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2025年03月01日

「湯けむりバスツアー 桜庭さやかの事件簿7」(再)で内山理名ちゃん

マジカル・ミステリー・ツアー(完全初回生産限定盤)(デラックス・エディション) [Blu-ray]


チャンネル銀河 2:00〜3:45

萬田久子主演。湯けむり旅情サスペンス、第7弾!今回の舞台は三重県伊勢志摩。新郎新婦両家で一緒に旅をする“家族になろうよ”ツアー。その旅先で起こる事件とは…!?

内山理名 AS 高根沢智子

「湯けむりバスツアー 桜庭さやかの事件簿7」の、今年2回目の再放送です。理名ちゃんが演じた智子さんは新婦役で、冒頭でウエディングドレス姿を披露しています。そして、新郎新婦の両家で親睦を深める為にバスツアーへと出かけるのですが、そこで事件が起こり、バスガイドの桜庭さやかさんが解決します。何故かBGMで、ビートルズの「IN MY LIFE」や「YESTERDAY」のインストゥルメンタル・ヴァージョン(演奏者は不明)や、ステッペンウルフの「BORN TO BE WILD(ワイルドでいこう!)」や、レッド・ツェッペリンの「STAIRWAY TO HEAVEN(天国への階段)」や、クリーデンス・クリアウォーター・リバイバル(CCR)の「PROUD MARY」などが使われています。

本放送:2016年5月23日(TBS)

(姫川未亜/小島イコ)

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「20世紀少年」3部作一挙放送



チャンネルNECO 12:40〜21:00

2008年、2009年公開作品

片瀬那奈 AS 敷島ミカ

「20世紀少年」の今年4回目の放送で、今回は3部作一挙放送ですが、「映画 闇金ウシジマくん」とバッティングしています。那奈ちゃんが演じた敷島ミカは、1作目には少ない出番ながらセリフもありますが、2作目と3作目は原作とは違ってほとんど一瞬しか出ておりません。ソレが、一時期に那奈ちゃんのプロフィールに「代表作」として掲載されていたのですけれど、ちゃんと映画を観て書いたのでしょうか。ダラダラと3作もつづくよどこまでもな映画で、こうして一挙放送されると困ったちゃんのレベルもレッドゾーンに振り切れますなあ。話題となったのが「キャストが原作マンガにソックリ」と云う、無駄にお金をかけた「コスプレ学芸会」と断じて宜しいでしょう。原作マンガ同様にまとまりがつかなくなったのか、後にテレビ放送で新撮映像に差し替えたり、BDに「もうひとつのエンディング」を収録したりして、その点でも酷い映画です。


(小島イコ/姫川未亜)

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「映画 闇金ウシジマくん」

映画 闇金ウシジマくん [Blu-ray]


WOWOWプラス 15:30〜18:00

2012年公開作品

(2012年8月25日公開、撮影:2011年7月15日〜8月20日)

片瀬那奈 AS 大久保千秋

「映画 闇金ウシジマくん」映画版第1作の、今年3回目の放送ですが、「20世紀少年」とバッティングしています。ドラマ版のシーズン1の続編で、ドラマ終了から1年半以上経ってから公開されましたが、撮影は公開の1年前ですので、ドラマ終了後半年位で映画化されています。但し、ドラマの撮影は放送される半年前には終了していたので、映画の撮影はドラマの撮影から1年半弱経っていた事になります。那奈ちゃんが演じた大久保千秋も再登場していますが、そもそもドラマ版オリジナル・キャラクターだった大久保千秋を映画にも登場させたので、益々一貫性がない登場人物となっております。ドラマ版は那奈ちゃんの代表作のひとつだと思いますけれど、映画版は「ファン・サービス」の様なもんでしょう。原作マンガの様々な話から引っ張って、それぞれの登場人物を紐づけてしまったので、些か詰め込み過ぎな印象です。本日は、映画版4作が連続放送されます。
(小島イコ/姫川未亜)

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「ポールの道」#661「LENNON SONGS」#086 「DO YOU WANNA DANCE」

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1973年8月に公開された、ジョージ・ルーカス監督の映画「アメリカン・グラフィティ」は大ヒットしましたが、1962年が舞台だった映画に挿入歌として多くのオールディーズ・ナンバーが使われていて、それらをまとめたサントラ盤も大ヒットしました。映画のエンディングではビーチ・ボーイズの1964年のアルバムタイトル曲「ALL SUMMER LONG」が使われていて、翌1974年6月24日にリリースされたビーチ・ボーイズの初期作品を集めたベスト盤「ENDLESS SUMMER」が全米首位!を獲得して、ビーチ・ボーイズ・リヴァイバルが巻き起こったのです。当時のビーチ・ボーイズは、1967年に頓挫したアルバム「SMILE」からブライアン・ウィルソンがパッパラパーになってしまい、新作アルバムは苦戦していたのですけれど、10年前の音源を集めたベスト盤で復活したのでした。ジョン・レノンの5作目のソロ・アルバム「ROCK'N'ROLL」は、1975年2月17日(米国)・同年2月21日(英国)にアップルからリリースしていますけれど、当初の予定では1973年10月から12月にかけてのフィル・スペクターとのセッションでレコーディングして、1974年の春にはリリース予定だったわけで、ジョンはどこまで本気なのか分かりませんけれど「オールディーズ・ブームに乗り遅れた」と語っております。

映画「アメリカン・グラフィティ」の舞台は1962年なので、前述のビーチ・ボーイズによる「ALL SUMMER LONG」以外は、1962年までの楽曲が使われています。つまり、1964年のビートルズの全米制覇よりも前のアメリカン・ポップスやロックンロール・ナンバーで構成されているわけです。サントラ盤には、ファッツ・ドミノの「AIN'T THAT A SHAME」や、リー・ドーシーの「YA YA」や、ボビー・フリーマンの「DO YOU WANNA DANCE(踊ろよベイビー)」と云った、ジョンがアルバム「ROCK'N'ROLL」でカヴァーした曲のオリジナルや、リンゴ・スターがカヴァーしたジョニー・バーネットの「YOU'RE SIXTEEN」(ポール・マッカートニーが参加して全米首位!)や、プラターズの「ONLY YOU(AND YOU ALONE)」(ジョンがアレンジして参加して全米6位)や、ジョンがプロデュースしてハリー・ニルソンがカヴァーしたビル・ヘイリー&ザ・コメッツの「ROCK AROUND THE CLOCK」と云った、ジョン絡みのカヴァーのオリジナルが多数収録されています。そして、アルバム「ROCK'N'ROLL」のA面6曲目に収録されているのが、ボビー・フリーマンの「DO YOU WANNA DANCE」です。ブートレグの「ROOTS」では、A面7曲目に収録されていて、その前のA面6曲目が公式盤には未収録の「ANGEL BABY」です。

