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2024年12月01日

「浅見光彦〜最終章〜」第1話(再)

浅見光彦 ~最終章~  (沢村一樹 主演) [DVD]


ミステリーチャンネル 20:00〜22:00

第1話「恐山・十和田・弘前編」

片瀬那奈 AS 藤波紹子(第1話マドンナ)

「浅見光彦〜最終章〜」第1話の、今年9回目の再放送です。「最終章」となっていますが、ソレは「エロス沢村版」が2時間ドラマのシリーズであって、ソノ「最終章」であって、「浅見光彦シリーズ」としては其の前も其の後もキャスティングを変えて制作されています。那奈ちゃんが演じた藤波紹子さんは料理人で、連続殺人事件に関わっている役どころです。基本的にはシリアスなドラマなのですが、エロスと那奈ちゃんが並ぶとコントが始まりそうで笑ってしまいます。初回スペシャルだったので、2時間ドラマの尺があります。



(小島イコ/姫川未亜)

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「ポールの道」#571「GEORGE'S SINGLES」#34「MY SWEET LORD(2000) / ALL THINGS MUST PASS」

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1992年7月に2枚組のライヴ盤「LIVE IN JAPAN」をリリースした後に、ジョージ・ハリスンは再び長い沈黙を続ける事となりました。しかし、それはソロ・アルバムがリリースされなかっただけで、ジョージは多くのミュージシャンのレコードに参加していて、得意のスライド・ギターを披露しています。アルバム「CLOUD NINE」で大復活を遂げた1987年には、デュアン・エディ、ラヴィ・シャンカール先生、覆面バンド・トラヴェリング・ウィルベリーズを結成した1988年には、シルビア・グリフィン、ゲイリー・ライト、ジム・キャパルディ、ベスト盤をリリースした1989年には、ロイ・オービソン、トム・ペティ、ベリンダ・カーライル、エリック・クラプトン、トラヴェリング・ウィルベリーズの2作目をリリースした1990年には、ヴィッキー・ブラウン、ゲイリー・ムーア、ジェフ・ヒーリー・バンド、ジム・ホーン、ジェフ・リン、エリック・クラプトン、ボブ・ディラン、等々のレコードに参加しています。

来日公演が実現した1991年には、デル・シャノン、来日公演を収録したライヴ盤をリリースした1992年には、ジミー・ネイル、アルヴィン・リー、1993年には1992年に開催された「ボブ・ディラン30周年記念コンサート」、1994年には、アルヴィン・リー、1995年には、ゲイリー・ライト、1996年には、ラヴィ・シャンカール先生、カール・パーキンス、1997年には、ラヴィ・シャンカール先生、1998年には、盟友・リンゴ・スター、1999年には、レモ・フォー(1967年の音源)、2000年には、ルビーホース、2001年には、エレクトリック・ライト・オーケストラ(ELO=ジェフ・リン)、ビル・ワイマンズ・リズム・キングス、ジム・キャパルディ、ジュールズ・ホーランド、と云った面々のレコードに参加しています。

そんな中でも、1995年から1996年にリリースされたビートルズの「ANTHOLOGY」プロジェクトで、ジョン・レノンのデモ音源にポール・マッカートニーとジョージ・ハリスンとリンゴ・スターがオーバーダビングして、ビートルズの新曲「FREE AS A BIRD」と「REAL LOVE」を完成させて、その時に完成できなかった「NOW AND THEN」は、2023年に「ビートルズ最後の新曲」としてリリースされたのです。ポールは2024年現在のツアーで「NOW AND THEN」もセットリストに入れています。1990年代中頃には、そうしてビートルズの「ANTHOLOGY」があったので、そもそも元ビートルズの3人はバッティングするから新作ソロ・アルバムをリリースできなかったわけで、ジョージが沈黙している事にも多くの人は気が付かなかったのでした。

そんな中でジョージは、2001年1月にアルバム「ALL THINGS MUST PASS」30周年記念盤をリリースしました。ジョージの生前に最後にレコーディングされたのは、ジュールズ・ホーランドのアルバムに収録された「HORSE TO THE WATER」ですけれど、それはオムニバス盤なので、ジョージ名義の生前最後のアルバムは「ALL THINGS MUST PASS」30周年記念盤です。オリジナルの3枚組をCD2枚組にして、オリジナルのフィル・スペクターによる「ウォール・オブ・サウンド」をクリアにしていて、未発表曲やアウトテイク(「WHAT IS LIFE」でエリック・クラプトンがリード・ギターを弾き捲るうるさいカラオケ・テイクも聴ける)も加えていますが、新録として「MY SWEET LORD(2000)」も収録されています。それは、オリジナルのベーシック・トラックにジョージが新たにヴォーカルをダビングしたテイクで、シングルにもなっていて、B面は「ALL THINGS MUST PASS」です。ジョージの生前最後のシングルはこれなのです。ジャケットはカラーになって、ブックレットでは背後にビルや高速道路ができていて、正に「ALL THINGS MUST PASS」なのです。

(小島イコ)

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2024年12月02日

「ポールの道」#572「GEORGE'S SINGLES」#35「MY SWEET LORD / LET IT DOWN / MY SWEET LORD(2000)」

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2001年11月29日に、ジョージ・ハリスンは闘病生活の末に58歳で亡くなりました。それで、ジョージの生前の遺作アルバムは「ALL THINGS MUST PASS」30周年記念盤となったのです。ジョージの死をうけて、EMIは追悼シングルとして「MY SWEET LORD / LET IT DOWN / MY SWEET LORD(2000)」を2002年1月にリイシューしました。シングルCDでのリリースで、収録された3曲は全てがアルバム「ALL THINGS MUST PASS」30周年記念盤からの音源です。表題曲の「MY SWEET LORD」は、全英チャートで31年ぶりに首位!を獲得しています。カップリングされたのは「LET IT DOWN」と「MY SWEET LORD(2000)」で、「LET IT DOWN」は1970年11月リリースのアルバム「ALL THINGS MUST PASS」に収録されたのが初出ですけれど、1969年1月のビートルズの「THE GET BACK SESSIONS」の時にはもう出来ていて、ビートルズとしてリハーサルやレコーディングをしていた曲のひとつです。

他にも「SOMETHING」や「OLD BROWN SHOE」や「FOR YOU BLUE」や「I ME MINE」と云ったビートルズで発表出来た曲に加えて、「ISN'T IT A PITY」や「ALL THINGS MUST PASS」や「HERE ME LORD」なども演奏していたし、「ART OF DYING」に至っては、1966年リリースのビートルズのアルバム「REVOLVER」の頃に書いた楽曲です。アルバム「ALL THINGS MUST PASS」がアナログ盤では3枚組だったのは、それだけジョージの曲がビートルズではボツになっていたからです。ジョン・レノンは結構ジョージの事を認めていて、1968年には「THE INNER LIGHT」を、1969年には「SOMETHING」を、それぞれシングルにする事を勧めているので、ジョージの曲をボツにしていたのは、ポール・マッカートニーだったのでしょう。ジョージは1999年に「OBE(大英帝国勲章)」の授章を拒否しているのですけれど、その理由としては、ポールが1997年に授賞した「ナイト(司令官騎士)」よりも下の階級だったからだと云われています。

映画「LET IT BE」やドキュメンタリー映画「GET BACK」を観ると、ポールとジョージの仲の悪さが伝わってくるのですけれど、それはポールがジョージを弟分扱いしているからなんですよね。ポールとジョージは8ヶ月位しか歳が離れていなくて、日本だったなら同学年なんですけれど、ポールは「ジョージをビートルズに加入させたのは僕だ」と云う絶対的な立場で、常にジョージに対しては上から目線なのです。何せポールは「ギターを弾くな」とか「ギターはジョンだけでいい」とか、ジョージに面と向かって云うんですから、ジョージはやっていられないでしょう。ジョージとしては、リーダーでもあって年上のジョンに文句を云われるのならば仕方がなくとも、ポールにはアレコレと云われたくないんですよ。それから、この追悼シングルで面白いのは、「MY SWEET LORD(2000)」もカップリングされている事で、同じベーシック・トラックを使っているのに歌メロが違っているのです。つまり、新世紀ヴァージョンのメロディーは「HE'S SO FINE」とは全く違っているわけで、ジョージが「これでも盗作と云うのかい?」と云っている様にも聴こえます。

(小島イコ)

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2024年12月03日

「劇場版TRICK 霊能力者バトルロイヤル」

劇場版TRICK 霊能力者バトルロイヤル 超完全版 (2枚組) [DVD]


