
ジョン・レノンが、ソロでカヴァーした楽曲の中で、最も有名なのは「STAND BY ME」でしょう。1975年2月17日(米国)・同年2月21日(英国)にアップルからリリースした5作目のソロ・アルバム「ROCK'N'ROLL」のA面2曲目に収録されたこの楽曲は、同年3月10日(米国)・同年4月18日(英国)にシングル・カット(B面はジョンのオリジナルで、キース・ムーンに提供したセルフ・カヴァーでアルバム未収録曲「MOVE OVER MS. L(ようこそレノン夫人)」)されて、全米20位・全英30位とヒットしています。意外に低い成績ですが、オリジナルを凌駕する出来栄えと云う評価が高いカヴァーとなっています。ちなみにブートレグ「ROOTS」では、A面3曲目です。「STAND BY ME」のオリジナルは、1961年にリリースされたベン・E・キングで、ベン・E・キングとエルモ・グリック(ジェリー・リーバーとマイク・ストーラー)の共作です。オリジナル・ヴァージョンは、1961年当時に全米4位・全英27位のヒットとなりました。その後、1986年に同名映画の主題歌として再リリースされていて、全米9位・全英首位!のリバイバル・ヒットした事で、オリジナル・ヴァージョンも広く知られる事となったのですけれど、それまではジョンによるカヴァー・ヴァージョンがオリジナルよりも知られていました。所謂ひとつの循環コードを使っていて、多くの楽曲に「スタンド・バイ・ミー進行」として転用され、カヴァーされる機会も多い楽曲です。2011年には、ベン・E・キング本人が日本語でセルフ・カヴァーしています。
ジョンによるカヴァー・ヴァージョンのレコーディングは、1974年10月21日から25日に行われたアルバム「ROCK'N'ROLL」の再レコーディング・セッションで、レコーディング・メンバーは、ジョン・レノン(ヴォーカル、アコースティック・ギター)、ジェシ・エド・デイヴィス(エレクトリック・ギター)、ピーター・ジェイムソン(エレクトリック・ギター)、ケニー・アスチャー(ピアノ)、クラウス・フォアマン(ベース)、ジョセフ・テンパリー(サクソフォーン)、フランク・ヴィカリ(サクソフォーン)、デニス・モラウズ(テナー・サクソフォーン)、ジム・ケルトナー(ドラムス)、アーサー・ジェンキンス(パーカッション)です。この楽曲のアレンジは、ジョンが提案してリンゴ・スターが取り上げた1955年のプラターズのカヴァー「ONLY YOU(AND YOU ALONE)」と酷似していて、レコーディング・メンバーも被っているので、そちらもジョンがアルバム「ROCK'N'ROLL」で自分で歌う事を考えていたと思われます。この「STAND BY ME」は、ビートルズの1969年1月の「THE GET BACK SESSIONS」でも演奏されていて、以前も紹介した1974年のジョンとポールが参加したセッション(スティーヴィー・ワンダーも参加)でも取り上げています。それは、ビートルズ解散後で唯一のジョンとポールの共演でした。歴史的価値は高い音源ですけれど、まあ、内容はグダグダなので、ブートレグで聴いてガッカリしないで下さいね。
ジョンによる「STAND BY ME」は、ジョンが生前に唯一リリースした1975年のシングル集「SHAVED FISH」には収録されていませんが、死後にリリースされた1982年(CD化は1989年)のベスト盤「THE JOHN LENNON COLLECTION」や、1988年のサントラ盤「IMAGINE」や、1990年のCD4枚組の箱「LENNON」や、1997年のベスト盤「LENNON LEGEND」や、2005年のベスト盤「WORKING CLASS HERO」や、2010年のベスト盤「POWER TO THE PEOPLE:THE HITS」や、同年のCD4枚組の小箱「GIMME SOME TRUTH」や、2020年のベスト盤「GIMME SOME TRUTH.」と云ったベスト盤の定番曲となっています。リリース当時にはBBCの番組用にスタジオ・ライヴ映像を制作していて、ジョンの死後にその映像を元にしたミュージック・ヴィデオが制作されて、DVD版「LENNON LEGEND」や、CDとDVDのセット版「POWER TO THE PEOPLE:THE HITS」に収録されているのですが、何故かレコーディング当時に別居中だったヨーコさんが亡霊の様に登場する改悪ヴァージョンになっています。「#9 DREAM」の件と云い、何故にヨーコさんが出て来るのか不可思議です。それから、日本ではジョンの「LOVE」がドラマの主題歌になった1998年に、短冊CDで「LOVE」のカップリングとして「STAND BY ME」が再シングル・カットされています。ベスト盤が矢鱈と多いのもアレですけれど、タイアップでシングル・カットされるのも困ったちゃんですなあ。
(小島イコ)
さて、2月25日はジョージ・ハリスンのお誕生日なのですけれど、2月24日にロバータ・フラックが亡くなりました。それで、バディ・ホリーの「PEGGY SUE」の時に書く予定だった事を、二つ書きます。まず、ひとつは、1969年リリースのビートルズのアルバム「ABBEY ROAD」のB面1曲目に収録されているジョージ作の「HERE COMES THE SUN」は、バディ・ホリーの影響が強い楽曲です。アルバム「ABBEY ROAD」には、盗作問題にまで発展したジョンの「COME TOGETHER」だけではなく、ジョージの「SOMETHING」はジェームス・テイラーの曲からアタマの詞をそのまんま頂いているし、ポールの「OH! DARLING」も後述しますがリトル・リチャードが元ネタだし、ジョンの「I WANT YOU(SHE'S SO HEAVY)」と「SUN KING」はフリートウッド・マックだし、「BECAUSE」はベートーベンだし、ポールの「GOLDEN SLUMBERS」はトマス・デッカーと云った、元ネタアリの博覧会みたいなアルバムなのです。リンゴの「OCTOPUS'S GARDEN」や、ポールの「YOU NEVER GIVE ME YOUR MONEY」や、ジョンの「POLYTHENE PAM」の様に、過去のビートルズを焼き直した曲もあります。そんな事をイチイチ訴えられたならば、音楽活動なんて根本から成り立たなくなっちゃうんですよ。
そして、もうひとつは、ロバータ・フラックと云えば1973年の全米首位!の「KILLING ME SOFTLY WITH HIS SONG(やさしく歌って)」ですけれど、それはカヴァーで、オリジナルは1971年にロリ・リーバーマンが詞を書いて、それをチャールズ・フォックスとノーマン・ギンベルが改変して、ロリ・リバーマンが1972年にリリースしました。オリジナル・ヴァージョンはヒットしなかったのですけれど、その詞はまだ無名だったドン・マクリーンの歌を聴いて書かれています。ドン・マクリーンと云えば、1971年リリースで1972年に全米首位!を獲得した「AMERICAN PIE」(2000年にマドンナがカヴァー)ですけれど、そこで歌われている「音楽が死んだ日」とは、1959年2月3日の事で、バディ・ホリー、リッチー・ヴァレンス、J.P."ビッグ・ボッパー" リチャードソンが飛行機事故で亡くなった日なのです。つまり、そこでバディ・ホリーに繋がっているわけです。ロバータ・フラックは、ジョンが出演した1972年の「ワン・トゥ・ワン・コンサート」にも出演していて、スティーヴィー・ワンダーやメラニーなどと「GIVE PEACE A CHANCE」でジョンと共演しています。ご冥福をお祈りいたします。
(小島イコ)