「DO YOU WANNA DANCE」は、1958年3月にボビー・フリーマンが自ら書いたデビュー・シングルがオリジナルです。当時のボビー・フリーマンは若干17歳で、このデビュー曲は全米5位(R&Bチャート2位)の大ヒットとなりました。その後、ボビー・ヴィー(1961年)、クリフ・リチャード&ザ・シャドウズ(1962年、シングルB面なのに全英2位)、デル・シャノン(1964年、全米47位)、フォー・シーズンズ(1964年)、ビーチ・ボーイズ(1965年)、ママス&パパス(1966年)、キム・カーンズ(1971年)、ベット・ミドラー(1972年、全米17位)、ラモーンズ(1977年)、デイヴ・エドモンズ(1985年)と云った、錚々たるミュージシャンにカヴァーされている名曲です。特に1965年のビーチ・ボーイズによるカヴァー・ヴァージョンは、「DO YOU WANNA DANCE?」として、シングルが全米12位まで上がって、名作アルバム「THE BEACH BOYS TODAY!」のA面1曲目にも収録されています。ビーチ・ボーイズの「TODAY!」は、本当に素晴らしいアルバムなので、特にアルバム「PET SOUNDS」が好きでそれしか聴いていない方は必聴盤です。ジョンによるカヴァー・ヴァージョンは、レゲエ風のアレンジになっていて、1974年10月のアルバム「ROCK'N'ROLL」の再レコーディング・セッションでの音源です。

(小島イコ)

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2025年03月02日

「ポールの道」#662「LENNON SONGS」#087 「SWEET LITTLE SIXTEEN」

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ジョン・レノンが、1975年2月17日(米国)・同年2月21日(英国)にアップルからリリースした、5作目で最後のソロ・アルバム「ROCK'N'ROLL」は、全13トラック(メドレーを分けると全15曲)の全てが、ロックンロール・クラシックスのカヴァーで構成されています。このカヴァー・アルバムは、1969年にリリースしたビートルズのアルバム「ABBEY ROAD」のA面1曲目に収録されて、シングル・カットされて大ヒットした、ジョンが主導で書いたレノン=マッカートニー作品「COME TOGETHER」が、チャック・ベリーの「YOU CAN'T CATCH ME」の盗作だと版権を持つモーリス・レヴィに訴えられて、裁判沙汰にせずに、モーリス・レヴィが版権を持つ楽曲から3曲をカヴァーする事で示談にする事となったのが発端でした。ジョンは1973年10月にリリースした3作目のソロ・アルバム「MIND GAMES」のレコーディング直後である同年10月から12月にかけて、フィル・スペクターのプロデュースでカヴァー・アルバムのレコーディングを行ったものの、当時のジョンが「失われた週末」に突入してスタジオでも泥酔状態でマトモに歌えず、フィル・スペクターも精神疾患で奇行が目立った上にマスター・テープを持ち逃げして、ジョンの手元にテープが戻って来たのは半年後の1974年6月でした。

ジョンは4作目のソロ・アルバム「WALLS AND BRIDGES(心の壁、愛の橋)」の制作を優先して、完成の目途が立ったのでフィル・スペクターとのセッション音源を聴いたら、前述の通りにヘベレケ状態で歌っている上に、フィル・スペクターが歌と演奏を団子状態でミックスしていたので、ヴォーカルだけをレコーディングし直すのも困難で、フィル・スペクターとのセッション音源を元にした楽曲はたったの4曲しか使わずに、1974年10月21日から25日にかけてのたったの5日間で再レコーディングして完成させています。本当は全曲を再レコーディングしたかったのでしょうけれど、莫大な費用を使ったフィル・スペクター音源を使用する契約になっていた様です。アルバム「ROCK'N'ROLL」のA面最後の7曲目に収録されたのが、チャック・ベリーの「SWEET LITTLE SIXTEEN」で、この楽曲はフィル・スペクターとのセッション音源を使用しているものの、リード・ヴォーカルは再レコーディングしています。ちなみに、モーリス・レヴィが勝手にリリースしたブートレグ「ROOTS」では、A面4曲目に収録されています。モーリス・レヴィが版権を持っていた楽曲からは「YOU CAN'T CATCH ME」と「SWEET LITTLE SIXTEEN」の2曲がフィル・スペクターとのセッションでレコーディングされていて、約束通りにカヴァーしていると示す為に優先したのでしょう。

オリジナルはチャック・ベリーが1958年1月にリリースしたシングルで、全米2位(R&Bチャート首位!)・全英16位と大ヒットしていて、特に本国である米国だけではなく、英国でもチャック・ベリーが売れ出していて、つまりはビートルズに影響を与えています。ちなみに、この前のシングルが「ROCK AND ROLL MUSIC」で、次のシングルが「JOHNNY B. GOOD」なんですから、もうチャック・ベリーがノリノリな時期で、3曲共にビートルズがジョンのリード・ヴォーカルでカヴァーしています。ビートルズによるカヴァーは、1963年7月10日の「ポップ・ゴー・ザ・ビートルズ」で披露されて、1994年の「LIVE AT THE BBC」に収録されました。他にも、ジェリー・リー・ルイス(1962年、2006年の再レコーディングではリンゴ・スターと共演)や、ホリーズ(1966年)や、アニマルズ(1966年)などがカヴァーしています。しかしながら、最も有名なのは、1963年のビーチ・ボーイズによる大ヒット曲(全米3位)「SURFIN' USA」でしょう。その曲はチャック・ベリーの「SWEET LITTLE SIXTEEN」の替え歌なのですけれど、当初はブライアン・ウィルソンの自作となっていて、チャック・ベリーの弁護士に訴えられて、1966年からはブライアン・ウィルソンとチャック・ベリーの共作となっています。実は、マイク・ラヴも作詞で手伝っているのですけれど、ノン・クレジットです。

(小島イコ)

さて、3月1日に、バッドフィンガーのジョーイ・モーランドが、77歳で亡くなりました。不幸な死が多かったバッドフィンガーのメンバーでは、長生きしてくれたと思います。これで、オリジナルのバッドフィンガーの4人が全て亡くなってしまいました。ご冥福をお祈りいたします。

(小島イコ/姫川未亜)

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2025年03月03日

「雲霧仁左衛門2」第七回(再)で内山理名ちゃん

<東映オールスターキャンペーン>仁義なき戦い [DVD]


時代劇専門チャンネル 17:00〜18:00

第七回「血戦」

内山理名 AS 七化けのお千代

「雲霧仁左衛門2」第七回の、今年初めての再放送です。全八回なのでストーリーは大詰めで、しかも原作はこの「雲霧仁左衛門2」までで完結なので、大きなクライマックスとも云える回です。理名ちゃんが演じる七化けのお千代姐さんは、雲霧仁左衛門に保土ヶ谷に先に行って待っている様に云われますが、お千代姐さんは辻蔵之助が雲霧仁左衛門の兄だと見抜いていました。雲霧仁左衛門と別れた後に、六之助に「死ぬんじゃないよ」と告げて今回の出番は終了です。越後屋の鍵を外せずにいた富の市はおかねと共に安部式部たちに捕まり、拷問を受けますが口は割りません。いよいよ越後屋を襲う時となり、寺に忍び込んでいた雲霧一党を発見した密偵のお京は木鼠の吉五郎の刃に倒れます。雲霧一党と盗賊改の全面対決となり、雲霧仁左衛門を逃がす為に木鼠の吉五郎は壮絶な自決をしますが、これが後に2025年に放送された「雲霧仁左衛門ファイナル」に繋がっています。更に辻蔵之助も弟である雲霧仁左衛門に仇討ちを託して、自らを雲霧仁左衛門と名乗って捕まります。

