ジョン・レノンが率いる「プラスティック・オノ・バンド」は、メンバーが流動的で、レコーディングやライヴではジョンとヨーコさん以外は、その度ごとに変わっています。ジョンはプラスティック・オノ・バンドとして、英国では1969年7月4日に1作目のシングル「GIVE PEACE A CHANCE / REMEMBER LOVE」を、同年10月24日には2作目のシングル「COLD TURKEY / DON'T WORRY KYOKO」をリリースしているのですけれど、その次に同年12月5日に3作目のシングルとして「YOU KNOW MY NAME(LOOK UP THE NUMBER) / WHAT’S THE NEW MARY JANE」をリリースする予定でした。しかしながら、ビートルズとしてレコーディングされた曲をプラスティック・オノ・バンド名義でリリースする事で待ったがかかり、発売直前に中止されてしまったのでした。その幻のシングルは、A面の「YOU KNOW MY NAME(LOOK UP THE NUMBER)」が、1970年3月6日にリリースされた英国ではビートルズの現役時代で最後となったシングル「LET IT BE」のB面としてリリースされていて、B面の「WHAT’S THE NEW MARY JANE」は、1996年10月28日にリリースされたビートルズのボツ音源集「ANTHOLOGY 3」でようやく公式盤に収録されました。どちらも、ジョンが主導して書いた「レノン=マッカートニー」作品となっていて、前2作とは違って両面共にジョン主導の曲となる予定でした。コレがプラスティック・オノ・バンドとしては出せなかったのは、結構、重大な事だと思います。
A面に予定されていた「YOU KNOW MY NAME(LOOK UP THE NUMBER)」は、1967年5月17日と6月7日、8日に、ビートルズの4人であるジョン・レノン(ギター、マラカス)、ポール・マッカートニー(ピアノ、ベース)、ジョージ・ハリスン(リード・ギター、ヴィブラフォン)、リンゴ・スター(ドラムス、ティンバレス、ボンゴ)の全員によってベーシック・トラックがレコーディングされていて、6月8日には当時ローリング・ストーンズのブライアン・ジョーンズがアルト・サックスで参加しています。その音源はずっと放って置かれたのですけれど、1969年4月30日になって引っ張り出されて、ジョンとポールが二人(ジョージとリンゴは不参加)でリード・ヴォーカルやバッキング・ヴォーカルや効果音(マル・エヴァンスも協力)を入れて、ジョンが同年11月26日に6分8秒のテイクをシングル用に4分19秒にして完成させています。その間の1969年7月3日には、レコーディングに参加したブライアン・ジョーンズが27歳で亡くなっています。ジョンが主導して書いた作品ではありますが、リード・ヴォーカルはほとんど即興で、ジョンとポールが仲良く悪ふざけをしているので、正真正銘の「レノン=マッカートニー」作品と云ってよろしいでしょう。この楽曲はシングル・ヴァージョンはモノラルしかなくて、1996年3月18日リリースの「ANTHOLOGY 2」でのロング・ヴァージョンはステレオですけれどエンディングが切れていて、両方を繋いだ完全ヴァージョンはブートレグで聴けます。
B面に予定されていた「WHAT’S THE NEW MARY JANE」は、ジョンが主導で1968年にインドで書かれた曲のひとつで、同年5月のジョージ宅での「イーシャー・デモ」でも演奏しています。同年8月14日に、サー・ジョージ・マーティンのプロデュースで正式にレコーディングされているのですが、レコーディングに参加したのは、ジョン(リード・ヴォーカル、ピアノ)、ジョージ(ギター)のビートルズの二人(ポールとリンゴは不参加)に、ヨーコさん(ヴォーカル、効果音など)とマル・エヴァンス(パーカッション、効果音など)です。その日にモノラル・ミックスを制作して、9月11日にはステレオ・ミックスも制作されたものの、1968年11月22日にリリースされたビートルズのアルバム「THE BEATLES(ホワイト・アルバム)」には未収録となったわけです。しかし、ジョンはヨーコさんと、同年11月26日にオーバーダビングしていて、多くのヴァージョン違いがブートレグや公式盤で聴けますけれど「ヨーコさんのせいで、ジョンがバカになった」と云われる楽曲のひとつです。問題は、これらの2曲を、ジョンがプラスティック・オノ・バンド名義でリリースしようとした事実です。特に「YOU KNOW MY NAME(LOOK UP THE NUMBER)」は、ジョンとポールの合作と云って良い出来栄えなので、ジョンは「ポールもプラスティック・オノ・バンドのメンバーのひとり」と考えていたわけですよ。仲が悪いと云われていた1972年の「マイク・ダグラス・ショー」でも、ジョンは「ビートルズ再結成は先の事だから分からないけれど、ポールとは、今でもよく電話(当然ながら国際電話でしょう)で話しているし、仲良しだ。ビジネス上の裁判沙汰とは関係ない」と云っています。
(小島イコ)