w & m:ARTHUR ALEXNDER
P:ジョージ・マーティン
E:ノーマン・スミス
2E:リチャード・ランガム(2/11)、 A.B.リンカーン(2/25)
録音:1963年2月11日、MIX:1963年2月25日
1963年3月22日 アルバム発売、パーロフォン PMC 1201(モノ)
1963年4月26日 ステレオ盤発売、パーロフォン PCS 3042
(「PLEASE PLEASE ME」 A-3)
ビートルズのレコードは、あたくしが彼らに夢中になった1970年代前半には「トンデモない事」になっていました。今でこそ、基本的には英国オリジナルに統一されていますが、現役時代からCD化される1980年代後半までは、各国盤が好き放題に発売されていたのです。特に、日本では解散した1970年に一気に米国盤がリリースされちゃったので「もう何が何だか訳分りませんがな」って状況の1973年に赤盤青盤でヤラレちゃった僕らの世代が、きっと一番痛い目に逢ったんですよ。現に、リアル・タイムで聴いていたキヨシちゃんが「スートンズとかはダブってんだけどさ、ビートルズはアルバムのダブり曲が無いんだよ。ああ、こいつらは信用出来るって思ったナァ」と述懐しております。本当に、ビートルズは二度売りは一切合切しなかったんですよ。英国オリジナル盤を詳らかにすれば、一目瞭然です。日本でも、現役時代は「基本的には英国フォーマット」で発売されて居たんです。でも、諸外国(特に米国)は違った。
アルバムを各国でテキトーに編集して出してたんですから、シングル盤なんてもっと酷かったんです。当時は四曲入りのコンパクト盤も出ていて、中学生には魅力的な商品でした。此の「アンナ」も、日本では「ディジー・ミス・リジー」とのカップリングでシングル発売されています。調べると、1965年9月に出ています。そりゃそーだ、A面は「HELP !(1965年8月発売)」からの収録じゃん。でも、B面の「アンナ」は、英国のデビュー盤(1963年1月発売)からのカットなのです。そんでもって、両面ともカヴァー曲です。
当時の日本では、毎月、ビートルズのシングル盤が発売されていた様です。其れも、毎月壱枚じゃなく、三枚とか四枚とか出ていたみたいなのですよ。「ビーチ・ボーイズの山下達郎」と呼ばれる男ですら、うっかり買ってしまったシングルが「ディジー・ミス・リジー / アンナ」だったりもするのです。(大瀧師匠が「山下クンが買ったってのが凄いね」と妙に感心!)アルバムでは英国盤に準じ乍ら、シングル盤やコンパクト盤を乱発し、解散前後には各国盤のアルバムまで復刻し、挙げ句に「西新宿」も在るって「日本」は、間違い無く「貴方が世界一」の「ビートルズの音盤を販売して居る国家」でしょう。トホホ。
さてさて、前置きが長くなりましたが、記念すべき「那奈曲目」に紹介する「アンナ」は、「カヴァーの王様:ジョン・レノン」此処に在り!を示すに持って来いの名唱が聴ける楽曲です。後に詳しく述べますが、たった一日で録音された「PLEASE PLEASE ME」の録音当日に、在ろう事かジョンは風邪をひいていました。ゆえに、此のアルバムでの彼は完全なる「鼻声」です。
しかし、其処が好いっ!
一日でのやっつけ仕事の為、既にオリジナルが豊富だった彼らも歌いなれたカヴァー曲を多く取り上げる結果となりました。でも、其れすらも「結果オーライ」でした。此のジョンの熱唱を聴いて、アーサー・アレキサンダーと云うアーティストを知った片は少なくないと思います。洋楽人生がビートルズから始まって、本当に幸運でした。彼ら以前にも、彼ら以後にも、すべてに繋がる道が目の前に広がったのです。だって、当時中学生だったし、時は1970年代前半だったのですもの。
(小島藺子/姫川未亜)
初出:「COPY CONTROL AGAIN」2008-6-15
REMIX-1:「COPY CONTROL」2008-9-6
(and this is REMIX-2 by 小島藺子)
初出:「COPY CONTROL AGAIN」2008-6-15
REMIX-1:「COPY CONTROL」2008-9-6
(and this is REMIX-2 by 小島藺子)