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2025年01月01日

「執事 西園寺の名推理」第一話(再)で内山理名ちゃん

LOOK HEAR?


日本映画専門チャンネル 12:00〜15:25(第一話〜第四話連続放送)

第一話「名門ホテル殺人事件 容疑者数は3000人超!? 透明人間の“足跡”」

内山理名 AS 奥村香澄(第一話ゲスト)

皆さん、明けましておめでとうございます。「執事 西園寺の名推理」第一話の、今年初めての再放送です。この後にも続いて、全八話一挙放送となっております。理名ちゃんが演じた香澄さんは、ホテルのマネジャーで、恋人のパティシエが殺人事件の容疑者になりますが、執事西園寺が名推理で解決します。

本放送:2018年4月13日(テレビ東京)

(姫川未亜/小島イコ)

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「相棒 season 14 #10スペシャル 英雄〜罪深き者たち」(再)で内山理名ちゃん

相棒season14 ブルーレイBOX(6枚組) [Blu-ray]


ABC朝日放送 23:15〜0:15、0:25〜2:05

内山理名 AS 本多(早瀬)茉莉(木本百合)

「相棒」で理名ちゃんが演じた「茉莉3部作」の最終話の今年初めての再放送ですが、新春早々「デスノート the Last name」とバッティングしています。茉莉さんが登場する回は3作ともに本放送はスペシャル版だったので尺が長く、関西ローカルですが地上波での再放送は貴重です。此の3作目は前2作である「カナリアの娘」(2009年)と「亡霊」(2011年)から結構な時間が経ってから制作されておりましてですね、茉莉さんは冒頭で病死して父親も最後には殺されてしまい完結となりました。二人共死んでしまう「相棒」らしい残酷な顛末を描かれる位ならば、父娘が和解して名前を変えて仲良く暮らしている結末の方が良かったです。

本放送:2016年1月1日(テレビ朝日)

(姫川未亜)

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「ポールの道」#602「LENNON SONGS」#027 「IT'S SO HARD」

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ジョン・レノンが、1971年9月9日(米国)・同年10月8日(英国)にアップルからリリースした2作目のソロ・アルバム「IMAGINE」の、A面4曲目に収録されているのが、「IT'S SO HARD」です。このブルース調の楽曲は、同年10月11日に米国でシングル・カットされた「IMAGINE」のB面にも収録されていて、日本でも同年11月10日に同じカップリングのシングルがリリースされています。「IT'S SO HARD」のベーシック・トラックは、1971年2月11日に、ジョンの自宅にあるアスコット・サウンド・スタジオで初めてレコーディングされていて、同年7月4日にニューヨークのレコード・プラント・イーストでストリングスが、翌7月5日にサックスが、それぞれオーバーダビングされて完成しています。レコーディング・メンバーは、ジョン・レノン(ヴォーカル、エレクトリック・ギター、ピアノ)、クラウス・フォアマン(ベース)、ジム・ゴードン(ドラムス、タンバリン)、キング・カーティス(テナーサックス)、ザ・フラックス・フィドラーズ(ストリングス)で、ベーシック・トラックは前作アルバム「JOHN LENNON / PLASTIC ONO BAND(ジョンの魂)」と同じ3ピースですが、ジョンがギターとピアノを弾いているし、前述の通りに、ストリングスやサックスをオーバーダビングしている「フィル・スペクター流」です。

キング・カーティスは、この曲と次に収録されている「I DON'T WANT TO BE A SOLDIER」でサックスを披露していますが、元々はジョンが愛聴していた1958年のコースターズのヒット曲「YAKETY YAK」などでサックスを吹いていて、1971年当時はビリー・プレストンとバンドを組んでいました。おそらく、そのラインでの参加だったのでしょう。元・ビートルズのリーダーとの共演は、キング・カーティスにとっても喜ばしく光栄な事だったのでしょう。ところが、ジョンのレコーディングに参加した約一か月後の1971年8月13日に、ニューヨークの自宅前でドラッグ中毒のホームレスに刺殺されてしまったのでした。つまり、キング・カーティスは、自分がプレイしたジョンのレコードが発売される前に殺されてしまったのです。そして、約10年後には、ジョンがニューヨークの自宅前で殺されるのです。「IT'S SO HARD」には性的な描写も含んでいて、歌詞には、同じく性的な描写があった、ジョン主導で書いたレノン=マッカートニー作品である1968年リリースのアルバム「THE BEATLES(ホワイト・アルバム)」に収録された、ビートルズの「HAPPINESS IS A WARM GUN」と同じフレーズも出てきます。シングル「IMAGINE」のB面にもなっているので、ジョンのお気に入りの曲だったのでしょう。

シングルのB面になったのは、A面の「IMAGINE」では夢想家で理想を歌ってはいるものの、実際には「IT'S SO HARD」なのだよ、と云う意味も含んでいるのでしょう。ジョンの数少ないソロでのライヴでも、この楽曲は演奏されています。まずは、1972年1月13日放送の「デビット・フロスト・ショー」で披露して、1972年2月14日に放送された「マイク・ダグラス・ショー」でエレファンツ・メモリーをバックに披露していて、その番組では、やはり「IMAGINE」も披露しているので、表裏一体だったのでしょう。そして、ジョンにとってはソロになって唯一のフル・ライヴとなってしまった1972年8月30日の「ワン・トゥ・ワン・コンサート」でも、昼夜2回共に、やはりエレファンツ・メモリーとドラマーのジム・ケルトナーをバックに「IT'S SO HARD」を演奏しています。「マイク・ダグラス・ショー」は、DVDにもなったし、先日NHK BSでも抜粋したドキュメンタリーが放送されたので観る事が出来ます。「ワン・トゥ・ワン・コンサート」も、1986年にライヴ盤「LIVE IN NEW YORK CITY」が出ているので、音源も聴けますし、映像も観る事が出来ます。勿論、「IMAGINE / THE FILM」には、PVも収録されています。「IT'S SO HARD」のライヴ音源やデモ音源やアウトテイクは、1998年の「JOHN LENNON ANTHOLOGY」や、2018年の「IMAGINE」の箱などで聴く事が出来ます。

(小島イコ)

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2025年01月02日

「デスノート the Last name」

DEATH NOTE デスノート the Last name (スペシャルプライス版) [Blu-ray]


WOWOWシネマ 1:20〜3:50

2006年公開作品

片瀬那奈 AS 高田清美

(公開:2006年11月3日、撮影:2006年6月2日〜7月31日)

「デスノート the Last name」の、今年初めての放送ですが、新春早々「相棒」と「那奈理名バッティング」しています。那奈ちゃんの映画での代表作と云ったならばコレでしょうけれど、昨年(2024年)だけでも、なな、なんと12回も放送されています。第1作から続けて放送されますが、完結編であるこちらは原作マンガとは大きく違った展開となり、那奈ちゃんが演じた高田清美も「第3のキラ」として原作マンガとは名前が同じなだけで全く違った役どころとなっています。原作マンガの複数のキャラクターから摘まんでいるものの、映画オリジナルのキャラクターと云える改変で、非常に印象的な役どころです。この映画で金子修介監督が那奈ちゃんを気に入って、後に主演映画「こいのわ 婚活クルージング」を監督する事となりました。昨日から本日にかけて、実写版「デスノート」のスピンオフ作品も含めた4作全てが、オールナイトで連続放送されます。


(小島イコ/姫川未亜)

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「ポールの道」#603「LENNON SONGS」#028 「I DON'T WANT TO BE A SOLDIER」

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ジョン・レノンが、1971年9月9日(米国)・同年10月8日(英国)にアップルからリリースした2作目のソロ・アルバム「IMAGINE」の、A面最後の5曲目に収録されているのが、「I DON'T WANT TO BE A SOLDIER(兵士にはなりたくない)」です。この楽曲は、「I DON'T WANNA BE A SOLDIER」や「I DON'T WANNA BE A SOLDIER, MAMA」や「I DON'T WANT TO BE A SOLDIER, MAMA, I DON'T WANNA DIE」や「I DON'T WANNA BE A SOLDIER MAMA I DON'T WANNA DIE」などとクレジットされている場合があります。曲としては、1970年12月11日にリリースされたジョンの初のソロ・アルバム「JOHN LENNON / PLASTIC ONO BAND(ジョンの魂)」のセッションで既に演奏されていて、ジョン・レノン(ヴォーカル、エレクトリック・ギター)、リンゴ・スター(ドラムス)、クラウス・フォアマン(ベース)による3ピースでの音源が、2021年の「JOHN LENNON / PLASTIC ONO BAND(ジョンの魂)」の箱で聴く事が出来ます。結局、収録は見送られていて、1971年2月11日から16日までと、同年5月24日に、ジョンの自宅にあるアスコット・サウンド・スタジオで再レコーディングされて、同年7月4日にニューヨークのレコード・プラント・イーストでサックスをオーバーダビングして完成させています。

