1988年に結成された覆面バンドであるトラヴェリング・ウィルベリーズは、1988年10月にデビュー・アルバム「TRAVELING WILBURYS VOLUME 1」をリリースしてヒットさせました。正体はそれぞれ、ネルソン・ウィルベリー(ジョージ・ハリスン)、オーティス・ウィルベリー(ジェフ・リン)、ラッキー・ウィルベリー(ボブ・ディラン)、レフティ・ウィルベリー(ロイ・オービソン)、チャーリー・T・ジュニア(トム・ペティ)で、第1弾シングル「HANDLE WITH CARE」は当時全盛期だったMTVでミュージック・ヴィデオが何度もオンエアされていて、全員が顔出ししていたので、みんながその正体を知りつつも覆面レスラーよろしく「一体、誰が演奏しているんでしょうなあ」と楽しんでいたのです。元々はジョージのシングル「THIS IS LOVE」のカップリング曲として「HANDLE WITH CARE」をレコーディングした事から始まっていて、ワーナーが「そんな勿体ない事をしないで、アルバムを出して下さいよ」と云ってきたわけで、レコード会社の壁があるから覆面バンドとしたのでしょうけれど、5人共に超有名だし歌声に特徴もあるので、聴いたらすぐに正体はバレバレなのです。ジョージ、もといネルソンたちは、覆面バンドを逆手にとって、モンティ・パイソンのマイケル・ペイリンによるインチキ・ライナーノーツを載せたりして、大いに楽しんでいます。
そして、アルバム「TRAVELING WILBURYS VOLUME 1」が売れたので、ワーナーは次作アルバムも望んで、本人たちもノリノリで、まずはツアーをやろうと思った矢先に、1988年12月6日にレフティ・ウィルベリー(ロイ・オービソン)が心臓発作で急死してしまいます。それで、ツアーはなくなったのですけれども、今度はデル・シャノンをメンバーに加えて「TRAVELING WILBURYS VOLUME 2」をレコーディングする事となったらしいのですが、なんと、デル・シャノンも1990年2月8日に自殺してしまったのです。トラヴェリング・ウィルベリーズは、2作目のアルバムを「TRAVELING WILBURYS VOLUME 3」として1990年10月にリリースしたので、アルバム「TRAVELING WILBURYS VOLUME 2」は幻のアルバムとなりました。トム・ペティやジェフ・リンが1980年代にデル・シャノンとレコーディングしていたり、デル・シャノンの死後の1991年にリリースされた遺作アルバム「ROCK ON」をジェフ・リンが共同プロデュースしていたり、トラヴェリング・ウィルベリーズがシングルのカップリング曲としてデル・シャノンの代表曲である「RUNAWAY(悲しき街角)」を追悼カヴァーしている事から、デル・シャノンが新たなるメンバーだったのではないか、と云われています。
トラヴェリング・ウィルベリーズは、アルバム「TRAVELING WILBURYS VOLUME 3」をレコーディング中に、ジョージの妻・オリヴィアさんの発案で、ジョージが企画したルーマニアの孤児救済アルバム「NOBODY'S CHILD」に楽曲を提供していて、シングル・カットもされています。1990年6月18日にリリースされたのが「NOBODY'S CHILD」で、B面にはユーリズミックスのデイヴ・スチュワートの「LUMIERE」が、12インチとCDにはリンゴ・スター&ヒズ・オールスター・バンドの「WITH A LITTLE HELP FROM MY FRIENDS」のライヴ・ヴァージョンが収録されています。「NOBODY'S CHILD」はサイ・コーベンとメル・フォリー作で、1949年にハンク・スノウがリリースしたのがオリジナルです。この楽曲は、1961年6月にトニー・シェリダンのバック・バンドとしてビートルズがレコーディングした時にも取り上げていた楽曲です。しかしながら、その時のレコーディングでは、ポール・マッカートニーがベースで、ピート・ベストがドラムスで参加しただけで、ジョン・レノンとジョージは不参加で、リンゴはまだ加入していません。「NOBODY'S CHILD」と「RUNAWAY」は、現在では「THE TRAVELING WILBURYS COLLECTION」で聴く事が出来ます。
(小島イコ)