WOWOWプラス 14:00〜16:15

2010年公開作品

片瀬那奈 AS 杉尾園子

(公開:2010年5月8日、撮影:2009年11月頃、栃木県佐野市にてロケ)

「劇場版TRICK 霊能力者バトルロイヤル」の今年6回目の放送で、今回も劇場版4作が2日に渡って放送されます。那奈ちゃんが演じたのは、インチキ霊能力者の杉尾園子で、ほとんど出オチです。もう何度も放送されていて、些か食傷気味ですけれど、大谷選手の記念ボールを見せる社長秘書としてテレビ出演なんかされるよりは、ずっとマシですなあ。この映画は、シリアスなんだかコメディーなんだかよく分からないのですけれど、マツケンさんが唱える呪文が「バンサンケツマ」なので、たぶん笑うところなんでしょうなあ。


(小島イコ/姫川未亜)

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「ポールの道」#573「GEORGE'S SINGLES」#36「ANY ROAD / MARWA BLUES」「STUCK INSIDE A CLOUD」

ブレインウォッシュド


2001年11月29日に病死したジョージ・ハリスンですが、生前に新作アルバムを制作していました。その音源に、盟友・ジェフ・リンと愛息・ダニー・ハリスンを中心にオーバーダビングして、ジョージの12作目でビートルズ解散後では10作目で遺作のスタジオ・アルバム「BRAINWASHED」を、2002年11月18日にダークホース/パーロフォン(英国)・ダークホース/キャピトル(米国)からリリースしました。ジョージの音源は、この時点で古巣であるパーロフォン傘下に戻っていた様で、後のボックス・セットなどは、ワーナー時代の音源も含めてパーロフォンからリイシューされています。内容は、1「ANY ROAD」、2「P2 VATICAN BLUES(LAST SATURDAY NIGHT)」、3「PISCES FISH(魚座)」、4「LOOKING FOR MY LIFE」、5「RISING SUN(悠久の輝き)」、6「MARWA BLUES」、7「STUCK INSIDE A CLOUD(あの空の彼方へ)」、8「RUN SO FAR」、9「NEVER GET OVER YOU」、10「BETWEEN THE DEVIL AND THE DEEP BLUE SEA(絶体絶命)」、11「ROCKING CHAIR IN HAWAII」、12「BRAINWASHED」の、全12曲入りです。「BETWEEN THE DEVIL AND THE DEEP BLUE SEA」がキャブ・キャロウェイのカヴァーで、他の11曲はジョージのオリジナルです。

レコーディング・メンバーは、ジョージ・ハリスン(ヴォーカル、ギター、ウクレレ、ベース、キーボード、フィンガー・シンバル)、ジェフ・リン(ギター、ベース、キーボード、バッキング・ヴォーカル)、ダーニ・ハリスン(ギター、ウーリッツァー、バッキング・ヴォーカル)、マーク・フラガナン(アコースティック・ギター)、ジョー・ブラウン(アコースティック・ギター)、ハービー・フラワー(ベース、チューバ)、マイク・モーラン(キーボード)、マーク・マン(キーボード、ストリングス・アレンジ)、ジュールズ・ホーランド(ピアノ)、ジョン・ロード(ピアノ)、ジム・ケルトナー(ドラムス)、レイ・クーパー(ドラムス、パーカッション)、バイクラム・ゴーシュ(タブラ)、ジェーン・リスター(ハープ)、サム・ブラウン(バッキング・ヴォーカル)、と云った面々です。ドラマーのジム・ケルトナーの話では、ジョージがギターやウクレレで弾き語りした音源に合わせてドラムスを叩いたらしいのですけれど、その辺はジェフ・リンが手堅くまとめているので、違和感はありません。

スタジオ・ソロ・アルバムとしては、前作アルバム「CLOUD NINE」が1987年11月リリースなので、実に15年ぶりでしたが、その間には1988年から1990年までの「トラヴェリング・ウィルベリーズ」もあったし、1989年のベスト盤で新曲を3曲収録していたし、1991年の来日公演を1992年にライヴ盤にしていたし、1995年から1996年にはビートルズの「ANTHOLOGY」があったし、2001年にはアルバム「ALL THINGS MUST PASS」30周年記念盤(ニュー・センチュリー・エディション)もリリースしていました。晩年にラヴィ・シャンカール先生と一緒にテレビ番組に出演した時には「ALL THINGS MUST PASS」や新曲「ANYROAD」をギターの弾き語りで披露していたので、このアルバム「BRAINWASHED」はコツコツと15年かけてレコーディングされているのでしょう。まあ、それは大袈裟ですけれど、少なくとも3年はかかっていて、アルバムは、全英29位・全米18位まで上がっています。シングル・カットはアルバム冒頭の「ANYROAD」で、カップリングの「MARWA BLUES」は、2004年のグラミー賞最優秀ポップ・インストゥルメンタル・パフォーマンス賞を受賞しています。米国では、プロモーション・シングル「STUCK INSIDE A CLOUD(あの空の彼方へ)」もリリースされています。と云う事で、残念ながらジョージのシングルはこれでおしまいです。次回からは、また別のテーマで書いてゆく事となります。

(小島イコ)

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2024年12月04日

「ポールの道」#574「MORE THE BEATLES’ BEST CD」

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ビートルズの米国盤シングル47枚も、ポール・マッカートニーの80枚組シングルの箱も、4人の提供曲も、ジョージ・ハリスンのシングル36枚も書き終えたので、次の連載はもう決めているのですけれど、その前に一寸寄り道して、ビートルズの「パチモン」について書きます。以前もビートルズの「パチモン」については書いていて、それで聴き比べしようと旧CDでアルバムを全て二束三文で買い戻した話をしました。それでも「パチモン」には魅力があって、かつての1977年縛りと、現在の1967年縛りの箱なんかを見つけると、中古盤が3枚組で280円位で叩き売りされているので買ってしまいます。公式盤の旧CDが1枚で380円位なので、当然ながら「パチモン」はもっと安くなるわけです。それで、一体いつから1977年縛りが1967年縛りになったのかを探ると、どうやら1992年からそうなったみたいなのです。大抵の「パチモン」は、制作年月日が明記しておらず、それが謎だったのですけれども、1991年頃に売られた「絶滅シリーズ」と云う「パチモン」があってですね、堂々とジャケットにはビートルズの写真を載せているのですけれど、それの帯に「最終入手可能日:平成3年(1991年)12月31日」と書いてあるのです。

それで、1992年からは1967年縛りになったのではないか、と推察されるわけで、ビートルズのCDだと「A HARD DAY'S NIGHT SPECIAL」と「HELP! SPECIAL」と「RUBER SOUL SPECIAL」と「REVOLVER SPECIAL」と「S.G.T. PEPPER'S SPECIAL」と「HEY JUDE SPECIAL」と「ABBEY ROAD SPECIAL」の7枚は集めました。「ABBEY ROAD SPECIAL」が第9巻目になっているので、少なくともあと2枚はあるのでしょう。これらの特徴は、オリジナル・アルバムをそのまんま入れた後に、ボーナス・トラックとしてライヴ音源やアウトテイクを入れているのです。つまり、パイレート盤とブートレグを合わせたカタチで、しかも「A HARD DAY'S NIGHT」の様に当時は公式盤CDがモノラルだけだったアルバムもステレオになっています。このシリーズには、ジョンやポールやローリング・ストーンズやレッド・ツェッペリンもあってですね、ジョンの「SOUL OF JOHN LENNON」と「IMAGINE WORLD」は持っています。それぞれがアルバム「JOHN LENNON / PLASTIC ONO BAND(ジョンの魂)」とアルバム「IMAGINE」の本編に、それぞれのアウトテイクを加えた構成で、水増し「なんちゃってリミックス」を入れた公式盤の箱なんかよりも良い感じです。

