ビートルズのドラマーは、デビュー直前までピート・ベストが務めていましたが、サー・ジョージ・マーティンは「ドラムスが弱い」と考えていて、ジョン・レノンとポール・マッカートニーも同じ考えだったので、下っ端だったジョージ・ハリスンに、仲が良かった「ロリー・ストーム&ザ・ハリケーンズ」のドラマーでビートルズとは共演した事もあったリチャード・スターキーを引き抜かせて、ピート・ベストを解雇しました。それで、ヤング・ジョージはピートのファンに殴られてしまいます。リチャード・スターキーは「リンゴ・スター」と芸名を名乗って、髭面にリーゼントをやめてビートルズの一員となったのですが、サー・ジョージ・マーティンはリンゴのドラムスも弱いと考えて、1962年10月5日にリリースされた英国でのビートルズのデビュー・シングル「LOVE ME DO / P.S. I LOVE YOU」ではセッション・ドラマーのアンディ・ホワイトにドラムスを叩かせています。リンゴは両曲では、タンバリンやマラカスを担当させられていて、「LOVE ME DO」は初回プレスのみリンゴのドラムスでレア音源でしたが(EMIが混同を防ぐ為にリンゴ・ヴァージョンのマスター・テープを破棄したので盤起こし音源しかなかった)、昨年(2023年)リリースの「THE BEATLES 1962-1966」(「赤盤」)ではデミックスによってリンゴのドラムス・ヴァージョンが見事なステレオで収録されたので、これからはリンゴ・ヴァージョンが決定盤になりそうです。
リンゴは人柄も良く音楽仲間も多いので、ドラマーとして参加している作品は多いのですけれど、それは云われても分からないものも多いのです。ビートルズ時代には、1964年には古巣であるロリー・ストーム&ザ・ハリケーンズへ恩返しでバッキング・ヴォーカルで参加したり、1968年リリースのジョージのサントラ盤「WONDERWALL MUSIC」や1969年リリースのジャッキー・ロマックスのアルバム位ですが、ビートルズ解散後には増えていて、1970年にはビートルズ時代から引き続き、ジョンのアルバム「JOHN LENNON / PLASTIC ONO BAND(ジョンの魂)」やジョージのアルバム「ALL THINGS MUST PASS」にドラマーとして参加しているだけではなく、レオン・ラッセル、スティーヴン・スティルス、ハウリング・ウルフ、ドリス・トロイ、ヨーコさん、1971年には、「バングラデシュ・コンサート」、ラダ・クリシュナ・テンプル、B.B.キング、1972年には、ピーター・フランプトン、ボビー・キーズ、ロン&デレク・ヴァン・イートン、ロンドン交響楽団(「TOMMY」)、ボビー・ハットフィールド、ハリー・ニルソン、1973年にはジョージのアルバム「LIVING IN THE MATERIAL WORLD」、1974年にはハリー・ニルソン(「SON OF DRACULA」、「PUSSY CATS」)、ラヴィ・シャンカール、ガスリー・トーマス、ジョージのアルバム「DARK HORSE」、などのミュージシャンの作品に参加しています。
1975年にはキース・ムーン(「TWO SIDES OF THE MOON」)、カーリー・サイモン、ハリー・ニルソン、スティーヴン・スティルス、1976年にはヴェラ・リン、マンハッタン・トランスファー、ガスリー・トーマス、キンキー・フリードマン、1977年にはアルファ・バンド、ピーター・フランプトン、アティチューズ、1978年にはロニー・ドネガン、ザ・バンド、1979年にはイアン・マクレガン、1980年にはハリー・ニルソン、1981年にはボブ・ディラン、ジョージのアルバム「SOMEWHERE IN ENGLAND」、1982年にはポールのアルバム「TUG OF WAR」、1983年にはガスリー・トーマス、ポールのアルバム「PIPES OF PEACE」、1984年にはポールのアルバム「GIVE MY REGARD TO BROAD STREET」、1985年にはビーチ・ボーイズ、オムニバス盤「SUN CITY」、サントラ盤「レゲエdeゲリラ」、1986年には「アンチ・ドラッグ・プロジェクト」、1987年にはジョージのアルバム「CLOUD NINE」、1989年にはトム・ペティ、ビートルズがカヴァーした「ACT NATURALLY」をオリジナルのバック・オウエンスとデュエット、1991年にはニルス・ロフグレン、1993年にはポール・シェイファー、1994年にはトム・ペティ、1996年にはトム・ペティ&ザ・ハートブレイカーズ、カール・パーキンス(「GO CAT GO!」