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2024年10月24日

「ポールの道」#533「FAB4 GAVE AWAY」#75 「LINDA McCARTNEY」

Wide Prairie


ロック・ミュージシャンを撮影して写真家として注目されていたリンダ・イーストマンは、1967年5月15日にロンドンのクラブでポール・マッカートニーと出逢いました。実はビートルズの1966年8月23日のシェイ・スタジアム公演の時に写真家として紹介されていたのですが、ソレは本当に紹介されただけで、言葉を交わしたのは1967年5月15日だったそうです。ポールはリンダに逢った途端に一目惚れしたらしく、自分からわざとぶつかってキッカケを作ったそうです。当時ポールは、女優のジェーン・アッシャーと婚約していて、マスオさん状態でアッシャー家に間借りしていたポールが、ジェーンがいない時に別の女の子(リンダではない)を引っ張り込んでいて、女優の仕事が早く終わったのでジェーンが予定よりも早く帰宅したら、ポールが自分たちのベッドで他の女の子とセックスしていたなど、地獄絵図の様な女癖の悪さが原因で1968年に婚約破棄しています。ポールは婚約破棄の直後である1968年からリンダと交際していて、リンダの連れ子であるヘザーはすっかりポールに懐いている姿が映画「LET IT BE」やドキュメンタリー映画「GET BACK」で観る事が出来ます。結局、ポールとリンダは、1969年3月12日に結婚して、ヘザーもポールの養女となります。映画「LET IT BE」で分かる通り、ジョン・レノンがヨーコさんをレコーディングに同伴し始めたので、ポールもリンダとヘザーをスタジオに連れて来る様になりましたが、リンダは写真家だったのでビートルズを被写体にした写真を多く遺しています。

ビートルズが1970年4月にポールの脱退宣言で解散状態となり、以後ポールはソロ・アルバムやウイングスで活動するのですが、リンダ・マッカートニーは、1970年リリースのポールの宅録ソロ・アルバム「McCARTNEY」から、1997年リリースのポールのソロ・アルバム「FLAMING PIE」までの全てのアルバムに、彼女が亡くなるまでは参加しています。1970年4月リリースのアルバム「McCARTNEY」や1980年5月リリースのアルバム「McCARTNEY U」は、基本的には全ての楽器とヴォーカルをポールがひとりでやっているのですけれど、リンダは両方にバッキング・ヴォーカルなどで参加していて、アルバム「McCARTNEY」に収録された「MAN WE WAS LONELY」ではポールとリンダでデュエットまでしています。ジョンとデュエットするヨーコさんとは別の意味で破壊力抜群なリンダのヴォーカルは、最初は「何じゃこりゃあ」と思ったものの、徐々に「味がある」と思わされました。何せ、次作だった1971年5月にリリースされたアルバム「RAM」は、なんと、ポールとリンダの連名アルバムだったのです。収録された「MONKBERRY MOON DELIGHT」や「LONG HAIR LADY」などでのリンダのヴォーカルは、確かに効果的で、ポールは「リンダの声」を作品の中で見事に使っています。

同1971年に結成したウイングスでは、第1期ウイングスでの1971年リリースのアルバム「WILD LIFE」から、第7期ウイングスでの1979年リリースのアルバム「BACK TO THE EGG」までの全てに関わっていたのは、ポールとリンダとデニー・レインだけなのですが、1973年5月にリリースされたウイングスとしては2作目のアルバム「RED ROSE SPEEDWAY」にはアルバム「RAM」でのセッション曲も収録されているので、実はデニー・レインが加入する前にベーシック・トラックを収録済みの曲も収録されているのです。ウイングスが解散して、1982年4月リリースのアルバム「TUG OF WAR」からはポールのソロ名義のアルバムとなりますけれど、リンダだけはメンバー・チェンジする事もなく、1986年7月リリースのアルバム「PRESS TO PLAY」のジャケットではポールとリンダの2ショット写真が使われています。アルバム「PRESS TO PLAY」は、内容から考えたらポールとエリック・スチュワートの2ショットなんですけれどね。ポールはあからさまにリンダへ向けた楽曲(「THE LOVELY LINDA」、「MAYBE I'M AMAZED」、「MY LOVE」、「SHE'S MY BABY」、「WARM AND BEAUTIFUL」、「SO BAD」、「THROUGH OUR LOVE」、「ONLY LOVE REMAINS」、「MOTOR OF LOVE」、「BEAUTIFUL NIGHT」などなど)も書いています。

ウイングス時代の楽曲でも、名曲「SILLY LOVE SONGS」に代表される様な対位法でメロディーを重ねる手法の曲では、リンダの独特な声が目立っています。3声コーラスだと、どうしてもビートルズのジョン、ポール、ジョージと比べてしまうわけですが、デニー・レインによるへなちょこコーラスは比較対象外とするならば、ポールとリンダのハーモニーは、ビートルズとは全く違っていて、なかなかのものです。リンダのソロ・ヴォーカル曲は、生前には1972年にレコーディングされて1977年にリリースされた「スージー&ザ・レッド・ストライプス」名義の「SEASIDE WOMAN」と「B-SIDE TO SEASIDE」と、1976年リリースのアルバム「WINGS AT THE SPEED OF SOUND」に収録された「COOK OF THE HOUSE」(シングル「SILLY LOVE SONGS」のB面にも収録)の3曲しかリリースされていなかったのですが、1998年4月17日に亡くなるまで録音していた楽曲をポールがまとめて、死の半年後の1998年10月26日にリリースされたのが、リンダ・マッカートニー唯一のソロ・アルバム「WIDE PRAIRIE」です。このアルバムに関しては、以前に単独で取り上げましたが、ポールとの共作も半数ほどありますが、リンダの単独作が5曲もあって、カヴァー3曲以外の13曲はリンダが曲作りに絡んでいるのです。

アルバム「WIDE PRAIRIE」は、1「WIDE PRAIRIE」、2「NEW ORLEANS」、3「THE WHITE COATED MAN」、4「LOVES FULL GLORY」、5「I GOT UP」、6「THE LIGHT COMES FROM WITHIN」、7「MISTER SANDMAN」、8「SEASIDE WOMAN」、9「ORIENTAL NIGHTFISH」、10「ENDLESS DAYS」、11「POISON IVY」、12「COW」、13「B-SIDE TO SEASIDE」、14「SUGARTIME」、15「COOK OF THE HOUSE」、16「APPALOOSA」の、全16曲入りで、前述の3曲(「SEASIDE WOMAN」と「B-SIDE TO SEASIDE」と「COOK OF THE HOUSE」)以外の13曲は、公式盤ではこのアルバムが初出音源でした。その13曲は、1973年から1989年までにレコーディングしていた楽曲に加えて、リンダが亡くなる1か月前の1998年3月にレコーディングした2曲も含まれているのです。1995年に乳がんを患い、手術は成功したものの、1997年に再発した上に転移もしていて、死を覚悟した状況でレコーディングされていて、そう云う話だけ聞くと壮絶な作品と思えるでしょうけれど、内容はあくまでもポップで明るい作品です。

(小島イコ)

posted by 栗 at 23:00| FAB4 | 更新情報をチェックする