箱の「パチモン」も以前に紹介した以降で2箱買っていて、まずは「THE BEATLES BEST SELECTION 1962-1970」3枚組全60曲で、1977年縛り時代のCDです。コレがマタ、「赤盤」と「青盤」をCD3枚組にしたものではなくてですね、独自の選曲になっているのです。1曲目が「LOVE ME DO」なのは「赤盤」と同じですけれど、2曲目が「P.S. I LOVE YOU」で、3曲目が「BOYS」です。他にも「PLEASE MR POSTMAN(原文ママ)」、「I WANNA BE YOUR MAN」、「TWIST AND SHOUT」、「ASK ME WHY」、「I SAW HER STANDING THERE」、「ROLL OVER BEETHOVEN」、「ANNA(GO TO HIM)」、「MONEY(THAT'S WHAT I WANT)」、「ANYTIME AT ALL」、「IF I FELL」、「LONG TALL SALLY」、「ROCK AND ROLL MUSIC」、「SLOW DOWN」、「DIZZY MISS LIZZY」、「I'VE JUST SEEN A FACE」、「I'M DOWN」、「GOOD DAY SUNSHINE」、「HERE, THERE AND EVERYWHERE」、「OH! DARLING」、「BECAUSE」、「RAIN」、「BIRTHDAY」、と云ったオリジナルの「赤盤」と「青盤」には未収録だった曲も多く選曲されています。「青盤」にも入っている「GET BACK」と「LET IT BE」は、こちらではアルバム・ヴァージョンです。音源は、旧CDをコピーしたと思われます。歌詞カードが付いていて「ROCK AND ROLL MUSIC」の歌詞が出鱈目なのも、旧CDと同じです。

もうひとつの「パチモン」箱もCD3枚組全60曲入りなのですが、タイトルが「THE BEATLES STORY 1962-1967」となっていて、1967年縛りになってからの「パチモン」です。こちらは「SUPER HITS」と「ROCK'N ROLLS」と「LOVE BALLADES」と1枚づつテーマがあってですね、1枚目の「SUPER HITS」は「LOVE ME DO」、「PLEASE PLEASE ME」、「FROM ME TO YOU」、「SHE LOVES YOU」、「I WANT TO HOLD YOUR HAND」と云った大ヒット曲を1962年から1967年までの音源で収録しています。公式盤の「1」から1968年以降の曲を抜いた様な構成ですが、2位止まりだった「PLEASE PLEASE ME」と「STRAWBERRY FIELDS FOREVER」が収録されているので「1」よりも良い出来栄えです。「SGT. PEPPER'S LONELY HEARTS CLUB BAND」が♪ビーリーシアーズ♪まででフェイドアウトするのも一興です。2枚目の「ROCK'N ROLLS」は、公式盤で未CD化の「ROCK’N'ROLL MUSIC」を元ネタにした様なロックンロール集で、カヴァー曲が多く、カヴァーの帝王・ジョン・レノンの魅力がたっぷりなのですが、何故かポールの駄作「HOLD ME TIGHT」なども選曲されています。こちらでは簡単な解説と歌詞カードが付いていますが、同じく「ROCK AND ROLL MUSIC」の歌詞が出鱈目のままです。ちなみに、この「ROCK'N ROLLS」全20曲は、オリジナルの「赤盤」と「青盤」と被っているのは1曲もありません。

3枚目の「LOVE BALLADES」は、公式盤で未CD化の「LOVE SONGS」が元ネタの様な構成で、どうしてもポールの寝ぼけ節が中心となってしまいます。1曲目から「YESTERDAY」で、1枚目の「SUPER HITS」と重複しているので、本当は全59曲です。ジョンの歌も入れようとしたのか、「ASK ME WHY」や「ALL I'VE GOT TO DO」や「YOU REALLY GOT A HOLD ON ME」と云った渋いところも入っています。音源に関しては、「LOVE ME DO」と「SHE LOVES YOU」と「SHE'S A WOMAN」と「YES IT IS」以外は全てがステレオになっています。と云う事はですね、アルバム「PLEASE PLEASE ME with Love Me Do and 12 other songs」とアルバム「WITH THE BEATLES」とアルバム「A HARD DAY'S NIGHT」とアルバム「BEATLES FOR SALE」の4作は旧CDではモノラルだったので、ソレが元になっているのではないのです。だったら2009年リマスターが元ネタかと云えば、それも怪しいのです。何故ならば、その時点では「LOVE ME DO」と「SHE LOVES YOU」はモノラルだったけれど、「SHE'S A WOMAN」と「YES IT IS」は旧CDの1988年の「PAST MASTERS」の時点でステレオだったのですよ。何故にモノラルを入れたのかの説明がつかないし、前述の通り「ROCK AND ROLL MUSIC」の歌詞が出鱈目だし、「LOVE ME DO」はリンゴ・ヴァージョンだし、「PLEASE PLEASE ME」は歌詞を間違えるステレオ・ヴァージョンだし、一体、何からコピーしているんでしょうなあ。

(小島イコ)

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2024年12月05日

「ポールの道」#575「LENNON SONGS」#00 「LENNON」

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さて、今回の「ポールの道」からは、新企画を始めます。これまでビートルズの米国盤シングル、ポール・マッカートニーのシングル80枚組、4人の提供曲、ジョージ・ハリスンの全シングル36作、と書いてきましたが、今回からはビートルズのリーダーであるジョン・レノンを取り上げます。ジョンの場合は、シングルは死後にリリースされたものを加えても20作位しかないし、オリジナル・ソロ・アルバムは、1970年リリースの「JOHN LENNON / PLASTIC ONO BAND(ジョンの魂)」と、1971年リリースの「IMAGINE」と、1973年リリースの「MIND GAMES」と、1974年リリースの「WALLS AND BRIDGES(心の壁、愛の橋)」の4作しかなく、1975年リリースのカヴァー・アルバム「ROCK'N'ROLL」を加えてもたったの5作です。他に、ヨーコさんとの連名での前衛アルバムが3作、ヨーコさんとの連名のアルバムが遺稿集を加えても3作で、前衛作品を除けば8作しかないのです。それなのにベスト盤は、棚を見たらずらっと10作以上も並んでいます。

ジョンのソロの曲は、100曲あるかないかなので、ベスト盤は繰り返しリリースされているものの、どれも同じ様な選曲となっています。ポールは80歳を超えても尚健在で、ソロやウイングスのシングルだけでも80枚159曲もあるし、寡作だったジョージでさえシングルだけでも70曲以上もあります。それなのにジョンのソロが少ないのは、実質的にジョンがレコードを出していたのが1970年から1975年までと1980年の7年しかなかったからなのです。ジョンのベスト盤で最も優れていると思うのは、没後10年でリリースされたCD4枚組の箱「LENNON」で、全73曲入りです。ところが、内容は全シングルA面曲は勿論、アルバム「JOHN LENNON / PLASTIC ONO BAND(ジョンの魂)」からは全11曲中全曲!、アルバム「IMAGINE」からは全10曲中9曲、アルバム「MIND GAMES」からは全12曲(実質11曲)中5曲、アルバム「WALLS AND BRIDGES」からは全12曲中9曲と、アルバム「MIND GAMES」以外はほとんどの曲が選曲されています。

更に、ヨーコさんとの共作アルバムである1972年の「SOMETIME IN NEW YORK CITY」と、1980年の「DOUBLE FANTASY」と1984年の遺稿集「MILK AND HONEY」からは、ジョンがソロで歌っている全曲を収録しているのです。つまり、CD4枚組で73曲入りだと、ほとんど全曲集に近いカタチになってしまうわけですよ。この連載では、タイトル通りに何れ「ビートルズ全曲解説・改」と「ポール・マッカートニー全曲解説」へと進む予定なのですけれど、だったら、まずは「ジョン・レノン全曲解説」をやるべきだと思いました。全曲解説と云うと大変そうに思われるでしょうけれど、前述の通り、残念ながら道半ばで殺されてしまったジョンの楽曲は、驚く程に少なくて、既にポールのシングル80枚組をやったので、それ程に難しい試みではありません。最初のヨーコさんとの前衛3部作とか、死後にリリースされたライヴ音源やアウトテイク集と云った「THE LOST LENNON TAPES」などの位置付けをどうしようか、と考える程度ですので、気楽にお付き合い下さい。

(小島イコ)

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2024年12月06日

「雲霧仁左衛門3」第五回、第六回(再)で内山理名ちゃん

NIAGARA MOON -40th Anniversary Edition-


時代劇専門チャンネル 14:00〜15:45

第五回「奪還」
第六回「月下の誓い」

内山理名 AS 七化けのお千代

「雲霧仁左衛門3」第五回と第六回の、今年3回目の再放送です。第五回は、富の市とおかねを奪還するお話です。雲霧一党は、式部の罠だと知りつつも挑戦します。江戸での奪還に失敗した一党は、最後の賭けに出ます。お千代姐さんはお婆さんに化けたりしました。脱獄に成功する一党ですが、待ち伏せされていました。隠れ家に逃げ込み、難を逃れました。

