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2009年03月30日

FAB4-009:BOYS

Will You Love Me Tomorrow 1998-2003


 w & m:DIXON / FARRELL

 P:ジョージ・マーティン
 E:ノーマン・スミス
 2E:リチャード・ランガム(2/11)、 A.B.リンカーン(2/25)
 録音:1963年2月11日、MIX:1963年2月25日

 1963年3月22日 アルバム発売、パーロフォン PMC 1201(モノ)
 1963年4月26日 ステレオ盤発売、パーロフォン PCS 3042
 (「PLEASE PLEASE ME」 A-5)


幾ら時間が無かったとは云え、1テイクしか録音しないってのはナァ。しかも其れが、

「リンゴ」のうたですから。

いや、リンゴ・スターことリチャード・スターキーは「ロリー・ストーム&ザ・ハリケーン」と云う「ビートルズ」と人気を二分するバンドの「歌えるドラマー」だったのです。しかも、既に太鼓叩きを生業とする「プロ」でした。金持ちのボンボンで練習場を貸してくれていた前任ドラマーのピート・ベストは、最もハンサムで女の子にも絶大な人気を得て居ました。しかし、、、

「ドラムが下手だった。」(サー・ジョージ・マーティン声で)

ジョン、ポール、そして二人のジョージの合議で「ピート追放」が決定します。時は、メジャー・レコード・デビュー直前でした。デッカ・オーディションも、EMIでの初セッションも、ピートが太鼓を叩いたのです。いよいよ本番!って時に「おまい、クビな」ですよっ。酷い。ピートの心はズタズタだったでしょう。更に、ジョンとポールは其の「憎まれ役」を、使いパシリ同様だったジョージ・ハリスンに任せたのです。

「鬼か、レノン・マッカートニー!」

世紀の天才二人を追い続けたジョージには、仲間が必要でした。彼は迷わず、リチャードを誘います。破格の条件でリチャードは引き抜かれ「名前が長いから、リンゴにしろ。あと、其の汚らしい髭を剃れ」と命じられました。「THE BEATLES」の誕生です。さてさて、そんなリンゴですが、新たなバンドはとても自分が前に居たバンドと同等だったとは思えませんでした。

「ラベルが違い過ぎた!」(村田せんせい声で)

「好いよ、オラ、歌が下手ですた〜林檎すった〜」とばかりに、完璧な脇役人生を選択します。不幸な生い立ちが、彼に処世術を自然と身につけさせたのでした。当時のリンゴの夢は「美容院を経営する事」だったのですよ。音楽なんかでメシが喰えるなんて誇大妄想は信じていなかったのです。だって、リンゴはジョンと同い年なんですから。引き抜かれた時に既に22才です。10代中頃から苦楽を共にした他の三人とは違って「現実主義者」だったのです。とりあえず、太鼓叩いて食っていたわけです。ま、其れが普通でしょう。ジョンやポール、そしてジョージの方が「狂っていた」のでしょう。

「BOYS」も、ガールズ・グループ「シレルズ」のカヴァーです。兎に角、彼らは「おねえちゃんグループの曲」が好きでした。デビュー盤では、もう壱曲「BABY IT'S YOU」をカヴァーしていますので、シレルズはかなり好きだったのでしょう。しかも、メンバー四人全員が「女の子のカヴァーも歌っていた」わけでして、奇妙な集団だったと云わざるを得ません。そして、此の曲は、おそらくビートルズ史上で最初に「放送禁止」になった曲だと思われます。理由は、原曲のまんまの歌詞で歌ったからです。(普通なら、女の子の歌をカヴァーするのだから「BOYS」では無く「GIRLS」と歌い代えます。)「男の子の話をしようぜ!」と太鼓を叩きまくるリンゴの天然バカ歌を聴いて、良識ある大人は眉をひそめたのです。

「おい、なんだ此れはっ。ホモのうたじゃないか!」

ま、マネジャーがアレだったから、当たらずとも遠からずでしたね。


(小島藺子)


初出:「COPY CONTROL AGAIN」2008-6-15
REMIX-1:「COPY CONTROL」2008-9-8

(and this is REMIX-2 by 小島藺子)



posted by 栗 at 00:15| FAB4 | 更新情報をチェックする