1969年9月13日に行われた「トロント・ロックンロール・リヴァイヴァル」で本格的に「ビートルズ以外での音楽活動」を開始したジョン・レノンは、2週間後の同年9月30日にライヴで初披露した「COLD TURKEY(冷たい七面鳥)」をEMIスタジオでレコーディングしました。レコーディング・メンバーは、ジョン・レノン(リード・ヴォーカル、バッキング・ヴォーカル、リード・ギター、リズム・ギター)、エリック・クラプトン(リード・ギター)、クラウス・フォアマン(ベース)、リンゴ・スター(ドラムス)です。つまり、トロントでのライヴでのドラマーだったアラン・ホワイトが、リンゴに代わった布陣で、ジョンは同年9月20日にビートルズからの脱退を告げてはいたものの、公にはしない事となっていた時期です。ジョンは1969年9月26日にリリースされたビートルズのアルバム「ABBEY ROAD」のレコーディング終了後に、ビートルズとしてこの「COLD TURKEY」をレコーディングする事を提案したのですけれど、他の3人であるポール・マッカートニーとジョージ・ハリスンとリンゴ・スターに反対されたので、プラスティック・オノ・バンドとしてレコーディングしたと語っています。他のメンバーが反対したのは「COLD TURKEY」には「麻薬の禁断症状」と云う意味もあったので、内容から考えても「ドラッグ・ソング」だとしか思えなかったからです。故に、この楽曲で、遂に作者は「レノン=マッカートニー」ではなく「レノン」と単独名義になっています。
それでもリンゴは参加しているわけで、1969年12月15日の「ピース・フォー・クリスマス・コンサート」でのライヴ・ヴァージョンでは、ジョージがこの曲にギターで参加しているので、反対したのはポールと云う事になります。このシングルは、プラスティック・オノ・バンドの2作目のシングルとして、1969年10月20日(米国)・同年10月24日(英国)にリリースされていて、BBCも「ドラッグ・ソング」と認識して放送禁止となり、全米30位・全英14位との結果でしたけれど、後半でジョンがヘロインの禁断症状を表すかの様に叫び捲る展開は、単にヨーコさんの「キエーッ!」に影響されただけではない迫力があります。こんな過激な楽曲でも、大衆音楽の範疇に収めているのが、ジョンがジョンであるが所以なのです。B面はヨーコさんが主導の「DON'T WORRY KYOKO(京子ちゃん心配しないで)」で、こちらも「トロント・ロックンロール・リヴァイヴァル」や「ピース・フォー・クリスマス・コンサート」でも披露しているのですけれど、毎回即興でのパフォーマンスなので、同じ曲とは思えません。ヨーコさんが生き別れた娘である京子さんへ向けたパフォーマンスですけれど、こんなのを聴いたら「ママ、どうしちゃったの?」と逆に心配になるんじゃないでしょうか。ジョンはこのシングルがヒット・チャートから落ちた事などを理由に、1969年11月にMBE勲章をイギリス王室に返上しています。
前述の1969年12月15日の「ピース・フォー・クリスマス・コンサート」でのライヴ・ヴァージョンは、後に1972年リリースの2枚組アルバム「SOMETIME IN NEW YORK CITY」に収録されるのですけれど、メンバーが凄い事になっています。ジョン・レノン(ヴォーカル、ギター)、ヨーコさん(バッグ=袋に入ったり出たりするパフォーマンス)、エリック・クラプトン(ギター)、デラニー&ボニー(ギター、パーカッション)、ジョージ・ハリスン(ギター)、クラウス・フォアマン(ベース)、ジム・ゴードン(ドラムス)、アラン・ホワイト(ドラムス)、キース・ムーン(ドラムス)、ビリー・プレストン(オルガン)、ボビー・キーズ(サックス)、ジム・プリンス(トランペット)に、ニッキー・ホプキンスのエレクトリック・ピアノをオーバーダビングした「スーパーバンド」による演奏です。その後、1972年8月30日の「ワン・トゥ・ワン・コンサート」でも「COLD TURKEY」を演奏していて、そちらはエレファンツ・メモリーにドラマーのジム・ケルトナーを加えたメンバーです。「COLD TURKEY」はアルバム未収録曲でしたが、1975年リリースのベスト盤「SHAVED FISH」から2020年リリースのベスト盤「GIMME SOME TRUTH.」までのベスト盤には、ほぼ全てに収録されています。2004年リリースのコンピレーション盤「ACOUSTIC」には、アンプに通さないエレキ・ギターでの弾き語りデモ音源が、2021年リリースの「JOHN LENNON / PLASTIC ONO BAND(ジョンの魂)」の箱には、アウトテイクが収録されています。
(小島イコ)