
ジョン・レノンとヨーコさんの共作アルバムとして、1972年6月12日(米国)・同年9月15日(英国)にアップルからリリースされたアルバム「SOMETIME IN NEW YORK CITY」のB面1曲目に収録されて、ジョンとヨーコさんの共作でデュエットしているのが「SUNDAY BLOODY SUNDAY(血まみれの日曜日)」です。この楽曲は、1972年1月30日に北アイルランドのデリーのボグサイド地区で抗議行進中に、イギリス兵が非武装の市民27名を銃撃して14名が死亡し13名が負傷した大虐殺事件である「血の日曜日事件」に抗議する為に書かれたプロテスト・ソングで、同じくアルバム「SOMETIME IN NEW YORK CITY」に収録されている「THE LUCK OF THE IRISH」も「北アイルランド紛争」に関する楽曲です。この事件には、ジョンの元・相方であるポール・マッカートニーも素早く反応していて、ポールにしては珍しいプロテスト・ソング「GIVE IRELAND BACK TO THE IRISH(アイルランドに平和を)」を事件の当日に書いて、ウイングスでレコーディングして同年2月25日にシングルとしてアップルからリリースしていて、見事にBBCから放送禁止を食らっています。ジョンは、ポールの気持ちには賛同したものの「歌詞が幼稚」と切り捨てています。
しかしながら、ポールまでもが政治的な楽曲を書いて急遽レコーディングして、元々予定していたシングル「LOVE IS STRANGE / I AM YOUR SINGER」をお蔵入りにしてまで、ウイングス名義では初のシングルとして「GIVE IRELAND BACK TO THE IRISH」をリリースしたのですから、只事ではなかったのです。ちなみに、お蔵入りした「LOVE IS STRANGE / I AM YOUR SINGER」は、2022年12月2日にリリースされたポールのシングル80枚組の木箱「THE 7'' SINGLES BOX」で、50年の時を経て収録されて正式にリリースされています。ジョンやポールの心意気は理解出来るものの、こうした時事性が強い楽曲は普遍性に欠けています。確かに「血の日曜日事件」は歴史的な大虐殺事件であって、それに抗議する気持ちは当時も現在でも変わらないのですけれど、ビートルズの中核であった「レノン=マッカートニー」が揃ってこうした曲を書いて発表すると云うのは、やはり1972年と云う時代の成せるわざだったと思うのです。ジョンとヨーコさんは相変わらず「水と油」で、デュエットとして成り立っていませんし、ポールは無理しているのが見え見えです。現在では、ジョンに影響された「U2」が1983年にリリースした同名異曲「SUNDAY BLOODY SUNDAY」の方が有名でしょう。
レコーディング・メンバーは、アルバム「SOMETIME IN NEW YORK CITY」に収録されている多くの曲と同じで、ジョンとヨーコさんに加えて、エレファンツ・メモリーとドラマーのジム・ケルトナーがバックを務めているわけですが、B級バンドであるエレファンツ・メモリーが下手なのです。スタジオ盤は、フィル・スペクターの手腕で何とかなっていても、ライヴとなると酷くて、ジョンがビートルズ解散後のソロで唯一のフル・ライヴだった「ワン・トゥ・ワン・コンサート」をレコーディングしていたにも関わらずリリースしなかった理由は、演奏が酷いからでしょう。死後の1986年にリリースされましたけれど、ジョンがお蔵入りにしたのも頷ける内容です。生前のジョンのアルバムの中でも、前衛3部作を除けば最も評価が低いアルバム「SOMETIME IN NEW YORK CITY」からは、ベスト盤に選曲される曲が極端に少なくて、この「SUNDAY BLOODY SUNDAY」は、全72曲入りの2010年の小箱「GIMME SOME TRUTH」には収録されていますが、アウトテイク集である1998年の箱「JOHN LENNON ANTHOLOGY」や、全曲集に近い全73曲入りの1990年の箱「LENNON」には入っていません。志は良いけれど、楽曲としては弱く、アルバム「SOMETIME IN NEW YORK CITY」か小箱「GIMME SOME TRUTH」でしか聴けません。それでも聴きたい方は、くれぐれもアルバム「SOMETIME IN NEW YORK CITY」の2005年リミックス盤は買わない様に気を付けて下さい。
(小島イコ)