第六回の狙いは日本橋・松井屋です。他の組織とは組まない仁左衛門ですが、押し込み先の名を聞いて囮役を引き受けます。それを式部に見破られ、緊迫した展開となります。お千代姐さんは、夜回りに化けたりしました。暁一等の裏切りにも遭って、雲霧一党は絶体絶命の危機となりますが、なんとか逃れました。

ところで、来年(2025年)1月5日から「雲霧仁左衛門 ファイナル」が放送されます。しかしながら、出演者に理名ちゃんの名前は見当たりません。七化けのお千代姐さんは「ファイナル」にも出番がないのか、もしくは別の方が演じるのかは分かりませんけれど、最後なのですから、理名ちゃんに出演して欲しいんですけれどねえ。

本放送:2017年2月3日2月10日(NHK BSプレミアム)

(姫川未亜/小島イコ)

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「ポールの道」#576「LENNON SONGS」#01 「JOHN LENNON AND YOKO ONO」

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ジョン・レノンのソロ活動が何処から始まったのかと云うと、避けて通れないのがヨーコさんとの前衛3部作です。ジョンはヨーコさんとの共作として、1968年11月にアルバム「UNFINISHED MUSIC No.1:TWO VIRGINS」を、1969年5月にアルバム「UNFINISHED MUSIC No.2:LIFE WITH THE LIONS」を、そして1969年11月にアルバム「WEDDING ALBUM」をリリースしています。ジョンの全曲解説を始めるにあたって、この3作の位置付けをどうするかが難点でしたけれど、最初にまとめて紹介だけしておく事にしました。まずは最初の「TWO VIRGINS」ですけれど、コレはですね、1968年5月に妻だったシンシア・レノンが留守中に、ジョンがヨーコさんを自宅に引っ張り込んで、二人で初めて共作をした音源です。ジョンによれば、その日に初めてジョンとヨーコさんは男女の仲になったらしいのですけれども、内容は滅茶苦茶で、アヴァンギャルドと云えば聞こえは良いでしょうけれど、聴くに堪えないガラクタ音源です。ジョンがやる事は何でも肯定する音楽評論家が日本には多いので神格化されているものの、こんなガラクタ音源まで好き好んで祭り上げるのは違うでしょう。そんなに良いなら、ベスト盤に選曲されるわけですけれど、そもそも曲としては成り立っていないのですから、ベスト盤には入れる所がないのです。

アルバム「TWO VIRGINS」は、ジャケット写真がジョンとヨーコさんの全裸の2ショットで、内容よりもそちらの方が有名です。そのジャケットのせいで、EMIやキャピトルからはリリースを拒否されて、別のレコード会社から出ていますけれど、普通は拒否するでしょう。ポール・マッカートニーが気を遣って訳が分からない推薦文を寄せていますが、リンゴ・スターには「ジョンはコレでいいと思っても、他のメンバーもいるんだから、いい加減にしてくれよ」と苦言を呈されています。それでも当時のジョンの暴走は止まらず、1969年5月にアップル内での実験作用の別レーベルであるザップルからリリースしたのが、2作目の「LIFE WITH THE LIONS」です。アナログではA面全てが「CAMBRIDGE 1969」で、1969年3月にヨーコさんがケンブリッジ大学で行ったパフォーマンスで、シークレット・ゲストとしてジョンも演奏に加わっているものの、観客は「俺はヨーコさんの芸術を分かっているぜ」と云う日本の評論家みたいな連中だったので、大騒ぎにはなっていません。内容は、ヨーコさん主導ですから、一回聴くのも辛い音源です。B面は1968年11月にヨーコさんが流産する記録を入院中の病院で録音したもので、アルバムには呆れたサー・ジョージ・マーティンが「ノー・コメント」と推薦文を寄せています。

ジョンとヨーコさんは1969年3月20日に結婚して、その記念に1969年11月にアップルからリリースしたのが、アルバム「WEDDING ALBUM」です。こちらは箱入りで、色んなオマケも付いているのですけれど、内容は、A面が心臓の鼓動をバックに20分以上もお互いに名前を呼び合うだけの「JOHN & YOKO」で、B面の「AMSTERDAM 1969」はベッド・イン・イベントの記録で、何にせよ、通常の大衆音楽からはかけ離れた音源集です。ジョンとしては、結婚式での二人の記録を見せる様な感覚で、自分には世界中にファンがいるので、それをレコードにして発売したとの事なんですけれども、何かズレているんですよ。このアルバムは、ジョージ・ハリスンも買ったらしいのですけれど、普通ならサンプル盤をもらうでしょう。これらの前衛アルバムは、リリース当時も、2024年の現在でも、世界的なスーパースターだったジョンが、日本人の前衛芸術家に入れ込んで「バカになった」と揶揄されていて、概ねその評価は当たっていると思います。どれもが聴くに耐えない音源ばかりですし、ジョンはそもそもがロックンローラーなのですから、位置付けに困るレコードではあります。ジョンとヨーコさんは、ジョンが亡くなるまで「共作」に拘ったものの、所謂ひとつの「失われた週末」時代でヨーコさんと離れていた時期のアルバム「WALLS AND BRIDGES」やアルバム「ROCK'N'ROLL」が好きな者としては、対極にあるレコードだとしか云えません。

(小島イコ)

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2024年12月07日

「デスノート the Last name」

DEATH NOTE デスノート the Last name (スペシャルプライス版) [Blu-ray]


WOWOWシネマ 10:15〜12:40

2006年公開作品

片瀬那奈 AS 高田清美

(公開:2006年11月3日、撮影:2006年6月2日〜7月31日)

「デスノート the Last name」の、今年、なな、なんと12回目の放送です。第1作から続けて放送されますが、完結編であるこちらは原作マンガとは大きく違った展開となり、那奈ちゃんが演じた高田清美も「第3のキラ」として原作マンガとは名前が同じなだけで全く違った役どころとなっています。原作マンガの複数のキャラクターから摘まんでいるものの、映画オリジナルのキャラクターと云える改変で、非常に印象的な役どころです。この映画で金子修介監督が那奈ちゃんを気に入って、後に主演映画「こいのわ 婚活クルージング」を監督する事となりました。本日は、実写版「デスノート」のスピンオフ作品も含めた4作全てが連続放送されます。


(小島イコ/姫川未亜)

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「ポールの道」#577「LENNON SONGS」#02 「YER BLUES」

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ビートルズの4人を紹介する時には、ジョン・レノン、ポール・マッカートニー、ジョージ・ハリスン、リンゴ・スター、の順となります。それは、加入した順になっていて、ビートルズの前身であるクオリーメンはジョンが結成して、そこにポールが加入して、ポールの紹介でジョージが加入して、ジョンの親友であり二人でグループ名を「THE BEATLES」と命名したスチュアート・サトクリフも加入したもののポールにいじめられたのとアートがやりたくて脱退後21歳で病死して、ドラマーのピート・ベストも加入したもののメジャー・デビュー直前に解雇されて、リンゴが加入したのです。つまり、最初からいたのはジョンだけなので、ジョンはビートルズ以外の音楽活動は経験していませんでした。ところが、いくら前衛作品であったとしても、1968年11月にジョンとヨーコさんの最初の共作アルバム「TWO VIRGINS」がリリースされた事で、事態は変化してゆきました。但し、それでもポールとジョージはソロ名義でサントラ盤に関わっていたので、ジョンの前衛作品もその範疇だと思われていたのです。ところが、1968年12月10日から12日に撮影されたローリング・ストーンズの特別番組「ROCK AND ROLL CIRCUS」に「THE DIRTY MAC」と云うバンドが出演した事で意味合いが違ってしまいます。契約の問題などで1996年までリリースされなかった幻の番組でしたが、本来ならば1969年1月1日に放送される予定でした。

この特番はローリング・ストーンズがメインで演奏して、何組かのゲストを迎えてそれぞれが演奏して、マイケル・リンゼイ=ホッグが監督した作品です。マイケル・リンゼイ=ホッグ監督は、その前にビートルズの1966年のシングル「PAPERBACK WRITER」と「RAIN」の、1968年のシングル「HEY JUDE」と「REVOLUTION」のプロモーション・フィルムを監督していて、その後に1969年に撮影して1970年に公開されたビートルズの映画「LET IT BE」を監督する事となります。マイケル・リンゼイ=ホッグ監督は、最初はポールに出演交渉をしたらしいのですが、返事が遅れて、待ちかねたのでジョンに電話をしたら、二つ返事で出演が決まりました。そして、1968年12月11日の撮影に、ジョンは当時クリームのエリック・クラプトンと、当時ジミ・ヘンドリックス・エクスペリエンスのミッチ・ミッチェルを連れてやって来て、ジョンがヴォーカルとギターで、エリック・クラプトンがリード・ギターで、ミッチ・ミッチェルがドラムスで、ローリング・ストーンズのキース・リチャーズにベースを弾かせた「THE DIRTY MAC」として出演して、当時リリースされたばかりだったビートルズのアルバム「THE BEATLES(ホワイト・アルバム)」に収録されているジョンが主導で書いたレノン=マッカートニー作品である「YER BLUES」を演奏したのです。その後に現在では「WHOLE LOTTA YOKO」と呼ばれる曲も披露していますが、そちらは「YER BLUES」のジャム・セッションにヨーコさんが「キエー!」と叫んで、イヴリー・ギトリスによるヴァイオリンが絡む展開です。

