1969年9月13日に行われた「トロント・ロックンロール・リヴァイヴァル」で、ジョン・レノンが率いるプラスティック・オノ・バンドが3曲目に披露したのは「DIZZY MISS LIZZY」です。ライヴ盤では「DIZZY MISS LIZZIE」と表記されていますけれど、ここはオリジナルの表記通りに「DIZZY MISS LIZZY」とさせていただきます。この楽曲のオリジナルは、ラリー・ウィリアムズが1958年3月にリリースしたシングルのA面で、B面は「SLOW DOWN」です。つまり、そのラリー・ウィリアムズのシングルは、A面の「DIZZY MISS LIZZY」も、B面の「SLOW DOWN」も、ビートルズがカヴァーしていて、リード・ヴォーカルはどちらもジョンです。ラリー・ウィリアムズはジョンのお気に入りで、他にも「BAD BOY」をビートルズでカヴァーしていて、ソロになっても1975年リリースのカヴァー・アルバム「ROCK'N'ROLL」で「BONY MORONIE」をカヴァーしています。更に、ポール・マッカートニーも、1999年リリースのアルバム「RUN DEVIL RUN」で、ラリー・ウィリアムズの「SHE SAID YEAH」をカヴァーしています。
「DIZZY MISS LIZZY」は、ビートルズの1965年8月6日リリースのアルバム「HELP!」のB面で最後に収録されていますけれど、その前に入っているのが、あの「YESTERDAY」なのです。その辺がビートルズのスゴイところのひとつで、あの傑作バラードで〆ずに、最後はキチンとロックンロールなのです。しかしながら、そのビートルズ・ヴァージョンの「DIZZY MISS LIZZY」は、初出は1965年6月14日リリースの米国キャピトル盤「BEATLES W」なのです。米国キャピトルは水増しアルバムを乱発するだけではなく、本国である英国よりも早くビートルズの新曲を要求していて、「DIZZY MISS LIZZY」と同日にレコーディングされた「BAD BOY」と、ジョージ・ハリスン作の「YOU LIKE ME TOO MUCH」と、レノン=マッカートニー作品の「TELL ME WHAT YOU SEE」の4曲を先にリリースしてしまったのです。それで英国では「BAD BOY」は、1966年12月10日リリースの現役時代唯一のベスト盤「A COLLECTION OF BEATLES OLDIES」に収録されるまで未発表だったのです。たったの1年半位だと思われるかもしれませんが、ビートルズの場合ドンドンと変化してゆくので、1965年前半の曲が1966年後半に出たならば、随分と違うわけですよ。
ビートルズによる「DIZZY MISS LIZZY」は、スタジオ・ライヴ盤「LIVE AT THE BBC」と、1965年8月29日と30日のハリウッド・ボウル公演でのライヴ音源(サー・ジョージ・マーティンによって、2回のヴァージョンを繋いである)もライヴ盤で聴けますし、1965年8月15日のシェイ・スタジアムでのライヴ・ヴァージョンは映画で観る事が出来ます。このビートルズによる「DIZZY MISS LIZZY」は、日本ではB面に「ANNA(GO TO HIM)」を入れてシングル・カットされていて、タツローこと山下達郎さんも(おそらくビートルズのレコードでは唯一)買ったそうです。大瀧師匠が「山下くんが買った、と云うのがいいね」と云っていました。ビートルズが3曲もカヴァーしたラリー・ウィリアムズは、ジョンが相当好きだった様で、ジュークボックスには「SHORT FAT FANNIE」と「SHE SAID YEAH」と「BAD BOY」の3曲が入っています。プラスティック・オノ・バンドでの演奏は、この3曲目の「DIZZY MISS LIZZY」辺りからジョンもノッテきて、イイ感じになるのですけれど、何度も云いますけれど、ビートルズで何百回も演奏した「DIZZY MISS LIZZY」を、自分抜きで演奏されたポールの心境は、穏やかなものではなかったでしょうなあ。
そして、ライヴはその後に、ビートルズの「YER BLUES」から、初披露だった「COLD TURKEY」へ、そして「GIVE PEACE A CHANCE」とつづいて、ジョンが主導のパートは終わりました。後半はヨーコさんが主導のパフォーマンスが20分近くつづくよどこまでも、なのです。このライヴは映像作品になっているので、ステージの模様を観る事が出来るのですけれど、ヨーコさんのパートでのエリック・クラプトンが「どうすりゃいいんだよ、やってられないなあ」と困惑した表情になっているのが、全てです。ジョンはこの時にジョージ・ハリスンにも声をかけたらしいのですけれど、ジョージからは「前衛音楽はやりたくない」と断られたそうです。しかしながら、そのジョージ自身が同じ1969年にアルバム「ELECTRONIC SOUND(電子音楽の世界)」などと云うガラクタ音源のトンデモ盤をリリースしているわけで、前衛音楽がイヤなのではなく、ヨーコさんが勝手にジョージのビスケットを食べてしまったので、共演したくなかったのではないですかね。知らんけど。
(小島イコ)