レコーディング・メンバーは、ジョン・レノン(ヴォーカル、エレクトリック・ギター)、ジョージ・ハリスン(スライド・ギター)、ジョーイ・モーランド(アコースティック・ギター)、トム・エヴァンス(アコースティック・ギター)、クラウス・フォアマン(ベース)、ニッキー・ホプキンス(ピアノ)、ジム・ケルトナー(ドラムス)、マイク・ピンダー(タンバリン)、キング・カーティス(サックス)です。アルバム「IMAGINE」の中でも、フィル・スペクターによる関与が最も強い楽曲で、混沌とした「音の壁」が6分以上もつづきます。ジョージがお得意のスライド・ギターを弾いていて、バッドフィンガーのジョーイとトムがアコースティック・ギターを重ねていて、クラウス・フォアマンやニッキー・ホプキンスやジム・ケルトナーと云ったビートルズ周辺のミュージシャンも総出で参加していますけれど、前曲である「IT'S SO HARD」につづいて、キング・カーティスがサックスを吹いていて、オーバーダビングしたのですけれど、強力なブロウを聴かせます。レコードではこの曲がA面の最後に収録されていたわけで、それは重要な曲だったからでしょう。CDになって変わったのは、A面とB面がなくなった事が大きくて、それぞれの面でひとつのストーリーを展開出来たのが、レコードならではの事でした。

そんなジョンの思惑とは違っていて、単純明快な歌詞と、混沌とした長尺な曲は、単なるジャム・セッションに過ぎないとも云われていて、アルバム「IMAGINE」の楽曲の中では、あまり人気がないのです。その証拠に、1990年に没後10年でリリースされた全73曲入りの箱「LENNON」では、アルバム「IMAGINE」全10曲中、唯一外された楽曲です。CD4枚組の「LENNON」には、アルバム「JOHN LENNON / PLASTIC ONO BAND(ジョンの魂)」は丸ごと全11曲が収録されているし、遺作となってしまったアルバム「DOUBLE FANTASY」と遺稿集「MILK AND HONEY」からはジョンが書いて歌っている全曲が収録されています。当時は評価が低かったアルバム「MIND GAMES」からは全12曲(実質11曲)中5曲と極端に少ないのですけれど、アルバム「WALLS AND BRIDGES」からは全12曲中9曲が収録されていて、外された曲は「WHAT YOU GOT」と、インストゥルメンタル曲「BEEF JERKY」と、ジョンとジュリアンの親子共演のお遊び曲「YA YA」なので、「WHAT YOU GOT」が外されたのは納得いかないものの、概ね全曲集に近い選曲でした。「I DON'T WANNA BE A SOLDIER MAMA I DON'T WANNA DIE」と「WHAT YOU GOT」は、2010年の全72曲入りのCD4枚組の小箱「GIMME SOME TRUTH」には収録されています。「I DON'T WANT TO BE A SOLDIER」のPVは、1971年の「IMAGINE / THE FILM」で観れますし、デモ音源やアウトテイクは、1998年の「JOHN LENNON ANTHOLOGY」や、2018年の「IMAGINE」の箱で聴けます。

(小島イコ)

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2025年01月03日

「ポールの道」#604「LENNON SONGS」#029 「GIVE ME SOME TRUTH」

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ビートルズが1969年1月に行った「THE GET BACK SESSIONS」は、1970年にマイケル・リンゼイ=ホック監督が映画「LET IT BE」として1時間半弱に編集して完成させていますが、ピーター・ジャクソン監督で2021年に配信されて2022年にBD化されたドキュメンタリー「GET BACK」では、8時間近い映像で大幅に拡大されてパワーアップされました。だからと云って元々の映画「LET IT BE」には価値がなくなったかと云うと、描かれ方が全く違っているので、両方共に必見です。ドキュメンタリー「GET BACK」を配信したディズニー・プラスは、昨年(2024年)になって、今度は映画「LET IT BE」を配信したのですから、全く阿漕な商売をやっておりますなあ。その内に映画「LET IT BE」もBD化して、何度でも商売する気マンマンなのでしょう。さて、そのドキュメンタリー「GET BACK」で、最も感激した場面は、ジョン・レノンとポール・マッカートニーが二人で「GIVE ME SOME TRUTH」を歌っているところでした。ジョンが1971年9月9日(米国)・同年10月8日(英国)にアップルからリリースした、2作目のソロ・アルバム「IMAGINE」のB面1曲目に収録されている「GIVE ME SOME TRUTH」は、実はビートルズ時代に書かれた曲で、それをポールの方から「アレをやろう」と云って演奏して、二人で歌っているのですから、もう堪りませんなあ。

結局、ビートルズでは正式にレコーディングされなかった「GIVE ME SOME TRUTH」は、近年では「GIMME SOME TRUTH」と表記される様になり、ベスト盤のタイトルに2回も名付けられていますし、アルバム「IMAGINE」のドキュメンタリー作品のタイトルにもなっています。1971年5月に、ジョンの自宅にあるアスコット・サウンド・スタジオでレコーディングされた「GIVE ME SOME TRUTH」のレコーディング・メンバーは、ジョン・レノン(ヴォーカル、エレクトリック・ギター)、ジョージ・ハリスン(エレクトリック・ギター、スライド・ギター)、ニッキー・ホプキンス(ピアノ)、ロッド・リントン(アコースティック・ギター)、アンディ・デイヴィス(アコースティック・ギター)、クラウス・フォアマン(ベース)、アラン・ホワイト(ドラムス)です。アルバム「IMAGINE」では、B面1曲目に収録されている重要曲です。1968年にインドで書き始めたと云う曲で、前述の通り1969年1月にビートルズの「THE GET BACK SESSIONS」でも演奏しています。そして、ジョージのリード・ギターが滅茶苦茶にカッコイイのです。もしもビートルズでレコーディングしていたのならば、ポールに文句を云われて、ジョージはこれほどにも自由にリード・ギターを弾かせてはもらえなかったでしょう。

ジョンは初のソロ・アルバム「JOHN LENNON / PLASTIC ONO BAND(ジョンの魂)」では、プライマル・スクリームの影響で新たに曲を書いていたので、ビートルズ時代の曲は「LOOK AT ME」位しか収録していません。その分、アルバム「IMAGINE」では、「JEALOUS GUY」や「GIVE ME SOME TRUTH」や「OH MY LOVE」と云った、明らかにビートルズ時代に書き始めていた曲を正式にレコーディングしています。最後に収録されている「OH YOKO!」も、書き始めたのは1969年ですから、ビートルズ時代に既にあった曲なのです。レコーディングも、剥き出しの状態だったアルバム「JOHN LENNON / PLASTIC ONO BAND(ジョンの魂)」とは違っていて、フィル・スペクターとガッツリと組んでいて、明らかにヒットを狙っています。特にB面の流れは、楽曲の多くがビートルズ時代に既に書いていた事もあって、ポールをこき下ろした「HOW DO YOU SLEEP?」も含めて、とっても「ビートルズ風」に作っています。そりゃあ、売れますわなあ。「GIVE ME SOME TRUTH」は、ジョンの死後の1982年11月にはシングル「LOVE」のB面になってシングル・カットまでされていますし、前述の通りベスト盤などのタイトルにもなっています。PVは「IMAGINE / THE FILM」に、デモやアウトテイクはアルバム「IMAGINE」の箱などに収録されていて、ジョンの代表曲のひとつとなりました。

(小島イコ)

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2025年01月04日

「映画 闇金ウシジマくん」

映画 闇金ウシジマくん [Blu-ray]


WOWOWシネマ 0:45〜3:00

2012年公開作品

(2012年8月25日公開、撮影:2011年7月15日〜8月20日)

