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2024年10月27日

「ポールの道」#356「GEORGE'S SINGLES」#00「GEORGE HARRISON」

アップル・イヤーズ 1968-75(DVD付)


ビートルズのメンバーによる提供曲や参加作品を語った「FAB4 GAVE AWAY」も、77回のリンゴ編(お誕生日が7月7日)でとりあえず終了して、今回からはジョージ・ハリスンのシングルを取り上げます。ジョージのアルバムに関しては既に書いているので、重複する内容もあるとは思いますけれども、ジョージもジョン・レノンやポール・マッカートニーやリンゴ・スターと同じく「シングルB面」はアルバム未収録曲もあって、シングルの流れで見てゆく事でまた違った側面が見えてきます。そもそも、ビートルズは1957年にジョンが結成したクオリーメンが始まりで、同1957年7月6日にジョンとポールが出逢って、翌日にはジョンがポールをバンドに加入させました。翌1958年2月6日にポールが同じ学校に通っていたジョージをジョンに紹介していて、当時17歳だったジョンは、当時14歳だったジョージをバンドに加入させる事に難色を示したものの、ポールが「ジョージは僕たちよりも多くギターのコードを知っている」と推薦して、ジョージもジョンの追っかけの様な行動をしていたので、結局はジョージを加入させます。その後に、1962年10月5日のメジャー・デビュー直前にドラマーのリンゴが加入して、解散までその不動の4人で「ザ・ビートルズ」として活動するのでした。

つまり、ビートルズは最初からジョンとポールとジョージとリンゴの4人ではなく、厳密に云えば最初からバンドにいたのはジョンだけです。その後にポールやジョージやリンゴが加わっていて、その分、多くのメンバーは辞めています。代表的なのが、ジョンの親友だったスチュアート・サトクリフで、弾けもしないベースを担当していましたが、元々がアート志向だったので1961年には脱退して、翌1962年4月10日に21歳の若さで病死しています。リンゴの前のドラマーだったピート・ベストは、よく知られている通りに1962年のメジャー・デビュー直前に解雇されて、リンゴに交代しています。それで、ジョージなんですけれど、メンバー・チェンジが多かったのにも関わらず、ジョンとポールの他にメジャー・デビューまで残っていたのはジョージだけだったのです。1962年1月1日に行われた「デッカ・オーデイション」を聴くと、将来がかかっているので緊張していて本来のチカラが出し切れていないジョン(当時21歳)やポール(当時19歳)に比べて、当時若干18歳だったジョージが躍動しています。簡単に云うと、ビートルズは、デビュー時の初期にはジョンが完成していて、中期には徐々にポールが成長してジョンを食いそうになって、後期にはジョージが大化けした奇跡的なバンドです。

それが、解散後にはソロになったジョージが「ビートルズが解散して一番得をした男」と呼ばれる程に大爆発して、そのジョージの貢献もあってリンゴまで1970年代前半には狂い咲きしていて、勿論、ジョンとポールも全米首位!となるわけで、ビートルズでは無論、4人がそれぞれソロでも全米首位!になったバンドなんて他にはいません。ビートルズでのパワー・バランスは、つまりは年齢順になっていたわけで、ジョンとポールは、ジョージの潜在能力を見抜いていたからこそ、バンドに加入させたし辞めさせなかったのではないのか?と思うのです。単にギターのコードを沢山知っていたって、そんな奴らは他にもゴロゴロしていたわけで、例えば、日本では3大ギタリストと呼ばれていた、エリック・クラプトン、ジェフ・ベック、ジミー・ペイジ、と云った面々も、元々はビートルズと同世代のヤードバーズのギタリストだったわけで、ビートルズの前座に出たジェフ・ベックに「リード・ギターは代わりにやってあげたかったね」などと云われても、最後までジョージだったのです。それから、1976年11月にEMIが勝手に選曲してリリースした「THE BEST OF GEORGE HARRISON」は、アナログ盤のA面がビートルズ時代のジョージが書いた曲で、B面がソロのヒット曲なのですけれど、音楽性が一貫しているのでCDで通して聴いても違和感がありません。それだけジョージの曲には独自性があるわけで、実はジョンとポールと並び称されるべき「天才」なのかもしれません。

(小島イコ)

posted by 栗 at 23:00| FAB4 | 更新情報をチェックする