ポールとジョージも別々の曲で参加)、1997年にはポールのアルバム「FLAMING PIE」、1999年にはガスリー・トーマス、2000年にはジョン・ウェットン、と云ったミュージシャンの作品に参加しています。
2001年にはELO、2002年には「コンサート・フォー・ジョージ」、2003年にはリーアム・リンチ、ジュールズ・ホランズ、2004年には「50回目のファースト・キス」のサントラ盤、2006年にはジェリー・リー・ルイス、プラチナ・ウィアード、カール・パーキンス、2009年にはクラウス・フォアマン、マーク・ハドソン、2010年にはジェリー・リー・ルイス、ゲイリー・ライト、2011年にはベン・ハーパー、2012年にはレイ・ワイリー・ハバード、ジョー・ウォルシュ、2014年にはベンモント・テンチ、ケニー・ウェイン・シェパード、マーク・ハドソン、2017年にはジョン・スティーブンス、ミドルマン・バー、シーラ・E、2019年にはロドニー・クロウエル、ジェニー・ルイス、2020年にはエンプティ・ハーツ、グラハム・グールドマン、レイ・ワイリー・ハバード、2021年にはスティーヴ・ルカサー、2022年にはアラン・ダービー、コリン・ヘイ、レイ・ワイリー・ハバード、エディ・ヴェダー、エドガー・ウィンター、2023年にはドクター・ティースとエレクトリック・メイヘム、イアン・ハンター、ニルフ・ロフグレン、2024年にはマーク・ノップラー、と云ったミュージシャンの作品に参加しています。更に、リンゴは1989年から「オールスター・バンド」を有名ミュージシャンたちと組んでやっているので、2023年までで第16期となっていて、多くの大物ミュージシャンと組んでツアーをやっています。そして、ビートルズ時代から俳優業もやっていて、ナレーターの仕事(「機関車トーマス」も本場ではリンゴ)まで手広くやっています。
ざっと1964年から2024年までを列挙しましたが、これらはほとんどがドラマーとしての参加です。中にはドリス・トロイの楽曲の様に共作者として名を連ねたり、「TOMMY」の様にリード・ヴォーカルを担当したりした作品も、ごく稀にはあります。幾らリンゴがドラムスを叩いていても、云われても分からないのは、ビートルズのレコーディングとは違っているからです。例えば、1968年リリースのビートルズのアルバム「THE BEATLES(ホワイト・アルバム)」では、リンゴが一時脱退していて、A面1曲目の「BACK IN THE U.S.S.R.」と2曲目の「DEAR PRUDENCE」ではポールがドラムスを叩いています。それが、3曲目の「GLASS ONION」のイントロで2発リンゴが叩いただけで「おっ、リンゴのドラムスだ」と分かる様になっていて、その辺はサー・ジョージ・マーティンのプロデュースによって作られた音だったからです。1995年にジェフ・リンがプロデュースしたバーチャル・ビートルズの「FREE AS A BIRD」のイントロでのリンゴのドラムスも、一聴してリンゴでありビートルズの音になっているのは、ジェフ・リンがサー・ジョージ・マーティンやジェフ・エメリックやクリス・トーマスなどの手腕を研究して来た成果であって、単にリンゴが叩いただけではアノ音にはなりません。その辺で上手いな、と思うのは、ポールのアルバム「FLAMING PIE」に収録された「BEAUTIFUL NIGHT」で、サー・ジョージ・マーティンのオーケストラと、リンゴのドラムスだけではなくヴォーカルも巧みに使っているところが、流石は「本家」だと思います。リンゴは来年(2025年)1月に新作アルバムをリリースする予定で、カントリー・アルバムと云う事で、ジャケット写真でカウボーイ・ハットを被っているんですけれど、誰か止めなかったんでしょうか。
(小島イコ)