ジョン・レノンは、1973年10月29日(米国)・同年11月16日(英国)にアップルからリリースした3作目のソロ・アルバム「MIND GAMES」のプロモーション期間だった1973年秋頃から1975年2月まで、ヨーコさんに追い出されて別居して、その期間はヨーコさんに命令されてジョンの愛人となったメイ・パンと生活していました。その18か月をジョンは「失われた週末」と後に名付けたのですけれど、ジョンのソロでの音楽活動では、実はその期間が最も充実していました。その期間にジョンは4作目のソロ・アルバム「WALLS AND BRIDGES(心の壁、愛の橋)」とカヴァー・アルバム「ROCK'N'ROLL」を制作していて、ミック・ジャガーやニルソンをプロデュースして、リンゴ・スターやジョニー・ウィンターやキース・ムーンに曲を提供して、エルトン・ジョンとの共演や、デヴィッド・ボウイと共作共演をしています。息子のジュリアン・レノンとも4年ぶりに再会して親子共演もしているし、かつての相方であったポール・マッカートニーとも和解していて、ヨーコさんと復縁しなければウイングスのアルバム「VENUS AND MARS」に参加する予定だったと云われています。ヨーコさんと離れた事によって、確かに酒浸りの荒れた生活にはなったものの、音楽活動は旺盛であったのが「失われた週末」の時期でした。1973年10月にロサンゼルスへ向かったジョンは、最初に後にアルバム「ROCK'N'ROLL」となるレコーディングを開始しました。
そのロックンロールのカヴァー・アルバムは、そもそもビートルズ時代にジョンが主導で書いたレノン=マッカートニー作品「COME TOGETHER」が、チャック・ベリー作の「YOU CAN'T CATCH ME」の盗作だと版権を持つモーリス・レヴィから訴えられそうになって、裁判沙汰にするよりもジョンにモーリスが版権を持つ楽曲を3曲カヴァーさせる示談で解決する事となり、だったらロックンロールのカヴァー・アルバムを制作しようとなったのです。これで不思議なのは、確かに「COME TOGETHER」はジョンが書いた楽曲ですけれど、作者は「レノン=マッカートニー」なわけで、何故ポールは蚊帳の外だったのでしょう。兎も角、ジョンはアルバム「ROCK'N'ROLL」を制作する事にして、プロデュースをフィル・スペクターに依頼して、楽曲はカヴァーでアレンジも演奏も丸投げして、ひとりの歌手として挑んだわけです。が、しかし、ロスへ飛んだジョンはヨーコさんと離れた事などで自暴自棄となり、毎日それほど呑めない酒を呑み捲り、レコーディングでもヘベレケでマトモには歌えない状態で、しかも肝心のフィル・スペクターの精神状態もおかしくなっていて、スタジオで銃を発砲したり奇行が目立った挙句の果てに、フィル・スペクターがマスターテープを持った侭で行方不明となり、交通事故を起こして生死の境を彷徨い、ジョンの元にテープが戻ってきたのは1974年6月になってからだったのです。
しかしながら、その時にはジョンはニルソンをプロデュースした1974年8月リリースのアルバム「PUSSY CATS」を1974年4月から5月にかけて制作していて、ニルソンが酒で美声を失ったのを目の当たりにして、断酒を決意し、6月に曲を書いて、7月にかけてリハーサルして、8月にかけてレコーディングして、1974年9月26日(米国)・同年10月4日(英国)にアップルから4作目のソロ・アルバム「WALLS AND BRIDGES」をリリースしたのでした。内容は、A面が、1「GOING DOWN ON LOVE(愛を生きぬこう)」、2「WHATEVER GETS YOU THRU THE NIGHT(真夜中を突っ走れ)」、3「OLD DIRT ROAD(枯れた道)」、4「WHAT YOU GOT」、5「BLESS YOU(果てしなき愛)」、6「SCARED(心のしとねは何処)」で、B面が、1「#9 DREAM(夢の夢)」、2「SURPRISE, SURPRISE(SWEET BIRD OF PARADOX)(予期せぬ驚き)」、3「STEEL AND GLASS(鋼のように、ガラスの如く)」、4「BEEF JERKY」、5「NOBODY LOVES YOU(WHEN YOU'RE DOWN AND OUT)(愛の不毛)」、6「YA YA」の、全12曲入りです。レコーディング・メンバーは、リハーサルから参加している、ジム・ケルトナー(ドラムス)、クラウス・フォアマン(ベース)、ジェシ・エド・デイヴィス(ギター)に加えて、ニッキー・ホプキンス(ピアノ)、ケン・アッシャー(ピアノ、クラビネット、ストリングス・アレンジ)、ボビー・キーズ(サックス)、スティーブ・マダイオ(トランペット)、ハワード・ジョンソン(サックス)、エディ・モトー(アコースティック・ギター)、アーサー・ジェンキンス(パーカッション)、エルトン・ジョン(ハーモニー、キーボード)、ハリー・ニルソン(ハーモニー)と云った面々で、ソレにジョン自身は10人格で曲によって変名を使っています。
A面1曲目に収録されているのが「GOING DOWN ON LOVE(愛を生きぬこう)」で、イントロなしで歌が始まる構成や、救済を求める歌詞の内容などからは、強烈に「ビートルズ」が感じられます。この曲は、ジョンの死後の1981年にシングル「JEALOUS GUY」のB面でシングル・カットされています。アーサー・ジェンキンスによるコンガをフィーチャーしていて、意外なオープニング曲となっています。アルバムの全体を通して、別居中のヨーコさん、もしくは当時の愛人・メイ・パンへ宛てたラヴ・ソングが多く、そう云う意味では前作アルバム「MIND GAMES」と変わらないのですけれど、根本的に何かが違っています。それは、ジョンの死後の1986年にアルバム「MENLOVE AVE.」で公開されたリハーサル音源を聴けば分かるのです。そこでの演奏は、ジェシ・エド・デイヴィスのギターと、クラウス・フォアマンのベースと、ジム・ケルトナーのドラムスの3ピース・バンドで、ジョンがギターもしくはピアノを弾いて歌っていて、その剥き出しの演奏は、まるで1970年の1作目のソロ・アルバム「JOHN LENNON / PLASTIC ONO BAND(ジョンの魂)」です。ジョンはよりコマーシャルにする為に、ホーンを加えたりしていて、その狙い通りにアルバム「WALLS AND BRIDGES」は、全米首位!全英6位と大ヒット作となりました。ジョンの生前に全米首位!となったアルバムは、1971年の「IMAGINE」と、この1974年の「WALLS AND BRIDGES」だけです。その上、「WHATEVER GETS YOU THRU THE NIGHT(真夜中を突っ走れ)」が全米首位!、「#9 DREAM(夢の夢)」が全米9位と、シングルも大ヒットしました。ジョンの生前に全米首位!を獲得したシングルは「WHATEVER GETS YOU THRU THE NIGHT」だけです。アルバム「WALLS AND BRIDGES」は、個人的には、アルバム「JOHN LENNON / PLASTIC ONO BAND(ジョンの魂)」と甲乙つけがたい、ジョンの最高傑作だと思います。
(小島イコ)