片瀬那奈 AS 大久保千秋

「映画 闇金ウシジマくん」映画版第1作の、今年初めての放送です。ドラマ版のシーズン1の続編で、ドラマ終了から1年半以上経ってから公開されましたが、撮影は公開の1年前ですので、ドラマ終了後半年位で映画化されています。但し、ドラマの撮影は放送される半年前には終了していたので、映画の撮影はドラマの撮影から1年半弱経っていた事になります。那奈ちゃんが演じた大久保千秋も再登場していますが、そもそもドラマ版オリジナル・キャラクターだった大久保千秋を映画にも登場させたので、益々一貫性がない登場人物となっております。ドラマ版は那奈ちゃんの代表作のひとつだと思いますけれど、映画版は「ファン・サービス」の様なもんでしょう。原作マンガの様々な話から引っ張って、それぞれの登場人物を紐づけてしまったので、些か詰め込み過ぎな印象です。映画版第1作の主要キャストである林遣都くんと大島優子ちゃんは、後に朝ドラで再共演して、結婚しました。本日は、映画版4作がオールナイトで連続放送されます。
(小島イコ/姫川未亜)

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「劇場版TRICK 霊能力者バトルロイヤル」

劇場版TRICK 霊能力者バトルロイヤル 超完全版 (2枚組) [DVD]


WOWOWプラス 21:00〜23:15

2010年公開作品

片瀬那奈 AS 杉尾園子

(公開:2010年5月8日、撮影:2009年11月頃、栃木県佐野市にてロケ)

「劇場版TRICK 霊能力者バトルロイヤル」の今年初めての放送で、昨年(2024年)は7回も放送されています。今回も、劇場版4作が連続放送されます。那奈ちゃんが演じたのは、インチキ霊能力者の杉尾園子で、ほとんど出オチです。この映画は、シリアスなんだかコメディーなんだかよく分からないのですが、堤監督のノリについてゆけないと、全く面白くありません。那奈ちゃんが出ているから映画館に行きましたけれど、個人的には、つまらないです。映画「20世紀少年」のエキストラに参加したのですけれど、堤監督は撮影現場に居なくて、別室で撮影中から編集作業をしていました。撮影現場に監督が居ないなんて初めてだったので、ビックリしました。出演者への指示は現場に居る助監督を介して行っていて、オッチョが「何云っているのか分からない」とキレかかっていましたよ。


(小島イコ/姫川未亜)

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「新春女子プロレス放談」



今年(2025年)の元日から2日にかけては、昨年(2024年)までには「TOKYO MX」で12時間ぶっ通しで放送されていた「あけましてスターダム」が放送されませんでした。代わりにYouTubeでスターダムのユニットごとの番組「スターダム大感謝祭 '25」が大晦日から元日にかけて6時間近く配信されたのですけれど、バラエティー要素が強いプログラムなので、試合が観たい立場からすると物足りなかったのです。それで、試合の方はと云うと、CSの「スポーツライヴ・プラス」で「サムライTV」で放送された大会から年末に3大会、1月2日に3大会と、合計18時間放送されました。年末には昨年(2024年)の7月28日と、9月14日と、10月5日の3大会で、7月の大会では舞華が赤いベストを刀羅ナツコに上谷沙弥のヒールターンで強奪された試合がメインエベントで、9月の大会では「5★STAR」で全勝優勝した舞華が全敗なのにナツコに勝って王者になった中野たむに挑んで負けた試合がメインエベントで、10月の大会では鈴季すずが中野たむに挑戦して負けた試合がメインエベントで、舞華はメインエベントどころか随分と前の12人タッグ戦で、ナツコやダンプ松本たちに負けて、舞華を推している身としては、困ったちゃんな大会ばかりが放送されたのです。

年明けに放送されたのは、2月4日と、3月20日と、6月22日の3大会で、そちらは舞華が赤いベルトを防衛していた時期でして、2月には上谷沙弥、3月には林下詩美、6月にはジーナに、それぞれ舞華が勝った試合ばかりだったので、幾ら「プロレスは勝ち負けだけじゃない」とは云え、推しが負けた試合よりは勝った試合の方が気分が良いわけですよ。舞華は一昨年(2023年)12月に鈴季すずとの決定戦で勝って赤いベルトの王者となって、その3試合以外にも、メーガン・ベーン、渡辺桃、稲葉ともか、と半年で6回も防衛していたわけで、その後にナツコに卑怯な手口で負けたものの、「5★STAR」では前人未到の全勝優勝を成し遂げていて、昨年(2024年)はMVP並みの活躍だったのですけれどねえ。それで、2月と3月の大会では、まだ「マリーゴールド」が出来る前の大会だったので、ジュリアや林下詩美と云った移籍組が居て、2月の大会ではロッシー小川も居て、舞華の呼びかけでヒールの大江戸隊の選手も含めた全選手とロッシー小川がリング上に集まっていたのです。ロッシー小川は、その日に解雇されているわけで、1年も経っていないのに随分と違う光景が観れました。舞華は年齢非公表ですけれど、林下詩美をライバル視していたのでお察しの通りですし、力持ちの何々さんと云う前職も、なるほどね、と頷けます。

その2月の大会で赤いベルトに挑戦した上谷沙弥なんですけれど、現在のヒールターンした姿と、記者会見での煽りとかファイト・スタイルが、ほとんど変わっていないのでした。変わったのは、コスチュームとお化粧だけです。ヒールになって年末には赤いベルトも取ったのですから、もうちょっと考えて欲しいもんですなあ。実は、CSでは元日に「ウナギ・サヤカ自主興行」が昨年(2024年)1月7日と9月2日の2大会が放送されていて、今年の「プロレス初め」はウナギ・サヤカになってしまいました。ウナギ・サヤカは試合は「しょっぱい」けれど、プロデュース能力や人望は人一倍あるので、よくぞ集めたと思える選手が多く参戦していて楽しい大会だったし、9月の大会にはスターダム専属になった安納サオリまで出ていました。しかし、内容は「健康サンダル・デスマッチ」と云う形式で、アレで安納サオリのプロレスを観たくて行ったのならば、なんじゃこりゃ、と云うしかないですなあ。そんな昨年(2024年)の試合をたっぷりと観てからの、1月3日のスターダムとマリーゴールドの興行合戦となったのでした。スターダムでは、ウナギ・サヤカが中野たむとシングルでやって負けて、ウナギ・サヤカがスターダム永久追放となったのですが、もしもたむが負けたなら廃業する条件だったので、たむが負けるわけがなかったのです。まあ、たむを両国国技館での自主興行に引っ張る気なのでしょう。

それより、メインエベントでタッグマッチながら鈴季すずが上谷沙弥に勝ったので、そっちの方がスターダム的には重要でしょう。これで鈴季すずが赤いベルトに挑戦する流れになりそうなのですけれど、前述の通り中野たむに挑んでから日が浅いのが気になります。マリーゴールドでは、遂に外敵で昨年(2024年)の女子プロレス大賞を受賞した「Sareee」を破って、林下詩美が赤いベルトを巻きました。白いベルトも桜井麻衣が勝って巻いたし、ビクトリア弓月もベルトを巻いたので、いよいよ元・スターダム勢がマリーゴールドのトップに立ったわけです。Sareeeは兎も角、元・アクトレス・ガールズの選手はまだまだこれからなので、頑張って練習して欲しいです。問題はこれからで、果たして詩美と桜井が2トップでお客さんを呼べるのか、と云う事です。マリーゴールドの顔は、ジュリアとSareeeだったわけで、二人共いなくなってからが勝負でしょう。とは云え、マリーゴールドは昨年(2024年)5月に旗揚げしたばかりの団体なのです。新人を異様に推したりしていて、デビュー日に写真集を売り出すなど、相変わらずロッシー小川流の采配です。ファンには、過去の経営者としての失敗や、前に出過ぎる姿勢で敬遠されてはいるものの、何故か選手には好かれている、魔訶不思議なお爺さんですなあ。

(小島イコ)

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「ポールの道」#605「LENNON SONGS」#030 「OH MY LOVE」

