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2025年03月05日

「ポールの道」#665「LENNON SONGS」#090 「MEDLEY:BRING IT ON HOME TO ME / SEND ME SOME LOVIN'」

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ジョン・レノンが、1975年2月17日(米国)・同年2月21日(英国)にアップルからリリースした、5作目で最後のソロ・アルバム「ROCK'N'ROLL」には、二つのメドレーが収録されています。一つ目は、A面3曲目に収録された「RIP IT UP / READY TEDDY」で、それはリトル・リチャードが1956年6月にリリースしたシングルのA面とB面の2曲を繋げたものでした。そして、もう一つのメドレーが、公式盤「ROCK'N'ROLL」ではB面3曲目に収録された「BRING IT ON HOME TO ME / SEND ME SOME LOVIN'」です。ちなみに、ブートレグの「ROOTS」でもB面3曲目にメドレーが収録されていますが、曲目表記は「BRING IT ON HOME TO ME」だけになっています。このメドレーも、1974年10月の再レコーディング・セッションでの音源です。ジョンによるカヴァーは、「RIP IT UP / READY TEDDY」とは違っていて、こちらでは異なるミュージシャンによる楽曲を繋げて演奏しています。まず、最初に演奏されている「BRING IT ON HOME TO ME」は、1962年5月8日にリリースされたサム・クックのシングルA面(B面は「HAVING A PARTY(パーティを開こう)」がオリジナルです。1962年と云えば、10月5日にビートルズがシングル「LOVE ME DO」でデビューした年で、翌1963年3月22日にビートルズのデビュー・アルバム「PLEASE PLEASE ME with Love Me Do and 12 other songs」をリリースしています。

ビートルズのデビュー・アルバムでも、同時代の楽曲をカヴァーしていて、ロックンロール・クラシックスのカヴァーだけではなかったし、ガールズ・グループやモータウン系まで手広くカヴァーしていました。「BRING IT ON HOME TO ME」は、サム・クックが書いて歌っていて、全米13位まで上がっています。その後、アニマルズ(1965年、邦題「悲しき叫び」)や、ゾンビーズ(1965年、ビートルズもカヴァーしたミラクルズの「YOU’VE REALLY GOT A HOLD ON ME」とメドレー)や、ソニー&シェール(1966年)や、エディ・フロイド(1968年)や、ウィルソン・ピケット(1968年)や、アレサ・フランクリン(1969年)や、ルー・ロウルズ(1970年)や、ロッド・スチュワート(1974年)や、ヴァン・モリソン(1974年)や、デイヴ・メイスン(1974年)など、多くのミュージシャンにカヴァーされています。そして、ポール・マッカートニーも1988年のカヴァー・アルバム「CHOBA B CCCP」で取り上げていて、ポールは2006年にジョージ・ベンソンとアル・ジャロウと共演で再び取り上げています。ジョンにとっても、ポールにとっても、愛すべき楽曲なのでしょう。ジョンによるカヴァー・ヴァージョンでは、珍しくクラウス・フォアマンによる「合いの手ヴォーカル」が聴けます。サム・クックは、1964年12月11日に、不可解な正当防衛によって33歳の若さで射殺されています。

ジョンがメドレーにした後半の「SEND ME SOME LOVIN'(愛しておくれ)」は、リトル・リチャードが1957年2月にリリースしたシングルのB面がオリジナルで、作者はジョン・マラスカルコとレオ・プライスです。そのシングルのA面は、ビートルズがポールのリード・ヴォーカルでカヴァーしていた「LUCILLE」です。この楽曲もカヴァーが多く、バディ・ホリー&ザ・クリケッツ(1957年)、ブレンダ・リー(1962年)、ジーン・ヴィンセント(1964年)、スティーヴィー・ワンダー(1967年)、ハンク・ウィリアムズ・ジュニア(1972年)、オーティス・レディング(死後の1992年に発掘)、などがレコーディングしています。サム・クックもカヴァーしていて、1963年に全米13位まで上がっているので、ジョンはサム・クックが歌った楽曲をメドレーにしたのでしょう。ところで、この「SEND ME SOME LOVIN'」なんですけれど、典型的なリズム&ブルース調の楽曲ではあるものの、展開がビートルズが1969年にリリースしたアルバム「ABBEY ROAD」に収録した、ポール・マッカートニーが主導で書いたレノン=マッカートニー作の「OH! DARLING」にソックリなんですよ。ポールには「LONG TALL SALLY(のっぽのサリー)」を「I'M DOWN」にしたり、「THE GIRL CAN'T HELP IT(女はそれを我慢できない)」を「BIRTHDAY」にしたりと、リトル・リチャードの曲から頂戴する前科があり捲りなので、やらかしたのでしょうなあ。元々「COME TOGETHER」の盗作疑惑から始まったアルバム「ROCK'N'ROLL」は、ビートルズの元ネタの宝庫でもあるのです。