つまり、この時にジョンは、初めてビートルズ以外のメンバーでマトモな曲を演奏したわけです。しかも、バンド名が「THE DIRTY MAC」(「FLEETWOOD MAC」と、ポールを揶揄した名前)ですから、ポールはショックを受けたでしょう。それでポールはジョンをビートルズに戻す為に「THE GET BACK SESSIONS」を、翌1969年1月2日から開始してしまい、それが頓挫した事で解散へと向かうのでした。ジョンはまだビートルズが存続していた1969年9月13日に、勝手にトロントで開催された「トロント・ロックンロール・リヴァイヴァル」に出演して、ジョンがヴォーカルとギターで、エリック・クラプトンがリード・ギターで、クラウス・フォアマンがベースで、アラン・ホワイトがドラムスの布陣で「ザ・プラスティック・オノ・バンド」として、やはり「YER BLUES」を演奏しています。その時に披露した楽曲は、追々紹介してゆきますが、そのライヴが上手くいったので、ジョンは直後の9月20日にビートルズからの脱退を告げるのです。エリック・クラプトンを最初に「WHILE MY GUITAR GENTLY WEEPS」でビートルズのレコーディングに参加させたのは親友であるジョージですけれど、ボスであるジョンが承諾しなければ無理だったし、ジョンはエリック・クラプトンを気に入っていて、ジョージが「THE GET BACK SESSIONS」の途中で脱退した時にも「ジョージが戻って来なかったなら、エリック・クラプトンにギターを弾かせよう」などと云っているのが、現在ではドキュメンタリー映画「GET BACK」で観る事が出来ます。

(小島イコ)

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2024年12月08日

「ポールの道」#578「LENNON SONGS」#03 「GIVE PEACE A CHANCE」

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今年も命日がやって来たジョン・レノンの、ビートルズ以外での音楽活動で最初のポピュラー・ミュージックの範疇に納まる作品は、1969年7月4日(英国)・同年7月7日(米国)にリリースされた「プラスティック・オノ・バンド」名義でのデビュー・シングル「GIVE PEACE A CHANCE / REMEMBER LOVE」のA面曲です。A面がジョンで、B面がヨーコさん、と云う共作スタイルは、この後にジョンが殺されるまで続く事となりました。A面の「GIVE PEACE A CHANCE」は、1969年6月1日にモントリオールのクイーン・エリザベス・ホテルでの「ベッド・イン」でライヴ・レコーディングされていて、ジョンがリード・ヴォーカルとアコースティック・ギター、トミー・スムーザー(ザ・スムーザー・ブラザーズ)がアコースティック・ギター、ヨーコさん、デレク・テイラー、ティモシー・リアリーと妻のローズマリー、ジョセフ・シュワルツ、ペトゥラ・クラーク、ディック・グレゴリー、アレン・ギンズバーグ、マレー・ザ・K、フィル・スペクター、そして報道陣などがコーラスで参加しています。この楽曲はジョンの単独作なのですけれど、1969年のリリース時から1997年のベスト盤でジョンの単独名義になるまでは、レノン=マッカートニー作品となっていました。ジョンはソノ件に関しては、明確な理由を語ってはいません。

ラップの元祖とも云えるジョンが韻を踏んで語り口調のAメロから、誰もが覚えやすいサビへと移る、単純明快なメッセージ・ソングとなっていて、ジョンは1969年9月13日のトロントでの「トロント・ロックンロール・リヴァイヴァル」でのジョンのパートの最後に「今日はこの曲を演奏しにやって来た」と云って演奏していて、1972年8月30日の「ワン・トゥ・ワン・コンサート」でも最後に演奏していて、終演後にはニューヨークの街を観客と大合唱して練り歩いたそうですが、はた迷惑な話ですなあ。「平和を我等に」と邦題が付けられたシングル「GIVE PEACE A CHANCE」は、全英2位・全米14位となっています。この曲はアルバム未収録でしたが、1975年10月にリリースされたジョン自身が制作した生前では唯一のベスト盤「SHAVED FISH」には、A面の最初にフェイドインしてフェイドアウトするシングルの短縮ヴァージョンが、B面の最後には「ワン・トゥ・ワン・コンサート」でのライヴ音源のサワリが収録されています。そのライヴ音源は、前座で出演したスティーヴィー・ワンダーがリード・ヴォーカルを担当した部分が使われています。そのコンサートは、1986年に「LIVE IN NEW YORK CITY」としてライヴ盤になったものの、昼夜公演だった事もあり、スティーヴィー・ワンダーの熱唱はブートレグでしか聴けません。

ジョンの死後には、1982年(CD化は1989年)のベスト盤「THE JOHN LENNON COLLECTION」、1988年のサントラ盤「IMAGINE」、1990年のベスト盤CD4枚組「LENNON」、1997年のベスト盤「LENNON LEGEND」(この時からジョンの単独作に変更)、2005年のベスト盤「WORKING CLASS HERO」、2006年のサントラ盤「THE U.S. VS. JOHN LENNON」、2010年のベスト盤「POWER TO THE PEOPLE」、同年のベスト盤CD4枚組の小箱「GIMME SOME TRUTH」、2020年のベスト盤「GIMME SOME TRUTH.」と云ったベスト盤にはシングル・ヴァージョンが収録されている定番曲のひとつです。1998年リリースの未発表音源集「JOHN LENNON ANTHOLOGY」にはリハーサル音源が、2021年リリースの「JOHN LENNON / PLASTIC ONO BAND(ジョンの魂)」の箱にはアウトテイクが収録されています。最初は共作者だったはずのポール・マッカートニーは、1990年6月28日のリヴァプール公演で「STRAWBERRY FIELDS FOREVER」と「HELP!」と「GIVE PEACE A CHANCE」を通称「レノン・メドレー」としてライヴで初披露していて、シングルのカップリングでリリースしています。ポールはその後も「A DAY IN THE LIFE」とのメドレーにしたりして、ライヴで披露する様になりました。B面の「REMEMBER LOVE(ヨーコの心)」に関してはスルーしますし、今後もヨーコさんが主導の「曲?」は全部スルーさせていただきます。ヨーコさんは芸術家なのでしょうけれど、音楽家ではないと思うからです。

(小島イコ)

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2024年12月09日

「ポールの道」#579「LENNON SONGS」#04 「BLUE SUEDE SHOES」

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プラスティック・オノ・バンド名義で、1969年7月にシングル「GIVE PEACE A CHANCE」で本格的なソロ活動を始めたジョン・レノンは、1969年9月13日にトロントで行われた「トロント・ロックンロール・リヴァイヴァル」に出演しました。このイベントにはチャック・ベリー、リトル・リチャード、ジェリー・リー・ルイス、ジーン・ヴィンセント、と云ったロックンロールの先駆者の他にも、シカゴやドアーズまで出演したらしいのですけれど、チケットの売れ行きが悪く、プロモーターがジョンに挨拶だけでいいから来てくれないか、と打診したところ、ジョンは「演奏させてくれるなら行く」と応えて出演が決まりました。しかし、それはイベントの数日前の事で、リハーサルをやるどころかメンバーすら決まっていなかったのです。ジョンの出演が正式に決まったのはライヴ前日でしたが、それまで2千枚しか売れていなかったチケットは、2万7千枚のソールド・アウトとなったそうです。ジョンは自らのヴォーカルとギターに加え、エリック・クラプトンにギターを、クラウス・フォアマンにベースを、そして後にイエスに加入するアラン・ホワイトにドラムスを依頼して、トロントへ向かう飛行機の中で曲を決めてリハーサルをやって、ぶっつけ本番でステージに立ったのでした。ジョンは本番前になって歌詞を覚えていなかった事などでナーバスになって、出演したくないと云い出したそうです。