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ジョン・レノンが、1971年9月9日(米国)・同年10月8日(英国)にアップルからリリースした2作目のソロ・アルバム「IMAGINE」の、B面2曲目に収録されているのは「OH MY LOVE」です。オリジナルのリリース当時には、全10曲中で、この「OH MY LOVE」だけがジョンとヨーコさんの共作になっていました。2017年になって、タイトル曲である「IMAGINE」もジョンとヨーコさんの共作になったのですけれど、一体どう云う事なのでしょうか。確かに「IMAGINE」は、ヨーコさんの詩集「グレープフルーツ」から引用した部分もあって、生前のジョンは「自分に意気地がなかったから、ヨーコとの共作とは云えなかった、後悔している」などと云っていたものの、だったら何故に「OH MY LOVE」は、堂々と共作として発表したのでしょうか。この楽曲も、1968年には出来ていた楽曲で、つまりはジョンとヨーコさんが「不倫カップル」だった頃に書かれた楽曲です。それが「OH MY LOVE」なんですから、困ったちゃんなのです。前作アルバム「JOHN LENNON / PLASTIC ONO BAND(ジョンの魂)」に収録された名曲「LOVE」の二番煎じみたいな、繊細で美しい曲ではありますけれど、正に不倫ど真ん中に二人で書いたのですから、「IMAGINE」を共作にするよりも、ずっと開き直っています。

レコーディングは1971年5月28日に、ジョンの自宅にあるアスコット・サウンド・スタジオで行われていて、レコーディング・メンバーは、ジョン・レノン(ヴォーカル、ピアノ)、ジョージ・ハリスン(エレクトリック・ギター)、ニッキー・ホプキンス(ピアノ)、クラウス・フォアマン(ベース)、アラン・ホワイト(シンバル)です。前曲である「GIVE ME SOME TRUTH」と同じで、ジョージがギターを弾いているし曲自体もビートルズ時代のものなので、アルバム「IMAGINE」のB面は、とっても「ビートリー」に進行してゆきます。その中間に、ポール・マッカートニーをケチョンケチョンに貶した「HOW DO YOU SLEEP?」がサンドウィッチされていて、やはりジョージがスライド・ギターを弾いているわけで、その後の「HOW?」は明らかにポールが主導で書いたレノン=マッカートニー作のビートルズ・ナンバーである「THE LONG AND WINDING ROAD」を意識した展開の曲ですし、最後の「OH YOKO!」も1969年には出来ていた曲なのです。A面の「JEALOUS GUY」も含めて、アルバム「IMAGINE」にはビートルズ時代のストックが多く収録されていて、前にも書きましたけれど「ビートルズを信じない」と云い切った「GOD」から後退しています。

勿論、ジョンこそがビートルズを結成して、ビートルズのリーダーであり続けた張本人であって、どんなに「脱・ビートルズ」や「脱・ポール・マッカートニー」を掲げても、元々一人で曲を書いていたジョージの様には上手くゆくわけがないのです。どんなにどちらか片方が書いていたとしても「レノン=マッカートニー」は史上最高のソングライター・チームだったわけで、この「OH MY LOVE」の様に「レノン=オノ」にしても、ジョンが「ビートルズ」や「レノン=マッカートニー」から完全に離れる事は出来ないのです。それは、ポールにも云える事でした。ジョンが甘口にしたと云うアルバム「IMAGINE」が売れたのは、やはりファンが、ジョンにビートルズをやって欲しかったからに他なりません。美しい曲なので「OH MY LOVE」にはカヴァー・ヴァージョンも多く、ワッカーズによるビートルズ風なカヴァーはブートレグではジョンのアウトテイクとして収録されていました。珍品では日本の「元祖・笑わないアイドル」である「Wink」が、日本語でカヴァーしています。また、ジョンのファンだった坂井泉水さんは、ZARDで同名異曲を発表していますし、「MIND GAMES」と云う同名異曲もあります。「OH MY LOVE」のPVは1971年の「IMAGINE / THE FILM」などで観れますし、デモやアウトテイクは、1998年の「JOHN LENNON ANTHOLOGY」や、2018年のアルバム「IMAGINE」の箱などで聴けます。

(小島イコ)

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2025年01月05日

「43分44秒のIWGP世界ヘビー級選手権と、8分46秒のIWGP女子選手権」



今年(2025年)も、新日本プロレスが「1・4東京ドーム大会」と「1・5東京ドーム大会」を行いました。「1・4」はCSでの生中継があったので、テレビ桟敷で観戦したのですけれど、メインエベントではIWGP世界ヘビー級選手権の「王者・ザック・セイバーJr. X 挑戦者・海野翔太」の試合が行われて「43分44秒」でザックが勝ちました。40分を超える激闘だったのか、と云うと、それは違っていて、ズバリ云って「しょっぱい試合」でした。試合と云うよりも、ザックが海野を公開スパーリングしている様な、ダラダラとつづくよどこまでもな展開で、負けてヘトヘトになっている海野を見下ろして、ザックはピンピンしているんですから、力の差がありすぎて、予想された通りに「海野にはドームのメインは早い」を証明しただけの試合でした。解説のミラノさんは「海野は、何をやりたいんでしょうね」とか呆れているし、ロープ・ブレイクで反則カウントを数えているレフェリーを突き飛ばしたら、ゲスト解説の蝶野さんが「オヤジをどついた」とか喜んでいる始末でした。説明するとですね、メインを裁いたレフェリーのレッドシューズ海野さんは、海野翔太の実の父親なのです。新春早々に親子喧嘩みたいな事を見せられて、困ったちゃんなのでした。

かつての「猪木 X ロビンソン」とか「猪木 X 藤波」とか60分フルタイムだった名勝負は、1時間たっぷりと見せ場があってですね、全く退屈しなかったし、何度も鑑賞に耐えうるからこそ「名勝負」なのですよ。いえね、別に昔は良かった、と云いたいわけではなくてですね、試合は長ければ良いと云うわけじゃないって事なのです。「1・4」の第2試合では、IWGP女子選手権の「王者・岩谷麻優 X 挑戦者・AZM」の試合が行われていてですね、そちらは前座みたいなもんですから「8分46秒」で岩谷が勝って防衛したのです。スターダムでやったのなら20分位はかけた試合でしょうけれど、それがたったの9分足らずなのに、メインエベントよりもずっと良い試合だったのですから、本当に困ったちゃんなのです。日本人は国技と云われる大相撲が好きですけれど、あれって仕切りの時間は長いけれど、実際の勝負時間だと秒殺なんですよ。1分でも長いし、4分超えしたら水入りです。最近のプロレスはメインエベントを長くやれば良いとでも思っているのか、IWGP世界ヘビー級選手権だと30分超えは当然で、今回は海野を売り出す為に更に長くして40分超えにしたのでしょうけれど、アレじゃあ逆効果です。長引けば長引くほどに、ザックの強さばかりが目立ち、海野はしょっぱくなるばかりって、わざわざ東京ドームへ足を運んで、海野へのブーイング以外では静まり返った観客の皆さんも、お疲れ様でしたとしか云えませんなあ。

そして「1・5」ですけれど、第0試合でスターダムの渡辺桃が優勝して、第3試合ではスターダムの白川未奈がメルセデス・モネにタイトルマッチで負けてしまいました。しかしながら、試合時間も「14分6秒」とそこそこ長くて、昔はビジュアル先行だった白川が東京ドームでシングルマッチをする位置まで這い上がって来たのには「夢」があります。メインエベントではIWGP世界ヘビー級選手権で「王者・ザック・セイバーJr. X 挑戦者・リコシェ」が行われて「20分57秒」でザックが勝ちました。2連戦でベルトを守ったのは、ザックが史上初です。前日の半分以下の時間でしたけれど、キリリと締まって良かったのではないでしょうか。セミファイナルの「ケニー・オメガ X ゲイブ・キッド」が「31分55秒」の激闘だったので、それでメインも40分とかやられたら、ちょっと勘弁して欲しいところです。そして、観客動員数は「1・4」が2万4千百7人で「1・5」が1万6千3百人だったそうで、久しぶりに2連戦にした結果ですけれど、2日合計でも4万人では、櫻坂46の東京ドーム公演の1回分(5万5千人・2日で11万人)にも満たないわけでして、困ったちゃんですなあ。かつての「新日 X UWF」とか「猪木引退」とかサバを読んではいたけれど6万人とか7万人とか発表していて、事実として立錐の地なく入っていたわけで、海野は「俺が超満員にする!」とか根拠もなく云っている場合じゃないでしょう。

(小島イコ)

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「ポールの道」#606「LENNON SONGS」#031 「HOW DO YOU SLEEP?」