本放送:2015年3月20日(NHK BSプレミアム)

(姫川未亜)

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「ポールの道」#663「LENNON SONGS」#088 「SLIPPIN' AND SLIDIN'」

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ジョン・レノンが、1975年2月17日(米国)・同年2月21日(英国)にアップルからリリースした、5作目で最後のソロ・アルバム「ROCK'N'ROLL」は、全曲がジョンが少年時代から愛したロックンロール・クラシックスのカヴァーで構成されています。ビートルズの「COME TOGETHER」の盗作疑惑から始まった企画で、ジョンは元ネタとされたチャック・ベリーの「YOU CAN'T CATCH ME」の版権を持つモーリス・レヴィに訴えられて、モーリス・レヴィが版権を持つ楽曲から3曲をカヴァーする事となったわけです。それで、チャック・ベリーの曲は「YOU CAN'T CATCH ME」と「SWEET LITTLE SIXTEEN」の2曲をカヴァーしています。盗作問題がなくとも、ジョンはチャック・ベリーを「マイ・ヒーロー」と称えていて、「チャック・ベリーは、偉大な詩人だ」とか「ロックンロールを云い代えるなら、チャック・ベリーだ」とまで発言していて、ビートルズ時代にも多くのチャック・ベリー・ナンバーをカヴァーしています。極論を云えば、3コードのロックンロールはチャック・ベリーの発明なので、例えばレッド・ツェッペリンの「ROCK AND ROLL」なども、チャック・ベリーがいなければ存在していないし、ロックンロールは全てがチャック・ベリーの盗作になってしまうのですよ。それらに対して、チャック・ベリー本人は「盗作だ」などと淋しい事は云わなかったのです。

ビートルズ時代に、ジョンがチャック・ベリーならば、ポール・マッカートニーの十八番はリトル・リチャードでした。ジョンとポールが出逢ったとされている1957年7月6日に、ポールはピアノを弾いてリトル・リチャードのモノマネをしたとも云われています。故に、ビートルズがカヴァーしたリトル・リチャード・ナンバーでは、「LONG TALL SALLY」や「HEY, HEY, HEY, HEY」や「LUCILLE」や「OOH! MY SOUL」と云った楽曲は、リード・ヴォーカルは全てポールでした。1965年に「LONG TALL SALLY」に代わるコンサートの最後に披露する曲として、ポールが主導で書いたレノン=マッカートニー作品「I'M DOWN」なんて、曲も歌い方もリトル・リチャードそのものなので、よく盗作だと訴えられなかったものです。しかし、ジョンのアルバム「ROCK'N'ROLL」には、リトル・リチャードの楽曲が「RIP IT UP / READY TEDDY」と「SLIPPIN' AND SLIDIN'」と「SEND ME SOME LOVIN'」と、メドレーを分けると4曲も収録されているのです。チャック・ベリーの楽曲が2曲で、それも盗作問題でカヴァーしなければならなかった事を考えると、リトル・リチャードの楽曲が4曲も取り上げられているのは意外だったし、そこにはポールへの対抗心も伺えます。「SLIPPIN' AND SLIDIN'」は、公式盤の「ROCK'N'ROLL」ではB面1曲目で、ブートレグの「ROOTS」ではB面4曲目に収録されています。この曲は、1974年10月の再レコーディング・セッションでの音源です。

「SLIPPIN' AND SLIDIN'」は、リトル・リチャードが1956年3月にシングルのB面としてリリースしたのがオリジナルで、A面は「LONG TALL SALLY」と云う強力盤でした。この曲は、リチャード・ペニマン(リトル・リチャード)、エドウィン・ボケージ(エディ・ボー)、アル・コリンズ、ジェームズ・スミスの、4人による共作です。1957年3月4日にリリースされたデビュー・アルバム「HERE'S LITTLE RICHARD」にも収録されていて、そのアルバムには「RIP IT UP」や「READY TEDDY」や「LONG TALL SALLY」や「MISS ANN」なども収録されているので、ジョンとポールはアルバムを聴いていたのでしょう。ジョンはシングル・カットも考えていて、サンプル盤があります。ジョンによるリトル・リチャードのカヴァーは、ポールの様な天性の明るい歌唱法とは違っていて、どこか陰があって、内臓が飛び出すかの様な絶叫ですが、二人共に文句なしにシビレます。ジョンによる「SLIPPIN' AND SLIDIN'」は、1975年4月18日放送のBBCのテレビ番組(「オールド・グレイ・ホイットル・テスト」)用にスタジオ・ライヴでの映像(収録は同年3月18日)が「STAND BY ME」と共に制作されていて、DVD「LENNON LEGEND」で観れます。同年6月13日放送(収録は同年4月18日)の「サリュート・トゥ・サー・リュー・グレイド」で、演奏は当て振りでヴォーカルだけライヴで「STAND BY ME」(未放送)と「IMAGINE」と共に披露していて、それがジョンの最後のライヴとなってしまいました。そのライヴ映像は、NHK BSの「MUST BE UKTV」で放送されています。

(小島イコ)

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2025年03月04日

「雲霧仁左衛門2」第八回(最終回)(再)で内山理名ちゃん



時代劇専門チャンネル 17:00〜18:00

第八回(最終回)「男の本懐」

内山理名 AS 七化けのお千代

「雲霧仁左衛門2」第八回(最終回)の、今年初めての再放送です。前回の最後に雲霧仁左衛門の兄である辻蔵之助が雲霧仁左衛門の名を語り身代わりに火付盗賊改に捕まりましたが、安部式部は蔵之助が偽者だと見破るものの獄門に処する事にします。理名ちゃんが演じた七化けのお千代姐さんは、雲霧仁左衛門を救う為に江戸へ戻ってしまいます。辻蔵之助を救うチャンスを伺っていたお千代姐さんですが、六之助が本物の雲霧仁左衛門だと信じさせる為に突撃して火付盗賊改に目の前で殺されてしまい、お千代姐さんも爆薬を投じようとしたところを雲霧仁左衛門が止めます。そして雲霧仁左衛門はお千代姐さんに「もうお前の世話にはなれない」と別れを告げて、雪の中で雲霧仁左衛門の背中に寄り添うお千代姐さんを回り込みで映す演出があり、辻蔵之助は処刑されてしまいます。侍の姿となった雲霧仁左衛門は、仇である東堂家の行列に単身で斬り込みます。雲霧仁左衛門は20人位はいる東堂家の武士を滅多切りにして、東堂家の家老を斬り捨て1万両も奪い男の本懐を遂げます。雲霧一党は散り散りとなり、お千代姐さんは亡くなった仲間たちの墓参りをして、雲霧仁左衛門が大胆不敵にも安部式部に茶屋で煙管の火を借りて会話する場面で終了です。原作はここまでですが、明日からはオリジナル脚本の「雲霧仁左衛門3」が再放送されます。

