「不思議なお話を」しよう。
俄に信じられないかもしれないけれど、事実だ。其れは、丸で恰も定められていた事のように、11年前に起こった。夢をみた。知らない「きれいなおねえさん」が手招きをした。僕は、目覚めて不動産会社に電話した。そして、1998年1月から此処にいる。
其の年の秋、具体的に云えば「1998年10月6日」の夕方に、「1998年10月7日」付けの「東京スポーツ」を買った。会社帰りにいつもの屋台へ行く途中、コンビニで買うのが当時の日課だった。朝は「日刊スポーツ」で、夕方は「東スポ」ってのは、僕が紛う事無き「プロレス者」だったがゆえだ。
其の当時、僕は「内山理名ちゃん」のファンだった。更には、「稲森いずみサン」のファンでも在った。1997年の首位「稲森サン」を、1998年に次点に蹴落としたのが「理名ちゃん」だった。だから、御誕生日マニアでも在る僕は、当然「理名ちゃん」の生年月日を認識していた。「1981年11月7日」と、しっかりと記憶した。「東スポ」を買ってプロレス面を熟読後に、芸能面を開いた。そして、其処に、アノコがいた。忽ち、彼女は「ランクイン」した。ちなみに、当時のメモに依れば、「旭化成キャンギャルよ、プロレスラーになってはくれないか?」と書いてある。何だかナァ。
根っからのアイドル好きだった僕(「DD」でした。)は、創刊号から「B.L.T.」を定期購読していて、其処でも「へんちくりんな四コマ?」を掲載するコに注目した。グラビア誌も買った。「ヤンサン」が好かった。そして、運命の時が来た。其れは「B.L.T.」誌上での対談記事だった。具体的に云えば、「B.L.T.」2000年3月号(発行/東京ニュース通信社)に掲載された「内山理名&片瀬那奈 ビックリ! 誕生日おんなじ対談」(目次表記)を読んでしまったのです。
「へぇ〜、理名ちゃんとおんなじなんだ」
当時の記録に寄れば、1999年のランクに、唐突に「7位」に躍り出て来た「少し背の高い女の子」が、2000年のランクでは「ベスト3」に入っている。そして、2001年には「首位」に立ち、2002年には消えた。其れは、彼女が「ランク外」の存在になったからだった。お相撲で云えば、大関を最高位としての「ランキング」だった僕のメモに、こんな記述が遺っている。
「片瀬那奈=横綱、NWF、御本尊様、絶対神!」
挙げ句に「渚カヲル」を気取った「恥ずかしいコメント」まで書いて在る。曰く、
「僕は、片瀬那奈に逢う為に生まれて来たのかもしれない」
そして、其の冗談は、本当になった。只、其れだけの噺さ。
(小島藺子/姫川未亜)