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1970年4月10日に、ポール・マッカートニーは「ビートルズからの脱退」を宣言しました。それで、同年4月17日には初のソロ・アルバム「McCARTNEY」をアップルからリリースしたわけですけれど、当然の事ですがレコーディングはまだビートルズが存在していた時で、愛妻・リンダが僅かにヴォーカルで参加しているものの、ほとんどの楽器と歌をポールが一人で宅録したものでした。それで、ビートルズ解散後にポールが最初にレコーディングしてリリースしたのは、ポール&リンダ・マッカートニー名義で、1971年5月17日(米国)・同年5月21日(英国)にアップルからリリースしたアルバム「RAM」と云う事になります。現在ではポールの最高傑作と云う評価まであるアルバム「RAM」ですけれど、リリース当時の評価はそれ以上ない程に酷くて、「ローリング・ストーン」誌では「変質した60年代ロックが生んだ、これまでで最低のアルバム」とまで書かれてしまったばかりか、リンゴ・スターにまで「ポールは、自分の才能をスポイルしている」などと貶されたのです。しかしながら、ポールにとってはそんな事よりもジョン・レノンの反応が気になっていたでしょう。すると、ジョンはアルバム「RAM」を聴いて怒り狂ったのでした。それは、アルバム「RAM」の収録曲が自分を攻撃していると感じたからでした。

ジョンは「他の奴が聴いても分からないかもしれないけれど、俺には分かる」と云って、具体的には「TOO MANY PEOPLE」や「3 LEGS」や「DEAR BOY」や「SMILE AWAY」や「LONG HAIRD LADY」と云った楽曲が気に食わなかったのです。ポールも「TOO MANY PEOPLE」に関しては、ジョンへ向けて書いたと認めています。怒ったジョンは、1971年9月9日(米国)・同年10月8日(英国)にリリースした2作目のソロ・アルバム「IMAGINE」のB面3曲目に収録した「HOW DO YOU SLEEP?」と云う、史上最低最悪の悪口ソングを書いて対抗したのです。レコーディング・メンバーは、ジョン・レノン(ヴォーカル、エレクトリック・ギター)、ジョージ・ハリスン(スライド・ギター)、ニッキー・ホプキンス(エレクトリック・ピアノ)、ジョン・タウト(ピアノ)、テッド・ターナー(アコースティック・ギター)、ロッド・リントン(アコースティック・ギター)、アンディ・デイヴィス(アコースティック・ギター)、クラウス・フォアマン(ベース)、アラン・ホワイト(ドラムス)、ザ・フラックス・フィドラーズ(ストリングス)で、楽曲的にはファンク調で、フィル・スペクターの「音の壁」も存分に味わえるものとなっています。しかし、内容はジョージが「コレ、本当にレコーディングする気なの?」と怖気付く程に酷い歌詞なのです。

イントロではビートルズのアルバム「SGT. PEPPER’S LONELY HEARTS CLUB BAND」を思わせるストリングスの調弦があって、詞の全体でポールをこれでもか、とばかりに貶し捲っています。そもそも「HOW DO YOU SLEEP?」と云うのはですね、ポールの目が大きいので、他のビートルズのメンバーから「そんなに目が大きくて眠れるの?」と云われていたジョークだったのです。そのフレーズをサビにして、「お前が出来たのはYESTERDAYだけ、今のお前はANOTHER DAY」とか「あいつらがお前が死んだと云っていたのは、本当だった」とか「お前が作るのは、俺の耳にはムーザックだ」とか、滅茶苦茶に云っています。余りにも酷い内容で、リンゴがスタジオに来て聴いて「もういいよ、やめようよ、ジョン」と忠告したそうです。歌詞の内容に関しては、ヨーコさんとアラン・クレインが悪ノリして手伝ったらしく、ポールは気にしていないと云っているものの、アルバム「IMAGINE」にはポール&リンダのアルバム「RAM」のジャケットをからかった「ブタとジョン」のポートレートまで付けているんですから、悪意丸出しなのです。ジョンは後年になって、ポールへの個人攻撃ではないなどと言い訳をしていますけれど、どう聴いてもポールの全人格まで否定した酷い歌なんですよ。

この曲が収録されているのですから、どんなに「IMAGINE」などと「愛と平和」を唱えても、説得力はありません。そもそも、ジョンはこうした底意地の悪さを持っている人だったわけで、どこが「愛と平和のジョン・レノン」なんだと云う話です。ポールは、1971年にウイングスを結成して、同年12月には早くもアルバム「WINGS WILD LIFE」をリリースしています。そのB面に収録された「TOMORROW」と「DEAR FRIEND」で、ジョンの「HOW DO YOU SLEEP?」へ返答しています。「TOMORROW」は「YESTERDAY」のコード進行を使った楽曲で、最後に「DON'T LET ME DOWN」と絶唱するので、明らかにジョンへ向けています。そして「DEAR FRIEND」で大人の対応をして「SONG WAR」の決着を図ったと云われています。しかしながら、その「DEAR FRIEND」が書かれたのは1970年なのです。つまり、ポールは初めから落としどころを用意して、「TOO MANY PEOPLE」などでジョンを攻撃したと云うわけですなあ。「HOW DO YOU SLEEP?」は他の楽曲と同じで、PVは1971年の「IMAGINE / THE FILM」に、デモやアウトテイクは1998年の「JOHN LENNON ANTHOLOGY」や、2018年のアルバム「IMAGINE」の箱などに収録されています。珍しいところでは、2006年のサントラ盤「THE U.S. VS JOHN LENNON」にインストゥルメンタル・ヴァージョンが収録されています。

(小島イコ)

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2025年01月06日

「ドルチェ」(再)で内山理名ちゃん

ドルチェ (新潮文庫)


チャンネルNECO 12:30〜14:30

内山理名 AS 浜田知美

「ドルチェ」の今年初めての再放送で、昨年(2024年)にはなんと9回も再放送されている定番ドラマのひとつです。理名ちゃんが演じた知美さんは汚れ役の風俗嬢で、殺人事件の容疑者となり自供までするものの、真犯人をかばって偽証している役どころです。重要な役どころなので、明日に再放送される続編の「ドルチェ2」にも、理名ちゃんは回想シーンで登場します。

ところで、昨日(1月5日)から始まった「雲霧仁左衛門ファイナル」ですけれど、雲霧一党の「おもん」のセリフで「お千代姐さんにも逢いたかったなぁ」と云うのがあって、どうやらお千代姐さんは別件で遠方に仕込みに行っている設定の様です。その侭で登場しないのか、サプライズでどこかで登場するのかは分かりません。

本放送:2012年10月12日(フジテレビ)

(姫川未亜/小島イコ)

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「ポールの道」#607「LENNON SONGS」#032 「HOW?」

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ジョン・レノンが、1971年9月9日(米国)・同年10月8日(英国)にアップルからリリースした2作目のソロ・アルバム「IMAGINE」の、B面4曲目に収録されているのが「HOW?」です。前曲である「HOW DO YOU SLEEP?」で、徹底的に元・相方であるポール・マッカートニーを貶し捲った後で、この美しい曲を配置するジョンの二面性は、一体、何なのでしょうか。「HOW?」のレコーディングは、1971年5月25日に、ジョンの自宅にあるアスコット・サウンド・スタジオでベーシック・トラックが、同年7月4日にニューヨークのレコード・プラント・スタジオでストリングスをオーバーダビングしています。レコーディング・メンバーは、ジョン・レノン(ヴォーカル、ピアノ)、ニッキー・ホプキンス(ピアノ)、クラウス・フォアマン(ベース)、ジョン・バーハム(ビブラフォン)、アンディ・デイヴィス(アコースティック・ギター)、アラン・ホワイト(ドラムス)、ザ・フラックス・フィドラーズ(ストリングス)です。ストリングスを担当している「ザ・フラックス・フィドラーズ」は「ニューヨーク・フィルハーモニック」のメンバーで構成されていて、1971年5月にリリースされたポール&リンダ・マッカートニーのアルバム「RAM」でも「ニューヨーク・フィルハーモニック」がストリングスを担当しています。