本放送:2015年3月27日(NHK BSプレミアム)

(姫川未亜)

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「烈火 警視庁強行犯 樋口顕」(再)で内山理名ちゃん

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ファミリー劇場 20:55〜22:55

内山理名 AS 藤井麻奈

「烈火 警視庁強行犯 樋口顕」の、今年2回目の再放送です。理名ちゃんが演じた藤井麻奈さんは刑事で、主人公の内藤剛志さんが演じた樋口刑事の相棒です。犯人は被害者を拘束して火焙りにして殺すと云う残虐な手法を使い、身分を他人と交換しているトリックもあります。ちなみに、冒頭で殺されるのは「闇金ウシジマくん」や「雲霧仁左衛門」でもお馴染みの、やべきょうすけさんです。藤井刑事が捜査中に飼い猫が交通事故に遭ってしまい「家族同然の猫なので家に帰らせて下さい」と樋口刑事に云ったら「ばかもん!」と波平みたいに怒鳴られて、藤井刑事はカツオみたいにションボリします。飼い猫は死にますけれど、藤井刑事は別の捨て猫に出逢います。

本放送:2016年12月21日(テレビ東京)

(姫川未亜/小島イコ)

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「ポールの道」#664「LENNON SONGS」#089 「PEGGY SUE」

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ジョン・レノンが、1975年2月17日(米国)・同年2月21日(英国)に、アップルからリリースした5作目で最後のソロ・アルバム「ROCK'N'ROLL」は、全曲がロックンロール・クラシックスのカヴァーで構成されています。1969年リリースのビートルズの「COME TOGETHER」の盗作疑惑から、元ネタとされるチャック・ベリーの「YOU CAN'T CATCH ME」の版権を持つモーリス・レヴィから訴えられて、裁判沙汰にせずに、モーリス・レヴィが版権を持つ楽曲からジョンが3曲をカヴァーする事で示談にする事となり、3曲もカヴァーするのだったなら、全曲をロックンロール・クラシックスのカヴァーにしてしまおうと、ジョンは1973年10月から12月にかけて、フィル・スペクターのプロデュースでレコーディングをしました。そのセッションには、フィル・スペクター絡みのハル・ブレイン(ドラムス)、レオン・ラッセル(キーボード)、バリー・マン(ピアノ)、ジェフ・バリー(ピアノ)と云ったロックンロール・クラシックスの大御所に加えて、ジョンのレコーディングに参加したいと集った総勢50名近くのミュージシャンが参加しているのですが、ジョンは酔っ払っていたし、フィル・スペクターもパッパラパー状態で、フィル・スペクターがマスター・テープを持ち逃げした事で頓挫しました。

そして、ジョンは断酒して、4作目でオリジナル・ソロ・アルバムである「WALLS AND BRIDGES(心の壁、愛の橋)」を優先して制作して、1974年9月26日(米国)・同年10月4日(英国)にアップルから、カヴァー・アルバムよりも先にリリースしてしまったのです。アルバム「WALLS AND BRIDGES」は、全米首位!・全英6位と大ヒットして、シングル・カットした「WHATEVER GETS YOU THRU THE NIGHT(真夜中を突っ走れ)」は全米首位!、「#9 DREAM(夢の夢)」も全米9位と大ヒットして、ジョン・レノン復活となったわけです。ところが、基本的にはオリジナル・ソロ・アルバムである「WALLS AND BRIDGES」には、モーリス・レヴィが版権を持つ楽曲は、アルバムの最後に収録されたジョンとジュリアン・レノンの親子共演でのリー・ドーシーの「YA YA」のカヴァーしか入っておらず、モーリス・レヴィが「話が違う」と騒ぎ出して、ジョンはロックンロール・クラシックスのカヴァー・アルバムをすぐさまリリースしなければならなくなったのです。ところが、ジョンの元に1974年6月に戻って来たフィル・スペクターとのセッションは、ほとんどが使い物にならず、ジョンは1974年10月21日から25日にかけてのたったの5日間で、ほとんどの曲を再レコーディングして完成させてしまいました。そのカヴァー・アルバム「ROCK'N'ROLL」のB面2曲目に収録されたのが、「PEGGY SUE」です。「PEGGY SUE」は、モーリス・レヴィが勝手にリリースしたブートレグの「ROOTS」でも、B面2曲目に収録されています。この曲は、ビーチ・ボーイズも1978年のアルバム「M.I.U. ALBUM」でカヴァーしています。

「PEGGY SUE」のオリジナルは、1957年9月20日にバディ・ホリー&ザ・クリケッツがリリースしたシングルA面(B面は大瀧師匠の「A面で恋をして」の元ネタ「EVERYDAY」)で、作者はバディ・ホリー、ジェリー・アリソン、ノーマン・ペティの3人です。バディ・ホリーはビートルズに多大なる影響を与えた白人ロックンローラーで、「ビートルズ」と云うバンド名も「クリケッツ」をもじっています。ビートルズでも、「WORDS OF LOVE」や「THAT'LL BE THE DAY」や「CRYING, WAITING, HOPING」や「MAILMAN, BRING ME NO MORE BLUES」と云った楽曲をカヴァーしています。特に「THAT'LL BE THE DAY」は、1958年7月14日にクオリーメンとして初めて自主制作盤としてレコーディングした、最古の公式音源です。1974年10月の再レコーディング・セッションでのジョンによるカヴァーは、バディ・ホリーのモノマネとなっていて、影響の大きさを示しています。バディ・ホリーは、1959年2月3日に飛行機事故で22歳の若さで亡くなっていますが、生きていたならばロックの歴史は変わっていたでしょう。ジョンがアルバム「ROCK'N'ROLL」の時期のインタビューで、「今回のアルバムはカヴァーなので、貴方(ジョン)には印税が入りませんが、ポール・マッカートニーには印税が入ると知っていますか?ポールはバディ・ホリーの版権を持っているんですよ」と云われたジョンが、「ポールが版権を持っているのは知らなかったけれど、どこの誰か分からない奴が僕のレコードで儲けるよりも、ポールが儲かった方がいいね。ポールと僕は兄弟だから」と、粋な答えを返しています。

(小島イコ)

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2025年03月05日

「雲霧仁左衛門3」第一回(再)で内山理名ちゃん

Deep Purple Stormbringer


時代劇専門チャンネル 17:00〜18:00

第一回「嵐の予感」

内山理名 AS 七化けのお千代

「雲霧仁左衛門3」第一回の、今年初めての再放送です。原作小説の内容は、前作である「雲霧仁左衛門2」までで描き切っているので、此の「雲霧仁左衛門3」からはオリジナル脚本となっております。つまり、原作のキャラクター設定だけ借りて、好き勝手に新たなるストーリーを考えているわけで、この「雲霧仁左衛門3」と「雲霧仁左衛門4」と「雲霧仁左衛門5」と「雲霧仁左衛門6」と「雲霧仁左衛門ファイナル」と5作も制作してしまったわけです。原作に忠実だったのは2作だけで、倍以上も新たなる物語を作ってしまったのは、批判もあるでしょうけれど、それだけの人気作だったのです。