(小島イコ)

posted by 栗 at 23:00| FAB4 | 更新情報をチェックする

「中野たむ、最後の戦い」



2025年も、早くも3月になりました。この2か月間で、女子プロレス界で最大の話題となったのが、2月16日に行われたウナギ・サヤカの後楽園ホールでの3度目の自主興行で、それは里村明衣子とのワン・マッチ興行であって、女子プロレスでは初だったし、男子を含めても1987年1月14日の「藤波辰巳VS木村健吾」以来の事でした。実力、実績共に里村が圧倒的で、結果は見えていた対戦で、予想通りに里村が勝った試合ではありましたが、その一戦だけの興行で千六百人以上の超満員札止めにしてしまったのですから、興行主・ウナギ・サヤカの圧勝です。かつてウナギをクビにしたスターダムも、2月2日に後楽園ホール(メインエベントは、王者・上谷沙弥VS挑戦者・鈴季すずの赤いベルト戦で、上谷の勝利)を超満員にしていますけれど、ワンマッチとは違うわけです。そんなウナギは1月3日にスターダムに出戻り参戦していて、中野たむと「ウナギ・サヤカが負けたらスターダム追放」試合をやっていて、中野たむが勝ったのですけれど、もしも中野たむが負けていたならば「プロレスラー廃業」を賭けていたのです。そうです、そうなんですよ、つまり、中野たむは今年(2025年)の最初の試合から「自らの進退」を賭けた試合をやっていたわけです。

そして、何だかんだあって、3月3日に中野たむと上谷沙弥による「敗者スターダム退団マッチ」が、後楽園ホールで行われたのです。それは1週間前にタッグマッチで中野たむが上谷沙弥に直接勝利して、何でも願いを叶える条件だったので、中野たむが云い出した事であって、3月3日は平日の月曜日だったのですけれど、後楽園ホールは超満員札止めになって、そのメインエベントだけがYouTubeで無料生配信されて6万人以上が目撃したわけです。あたくしも当日に予定していたブログの更新を前日に済ませて、YouTubeで生観戦したわけですけれど、画面越しからも異様な観客の熱気が感じられて、ほんの2か月前の同じカードの両国国技館でのしょっぱい試合が嘘だったみたいに、試合内容も素晴らしく、久しぶりに手に汗握ってハラハラドキドキしながらプロレスを観ました。が、しかし、中野たむのトワイライトドリームが完璧に決まって3カウントが入る直前で、予想通りに「H.A.T.E.」が乱入からの、「コズエン」も応戦からの、レフェリーの死角を突いてナツコと上谷の反則からの、上谷のフォール勝ち、と云うバッド・エンドとなったわけです。上谷は現・赤いベルトのチャンピオンだし、リング上ではヒールなのですから、まあ、そうなりますわなあ。

ところが、敗れた中野たむが、ナツコの毒霧でアバター状態となったなつぽいや、珍しくキレていた推しの安納サオリたちと共に退場してゆくのを、勝った上谷が呼び止めてしまい、激昂した中野たむがリングに戻って来てしまい、上谷に挑発されて「次は引退を賭ける」と云ってしまい、それを上谷が「4月27日の横浜アリーナでやる」と受けてしまい、大炎上する事になってしまったのです。曰く「退団を賭けていたはずなのに、横浜アリーナの宣伝じゃないか」なのですけれど、アノですね、そりゃあプロレスなんですから、そうやってストーリーはつづくよどこまでも、なんですよ。SNSが発達した現在の方が、一般人の方々ってプロレスの楽しみ方が理解出来ていないのでしょうか。まあ、退団マッチだったはずなのに、勝った上谷の方から続編の予告をその場でやらかしてしまったのは失敗だとは思います。結局、翌日の会見で中野たむはスターダムを退団して、横浜アリーナまではフリーで何試合か参戦して、横浜アリーナでは赤いベルトのタイトルマッチで双方の引退も賭ける事となったわけです。でもですね、何故、上谷沙弥まで赤いベルトだけではなく引退まで賭けるのかが謎なんですよ。中野たむは前述の通り、年明けのウナギ・サヤカ戦の時点で「プロレス廃業」を賭けていたわけで、そうやって自分を追い込むのが好きなんでしょうね。

