「蘇る幻の虎戦士 ザ・タイガー〈復刻版〉 1984.7.23-24 東京・後楽園ホール」を買いました。
「伝説の虎戦士スーパータイガー」に関する文章で、UWF時代の佐山サトルの事を「スーパータイガー」と呼んでいますが、正確には誤りです。佐山が「タイガーマスク」を辞め、壱年後にUWFで復活した時の名前は「ザ・タイガー」だったのです。
1984年4月11日に、今は亡き大宮スケートセンターで旗揚げした「ユニバーサル・プロレスリング」は、「猪木サンは必ず来る!」と云ういたいけな前田の願いも虚しく、鬼の猪木に捨てられました。猪木は代わりに藤原と高田を差し出すものの、当時は誰も客を呼べる存在ではなかったのです。
そんな時、壱年前に引退し格闘技路線へと突き進んで居た佐山と弟子の山ちゃんが電撃的に参戦することとなったのでした。此れは事件でした。アノ、猪木をも人気面で凌駕した「タイガーマスク」が復帰するのです。引退したとは云え、早熟すぎる天才児:佐山は未だ20代中頃だったのですよ。バリバリの現役です。此れで「ユニバーサル」は安泰だと、関係者は誰もが思ったでしょう。
ところが、1984.7.23-24 東京・後楽園ホールにて二夜連続で行われた「無限大記念日」で復活した「タイガーマスク」改め「ザ・タイガー」は、最早「四次元殺法」の彼ではなかった。無骨なまでに空中殺法を封印し、蹴り倒し、投げ、関節技で決めると云う「今まで観客には見せなかったプロレスの刃」を公開したのです。
其の瞬間、「ユニバーサル」は「U」へと変貌しました。佐山が黄金の仮面で「ザ・タイガー」として闘えたのは「無限大記念日」のたった二夜の夢でした。佐山は、もう黄金のマスクを被ることは許されなくなったのです。そう、三沢が「二代目タイガーマスク」としてデビューすることになったからです。其れで佐山は「蒼き虎」となったのでした。
つまり、此の二夜だけが名前こそ違えど「タイガーマスク」其のものの姿で佐山が闘った試合だったのです。超満員に膨れ上がった観客は、当然、かつてのアイドルを求めます。佐山も在る程度は其れに応えるのですが、何やら様子がおかしくなって行きます。
佐山は、徐々に観客を「プロレス」から「総合格闘技」に導こうとしていました。彼が行った「タイガーマスク」→「ザ・タイガー」→「スーパータイガー」の闘い、そして「シューティング(修斗)」へと向かった1980年代は、余りにも早過ぎた「前衛芸術的プロレス」でした。DVDの後半で公開される佐山の技の数々は、正に「究極の美」です。
あたくしにとってのプロレスとは、アントニオ猪木と佐山サトルなのです。だから、其の二人に肉体改造された小川直也を、あたくしは熱烈に支持しました。そして、小川は本当に強かった。橋本戦での彼は「エヴァンゲリオン初号機」そっくりでした。
ゆえに、ハッスルの演劇舞台で、インリン様にフォールされた小川を観て、あたくしは泣いた。悔しかったよ。本当に情けなかったよ。小川よ、もう一花咲かせてくれっ!橋本が泣いているぞっ!!
初出:「COPY CONTROL AGAIN」 (小島藺子)