しかし、そこはジョンですので、本番はビシッとキメて、ビートルズのアルバム「ABBEY ROAD」のジャケットで着ている白いスーツ姿で勇姿を魅せたのです。この時のライヴは、1969年12月12日に「LIVE PEACE IN TORONTO 1969」としてアップルからリリースされています。アルバムのA面はジョンが主導で、B面はヨーコさんの「キエーッ!」です。ジョンが主導のA面は、1「BLUE SUEDE SHOES」、2「MONEY」、3「DIZZY MISS LIZZY」、4「YER BLUES」、5「COLD TURKEY」、6「GIVE PEACE A CHANCE」の6曲で、「COLD TURKEY」はまだシングルがリリースされる前に初披露しています。1曲目の「BLUE SUEDE SHOES」は、カール・パーキンスが1955年に書いてレコーディングして、1956年1月にシングルでリリースしたのがオリジナルで、シングルのB面はビートルズが1964年のアルバム「BEATLES FOR SALE」でカヴァーしている「HONEY DON'T」です。敢えてB面曲をカヴァーしているのが、ビートルズらしいのです。ビートルズの「HONEY DON'T」は、アルバムではリンゴ・スターが歌っているものの、元々はジョンが歌っていて、ジョンのヴォーカル・ヴァージョンはBBCのライヴ音源で聴けます。「HONEY DON'T」は、1970年のアルバム「JOHN LENNON / PLASTIC ONO BAND(ジョンの魂)」のリハーサルでも演奏しています。

ビートルズはカール・パーキンスの曲を沢山カヴァーしているし、カール・パーキンスがスタジオに来た事もあったし、ジョンの死後にはポール・マッカートニーもジョージ・ハリスンもリンゴ・スターも共演しています。では、この「BLUE SUEDE SHOES」もその流れでジョンがカヴァーしたのか、と云うと、些か違っています。勿論、カール・パーキンスによるオリジナル・ヴァージョンは、B面の「HONEY DON'T」までカヴァーしているので元にしているわけですけれど、この「BLUE SUEDE SHOES」は、エルヴィス・プレスリーが1956年リリースのデビュー・アルバム「ELVIS PRESLEY」のA面1曲目でカヴァーしているのです。エルヴィスは自分では曲を書かない人なので、カヴァーを多く歌っていて、中にはオリジナルを凌駕する熱唱も多いのです。BBC音源でのビートルズは、レイ・チャールズの「I GOT A WOMAN」や、ジョー・トーマスとハワード・ビッグス作でロイ・ハミルトンが歌った「I'M GONNA SIT RIGHT DOWN AND CRY(OVER YOU)(座って泣きたい)」もジョンのヴォーカルでカヴァーしているのですが、どちらもエルヴィスがデビュー・アルバムでカヴァーしているのです。故に、この「トロント・ロックンロール・リヴァイヴァル」で1曲目にしたのは、エルヴィスの影響が強かったからなのでしょう。

(小島イコ)

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2024年12月10日

「ポールの道」#580「LENNON SONGS」#05 「MONEY(THAT'S WHAT I WANT)」

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1969年9月13日にトロントで行われた「トロント・ロックンロール・リヴァイヴァル」に出演したジョン・レノンが率いる「プラスティック・オノ・バンド」は、2曲目に「MONEY(THAT'S WHAT I WANT)」を演奏しています。これは、ベリー・ゴーディとジェイニー・ブラッドフォードが書いて、1959年8月にバレット・ストロングがシングルでリリースした楽曲のカヴァーです。ジョンは、ビートルズとして1962年1月1日の「デッカ・オーデイション」で披露していて、その時の演奏はジョンやポールが将来がかかっているからか緊張していて、本来のチカラは発揮出来ていません。ドラマーもまだリンゴ・スターではなくピート・ベストだったので、力量不足が感じられます。しかし、ビートルズはメジャー・デビュー後の1963年11月22日にリリースした2作目のアルバム「WITH THE BEATLES」で再びこの楽曲を取り上げていて、レコードではB面最後に収録しています。その他にも、ライヴ・ヴァージョンが「ANTHOLOGY」や「LIVE AT THE BBC」で聴く事が出来ます。米国では1964年4月10日リリースのアルバム「THE BEATLES’ SECOND ALBUM」に収録されていて、日本では1964年6月5日リリースのアルバム「ビートルズ No.2」に収録されて、同日発売のシングル「PLEASE MISTER POSTMAN」のB面にもなっています。

ビートルズのアルバムの最後に収録したと云う事は、それだけ自信があったからで、ビートルズは1963年3月22日リリースのデビュー・アルバム「PLEASE PLEASE ME with Love Me Do and 12 other songs」での「TWIST AND SHOUT」や、1965年8月6日リリースの5作目のアルバム「HELP!」での「DIZZY MISS LIZZY」と云った、ジョンの絶唱がギラリと光るカヴァー・ヴァージョンをアルバムの最後に収録しています。当時のビートルズのアルバムの曲順は、プロデューサーであるサー・ジョージ・マーティンが決めていたらしいのですけれど、彼の耳でも自身がピアノで参加したそのカヴァー・ヴァージョンが重要だと感じたのでしょう。この「トロント・ロックンロール・リヴァイヴァル」でも「MONEY(THAT'S WHAT I WANT)」の次には「DIZZY MISS LIZZY」を演奏しています。このライヴ盤では「DIZZY MISS LIZZY」が「DIZZY MISS LIZZIE」と表記されていますけれど、同じ曲です。「トロント・ロックンロール・リヴァイヴァル」では、ジョンが歌った6曲中で3曲がカヴァーですけれど、それはおそらく即席バンドだった為に、トロントへ向かう飛行機の中でしかリハーサルが出来なかったので、ギターのエリック・クラプトンや、ベースのクラウス・フォアマンや、ドラムスのアラン・ホワイトが、既に知っていて直ぐに演奏出来る楽曲を選んだからでしょう。

特に重要なのは、リード・ギターのエリック・クラプトンで、ノリで誤魔化せるリズム隊の他の二人とは違って、曲やコード進行を知らなければギターを弾けないわけですよ。それで、ビートルズの「YER BLUES」も演奏しているのは、前年である1968年12月11日に収録されたローリング・ストーンズの「ROCK AND ROLL CIRCUS」で既に「THE DIRTY MAC」としてエリック・クラプトンと「YER BLUES」を一緒に演奏していたからだ、とジョンは語っています。おそらく、ポール・マッカートニーはその辺の事情を知らされてはいなくて、2度に渡ってビートルズのレノン=マッカートニー作品を自分抜きで演奏されたのはショックだったでしょうし、この「トロント・ロックンロール・リヴァイヴァル」でもビートルズとしてカヴァーしていた「MONEY(THAT'S WHAT I WANT)」や「DIZZY MISS LIZZY」も演奏された事にも打撃を受けたでしょう。故に、ポールはこのライヴの1週間後の1969年9月20日の会議で今後のビートルズを熱く語ったものの、ジョンに全て否定された挙句、ジョンに脱退宣言をされてしまったのでした。それから、「MONEY(THAT'S WHAT I WANT)」はローリング・ストーンズもカヴァーしていて、ビートルズとローリング・ストーンズが両方共にレコーディングした楽曲は、コレとレノン=マッカートニー作品の「I WANNA BE YOUR MAN」の2曲だけです。

(小島イコ)

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2024年12月11日

「ポールの道」#581「LENNON SONGS」#06 「DIZZY MISS LIZZY」

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1969年9月13日に行われた「トロント・ロックンロール・リヴァイヴァル」で、ジョン・レノンが率いるプラスティック・オノ・バンドが3曲目に披露したのは「DIZZY MISS LIZZY」です。ライヴ盤では「DIZZY MISS LIZZIE」と表記されていますけれど、ここはオリジナルの表記通りに「DIZZY MISS LIZZY」とさせていただきます。この楽曲のオリジナルは、ラリー・ウィリアムズが1958年3月にリリースしたシングルのA面で、B面は「SLOW DOWN」です。つまり、そのラリー・ウィリアムズのシングルは、A面の「DIZZY MISS LIZZY」も、B面の「SLOW DOWN」も、ビートルズがカヴァーしていて、リード・ヴォーカルはどちらもジョンです。ラリー・ウィリアムズはジョンのお気に入りで、他にも「BAD BOY」をビートルズでカヴァーしていて、ソロになっても1975年リリースのカヴァー・アルバム「ROCK'N'ROLL」で「BONY MORONIE」をカヴァーしています。更に、ポール・マッカートニーも、1999年リリースのアルバム「RUN DEVIL RUN」で、ラリー・ウィリアムズの「SHE SAID YEAH」をカヴァーしています。