本放送:2017年1月6日(NHK BSプレミアム)

(姫川未亜)

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「サイケデリック・ペイン」TV初放送

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日本映画専門チャンネル 22:30〜0:50

公演日:2012年8月22日〜9月24日(サンシャイン劇場、森ノ宮ピロティホール)
(東京23公演、大阪5公演、全28公演)

サウンドトラック盤:CD「サイケデリック・ペイン」(ヴィレッヂ) 2012年8月22日発売(スタジオ録音された劇中全曲収録盤!劇場限定販売)

映像作品:DVD「サイケデリック・ペイン」(ヴィレッヂ) 2012年12月19日発売
本編収録日:2012年9月5日(サンシャイン劇場)特典映像収録日:2012年6月23日(新宿BLAZE)、9月24日(森ノ宮ピロティホール)

ライヴ「ゲキ×ソニック!」:2013年9月14日〜9月15日(Shibuya-AX)全2公演

片瀬那奈 AS レディー・パンドラ、ミツコ

ロック・オペラ「サイケデリック・ペイン」が、12年半の時を越えて、テレビ初放送されます。この舞台は、作詞家の森雪之丞さんが企画して脚本を書いて作詞して、布袋寅泰さんが作曲した全てが新曲での「ミュージカル」なのですけれど、それを「THE WHO」などが得意としていた「ロック・オペラ」と云う名称を使って上演された作品です。何故に2025年になってこの作品がテレビ放送されるのかと云うと、日本映画専門チャンネルで綾野剛さんの出演作を特集していて、その一環として蘇ったわけです。この作品のサントラ盤は劇場限定発売だったし、DVDも別の舞台の劇場物販と通販限定だったと記憶しております。そして、この舞台には続きがあって、劇中のバンド「サイケデリック・ペイン」が舞台から1年後に2日間限定で復活してライヴ(2012年12月にも武道館でのフェスに登場していたものの、那奈ちゃんは不参加)を行っていて、那奈ちゃん(レディー・パンドラ)もゲスト出演しているのです。個人的には、舞台本編よりも、その1年後のライヴでの印象の方が強く、そちらの方も何とかして欲しいところです。何れにしろ、突然にこの舞台作品がテレビ放送されるのは事件ですし、素材が遺っているのであれば、そのライヴ映像もドサクサ紛れに放送しちゃってもらえると嬉しいです。そして、那奈ちゃんの出演舞台は2007年の「僕たちの好きだった革命」初演と、2008年の「フラガール」と、2009年の「僕たちの好きだった革命」再演と、この2012年の「サイケデリック・ペイン」があって、「僕たちの好きだった革命」初演と「サイケデリック・ペイン」はDVD化されています。個人的に最も思い入れがある「フラガール」だけが、何故かソフト化されていないわけで、TBSが映像を収録していたはずなので、CSでいいので放送して欲しいものですなあ。那奈ちゃんが観客の子どもを泣かした魔女を演じた「サイケデリック・ペイン」は、3月14日にもリピート放送される予定です。


(小島イコ/姫川未亜)

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「中野たむ、最後の戦い」



2025年も、早くも3月になりました。この2か月間で、女子プロレス界で最大の話題となったのが、2月16日に行われたウナギ・サヤカの後楽園ホールでの3度目の自主興行で、それは里村明衣子とのワン・マッチ興行であって、女子プロレスでは初だったし、男子を含めても1987年1月14日の「藤波辰巳VS木村健吾」以来の事でした。実力、実績共に里村が圧倒的で、結果は見えていた対戦で、予想通りに里村が勝った試合ではありましたが、その一戦だけの興行で千六百人以上の超満員札止めにしてしまったのですから、興行主・ウナギ・サヤカの圧勝です。かつてウナギをクビにしたスターダムも、2月2日に後楽園ホール(メインエベントは、王者・上谷沙弥VS挑戦者・鈴季すずの赤いベルト戦で、上谷の勝利)を超満員にしていますけれど、ワンマッチとは違うわけです。そんなウナギは1月3日にスターダムに出戻り参戦していて、中野たむと「ウナギ・サヤカが負けたらスターダム追放」試合をやっていて、中野たむが勝ったのですけれど、もしも中野たむが負けていたならば「プロレスラー廃業」を賭けていたのです。そうです、そうなんですよ、つまり、中野たむは今年(2025年)の最初の試合から「自らの進退」を賭けた試合をやっていたわけです。

そして、何だかんだあって、3月3日に中野たむと上谷沙弥による「敗者スターダム退団マッチ」が、後楽園ホールで行われたのです。それは1週間前にタッグマッチで中野たむが上谷沙弥に直接勝利して、何でも願いを叶える条件だったので、中野たむが云い出した事であって、3月3日は平日の月曜日だったのですけれど、後楽園ホールは超満員札止めになって、そのメインエベントだけがYouTubeで無料生配信されて6万人以上が目撃したわけです。あたくしも当日に予定していたブログの更新を前日に済ませて、YouTubeで生観戦したわけですけれど、画面越しからも異様な観客の熱気が感じられて、ほんの2か月前の同じカードの両国国技館でのしょっぱい試合が嘘だったみたいに、試合内容も素晴らしく、久しぶりに手に汗握ってハラハラドキドキしながらプロレスを観ました。が、しかし、中野たむのトワイライトドリームが完璧に決まって3カウントが入る直前で、予想通りに「H.A.T.E.」が乱入からの、「コズエン」も応戦からの、レフェリーの死角を突いてナツコと上谷の反則からの、上谷のフォール勝ち、と云うバッド・エンドとなったわけです。上谷は現・赤いベルトのチャンピオンだし、リング上ではヒールなのですから、まあ、そうなりますわなあ。

ところが、敗れた中野たむが、ナツコの毒霧でアバター状態となったなつぽいや、珍しくキレていた推しの安納サオリたちと共に退場してゆくのを、勝った上谷が呼び止めてしまい、激昂した中野たむがリングに戻って来てしまい、上谷に挑発されて「次は引退を賭ける」と云ってしまい、それを上谷が「4月27日の横浜アリーナでやる」と受けてしまい、大炎上する事になってしまったのです。曰く「退団を賭けていたはずなのに、横浜アリーナの宣伝じゃないか」なのですけれど、アノですね、そりゃあプロレスなんですから、そうやってストーリーはつづくよどこまでも、なんですよ。SNSが発達した現在の方が、一般人の方々ってプロレスの楽しみ方が理解出来ていないのでしょうか。まあ、退団マッチだったはずなのに、勝った上谷の方から続編の予告をその場でやらかしてしまったのは失敗だとは思います。結局、翌日の会見で中野たむはスターダムを退団して、横浜アリーナまではフリーで何試合か参戦して、横浜アリーナでは赤いベルトのタイトルマッチで双方の引退も賭ける事となったわけです。でもですね、何故、上谷沙弥まで赤いベルトだけではなく引退まで賭けるのかが謎なんですよ。中野たむは前述の通り、年明けのウナギ・サヤカ戦の時点で「プロレス廃業」を賭けていたわけで、そうやって自分を追い込むのが好きなんでしょうね。

(小島イコ)