つまり、それもポールに対する当て付けで、当然の如くポールを攻撃した「HOW DO YOU SLEEP?」でもストリングスを担当させています。そうしてジョンはポールを攻撃している一方で、アルバム「RAM」でギターを弾いているデイヴィッド・スピノザ(1973年のアルバム「MIND GAMES」)や、ヒュー・マクラッケン(1971年のシングル「HAPPY XMAS」、1980年のアルバム「DOUBLE FANTASY」)を、後にギタリストとして起用しているのです。ヒュー・マクラッケンがオーディションに行ったら、ギターを弾く前に、ジョンから「君はポールの『RAM』で弾いていたね、だったら、合格」と云われたそうです。その辺の「ジョンとポールの信頼関係」は、他の人には分からない程に強かったわけですなあ。それで、ポールを貶し捲った「HOW DO YOU SLEEP?」の次に「HOW?」を持ってきていて、この楽曲は明らかにポールが主導で書いたレノン=マッカートニー作で1970年にリリースされたビートルズの「THE LONG AND WINDING ROAD」に似ているのです。♪THE LONG AND WINDING ROAD♪ダターンタターン、と♪HOW CAN I GO FORWARD WHEN I DON'T KNOW WHICH WAY I’M FACING?♪ダターンタターンは、丸っきり同じではありませんか。それも「HOW DO YOU SLEEP?」の様にポールを揶揄したのではなく、敬愛を込めてマネしているのです。

そうして考えてみるとですね、前作アルバム「JOHN LENNON / PLASTIC ONO BAND(ジョンの魂)」の「LOVE」も、ギターで弾いてみると1964年にビートルズがリリースしたレノン=マッカートニー作の「AND I LOVE HER」に似ているし、この「HOW?」も、ピアノで弾いてみると「THE LONG AND WINDING ROAD」に似ているわけで、ジョンのソロ名義では次作となる1973年リリースのアルバム「MIND GAMES」に収録された名曲「OUT THE BLUE」は、1968年にビートルズがリリースしたポールが主導で書いたレノン=マッカートニー作の「BLACKBIRD」に似ているし、「I KNOW(I KNOW)」のイントロは、1970年にビートルズがリリースしたレノン=マッカートニー作の「I'VE GOT A FEELING」と同じです。そんな、どんなに抗おうとも出てきてしまう「ビートルズ風味」や「レノン=マッカートニー風味」は、ジョンがジョンであるが故なのです。前作の「GOD」で「ビートルズを信じない」と宣言したはずなのに、亡くなるまでジョンはビートルズであり続けたのでした。「HOW?」のPVは1971年の「IMAGINE / THE FILM」などで、デモやアウトテイクは2018年のアルバム「IMAGINE」の箱などに収録されています。ベスト盤にまでジョンもやり過ぎたと反省していた「HOW DO YOU SLEEP?」を収録する位ならば、この「HOW?」を入れるべきです。

(小島イコ)

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2025年01月07日

「ポールの道」#608「LENNON SONGS」#033 「OH YOKO!」

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ジョン・レノンが、1970年12月11日にアップルからリリースした初のソロ・アルバム「JOHN LENNON / PLASTIC ONO BAND(ジョンの魂)」は、詞も曲も当時のジョンの心情を反映した作品で、「私小説」的なアルバムです。しかしながら、ジョンはビートルズ時代からそうした私小説的な楽曲を多く発表していました。例えば、1964年の「I'M A LOSER」では、全世界を制覇したビートルズのリーダーが「僕は負け犬」と歌っていて、世界的なスーパースターになってみたら、それは想像していたのとは違っていた、と云うわけです。1965年の「HELP!」も、心の底から救済を求めている内容でしたし、同年の「IN MY LIFE」ではまだ25歳なのに人生を振り返っています。1966年の「I'M ONLY SLEEPING」や「SHE SAID SHE SAID」、そして1967年の「STRAWBERRY FIELDS FOREVER」や「A DAY IN THE LIFE」、1968年の「I'M SO TIRED」や「YER BLUES」、1969年の「I WANT YOU(SHE'S SO HEAVY)」等々、全てはジョンの心情から出来た楽曲でした。1969年のビートルズのシングル「THE BALLAD OF JOHN AND YOKO」になると、結婚の顛末を歌うと云う、完全な私小説になっています。1969年4月14日に行われた「THE BALLAD OF JOHN AND YOKO」のレコーディングは、ジョン・レノンとポール・マッカートニーの二人だけで行われていて、それを「ビートルズ」名義でリリースしてしまったのです。

ちなみに、そのシングルのB面はジョージ・ハリスン作の「OLD BROWN SHOE」で、ジョージは当然参加しているものの、リンゴ・スターは映画の撮影中だった為に不参加だとも云われています。それは初めての事ではなくて、1968年のアルバム「THE BEATLES(ホワイト・アルバム)」のセッション中にリンゴが脱退していて、それなのにポールがドラムスを叩いてレコーディングは続行されていて、リンゴ不参加の「BACK IN THE U.S.S.R.」と「DEAR PRUDENCE」の2曲がA面1曲目と2曲目に収録されているのです。さて、既にビートルズ時代に「THE BALLAD OF JOHN AND YOKO」を発表していたジョンは、1971年9月9日(米国)・同年10月8日(英国)にアップルからリリースした2作目のソロ・アルバム「IMAGINE」のB面5曲目でアルバムの最後に「OH YOKO!」を収録しています。この楽曲も、元々はビートルズ時代にインドで書き始めていて、1969年には出来ていたと思われる楽曲です。自分の奥さんを歌った曲ですから、ビートルズではレコーディング出来なかったのかと云うと、そうではないのです。既に「THE BALLAD OF JOHN AND YOKO」をビートルズとしてリリースしていたわけですから、ジョージやリンゴは嫌がったとしても、ポールは当然の如く協力したはずなので、ジョンがやる気だったならば、普通にビートルズとして発表していたでしょう。

愛妻賛歌ならば、ポールもジョンよりも前の1970年4月リリースの「McCARTNEY」のA面1曲目に「THE LOVELY LINDA」を収録しているわけで、どっちもどっちなのです。「OH YOKO!」のレコーディング・メンバーは、ジョン・レノン(ヴォーカル、エレクトリック・ギター、ハーモニカ)、ニッキー・ホプキンス(ピアノ)、クラウス・フォアマン(ベース)、アラン・ホワイト(ドラムス)、フィル・スペクター(ハーモニー・ヴォーカル)、ロッド・リントン(アコースティック・ギター)、アンディ・デイヴィス(アコースティック・ギター)です。アウトテイクを聴くと、元々はジョンがピアノの弾き語りで完成版よりもずっとスローに演奏して歌っていますが、レコードになったのはアップテンポで軽快な曲になっていて、久しぶりにジョンがハーモニカを吹いていて、「A DAY IN THE LIFE」にも出てきていた「TURN YOU ON」と云うフレーズもあります。良い曲だと思いますし、シングル・カットも検討されたものの、ジョンが照れくさいと却下しています。だったら、そもそもレコーディングしてアルバムに収録するな、って話ですけれどね。「OH YOKO!」のPVは1971年の「IMAGINE / THE FILM」に、デモやアウトテイクは2018年のアルバム「IMAGINE」の箱などに収録されています。この曲の元ネタはロニー・ドネガンの「LONG LOST JOHN」で、1998年の「JOHN LENNON ANTHOLOGY」に、それをジョンが歌っているヴァージョンが収録されています。

(小島イコ)

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2025年01月08日

「都市伝説の女」第1話(再)で内山理名ちゃん

都市伝説の女 [Blu-ray]


テレ朝チャンネル2 20:00〜21:00

第1話「転落死…将門首塚の祟り!?」

内山理名 AS  関口千穂(第1話ゲスト)

「都市伝説の女」第1話の今年初めての再放送で、昨年(2024年)は8回も再放送された定番ドラマです。理名ちゃんが演じた関口さんは、殺人事件の被害者の元カノで、犯人の婚約者です。序盤で、理名ちゃんが演じた関口さんが、長澤まさみちゃんが演じた主役の音無月子を、いきなりだなあ、とビンタするシーンがあります。都市伝説に拘る破天荒な刑事・音無月子が事件を解決する1話完結のドラマで、本放送は「金曜ナイトドラマ」枠で、数字は平均で「9.7%」と深夜枠としては大ヒットしたので、翌年に続編も制作されています。

本放送:2012年4月13日(テレビ朝日)

(姫川未亜/小島イコ)

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「ポールの道」#609「LENNON SONGS」#034 「HAPPY XMAS(WAR IS OVER)」