「DIZZY MISS LIZZY」は、ビートルズの1965年8月6日リリースのアルバム「HELP!」のB面で最後に収録されていますけれど、その前に入っているのが、あの「YESTERDAY」なのです。その辺がビートルズのスゴイところのひとつで、あの傑作バラードで〆ずに、最後はキチンとロックンロールなのです。しかしながら、そのビートルズ・ヴァージョンの「DIZZY MISS LIZZY」は、初出は1965年6月14日リリースの米国キャピトル盤「BEATLES W」なのです。米国キャピトルは水増しアルバムを乱発するだけではなく、本国である英国よりも早くビートルズの新曲を要求していて、「DIZZY MISS LIZZY」と同日にレコーディングされた「BAD BOY」と、ジョージ・ハリスン作の「YOU LIKE ME TOO MUCH」と、レノン=マッカートニー作品の「TELL ME WHAT YOU SEE」の4曲を先にリリースしてしまったのです。それで英国では「BAD BOY」は、1966年12月10日リリースの現役時代唯一のベスト盤「A COLLECTION OF BEATLES OLDIES」に収録されるまで未発表だったのです。たったの1年半位だと思われるかもしれませんが、ビートルズの場合ドンドンと変化してゆくので、1965年前半の曲が1966年後半に出たならば、随分と違うわけですよ。

ビートルズによる「DIZZY MISS LIZZY」は、スタジオ・ライヴ盤「LIVE AT THE BBC」と、1965年8月29日と30日のハリウッド・ボウル公演でのライヴ音源(サー・ジョージ・マーティンによって、2回のヴァージョンを繋いである)もライヴ盤で聴けますし、1965年8月15日のシェイ・スタジアムでのライヴ・ヴァージョンは映画で観る事が出来ます。このビートルズによる「DIZZY MISS LIZZY」は、日本ではB面に「ANNA(GO TO HIM)」を入れてシングル・カットされていて、タツローこと山下達郎さんも(おそらくビートルズのレコードでは唯一)買ったそうです。大瀧師匠が「山下くんが買った、と云うのがいいね」と云っていました。ビートルズが3曲もカヴァーしたラリー・ウィリアムズは、ジョンが相当好きだった様で、ジュークボックスには「SHORT FAT FANNIE」と「SHE SAID YEAH」と「BAD BOY」の3曲が入っています。プラスティック・オノ・バンドでの演奏は、この3曲目の「DIZZY MISS LIZZY」辺りからジョンもノッテきて、イイ感じになるのですけれど、何度も云いますけれど、ビートルズで何百回も演奏した「DIZZY MISS LIZZY」を、自分抜きで演奏されたポールの心境は、穏やかなものではなかったでしょうなあ。

そして、ライヴはその後に、ビートルズの「YER BLUES」から、初披露だった「COLD TURKEY」へ、そして「GIVE PEACE A CHANCE」とつづいて、ジョンが主導のパートは終わりました。後半はヨーコさんが主導のパフォーマンスが20分近くつづくよどこまでも、なのです。このライヴは映像作品になっているので、ステージの模様を観る事が出来るのですけれど、ヨーコさんのパートでのエリック・クラプトンが「どうすりゃいいんだよ、やってられないなあ」と困惑した表情になっているのが、全てです。ジョンはこの時にジョージ・ハリスンにも声をかけたらしいのですけれど、ジョージからは「前衛音楽はやりたくない」と断られたそうです。しかしながら、そのジョージ自身が同じ1969年にアルバム「ELECTRONIC SOUND(電子音楽の世界)」などと云うガラクタ音源のトンデモ盤をリリースしているわけで、前衛音楽がイヤなのではなく、ヨーコさんが勝手にジョージのビスケットを食べてしまったので、共演したくなかったのではないですかね。知らんけど。

(小島イコ)

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2024年12月12日

「305万アクセスの無言の宇宙」



当ブログのアクセス数が、305万を超えました。今後とも、何卒宜しくお願い致します。

(小島イコ/姫川未亜)

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「映画 闇金ウシジマくん」

映画 闇金ウシジマくん [Blu-ray]


WOWOWライブ 2:30〜4:50

2012年公開作品

(2012年8月25日公開、撮影:2011年7月15日〜8月20日)

片瀬那奈 AS 大久保千秋

「映画 闇金ウシジマくん」映画版第1作の、今年2回目の放送です。ドラマ版のシーズン1の続編で、ドラマ終了から1年半以上経ってから公開されましたが、撮影は公開の1年前ですので、ドラマ終了後半年位で映画化されています。但し、ドラマの撮影は放送される半年前には終了していたので、映画の撮影はドラマの撮影から1年半弱経っていた事になります。那奈ちゃんが演じた大久保千秋も再登場していますが、そもそもドラマ版オリジナル・キャラクターだった大久保千秋を映画にも登場させたので、益々一貫性がない登場人物となっております。原作マンガの様々な話から引っ張って、それぞれの登場人物を紐づけてしまったので、些か詰め込み過ぎな印象です。
(小島イコ/姫川未亜)

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「ポールの道」#582「LENNON SONGS」#07 「COLD TURKEY」

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1969年9月13日に行われた「トロント・ロックンロール・リヴァイヴァル」で本格的に「ビートルズ以外での音楽活動」を開始したジョン・レノンは、2週間後の同年9月30日にライヴで初披露した「COLD TURKEY(冷たい七面鳥)」をEMIスタジオでレコーディングしました。レコーディング・メンバーは、ジョン・レノン(リード・ヴォーカル、バッキング・ヴォーカル、リード・ギター、リズム・ギター)、エリック・クラプトン(リード・ギター)、クラウス・フォアマン(ベース)、リンゴ・スター(ドラムス)です。つまり、トロントでのライヴでのドラマーだったアラン・ホワイトが、リンゴに代わった布陣で、ジョンは同年9月20日にビートルズからの脱退を告げてはいたものの、公にはしない事となっていた時期です。ジョンは1969年9月26日にリリースされたビートルズのアルバム「ABBEY ROAD」のレコーディング終了後に、ビートルズとしてこの「COLD TURKEY」をレコーディングする事を提案したのですけれど、他の3人であるポール・マッカートニーとジョージ・ハリスンとリンゴ・スターに反対されたので、プラスティック・オノ・バンドとしてレコーディングしたと語っています。他のメンバーが反対したのは「COLD TURKEY」には「麻薬の禁断症状」と云う意味もあったので、内容から考えても「ドラッグ・ソング」だとしか思えなかったからです。故に、この楽曲で、遂に作者は「レノン=マッカートニー」ではなく「レノン」と単独名義になっています。

それでもリンゴは参加しているわけで、1969年12月15日の「ピース・フォー・クリスマス・コンサート」でのライヴ・ヴァージョンでは、ジョージがこの曲にギターで参加しているので、反対したのはポールと云う事になります。このシングルは、プラスティック・オノ・バンドの2作目のシングルとして、1969年10月20日(米国)・同年10月24日(英国)にリリースされていて、BBCも「ドラッグ・ソング」と認識して放送禁止となり、全米30位・全英14位との結果でしたけれど、後半でジョンがヘロインの禁断症状を表すかの様に叫び捲る展開は、単にヨーコさんの「キエーッ!」に影響されただけではない迫力があります。こんな過激な楽曲でも、大衆音楽の範疇に収めているのが、ジョンがジョンであるが所以なのです。B面はヨーコさんが主導の「DON'T WORRY KYOKO(京子ちゃん心配しないで)」で、こちらも「トロント・ロックンロール・リヴァイヴァル」や「ピース・フォー・クリスマス・コンサート」でも披露しているのですけれど、毎回即興でのパフォーマンスなので、同じ曲とは思えません。ヨーコさんが生き別れた娘である京子さんへ向けたパフォーマンスですけれど、こんなのを聴いたら「ママ、どうしちゃったの?」と逆に心配になるんじゃないでしょうか。ジョンはこのシングルがヒット・チャートから落ちた事などを理由に、1969年11月にMBE勲章をイギリス王室に返上しています。

