
1970年4月10日に、ポール・マッカートニーは「ビートルズからの脱退」を宣言しました。それで、同年4月17日には初のソロ・アルバム「McCARTNEY」をアップルからリリースしたわけですけれど、当然の事ですがレコーディングはまだビートルズが存在していた時で、愛妻・リンダが僅かにヴォーカルで参加しているものの、ほとんどの楽器と歌をポールが一人で宅録したものでした。それで、ビートルズ解散後にポールが最初にレコーディングしてリリースしたのは、ポール&リンダ・マッカートニー名義で、1971年5月17日(米国)・同年5月21日(英国)にアップルからリリースしたアルバム「RAM」と云う事になります。現在ではポールの最高傑作と云う評価まであるアルバム「RAM」ですけれど、リリース当時の評価はそれ以上ない程に酷くて、「ローリング・ストーン」誌では「変質した60年代ロックが生んだ、これまでで最低のアルバム」とまで書かれてしまったばかりか、リンゴ・スターにまで「ポールは、自分の才能をスポイルしている」などと貶されたのです。しかしながら、ポールにとってはそんな事よりもジョン・レノンの反応が気になっていたでしょう。すると、ジョンはアルバム「RAM」を聴いて怒り狂ったのでした。それは、アルバム「RAM」の収録曲が自分を攻撃していると感じたからでした。
ジョンは「他の奴が聴いても分からないかもしれないけれど、俺には分かる」と云って、具体的には「TOO MANY PEOPLE」や「3 LEGS」や「DEAR BOY」や「SMILE AWAY」や「LONG HAIRD LADY」と云った楽曲が気に食わなかったのです。ポールも「TOO MANY PEOPLE」に関しては、ジョンへ向けて書いたと認めています。怒ったジョンは、1971年9月9日(米国)・同年10月8日(英国)にリリースした2作目のソロ・アルバム「IMAGINE」のB面3曲目に収録した「HOW DO YOU SLEEP?」と云う、史上最低最悪の悪口ソングを書いて対抗したのです。レコーディング・メンバーは、ジョン・レノン(ヴォーカル、エレクトリック・ギター)、ジョージ・ハリスン(スライド・ギター)、ニッキー・ホプキンス(エレクトリック・ピアノ)、ジョン・タウト(ピアノ)、テッド・ターナー(アコースティック・ギター)、ロッド・リントン(アコースティック・ギター)、アンディ・デイヴィス(アコースティック・ギター)、クラウス・フォアマン(ベース)、アラン・ホワイト(ドラムス)、ザ・フラックス・フィドラーズ(ストリングス)で、楽曲的にはファンク調で、フィル・スペクターの「音の壁」も存分に味わえるものとなっています。しかし、内容はジョージが「コレ、本当にレコーディングする気なの?」と怖気付く程に酷い歌詞なのです。
イントロではビートルズのアルバム「SGT. PEPPER’S LONELY HEARTS CLUB BAND」を思わせるストリングスの調弦があって、詞の全体でポールをこれでもか、とばかりに貶し捲っています。そもそも「HOW DO YOU SLEEP?」と云うのはですね、ポールの目が大きいので、他のビートルズのメンバーから「そんなに目が大きくて眠れるの?」と云われていたジョークだったのです。そのフレーズをサビにして、「お前が出来たのはYESTERDAYだけ、今のお前はANOTHER DAY」とか「あいつらがお前が死んだと云っていたのは、本当だった」とか「お前が作るのは、俺の耳にはムーザックだ」とか、滅茶苦茶に云っています。余りにも酷い内容で、リンゴがスタジオに来て聴いて「もういいよ、やめようよ、ジョン」と忠告したそうです。歌詞の内容に関しては、ヨーコさんとアラン・クレインが悪ノリして手伝ったらしく、ポールは気にしていないと云っているものの、アルバム「IMAGINE」にはポール&リンダのアルバム「RAM」のジャケットをからかった「ブタとジョン」のポートレートまで付けているんですから、悪意丸出しなのです。ジョンは後年になって、ポールへの個人攻撃ではないなどと言い訳をしていますけれど、どう聴いてもポールの全人格まで否定した酷い歌なんですよ。
この曲が収録されているのですから、どんなに「IMAGINE」などと「愛と平和」を唱えても、説得力はありません。そもそも、ジョンはこうした底意地の悪さを持っている人だったわけで、どこが「愛と平和のジョン・レノン」なんだと云う話です。ポールは、1971年にウイングスを結成して、同年12月には早くもアルバム「WINGS WILD LIFE」をリリースしています。そのB面に収録された「TOMORROW」と「DEAR FRIEND」で、ジョンの「HOW DO YOU SLEEP?」へ返答しています。「TOMORROW」は「YESTERDAY」のコード進行を使った楽曲で、最後に「DON'T LET ME DOWN」と絶唱するので、明らかにジョンへ向けています。そして「DEAR FRIEND」で大人の対応をして「SONG WAR」の決着を図ったと云われています。しかしながら、その「DEAR FRIEND」が書かれたのは1970年なのです。つまり、ポールは初めから落としどころを用意して、「TOO MANY PEOPLE」などでジョンを攻撃したと云うわけですなあ。「HOW DO YOU SLEEP?」は他の楽曲と同じで、PVは1971年の「IMAGINE / THE FILM」に、デモやアウトテイクは1998年の「JOHN LENNON ANTHOLOGY」や、2018年のアルバム「IMAGINE」の箱などに収録されています。珍しいところでは、2006年のサントラ盤「THE U.S. VS JOHN LENNON」にインストゥルメンタル・ヴァージョンが収録されています。
(小島イコ)