted by 栗 at 00:07| FAB4 | 更新情報をチェックする