1976年11月8日にリリースされたジョージ・ハリスンのワーナー移籍後では初となったアルバム「THIRTY THREE & 1/3」からは、先行シングルとして「THIS SONG / LEARNING HOW TO LOVE YOU」が1976年11月5日にリリースされていて、全米25位のスマッシュ・ヒットとなりました。しかしながら、英国ではチャート入りしていません。「MY SWEET LORD」の盗作裁判を皮肉った内容で、プロモーション・ヴィデオも裁判をネタにした辛辣な代物でしたが、楽曲自体はポップ路線で良い曲だと思います。ジョージが亡くなった時に仕事場でラジオを聴いていたら、追悼だと云ってこの「THIS SONG」が流れて、こんなふざけた曲を聴いて泣きそうになりました。それで、米国では第2弾シングルとして「CRACKERBOX PALACE / LEARNING HOW TO LOVE YOU」が1977年1月24日にダーク・ホース/ワーナーからリリースされているのですけれど、何故かB面には「THIS SONG」と同じ「LEARNING HOW TO LOVE YOU」が収録されています。ワーナー以前に「ダーク・ホース」レーベルのレコードを出していて、肝心のジョージのソロ・アルバムが完成しなかったので、ジョージを訴えそうになったA&Mの設立者でもあるハーブ・アルパートに捧げた名バラードではありますけれど、2作連続でシングルのB面に収録していると云う事は、ジョージなりの皮肉だったのかもしれません。ジョージらしい楽曲「CRACKERBOX PALACE」は、全米19位まで上がっていますが、前作シングル「THIS SONG」が売れなかった本国である英国では、このシングルはリリースされていません。
日本盤のシングルは1977年4月24日に「CRACKERBOX PALACE(人生の夜明け) / PURE SMOKEY」としてワーナー・パイオニアからリリースされています。日本盤のシングルは、流石に前作シングル「THIS SONG」とはカップリングを変えています。「CRACKERBOX PALACE」にもプロモーション・ヴィデオがあって、モンティ・パイソンのエリック・アイドルが監督で、ジョージのお城の様な自宅であるフライアー・パークで撮影されています。このプロモーション・ヴィデオもふざけた内容で、乳母車の中からジョージがニヤニヤしながら登場したりするのですけれど、英国ではシングル・カットされていないので、米国用に制作されたのでしょう。果たして英国流のモンティ・パイソンの様なジョークが米国で受け入れられたかどうかは、分かりません。但し、後の「MTV」の先駆けとも云えるプロモーション・ヴィデオであって、その後1978年にはジョージは映画会社「ハンド・メイド・フィルムズ」を設立していて、数多くの映画を制作しています。中には1979年の「ライフ・オブ・ブライアン」や、1981年の「バンデットQ」や、当時は夫婦だったマドンナとショーン・ペンが共演した1986年の「上海サプライズ」と云った有名な映画も手掛けています。1980年代中期には映画制作に没頭して、ジョージ自身が「僕は音楽業界を引退した身だから」などと発言したりしています。
ジョージに限らず、ビートルズの面々は映像作品にも興味を持っていて、ビートルズ時代には主演映画で1964年の「A HARD DAY'S NIGHT」と1965年の「HELP!」と1970年の「LET IT BE」や、1968年のアニメ映画「YELLOW SUBMARINE」にも出演していますが、もっともぶっ飛んでいたのは1967年にビートルズが監督・主演したテレビ映画「MAGICAL MYSTERY TOUR」です。放送当時は「ビートルズ初めての大失敗作」と酷評された作品ですけれど、後の「MTV」に与えた影響は計り知れない作品です。ジョンはヨーコさんとの前衛映画を制作したり、アルバム「IMAGINE」のレコーディング風景を映像で克明に記録したりしているし、ポールもズッコケた1984年の映画「GIVE MY REGARDS TO BROAD STREET」などと云う凡作を自ら脚本・主演したり、今年(2024年)に公開された1974年のスタジオ・ライヴ「ONE HAND CLAPPING」や、1976年の全米ツアーを記録した「ROCK SHOW」と云った映像作品を発表しているし、リンゴ・スターは俳優として数多くの映画に出演しています。そんな中でも自ら映画会社まで設立して、実際に多くの映画を作ったジョージはずば抜けていますし、前述の通り、映画制作に没頭して音楽活動を5年間も休止しているのです。
日本盤シングル「CRACKERBOX PALACE(人生の夜明け)」のB面「PURE SMOKEY」は、ジョージが敬愛するスモーキー・ロビンソンに捧げた楽曲で、ジョージは1975年リリースの前作アルバム「EXTRA TEXTURE(READ ALL ABOUT IT)」でも「OOH BABY(YOU KNOW THAT I LOVE YOU)」と云うスモーキー・ロビンソンに捧げた曲を書いています。シングル「THIS SONG」が売れなかったので、このシングル「CRACKERBOX PALACE」をリリースしなかった英国では、何故か第2弾シングルとして「TRUE LOVE / PURE SMOKEY」を1977年2月に、更に第3弾シングルとして「IT'S WHAT YOU VALUE / WOMAN DON'T YOU CRY FOR ME」を1977年6月に、それぞれリリースしていて、ピクチャー・スリーブもない意味不明なシングル・カットをしています。ソノ上、米国キャピトルでは1977年4月にシングル「DARK HORSE / YOU」をリリースしていて、こりゃまた厄介な事になっています。米国キャピトルの意地悪は兎も角として、何故「CRACKERBOX PALACE」をリリースせずに、他の曲を2枚4曲もシングル・カットしたのかは、全く理解出来ません。こう云う事が重なったので、ジョージはだんだんやる気がなくなったんじゃないでしょうか。それから、2004年にリマスターされたアルバム「THIRTY THREE & 1/3」には、ボーナス・トラックとして「TEARS OF THE WORLD」が収録されているのですけれど、この曲は後に語りますけれど、元々は1980年11月にリリース予定だったアルバム「SOMEWHERE IN ENGLAND」に収録予定で、レコード会社にダメ出しされて差し替えになった4曲の内の1曲です。何故に、アルバム「THIRTY THREE & 1/3」に入っているのかは不明です。
(小島イコ)