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1971年9月9日(米国)・同年10月8日(英国)に、ジョン・レノンがアップルからリリースした2作目のソロ・アルバム「IMAGINE」には、表題曲「IMAGINE」の様な世界平和を願う曲がある一方で、元・相方であるポール・マッカートニーを貶し捲った「HOW DO YOU SLEEP?」の様な楽曲も収録されていて、ジョンの二面性が表れていました。しかしながら、レコーディングを記録したドキュメンタリー作品を観ると、とても印象的な場面があります。それは、ラリッたビートルズ・ファンの青年がジョンの屋敷に侵入して来て、ジョンはガードマンなどには任せずに、自分で青年と対話するのです。ジョンは青年を納得させると「腹減ってないか?」と云って、自宅に青年を招いて、一緒に食事するのでした。記録映画でその場面を観ると、泣きそうになります。そんな、純粋で真摯であったが為に、ジョンは殺されてしまったのでしょう。当時、ジョンがヨーコさんと行っていた平和活動は、一緒にベッドに入ったり、各国の首脳にドングリを送ったり、唐突に「戦争は終わった」と宣言したり、果てには「架空国家」を建立したりと、一般人には理解不能な事が多くて、ビートルズ・ファンはそうした奇行を「純真なジョンが、ヨーコさんのせいでバカになった」と思っていたのですが、ヨーコさんの発言を聞くと、どうやらそう云う事はジョンが主導で突っ走っていたらしいのです。何事も夢中になると行くところまで行ってしまうのが、ジョン・レノンです。

ジョンはかねがね、永遠に残る「クリスマス・ソング」を書きたいと思っていて、アルバム「IMAGINE」をリリースした直後である1971年10月に「HAPPY XMAS(WAR IS OVER)」を書いて、同年10月28日と31日に、ニューヨークのレコード・プラント・スタジオでレコーディングしました。米国では、同年12月1日にアップルからリリースされたのですけれど、英国では翌1972年11月24日になってようやくリリースされています。楽曲は、ジョンとヨーコさんの共作となっていて、プロデュースはジョン&ヨーコさんとフィル・スペクターです。レコーディング・メンバーは、ジョン・レノン(ヴォーカル、ギター)、オノ・ヨーコさん(ヴォーカル)、ハーレムコミュニティ合唱団(バッキング・ヴォーカル)、メイ・パン(バッキング・ヴォーカル)、ニッキー・ホプキンス(ピアノ、チャイム、グロッケンシュピール)、テディ・アーウィン(ギター)、ヒュー・マクラッケン(ギター)、クリス・オズボーン(ギター)、スチュアート・シャーフ(ギター)、ジム・ケルトナー(ドラムス、そりの鈴)、クラウス・フォアマン(ベース)です。チャート上の成績は、クリスマス・ソングと云う事で対象外でしたが、後にジョンの死後に英国で2位まで上がり(その時の首位!は「IMAGINE」)、米国のクリスマス・ソング・チャートでは3位まで上がり、ジョンが望んだ結果にはなっています。その後を考えると、ヨーコさんとメイ・パンが共演しているのがポイントでしょうか。

ビートルズは、1963年から1969年までファン・クラブ会員に毎年「クリスマス・レコード」を制作して贈っていました。最後の1969年盤では、ジョンとヨーコさんが「HAPPY XMAS」と何度も云っているので、もうその頃には着想があったのでしょう。他のメンバーも、1974年にはジョージ・ハリスンが「DING DONG, DING DONG」を、1979年にはポール・マッカートニーが「WONDERFULL CHRISTMASTIME」を、1999年にリンゴ・スターがアルバム「I WANNA BE YOUR SANTA CLAUS」を、それぞれリリースしています。「HAPPY XMAS(WAR IS OVER)」は、アルバム未収録曲でしたが、1975年にジョン自身が編集したシングル集「SHAVED FISH」に収録されました。但し、その時には「GIVE PEACE A CHANCE」のライヴ・ヴァージョンとのメドレーになっていました。ジョンの死後にリリースされたベスト盤には、定番曲としてオリジナル・シングル・ヴァージョンが収録されています。フィル・スペクターには極上の「クリスマス・アルバム」である1963年の「A CHRISTMAS GIFT FOR YOU」もあるので、この手の曲をプロデュースするのは得意中の得意であったのでしょう。そのアルバムは、1972年にサンタクロースに扮したフィル・スペクターのジャケットで「PHIL SPECTOR'S CHRISTMAS ALBUM」と改題して、アップルからリイシューされています。

アレンジはジョージがロニー・スペクターに書いて、フィル・スペクターとジョージが共同プロデュースした1971年の「TRY SOME, BUY SOME」(1973年にジョージがセルフ・カヴァー)を参考にしているし、曲はフィル・スペクターがかつて手掛けた1961年のパリス・シスターズの「I LOVE HOW YOU LOVE ME」に似ています。しかし、もっと似ているのが、英国のフォーク・ソング「SKEWBALL」です。「HAPPY XMAS(WAR IS OVER)」は、日本盤は1971年12月10日に「ハッピー・クリスマス」の邦題でリリースされましたが、クリスマス期間が終わったので、1972年にセカンド・プレスで「戦争は終わった」と改題していて、その後にまた「ハッピー・クリスマス」に戻されたので、「戦争は終わった」は激レア盤になりました。1998年の箱「JOHN LENNON ANTHOLOGY」には1971年10月28日にレコーディング(クラウス・フォアマンがドイツからの飛行機が到着せずに不参加)したラフ・ミックスが聴けますけれど、Bメロに子どもたちの合唱(10月31日にオーバーダビング)がないので、ヨーコさんがひとりで歌っていて、困ったちゃんなのです。イントロで、ヨーコさんが京子さんへ、ジョンがジュリアンに「HAPPY XMAS」と云っているのですが、シングル集「SHAVED FISH」の歌詞カードでは間違って、それぞれヨーコさんとジョンになっていて、その後のCD化でも直されていません。PVは旧ヴァージョンと新ヴァージョンが制作されていて、旧ヴァージョンは他の楽曲と同じく現在ではDVD化されていません。

(小島イコ)

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2025年01月09日

「ポールの道」#610「LENNON SONGS」#035 「WOMAN IS THE NIGGER OF THE WORLD」

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ジョン・レノンは、1971年9月9日(米国)・同年10月8日(英国)にアップルからリリースした2作目のソロ・アルバム「IMAGINE」の後に、本国である英国から米国へと移住しました。それは、長く続くジョンと米国政府との対立となってゆきます。ジョンは移住後には初のアルバムとなる「SOMETIME IN NEW YORK CITY」を、ヨーコさんとの共作として、1971年11月から翌1972年3月にかけて、ニューヨークのレコード・プラント・イーストで、ジョンとヨーコさんとフィル・スペクターの共同プロデュースでレコーディングして、1972年6月12日(米国)・同年9月15日(英国)・同年11月20日(日本)にアップルからリリースしました。英国でのリリースが米国よりも3か月も後になったのは、ジョンとヨーコさんの拠点が米国へと移ったからでしょう。アルバム「SOMETIME IN NEW YORK CITY」からの先行シングルとして、ジョンは「WOMAN IS THE NIGGER OF THE WORLD(女は世界の奴隷か!)」を、1972年4月24日にアップルからリリースしています。英国でのシングル・カットはされておらず、日本では「女は世界の奴隷か!」の邦題で、同年6月25日にリリースされています。B面は、ヨーコさんの「SISTERS, O SISTERS」です。

黒人を蔑視する「NIGGER」と云う言葉が使われているので、全米では放送禁止曲となり、チャートでも57位までしか上がっていません。タイトルの「WOMAN IS THE NIGGER OF THE WORLD」は、ヨーコさんの発言から取ったもので、曲もジョンとヨーコさんの共作となっていますけれど、作曲はジョンが主導で書かれたと思われます。レコーディング・メンバーは、ジョン・レノン(ヴォーカル、ギター)、スタン・ブロンスタイン(テナーサックス)、ゲイリー・ヴァン・サイオック(ベース)、アダム・イッポリート(ピアノ、オルガン)、ウェイン・"テックス"・ガブリエル(ギター)、リチャード・フランク・ジュニア(ドラムス、パーカッション)、ジム・ケルトナー(ドラムス)で、エレファンツ・メモリーにジム・ケルトナーが加わった布陣で、1972年8月30日の「ワン・トゥ・ワン・コンサート」と同じです。タイトルでの「NIGGER」に関してジョンは「共闘している黒人が、差別だと感じるとは思わない」と云っています。ちゃんと内容を聴けば、ジョンが「女性も黒人と同じく差別されている」と歌っていると分かるのですけれど、今も昔も過激な表現は蓋をされるわけですなあ。楽曲としては、フィル・スペクターによる「音の壁」で、熱演となっていて、ジョンのシャウトも存分に聴けます。