前述の1969年12月15日の「ピース・フォー・クリスマス・コンサート」でのライヴ・ヴァージョンは、後に1972年リリースの2枚組アルバム「SOMETIME IN NEW YORK CITY」に収録されるのですけれど、メンバーが凄い事になっています。ジョン・レノン(ヴォーカル、ギター)、ヨーコさん(バッグ=袋に入ったり出たりするパフォーマンス)、エリック・クラプトン(ギター)、デラニー&ボニー(ギター、パーカッション)、ジョージ・ハリスン(ギター)、クラウス・フォアマン(ベース)、ジム・ゴードン(ドラムス)、アラン・ホワイト(ドラムス)、キース・ムーン(ドラムス)、ビリー・プレストン(オルガン)、ボビー・キーズ(サックス)、ジム・プリンス(トランペット)に、ニッキー・ホプキンスのエレクトリック・ピアノをオーバーダビングした「スーパーバンド」による演奏です。その後、1972年8月30日の「ワン・トゥ・ワン・コンサート」でも「COLD TURKEY」を演奏していて、そちらはエレファンツ・メモリーにドラマーのジム・ケルトナーを加えたメンバーです。「COLD TURKEY」はアルバム未収録曲でしたが、1975年リリースのベスト盤「SHAVED FISH」から2020年リリースのベスト盤「GIMME SOME TRUTH.」までのベスト盤には、ほぼ全てに収録されています。2004年リリースのコンピレーション盤「ACOUSTIC」には、アンプに通さないエレキ・ギターでの弾き語りデモ音源が、2021年リリースの「JOHN LENNON / PLASTIC ONO BAND(ジョンの魂)」の箱には、アウトテイクが収録されています。

(小島イコ)

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2024年12月13日

「雲霧仁左衛門3」第七回、第八回(最終回)(再)で内山理名ちゃん

仁義なき戦い サウンドトラックコレクション


時代劇専門チャンネル 14:00〜15:45

第七回「凶刃」
第八回(最終回)「死闘の果て」

内山理名 AS 七化けのお千代

「雲霧仁左衛門3」第七回と第八回(最終回)の、今年3回目の再放送です。第七回では、暁一党の裏切りに遭った雲霧一党でしたが、裏切りには理由がありました。息子の身分が危うくなると、藤堂家の磯部に脅されていたのです。磯部に一万両を渡したものの、暁星右衛門は関口に殺されてしまいます。雲霧一党は一万両を取り返そうとします。道場に潜入しているおようは関口の正体に気づきます。お千代姐さんはおようを心配します。おようと高瀬は、関口に斬られてしまいます。おようの弔いで、藤堂家を狙う雲霧一党で最終回に続きます。

最終回での雲霧一党の狙いは、藤堂家江戸上屋敷です。お千代姐さんは、藤堂家に潜入しました。まんまと一万両を奪い取った雲霧一党でした。磯部の悪巧みも解決し、関口も処刑され、磯部は自害しました。雲霧は式部と決闘をしますが、途中で姿をくらましました。「雲霧仁左衛門3」は今回でおしまいですが、次週からは「雲霧仁左衛門4」が再放送されます。「雲霧仁左衛門3」からは原作にはないオリジナル脚本となっていて、つまりは設定だけ原作から頂いて脚本家が好き放題で書いています。

10年以上もシリーズ化されましたが、来年(2025年)1月5日から放送される7作目の「雲霧仁左衛門 ファイナル」で完結するそうです。残念ながら理名ちゃんが演じた七化けのお千代姐さんは5作目までで出番が終了していますけれど、雲霧仁左衛門と安部式部の最後の決着は気になるので、記録はしませんが観る事にはなるでしょう。

本放送:2017年2月17日2月24日(NHK BSプレミアム)

(姫川未亜)

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「ポールの道」#583「LENNON SONGS」#08 「YOU KNOW MY NAME(LOOK UP THE NUMBER) / WHAT’S THE NEW MARY JANE」

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ジョン・レノンが率いる「プラスティック・オノ・バンド」は、メンバーが流動的で、レコーディングやライヴではジョンとヨーコさん以外は、その度ごとに変わっています。ジョンはプラスティック・オノ・バンドとして、英国では1969年7月4日に1作目のシングル「GIVE PEACE A CHANCE / REMEMBER LOVE」を、同年10月24日には2作目のシングル「COLD TURKEY / DON'T WORRY KYOKO」をリリースしているのですけれど、その次に同年12月5日に3作目のシングルとして「YOU KNOW MY NAME(LOOK UP THE NUMBER) / WHAT’S THE NEW MARY JANE」をリリースする予定でした。しかしながら、ビートルズとしてレコーディングされた曲をプラスティック・オノ・バンド名義でリリースする事で待ったがかかり、発売直前に中止されてしまったのでした。その幻のシングルは、A面の「YOU KNOW MY NAME(LOOK UP THE NUMBER)」が、1970年3月6日にリリースされた英国ではビートルズの現役時代で最後となったシングル「LET IT BE」のB面としてリリースされていて、B面の「WHAT’S THE NEW MARY JANE」は、1996年10月28日にリリースされたビートルズのボツ音源集「ANTHOLOGY 3」でようやく公式盤に収録されました。どちらも、ジョンが主導して書いた「レノン=マッカートニー」作品となっていて、前2作とは違って両面共にジョン主導の曲となる予定でした。コレがプラスティック・オノ・バンドとしては出せなかったのは、結構、重大な事だと思います。

A面に予定されていた「YOU KNOW MY NAME(LOOK UP THE NUMBER)」は、1967年5月17日と6月7日、8日に、ビートルズの4人であるジョン・レノン(ギター、マラカス)、ポール・マッカートニー(ピアノ、ベース)、ジョージ・ハリスン(リード・ギター、ヴィブラフォン)、リンゴ・スター(ドラムス、ティンバレス、ボンゴ)の全員によってベーシック・トラックがレコーディングされていて、6月8日には当時ローリング・ストーンズのブライアン・ジョーンズがアルト・サックスで参加しています。その音源はずっと放って置かれたのですけれど、1969年4月30日になって引っ張り出されて、ジョンとポールが二人(ジョージとリンゴは不参加)でリード・ヴォーカルやバッキング・ヴォーカルや効果音(マル・エヴァンスも協力)を入れて、ジョンが同年11月26日に6分8秒のテイクをシングル用に4分19秒にして完成させています。その間の1969年7月3日には、レコーディングに参加したブライアン・ジョーンズが27歳で亡くなっています。ジョンが主導して書いた作品ではありますが、リード・ヴォーカルはほとんど即興で、ジョンとポールが仲良く悪ふざけをしているので、正真正銘の「レノン=マッカートニー」作品と云ってよろしいでしょう。この楽曲はシングル・ヴァージョンはモノラルしかなくて、1996年3月18日リリースの「ANTHOLOGY 2」でのロング・ヴァージョンはステレオですけれどエンディングが切れていて、両方を繋いだ完全ヴァージョンはブートレグで聴けます。

B面に予定されていた「WHAT’S THE NEW MARY JANE」は、ジョンが主導で1968年にインドで書かれた曲のひとつで、同年5月のジョージ宅での「イーシャー・デモ」でも演奏しています。同年8月14日に、サー・ジョージ・マーティンのプロデュースで正式にレコーディングされているのですが、レコーディングに参加したのは、ジョン(リード・ヴォーカル、ピアノ)、ジョージ(ギター)のビートルズの二人(ポールとリンゴは不参加)に、ヨーコさん(ヴォーカル、効果音など)とマル・エヴァンス(パーカッション、効果音など)です。その日にモノラル・ミックスを制作して、9月11日にはステレオ・ミックスも制作されたものの、1968年11月22日にリリースされたビートルズのアルバム「THE BEATLES(ホワイト・アルバム)」には未収録となったわけです。しかし、ジョンはヨーコさんと、同年11月26日にオーバーダビングしていて、多くのヴァージョン違いがブートレグや公式盤で聴けますけれど「ヨーコさんのせいで、ジョンがバカになった」と云われる楽曲のひとつです。問題は、これらの2曲を、ジョンがプラスティック・オノ・バンド名義でリリースしようとした事実です。特に「YOU KNOW MY NAME(LOOK UP THE NUMBER)」は、ジョンとポールの合作と云って良い出来栄えなので、ジョンは「ポールもプラスティック・オノ・バンドのメンバーのひとり」と考えていたわけですよ。仲が悪いと云われていた1972年の「マイク・ダグラス・ショー」でも、ジョンは「ビートルズ再結成は先の事だから分からないけれど、ポールとは、今でもよく電話(当然ながら国際電話でしょう)で話しているし、仲良しだ。ビジネス上の裁判沙汰とは関係ない」と云っています。

(小島イコ)

posted by 栗 at 23:00| FAB4 | 更新情報をチェックする