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「ポールの道」#665「LENNON SONGS」#090 「MEDLEY:BRING IT ON HOME TO ME / SEND ME SOME LOVIN'」

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ジョン・レノンが、1975年2月17日(米国)・同年2月21日(英国)にアップルからリリースした、5作目で最後のソロ・アルバム「ROCK'N'ROLL」には、二つのメドレーが収録されています。一つ目は、A面3曲目に収録された「RIP IT UP / READY TEDDY」で、それはリトル・リチャードが1956年6月にリリースしたシングルのA面とB面の2曲を繋げたものでした。そして、もう一つのメドレーが、公式盤「ROCK'N'ROLL」ではB面3曲目に収録された「BRING IT ON HOME TO ME / SEND ME SOME LOVIN'」です。ちなみに、ブートレグの「ROOTS」でもB面3曲目にメドレーが収録されていますが、曲目表記は「BRING IT ON HOME TO ME」だけになっています。このメドレーも、1974年10月の再レコーディング・セッションでの音源です。ジョンによるカヴァーは、「RIP IT UP / READY TEDDY」とは違っていて、こちらでは異なるミュージシャンによる楽曲を繋げて演奏しています。まず、最初に演奏されている「BRING IT ON HOME TO ME」は、1962年5月8日にリリースされたサム・クックのシングルA面(B面は「HAVING A PARTY(パーティを開こう)」がオリジナルです。1962年と云えば、10月5日にビートルズがシングル「LOVE ME DO」でデビューした年で、翌1963年3月22日にビートルズのデビュー・アルバム「PLEASE PLEASE ME with Love Me Do and 12 other songs」をリリースしています。

ビートルズのデビュー・アルバムでも、同時代の楽曲をカヴァーしていて、ロックンロール・クラシックスのカヴァーだけではなかったし、ガールズ・グループやモータウン系まで手広くカヴァーしていました。「BRING IT ON HOME TO ME」は、サム・クックが書いて歌っていて、全米13位まで上がっています。その後、アニマルズ(1965年、邦題「悲しき叫び」)や、ゾンビーズ(1965年、ビートルズもカヴァーしたミラクルズの「YOU’VE REALLY GOT A HOLD ON ME」とメドレー)や、ソニー&シェール(1966年)や、エディ・フロイド(1968年)や、ウィルソン・ピケット(1968年)や、アレサ・フランクリン(1969年)や、ルー・ロウルズ(1970年)や、ロッド・スチュワート(1974年)や、ヴァン・モリソン(1974年)や、デイヴ・メイスン(1974年)など、多くのミュージシャンにカヴァーされています。そして、ポール・マッカートニーも1988年のカヴァー・アルバム「CHOBA B CCCP」で取り上げていて、ポールは2006年にジョージ・ベンソンとアル・ジャロウと共演で再び取り上げています。ジョンにとっても、ポールにとっても、愛すべき楽曲なのでしょう。ジョンによるカヴァー・ヴァージョンでは、珍しくクラウス・フォアマンによる「合いの手ヴォーカル」が聴けます。サム・クックは、1964年12月11日に、不可解な正当防衛によって33歳の若さで射殺されています。

ジョンがメドレーにした後半の「SEND ME SOME LOVIN'(愛しておくれ)」は、リトル・リチャードが1957年2月にリリースしたシングルのB面がオリジナルで、作者はジョン・マラスカルコとレオ・プライスです。そのシングルのA面は、ビートルズがポールのリード・ヴォーカルでカヴァーしていた「LUCILLE」です。この楽曲もカヴァーが多く、バディ・ホリー&ザ・クリケッツ(1957年)、ブレンダ・リー(1962年)、ジーン・ヴィンセント(1964年)、スティーヴィー・ワンダー(1967年)、ハンク・ウィリアムズ・ジュニア(1972年)、オーティス・レディング(死後の1992年に発掘)、などがレコーディングしています。サム・クックもカヴァーしていて、1963年に全米13位まで上がっているので、ジョンはサム・クックが歌った楽曲をメドレーにしたのでしょう。ところで、この「SEND ME SOME LOVIN'」なんですけれど、典型的なリズム&ブルース調の楽曲ではあるものの、展開がビートルズが1969年にリリースしたアルバム「ABBEY ROAD」に収録した、ポール・マッカートニーが主導で書いたレノン=マッカートニー作の「OH! DARLING」にソックリなんですよ。ポールには「LONG TALL SALLY(のっぽのサリー)」を「I'M DOWN」にしたり、「THE GIRL CAN'T HELP IT(女はそれを我慢できない)」を「BIRTHDAY」にしたりと、リトル・リチャードの曲から頂戴する前科があり捲りなので、やらかしたのでしょうなあ。元々「COME TOGETHER」の盗作疑惑から始まったアルバム「ROCK'N'ROLL」は、ビートルズの元ネタの宝庫でもあるのです。

(小島イコ)

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2025年03月06日

「雲霧仁左衛門3」第二回(再)で内山理名ちゃん

NEW-2014ジャパン・ツアー・エディション(DVD付)


時代劇専門チャンネル 17:00〜18:00

第二回「新たなる盗め」

内山理名 AS 七化けのお千代

「雲霧仁左衛門3」第二回の、今年初めての再放送です。この回では、雲霧一党が江戸に集結し、いよいよ新たなる盗めが始まります。賊にあじとを襲われ逃げる時に、お千代姐さんが蹴りをかます場面がいいですね。またしても仲間を失い、お頭が立ち上がります。お千代姐さんが潜入しますが、大金の在り処が分かりません。大掛かりな芝居で金の在り処をつきとめ、まんまと3千両を奪いました。


(姫川未亜)

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「ポールの道」#666「LENNON SONGS」#091 「BONY MORONIE」

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最初の洋楽体験がビートルズであった事は、幸運だったと思っています。ビートルズは多くのロックンロール・クラシックスのカヴァーをやっていたので、1950年代のオリジナルへ戻る事も容易だったし、同時代のビーチ・ボーイズやローリング・ストーンズやキンクスと云ったバンドや、ボブ・ディランなどのソロ・ミュージシャンにも直ぐに繋がっています。ビートルズは、ロックンロール・クラシックスのカヴァーだけではなく、ガールズ・グループやモータウン系のカヴァーまで演奏している奇怪なバンドだったので、特に、ガールズ・グループがオリジナルの楽曲の、ゴフィン&キングや、フィル・スペクターや、マン&ワイルや、バリー&グリニッチなどの、作者やプロデューサーの作品へも興味が向いたのです。そして、ビートルズが解散して4人がソロとなった1970年代には、ジョン・レノン、ポール・マッカートニー、ジョージ・ハリスン、リンゴ・スターが、それぞれソロで(ポールは「ポール&リンダ」や「ウイングス」だったけれど)全米首位!を獲得すると云う、他の如何なるバンドでも不可能な偉業を成し遂げています。ビートルズ以降の音楽は、ほぼ全てが影響下にあるので、ハードロックもプログレも普通にゆけます。それでも、ビートルズの根本は、あくまでも「ロックンロール」だったわけで、チャック・ベリーやリトル・リチャードなどからの影響が強く、やはり、その辺りからオリジナルも聴いてゆく様になりました。そんな中でも、ビートルズがカヴァーしていなければ辿り着けなかったであろうミュージシャンのひとりが、ラリー・ウィリアムズです。