収録されたアルバム「SOMETIME IN NEW YORK CITY」が2枚組で、スタジオ盤もライヴ盤もジョンとヨーコさんの共作となっている事もあって、この曲やアルバム「SOMETIME IN NEW YORK CITY」に収録された曲は敬遠されているし、そもそもアルバムを聴いていない人も多いので、評価が低いし、アルバムのジャケットが示す通りに「新聞」の様な時事性がある楽曲が多くて、普遍的な作品とは一線を画す内容となっています。後のアルバム「DOUBLE FANTASY」は、ジョンとヨーコさんの楽曲が交互に配置されていましたけれど、アルバム「SOMETIME IN NEW YORK CITY」では、ジョンの曲とヨーコさんの曲だけではなく、二人の共作でデュエットしている曲も多くて、それらがごちゃ混ぜになっているので、なかなか通して聴く機会もないでしょう。挙句に2枚目のライヴ盤には「COLD TURKEY」や「DON'T WORRY KYOKO」の長尺ヴァージョンや、フランク・ザッパとの共演まで入っているのですから、アルバム「IMAGINE」の次だからと油断して聴くと、結構、痛い目に遭います。「WOMAN IS THE NIGGER OF THE WORLD」は、ジョンのベスト盤には、生前の「SHAVED FISH」には短縮ヴァージョンで収録されていますが、死後のベスト盤では外される事も多い曲です。しかし、ライヴ音源やアウトテイクは多くの編集盤に収録されています。同じメンバーでのライヴ音源は、スタジオ盤での「フィル・スペクター・マジック」がない剥き出しの状態なので、エレファンツ・メモリーの下手な演奏が目立ちます。

(小島イコ)

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2025年01月10日

「雲霧仁左衛門4」第五回、第六回(再)で内山理名ちゃん

Great Escape


時代劇専門チャンネル 14:00〜16:00

第五回「大脱走」
第六回「黒幕分断」

内山理名 AS 七化けのお千代

「雲霧仁左衛門4」第五回と第六回の、今年初めての再放送です。第五回では、雲霧一党とは無関係な静が安部式部に人質に取られてしまい、静を慕う熊五郎が身代わりになって捕らえられてしまいます。そこで雲霧一党は、市中引き回しされる熊五郎を白昼堂々と救出します。しかし、理名ちゃんが演じるお千代姐さんが雲霧仁左衛門から貰った匂い袋を大切にいつも身に着けていて、そこから足がついてしまい大変な事になります。

第六回では、柏屋を襲撃して成功したかに見えた雲霧一党ですが、お千代姐さんの匂い袋によって正体がばれてしまい失敗します。雲霧仁左衛門にもらって大切にしていた匂い袋でしたが、お千代姐さんは責任を感じて密偵を志願するのでした。宝物の匂い袋を燃やし、決死の覚悟で七化け史上に遺る「男」の姿に化けて潜入します。

ところで、現在放送中の「雲霧仁左衛門ファイナル」では、初回でおもんが「お千代姐さんにも逢いたかったなぁ」と云って、お千代姐さんの生存が確認(遠方に別の仕込みに行っている設定)できたと思ったら、初回でおもんが斬り殺されてしまいました。これでお千代姐さんが登場して殺されたりしたら酷いので、そう云う脚本にはしないで欲しいです。

本放送:2018年10月5日10月12日(NHK BSプレミアム)

(姫川未亜)

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「ポールの道」#611「LENNON SONGS」#036 「ATTICA STATE」

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ジョン・レノンが、1972年6月12日(米国)・同年9月15日(英国)にアップルからリリースしたアルバム「SOMETIME IN NEW YORK CITY」は、ジョンのソロ・アルバムではなくて、ヨーコさんとの共作でした。アルバムは2枚組で、スタジオ盤の「SOMETIME IN NEW YORK CITY」と、ライヴ盤の「LIVE JAM」からなっています。スタジオ盤の「SOMETIME IN NEW YORK CITY」は、A面が、1「WOMAN IS THE NIGGER OF THE WORLD(女は世界の奴隷か!)」、2「SISTERS, O SISTERS」、3「ATTICA STATE」、4「BORN IN A PRISON」、5「NEW YORK CITY」で、B面が、1「SUNDAY BLOODY SUNDAY(血まみれの日曜日)」、2「THE LUCK OF THE IRISH」、3「JOHN SINCLAR」、4「ANGELA」、5「WE’RE ALL WATER」の全10曲で、ジョンの単独作は「NEW YORK CITY」と「JOHN SINCLAR」の2曲だけで、ヨーコさんとの共作になっている「WOMAN IS THE NIGGER OF THE WORLD」の3曲のみでしかジョンはひとりで歌ってはいません。他は「ATTICA STATE」と「SUNDAY BLOODY SUNDAY」と「THE LUCK OF THE IRISH」と「ANGELA」の4曲がジョンとヨーコさんの共作でデュエットしていて、「SISTERS, O SISTERS」と「BORN IN A PRISON」と「WE’RE ALL WATER」の3曲はヨーコさんが書いてひとりで歌っています。

コレをジョンのソロ・アルバム「IMAGINE」の次だと思って聴くと、アレレ?となります。後のアルバム「DOUBLE FANTASY」よりも、かなりキツイですし、時事性が強すぎる内容なので滅多に聴きません。ジョンが一人で歌っている「WOMAN IS THE NIGGER OF THE WORLD」と「NEW YORK CITY」と「JOHN SINCLAR」の3曲は、全て1990年リリースの箱「LENNON」に収録されているので、それだけで充分だとさえ思います。さて、アルバム「SOMETIME IN NEW YORK CITY」のA面3曲目に収録されているのが「ATTICA STATE」です。このジョンの全曲解説では、ヨーコさんの単独作は取り上げていないので、A面2曲目の「SISTERS, O SISTERS」は割愛させて頂きます。本当ならば、この「ATTICA STATE」の様なデュエット曲も取り上げたくはないのですけれど、ジョンも歌っているから仕方なく取り上げています。以前にも書きましたけれど、ジョンとヨーコさんの共作は「ジョンがヨーコさんに負けている」し、本来はロックンローラーであるジョンの力量が発揮されてはいないし、率直に云えば「混ぜるな危険」だと思っています。「ATTICA STATE」の内容は、1971年9月に起こったアッティカ州立刑務所の暴動をテーマにしたプロテスト・ソングで、アルバムにはジョンとヨーコさんの他には、エレファンツ・メモリーとドラマーのジム・ケルトナーが参加しています。

時事性が強い楽曲なので、当時にはライヴでも披露されていて、1971年12月10日の「ジョン・シンクレア・フリーダム・ラリー」と、同年12月17日の暴動で亡くなった人々の家族の為のチャリティーコンサートと、1972年1月13日の「デビッド・フロスト・ショー」で演奏しています。1971年12月10日のライヴ・ヴァージョンは、2006年にリリースされたサントラ盤「THE U.S. VS JOHN LENNON」に収録されて、1971年12月17日のライヴ・ヴァージョンは、1998年リリースの箱「JOHN LENNON ANTHOLOGY」に収録されています。元々この「ATTICA STATE」は、1971年10月9日のジョンの31歳のお誕生日に行われたパーティーで考案して歌われていて、パーティーには、リンゴ・スター、リンゴの妻・モーリン・スターキー、フィル・スペクター、クラウス・フォアマン、マル・エヴァンス、ニール・アスピノール、エリック・クラプトン、アレン・ギンズバーグ、ジム・ケルトナー、などが参加していて、ジョンとヨーコさんと一緒に、アコースティック・ギターで数々の楽曲を演奏して歌っています。ビーチ・ボーイズのアルバム「PARTY」みたいな感じで興味深い楽曲が多く演奏されていて、ブートレグの定番ですけれど音は悪いし、みんな酔っ払っているみたいで酷い演奏です。

(小島イコ)

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