1982年リリースのアルバム「GONE TROPPO」から1987年リリースのアルバム「CLOUD NINE」まで5年間も新作アルバムをリリースしなかったジョージ・ハリスンは、その後は怒涛のリリース・ラッシュとなりました。1988年にはトラヴェリング・ウィルベリーズの1作目のアルバム「TRAVELING WILBURYS VOLUME 1」を、1989年には新曲を3曲も入れたベスト盤「BEST OF DARK HORSE 1976-1989」を、1990年にはトラヴェリング・ウィルベリーズの2作目のアルバム「TRAVELING WILBURYS VOLUME 3」と、4年続けてアルバムをリリースしていて、1991年12月にはソロとしては初めての来日公演を行ったのです。1991年12月1日の横浜アリーナ(初日で追加公演)から12月17日の東京ドームまで、横浜、大阪、名古屋、広島、福岡、東京、と6カ所で計12公演が行われて、当初はレコーディングしていなかったものの、終盤の大坂城ホール公演と東京ドーム公演はジョージの意向でレコーディングされました。エリック・クラプトンが熱心にジョージに勧めた事で実現した来日公演で、クラプトンのバンドが演奏して、ジョージはギターを弾いて歌うだけで、その他はクラプトンに丸投げしています。そして、1992年7月10日に2枚組のライヴ盤「LIVE IN JAPAN」が、ダーク・ホース/ワーナーからリリースされたのです。
内容は、CD1が、1「I WANT TO TELL YOU」、2「OLD BROWN SHOE」、3「TAXMAN」、4「GIVE ME LOVE(GIVE ME PEACE ON EARTH)」、5「IF I NEEDED SOMEONE」、6「SOMETHING」、7「WHAT IS LIFE」、8「DARK HORSE」、9「PIGGIES」、10「GOT MY MIND SET ON YOU」で、CD2が、1「CLOUD 9」、2「HERE COMES THE SUN」、3「MY SWEET LORD」、4「ALL THOSE YEARS AGO」、5「CHEER DOWN」、6「DEVIL'S RADIO」、7「ISN'T IT A PITY」、8「WHILE MY GUITAR GENTLY WEEPS」、9「ROLL OVER BEETHOVEN」の、全19曲入りです。横浜では披露していた「FISH ON THE SAND」と「LOVE COMES TO EVERYONE」はレコーディングしていなかったのでカットされて、「PIGGIES」と「GOT MY MIND SET ON YOU」の間にあったクラプトン・コーナーの4曲(「PRETENDING」と「OLD LOVE」と「BADGE」と「WONDERFUL TONIGHT」)も抜けているものの、他はステージの演奏順に収録されています。プロデュースはスパイク&ネルソン・ウィルベリーで、つまりはトラヴェリング・ウィルベリーズでのジョージの変名です。このライヴからは「HERE COMES THE SUN」がフランスでシングル・カットされていて、「MY SWEET LORD」がプロモーション・シングルでリリースされています。
名曲「HERE COMES THE SUN」は、1969年リリースのビートルズのアルバム「ABBEY ROAD」に収録されていて、日本では1970年にシングルB面(A面は「OH! DARLING」)にもなっています。1971年のライヴ盤「THE CONCERT FOR BANGLA DESH」でのヴァージョン(バッドフィンガーのピート・ハムと共演)もレコード化されていて、1976年にテレビ番組「サタデー・ナイト・ライヴ」でポール・サイモンと二人で披露したヴァージョンもブートレグでは有名です。更に1987年の「プリンス・トラスト」でもジェフ・リンと共に披露していて、この1991年のクラプトン・バンドとのライヴ・ヴァージョンもライヴ盤となったので、定番曲のひとつですし、1979年リリースのアルバム「GEORGE HARRISON(慈愛の輝き)」では「HERE COMES THE MOON」と云うセルフ・パロディまで発表しています。元々がアップルの会議をサボってクラプトンの家に遊びに行って、クラプトンのギターを借りて書いた曲なので、納まるところに納まった感じです。「MY SWEET LORD」も云わずと知れたジョージの代表曲で、1970年リリースのアルバム「ALL THINGS MUST PASS」に収録され、1971年のライヴ盤「THE CONCERT FOR BANGLA DESH」や、1974年の北米ツアーでも披露されていましたが、元々は、ビリー・プレストンへの提供曲です。
この来日公演は、初日の横浜アリーナと最終日の東京ドームに足を運んだのですけれど、どちらも色んな意味で想い出深いライヴです。初日は、どんな曲を演奏するのかも全く分からなかったので、いきなり「I WANT TO TELL YOU」から「OLD BROWN SHOE」ときての「TAXMAN」とビートルズ・ナンバー3連発には驚きましたし、「IF I NEEDED SOMEONE」や「SOMETHING」や「HERE COMES THE SUN」や「WHILE MY GUITAR GENTLY WEEPS」は予想出来ても、「PIGGIES」や「ROLL OVER BEETHOVEN」まで演奏するとは思わなかったですし、ソロの曲も「GIVE ME LOVE(GIVE ME PEACE ON EARTH)」や「WHAT IS LIFE」や「GOT MY MIND SET ON YOU」や「MY SWEET LORD」や「CHEER DOWN」などは予想していたものの、本編の最後が「ISN'T IT A PITY」なんて、当時は完全に予想外でした。ジョージはかなり緊張していたけれど、終わってみればビートルズからソロまで、満遍なく選曲されていて、神ライヴでした。まさか、その後にジョージがツアーをやらなくなるとは思っていなかったし、ライヴ盤を出してくれるとも思っていませんでした。
最終日の東京ドームは、各地でツアーをやって自信満々となったジョージに変貌していて、なんと、前列に渋谷陽一さんと松村雄策さんが座っていて、お二人の反応も同時に楽しめる席だったのですけれど、松村さんが先に来ていて、渋谷さんが開演ギリギリに来て「おっと、渋松対談だ」と思ったら、二人共に行儀良く挨拶していて、ちっとも「渋松対談」みたいな面白い話はしないのです。当時は明かされていなかったけれど、ああ、アレは架空対談なんだな、と思いましたよ。大仰な前奏付きの「SOMETHING」が始まったら、渋谷さんが「おおおっ!」とか声を出していて、何だかんだ云ってもビートルズが大好きなんだな、と思いました。それから、渋谷さんはアンコールの「WHILE MY GUITAR GENTLY WEEPS」が終わって「ROLL OVER BEETHOVEN」が始まったら、松村さんを置いて、さっさと帰ってしまいました。最終日にはダニー・ハリスンが一緒にギターを弾く親子共演も観れたのに、勿体ないなあ、と思いましたよ。実はター坊のライヴなどでも渋谷さんが前の席に座っていた事が何度かあって、いつも開演ギリギリにやって来て、アンコールが終わるとメディアだからセットリストを知っているからなんでしょうけれど、ひとりだけさっさと帰ってしまうので、変に目立っているし、忙しい人なんだなあ、と云う印象です。
(小島イコ)