1974年11月2日から同年12月20日まで、ジョージ・ハリスンは全45公演のカナダ及び北米ツアーを行いました。元ビートルズのメンバーとしては初めての北米ツアーであって、1970年代前半のジョージは「ビートルズが解散して一番得をした男」と称されていて、絶好調でした。そこで、ジョージは北米ツアーに先駆けてニュー・アルバム「DARK HORSE」をアップルからリリースする予定だったのですけれど、ツアーの準備と並行してのレコーディングは遅れてしまい、米国での先行シングル「DARK HORSE / I DON'T CARE ANYMORE」は1974年11月18日のリリースとなり、アルバム「DARK HORSE」も同年11月20日になってようやくリリースされていて、つまりは北米ツアーも中盤以降になってやっと出せたのです。シングルA面「DARK HORSE」のレコーディング・メンバーは、ジョージ・ハリスン(ヴォーカル、ギター)、ロベン・フォード(ギター)、ビリー・プレストン(エレクトリックピアノ)、ウィリー・ウィークス(ベース)、アンディ・ニューマーク(ドラムス)、エミル・リチャーズ(パーカッション)、チャック・フィンドレー(フルート)、ジム・ホーン(フルート)、トム・スコット(フルート)、ジム・ケルトナー(ハイハット)、ロン・ヴァン・イートン(バッキング・ヴォーカル)、デレク・ヴァン・イートン(バッキング・ヴォーカル)、オリヴィア・アライアス(バッキング・ヴォーカル)です。オリヴィアさんは、後のジョージ夫人です。
米国では「DARK HORSE」が先行シングルで「I DON'T CARE ANYMORE」はアルバム未収録曲でしたが、英国や日本では第2弾シングルで、そちらのB面はアルバム1曲目の「HARI'S ON TOUR(EXPRESS)」でした。ツアー準備にレコーディングに加えて、例の「MY SWEET LORD」盗作問題や、親友であるエリック・クラプトンと不倫関係となった妻・パティ・ボイドとの別居など、公私共に多忙で、ジョージは声を潰してしまい、「DARK HORSE」では別人の様な声で歌っています。それでも、どうにか全米15位まで上がってスマッシュ・ヒットとなってはいますけれど、ついこないだまで「MY SWEET LORD」や「GIVE ME LOVE(GIVE ME PEACE ON EARTH)」で全米首位!となっていたジョージにしては低い成績となっています。それでもアルバムは全米4位となっているものの、英国ではチャート入りしていません。どうも、この辺からジョージの不遇時代が始まっていた様です。アルバムの内容は、A面が、1「HARI'S ON TOUR(EXPRESS)」、2「SIMPLY SHADY」、3「SO SAD」、4「BYE BYE LOVE」、5「MAYA LOVE」で、B面が、1「DING DONG, DING DONG」、2「DARK HORSE」、3「FAR EAST MAN」、4「IT IS HE(JAI SRI KRISHNA)」の、全9曲入りで、「BYE BYE LOVE」はエヴァリー・ブラザーズのカヴァーで、名曲「FAR EAST MAN」がジョージとロン・ウッドの共作で、他は全てジョージのオリジナルです。何度も云いますけれど、超名曲である「FAR EAST MAN」が収録されているだけでも価値があります。
北米ツアーは不評だったのですけれど、あたくしが持っているCD2枚組のブートレグ(1974年11月4日のシアトル公演)だと、CD1が、1「HARI'S ON TOUR(EXPRESS)」、2「SOMETHING」、3「WHILE MY GUITAR GENTLY WEEPS」(1〜3、ジョージ)、4「WILL IT GO ROUND IN CIRCLES」(ビリー・プレストン)、5「SUE ME SUE YOU BLUES」(ジョージ)、6「ZOOM, ZOOM, ZOOM」、7「JAI SRI KALIJ」、8「NADERDANI」、9「CHEPARTE」、10「ANURAG」、11「DISPUTE AND VIOLENCE」(6〜11、ラヴィ・シャンカール)で、CD2が、1「I AM MISSING YOU」(ラヴィ・シャンカール)、2「FOR YOU BLUE」、3「GIVE ME LOVE(GIVE ME PEACE ON EARTH)」、4「SOUND STAGE OF MIND」、5「IN MY LIFE」(2〜5、ジョージ、4はジョージ作のインストゥルメンタル曲)、6「TOM CAT」(トム・スコット)、7「MAYA LOVE」(ジョージ)、8「NOTHING FROM NOTHING」(ビリー・プレストン)、9「DARK HORSE」(ジョージ)、10「OUTTA SPACE」(ビリー・プレストン)、11「WHAT IS LIFE」、12「MY SWEET LORD」(11〜12、ジョージ)の、全23曲となっています。その内で、ジョージが主導なのは約半数の12曲です。ビリー・プレストンによる3曲は、いずれも大ヒット曲なので、要するに不評だった原因は、ラヴィ・シャンカール先生を中心としたインド音楽のパートが中盤に延々と続くからでしょう。熱演ではあるし観客も盛り上がってはいるし、歌入りもあるのでまだ聴き易いとは云え、ラヴィ・シャンカール先生、7連発はキツイっすよ。
このツアーの為に作った冒頭のインストゥルメンタル曲「HARI'S ON TOUR(EXPRESS)」で軽快に始まり、2曲続けてビートルズ・ナンバーの切り札とも云うべき「SOMETHING」から「WHILE MY GUITAR GENTLY WEEPS」と惜しげもなく披露して、ビリー・プレストンの全米首位!の大ヒット曲「WILL IT GO ROUND IN CIRCLES」からジョージの「SUE ME SUE YOU BLUES」までの流れはノリノリで完璧ですが、その後にラヴィ・シャンカール先生の「ビロ〜ン」が7曲もつづくよどこまでも、な展開は、CDやDVDでも飛ばしてしまいます。こんな事を云うと、アルバム「DOUBLE FANTASY」は通して聴け!とか云うおせっかいな評論家に、ラヴィ・シャンカール先生の曲も通して聴け!とか云われそうですが、余計なお世話なのです。そして「FOR YOU BLUE」からのロック編成では、大いに盛り上がってイイ感じです。特にビリー・プレストンがノリノリで、ラヴィ・シャンカール先生の事をすっかり忘れてしまう様な熱演です。ズバリ云って、北米ツアーが不評でジョージがその後17年間もツアーをやらなくなったのは、ラヴィ・シャンカール先生の曲がライヴの半分もあったからで、ジョージとしては自分と先生のジョイント・ツアーのつもりだったと云っていても、観客が求めていたのは「元ビートルズのジョージ」だったのです。故に、ソレをジョージが自覚して行ってくれた1991年12月の来日公演は、余りにも感動的でした。まあ、北米ツアーでのジョージは、レノン=マッカートニー作品の「IN MY LIFE」で歌詞を改変したり、自作曲の歌詞を変えたり、メロディーを崩して歌っていたりして、ソレも不評だった原因なんですけれどね。当時は、ライヴでは「如何にレコードと同じに再現するか」が、価値基準のひとつだったのです。
(小島イコ)