(小島イコ)

posted by 栗 at 22:50| KINASAI | 更新情報をチェックする

「サイケデリック・ペイン」TV初放送

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日本映画専門チャンネル 22:30〜0:50

公演日:2012年8月22日〜9月24日(サンシャイン劇場、森ノ宮ピロティホール)
(東京23公演、大阪5公演、全28公演)

サウンドトラック盤:CD「サイケデリック・ペイン」(ヴィレッヂ) 2012年8月22日発売(スタジオ録音された劇中全曲収録盤!劇場限定販売)

映像作品:DVD「サイケデリック・ペイン」(ヴィレッヂ) 2012年12月19日発売
本編収録日:2012年9月5日(サンシャイン劇場)特典映像収録日:2012年6月23日(新宿BLAZE)、9月24日(森ノ宮ピロティホール)

ライヴ「ゲキ×ソニック!」:2013年9月14日〜9月15日(Shibuya-AX)全2公演

片瀬那奈 AS レディー・パンドラ、ミツコ

ロック・オペラ「サイケデリック・ペイン」が、12年半の時を越えて、テレビ初放送されます。この舞台は、作詞家の森雪之丞さんが企画して脚本を書いて作詞して、布袋寅泰さんが作曲した全てが新曲での「ミュージカル」なのですけれど、それを「THE WHO」などが得意としていた「ロック・オペラ」と云う名称を使って上演された作品です。何故に2025年になってこの作品がテレビ放送されるのかと云うと、日本映画専門チャンネルで綾野剛さんの出演作を特集していて、その一環として蘇ったわけです。この作品のサントラ盤は劇場限定発売だったし、DVDも別の舞台の劇場物販と通販限定だったと記憶しております。そして、この舞台には続きがあって、劇中のバンド「サイケデリック・ペイン」が舞台から1年後に2日間限定で復活してライヴ(2012年12月にも武道館でのフェスに登場していたものの、那奈ちゃんは不参加)を行っていて、那奈ちゃん(レディー・パンドラ)もゲスト出演しているのです。個人的には、舞台本編よりも、その1年後のライヴでの印象の方が強く、そちらの方も何とかして欲しいところです。何れにしろ、突然にこの舞台作品がテレビ放送されるのは事件ですし、素材が遺っているのであれば、そのライヴ映像もドサクサ紛れに放送しちゃってもらえると嬉しいです。そして、那奈ちゃんの出演舞台は2007年の「僕たちの好きだった革命」初演と、2008年の「フラガール」と、2009年の「僕たちの好きだった革命」再演と、この2012年の「サイケデリック・ペイン」があって、「僕たちの好きだった革命」初演と「サイケデリック・ペイン」はDVD化されています。個人的に最も思い入れがある「フラガール」だけが、何故かソフト化されていないわけで、TBSが映像を収録していたはずなので、CSでいいので放送して欲しいものですなあ。那奈ちゃんが観客の子どもを泣かした魔女を演じた「サイケデリック・ペイン」は、3月14日にもリピート放送される予定です。


(小島イコ/姫川未亜)

posted by 栗 at 22:30| ACTRESS | 更新情報をチェックする

「雲霧仁左衛門3」第一回(再)で内山理名ちゃん

Deep Purple Stormbringer


時代劇専門チャンネル 17:00〜18:00

第一回「嵐の予感」

内山理名 AS 七化けのお千代

「雲霧仁左衛門3」第一回の、今年初めての再放送です。原作小説の内容は、前作である「雲霧仁左衛門2」までで描き切っているので、此の「雲霧仁左衛門3」からはオリジナル脚本となっております。つまり、原作のキャラクター設定だけ借りて、好き勝手に新たなるストーリーを考えているわけで、この「雲霧仁左衛門3」と「雲霧仁左衛門4」と「雲霧仁左衛門5」と「雲霧仁左衛門6」と「雲霧仁左衛門ファイナル」と5作も制作してしまったわけです。原作に忠実だったのは2作だけで、倍以上も新たなる物語を作ってしまったのは、批判もあるでしょうけれど、それだけの人気作だったのです。

本放送:2017年1月6日(NHK BSプレミアム)

(姫川未亜)

posted by 栗 at 18:00| RINA | 更新情報をチェックする