ジョン・レノンが、1975年2月17日(米国)・同年2月21日(英国)にアップルからリリースした、5作目で最後のソロ・アルバム「ROCK'N'ROLL」は、全曲がロックンロール・クラシックスのカヴァーで構成されていて、B面4曲目には「BONY MORONIE」が収録されています。モーリス・レヴィが勝手にリリースしたブートレグの「ROOTS」では、B面1曲目に収録されています。「BONY MORONIE」は、ラリー・ウィリアムズが自ら書いて、1957年にリリースした3作目のシングルのA面(B面は「YOU BUG ME, BABY」)がオリジナルです。オリジナルは、全米14位(R&Bチャート4位)・全英11位を記録していて、音源は遺されていないものの、ビートルズがジョンのリード・ヴォーカルでクオリーメン時代から何度も演奏していた楽曲です。ジョンはラリー・ウィリアムズに多大なる影響を受けていて、ビートルズ時代に「SLOW DOWN」(1964年のEP「LONG TALL SALLY」)、「DIZZY MISS LIZZY」(1965年のアルバム「HELP!」)、「BAD BOY」(1965年の米国盤編集アルバム「BEATLES Y」、英国では1966年のベスト盤「A COLLECTION OF BEATLES OLDIES」が初出)と、3曲も全てジョンのリード・ヴォーカルでカヴァーしています。オリジナルのラリー・ウィリアムズ盤を聴くと、ジョンはヴォーカルでかなり影響を受けていたと分かります。「SLOW DOWN」のオリジナル・ヴァージョンなんて、ジョンが歌ったのは、例の「ブゥルーー」と口を震わせるのも同じで、最早モノマネですよ。

ジョンは、1969年9月13日に「プラスティック・オノ・バンド」として急遽出演した「トロント・ロックンロール・リヴァイバル」でも、「DIZZY MISS LIZZY」を演奏しています。そして、ジョンにとっては4曲目のラリー・ウィリアムズのカヴァーが「BONY MORONIE」です。この楽曲は、1973年10月から12月にかけて行われたフィル・スペクターとのセッションでレコーディングされたテイクを元にしていますが、ジョンは1974年10月の再レコーディング・セッションでも取り上げていて、スタッフのミスで再レコーディング・ヴァージョンが使えなくなったので、仕方なくフィル・スペクターとのセッション音源に手を加えて収録しています。そして、そうまでしてジョンがこの「BONY MORONIE」を収録したのは、母親ジュリアが1度だけジョンのステージを観に来てくれた時に演奏した曲だったからです。ラリー・ウィリアムズは、1980年1月7日に44歳で不可解な死(自宅で頭に銃創を負った状態で母親に発見されたので、自殺説と他殺説がある)を遂げました。ラリー・ウィリアムズのカヴァーと云えばジョンでしたが、ポールも1999年のアルバム「RUN DEVIL RUN」で「SHE SAID YEAH」をカヴァーしていて、「SHE SAID YEAH」はローリング・ストーンズも初期にカヴァーしています。それで、2025年の現在の様に配信で何でも簡単に聴けてしまう状況では、そうした音楽の関連性に気付くのは、逆に困難になっている気がします。もしかしたら、ビートルズに辿り着く事すら難しいと思うと、逆に不幸なんじゃないかとすら思うのです。

(小島イコ)

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2025年03月07日

「雲霧仁左衛門3」第三回(再)で内山理名ちゃん

キャロル・キング・ミュージック(紙ジャケット仕様)


時代劇専門チャンネル 17:00〜18:00

第三回「ほおずきの調べ」

内山理名 AS 七化けのお千代

「雲霧仁左衛門3」第三回の、今年初めての再放送です。第三回では、冒頭から江戸の町を歩く理名ちゃんが演じる七化けのお千代姐さんが登場します。お頭の指図で、豊田屋の内偵にむかいます。安部式部も内偵をもちいて、探り合いとなります。騙し合いの末、引き分けと云ったところでしょう。

本放送:2017年1月20日(NHK BSプレミアム)

(姫川未亜)

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「20世紀少年 第1章 終わりの始まり」

20世紀少年 第1章 終わりの始まり [Blu-ray]


チャンネルNECO 21:00〜23:30

2008年公開作品

片瀬那奈 AS 敷島ミカ

「20世紀少年 第1章 終わりの始まり」の、今年早くも5回目の放送です。那奈ちゃんが演じた敷島ミカの出番はほんの僅かですが、この第1章では、それでもセリフもあります。続編での登場を期待したのですけれど、その2作の続編ではカメオ出演になってしまったのでした。まあ、それ以前に、映画自体が駄作です。


(小島イコ/姫川未亜)

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「ポールの道」#667「LENNON SONGS」#092 「YA YA」Version 2

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ジョン・レノンが、1975年2月17日(米国)・同年2月21日(英国)にアップルからリリースした、5作目で最後のソロ・アルバム「ROCK'N'ROLL」は、全編がロックンロール・クラシックスのカヴァーで構成されています。元々は、ビートルズが1969年にリリースしたジョンが主導で書いたレノン=マッカートニー作品「COME TOGETHER」が、チャック・ベリーの「YOU CAN'T CATCH ME」の盗作だと版権を持つモーリス・レヴィに訴えられて、裁判沙汰にせずに、ジョンにモーリス・レヴィが版権を持つ楽曲から3曲カヴァーさせる条件で示談する事となったのです。それで、前にも書いたのですけれど、確かに「COME TOGETHER」を書いたのはジョンですが、作者は「レノン=マッカートニー」なのに、何故にポール・マッカートニーは蚊帳の外だったのでしょうか。ポールは「COME TOGETHER」に関して、ジョンが書いた時に「YOU CAN'T CATCH ME」に似ているからヤバイよと忠告したとか、ジョンが書いた時はテンポが速くてチャック・ベリー・スタイルの曲だったから、元ネタがバレない様にスローテンポにアレンジしたよ、とか呑気な事を云っています。挙句の果てに、ジョンがアルバム「ROCK'N'ROLL」でバディ・ホリーの「PEGGY SUE」もカヴァーしているので、バディ・ホリーの版権を持つポールも、チャッカリと印税で儲けています。

そんな天然バカボンなポールは、後にマイケル・ジャクソンに版権ビジネスを教えて、マイケルに「レノン=マッカートニー」の版権を買われてしまうのです。マイケルは「COME TOGETHER」をカヴァーしていますが、亡くなったジョンの代わりに自分を加えて「ビートルズ再結成」まで企んでいたらしく、流石にソレは却下されました。話を戻すと、ジョンはアルバム「ROCK'N'ROLL」で、モーリス・レヴィが版権を持つ3曲をカヴァーしていて、その内の2曲はチャック・ベリーの「YOU CAN'T CATCH ME」と「SWEET LITTLE SIXTEEN」です。そして、もう1曲が「YA YA」で、この「YA YA」は、ジョンが1974年9月26日(米国)・同年10月4日(英国)にアップルからリリースした4作目のソロ・アルバム「WALLS AND BRIDGES(心の壁、愛の橋)」の最後に、ジョンと当時11歳だったジュリアン・レノンとの親子共演でお遊びトラックとして、既にカヴァーしていました。モーリス・レヴィとしては、自分が版権を持つ楽曲をジョンにカヴァーさせて、あわよくばシングル・カットもさせて儲けようと企んでいたでしょうから、そんなお遊びトラックにされたのでは困ったちゃんだし、そもそも3曲のはずが1曲しかカヴァーされていない事に激怒したのです。それで、ジョンはアルバム「ROCK'N'ROLL」で、再び「YA YA」も取り上げたわけです。

アルバム「ROCK'N'ROLL」ではB面5曲目に収録された「YA YA」は、ブートレグの「ROOTS」ではB面6曲目に収録されていて、最後から2番目と云う位置は同じです。ブートレグ「ROOTS」では、「YA YA」の前にロネッツの「BE MY BABY」が収録されています。「YA YA」のオリジナルは、1961年2月にリリースされたリー・ドーシーなのですけれど、作者は、リー・ドーシー、C.L.ブラスト、ボビー・ロビンソン、モーリス・レヴィの4人です。つまり、この曲はモーリス・レヴィが作者として関わっているわけです。リー・ドーシーによるオリジナル・ヴァージョンは、全米7位(R&Bチャート首位!)の大ヒット曲で、1973年の映画「アメリカン・グラフィティ」のサントラ盤にも収録されています。音源としては遺っていないものの、ビートルズ時代にもジョンのリード・ヴォーカルでハンブルク時代によく演奏していた楽曲です。ビートルズが1961年にトニー・シェリダンのバック・バンドを務めた時の音源を含むアルバムには、トニー・シェリダンが歌う「YA YA」が収録されていますが、バック・バンドはビートルズではありません。ジョンによる2度目のカヴァー・ヴァージョンは、1974年10月のアルバム「ROCK'N'ROLL」の再レコーディング・セッションの音源で、こっちはマジメにカヴァーしています。日本などでアルバム「ROCK'N'ROLL」から第2弾シングル・カットされた「BE-BOP-A-LULA」のB面にもなっているのは、モーリス・レヴィへの配慮もあったのでしょう。

(小島イコ)

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2025年03月08日

「ポールの道」#668「LENNON SONGS」#093 「JUST BECAUSE」

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ジョン・レノンが、1975年2月17日(米国)・同年2月21日(英国)にアップルからリリースした5作目で最後のソロ・アルバム「ROCK'N'ROLL」は、全曲がロックンロール・クラシックスのカヴァーで構成されています。全13トラックでメドレーを分けると全15曲が収録されていて、モーリス・レヴィが勝手にリリースしたブートレグの「ROOTS」では、全15トラックで全17曲が収録されています。ブートレグ「ROOTS」にだけ収録されているのは、ロージー&ジ・オリジナルズの「ANGEL BABY」と、ロネッツの「BE MY BABY」の2曲で、両方共に1973年10月から12月にかけてロサンゼルスで行われたフィル・スペクターとのセッション音源で、しかも両方共にオリジナルが女性によって歌われているので、最終段階でジョンが落としたのでしょう。「ANGEL BABY」も「BE MY BABY」も、スローテンポにしてジョンが歌い上げているスタイルなので、アルバム「ROCK'N'ROLL」の硬派な路線の中に入れると、ちょっと違うかな、と思ったのかもしれません。兎も角、ジョンは後に発掘されたアーサー・クルーダップの「MY BABY LEFT ME」(ジョンのヴァージョンは「SINCE MY BABY LEFT ME」)や、テディ・ベアーズの「TO KNOW HIM IS TO LOVE HIM」(ジョンのヴァージョンは「TO KNOW HER IS TO LOVE HER」)なども含めて、多くのロックンロール・クラシックスのカヴァーをレコーディングしました。

選曲は、ほとんど全ての曲をジョンが少年時代から親しんできた楽曲を、ジョンが行っています。ところが、アルバムの最後でB面6曲目に収録されている「JUST BECAUSE」だけは、ジョンがフィル・スペクターに聴かされて初めて知ったとされているのです。ブートレグの「ROOTS」でも、この「JUST BECAUSE」はB面7曲目で最後に収録されていて、これは1973年10月から12月にかけてのフィル・スペクターとのセッション音源を元にしていて、1974年10月の再レコーディング・セッションで、最初と最後にセリフを加えています。「JUST BECAUSE」のオリジナルは、ロイド・プライスが1957年にリリースしています。それで、ジョンがこの曲を知らなかったと云う話は、ちょっと不可解なのです。何故ならば、ポール・マッカートニーが1988年のカヴァー・アルバム「CHOBA B CCCP」で、ロイド・プライスの「LAWDY MISS CLAWDY」をカヴァーしているのです。ビートルズ時代に、ポールだけがロイド・プライスを聴いていたとは思えないので、ジョンも聴いていたと考える方が自然です。更に云えば、こちらの方が重要なのですけれど、ロイド・プライスの「JUST BECAUSE」は、1957年にラリー・ウィリアムズがデビュー・シングルとしてカヴァーしてリリースしているのです。ラリー・ウィリアムズはジョンの大のお気に入りだったわけで、ロイド・プライス盤を聴いていなくとも、ラリー・ウィリアムズ盤は聴いていたのではないでしょうか。そして、ラリー・ウィリアムズは「LAWDY MISS CLAWDY」もカヴァーしているのです。

そもそも、ラリー・ウィリアムズはロイド・プライスの運転手をしていて、そこからバック・バンドのピアニストになって、友人であるリトル・リチャードとの交流もあって、独立してソロ・デビューしているのです。それで、デビュー曲がロイド・プライスの「JUST BECAUSE」になったわけです。ジョンはビートルズ時代に「SLOW DOWN」、「DIZZY MISS LIZZY」、「BAD BOY」と3曲もラリー・ウィリアムズの曲をカヴァーしていて、「DIZZY MISS LIZZY」はビートルズのライヴの定番曲のひとつで、1969年1月の「THE GET BACK SESSIONS」でもラリー・ウィリアムズの曲を取り上げていて、1969年9月の「トロント・ロックンロール・リヴァイバル」でも「DIZZY MISS LIZZY」をプラスティック・オノ・バンドとして演奏していて、このアルバム「ROCK'N'ROLL」でも「BONY MORONIE」をカヴァーしています。そんな経緯から、ジョンはロイド・プライスの「JUST BECAUSE」は聴いていなかったとしても、ラリー・ウィリアムズのカヴァー・ヴァージョンは聴いていたと思えるのです。聴いた事もなかった曲を、アルバムの最後に収録すると云うのもおかしな話なんですよ。2004年にリリースされたアルバム「ROCK'N'ROLL」のリミックス盤では、ボーナス・トラックの最後に「JUST BECAUSE」の別テイクからエンディングの語り部分が収録されていて、ジョンが、ポールとジョージとリンゴに呼びかけている感動的な語りが聴けます。

(小島イコ)

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