ポール・マッカートニーは、1982年4月にアルバム「TUG OF WAR」をリリースして、先行シングルでスティーヴィー・ワンダーと共演した(共作ではなく、ポールがスティーヴィーへ当て書きした単独作)「EBONY AND IVORY」を始め、ジョン・レノンを追悼したビートルズの「YESTERDAY」にソックリな「HERE TODAY」や、カール・パーキンスと共演した「GET IT」や、リンゴ・スターがドラムスで参加しているなど、充実した内容で絶賛されました。個人的にはこのアルバムの最高傑作は「TAKE IT AWAY」で、10ccのエリック・スチュワートだとハッキリと分かるコーラスが素晴らしいです。「TAKE IT AWAY」は、元々はリンゴ用にポールが書いていて、ジョージといいポールといい、良い曲をリンゴに書き過ぎです。ポールは2枚組でのリリースを考えていて、既にマイケル・ジャクソンとの共作共演曲「SAY SAY SAY」などもレコーディング済だったものの、1983年10月にリリースされたアルバム「PIPES OF PEACE」に回されています。1984年10月にリリースされたポールが主演で脚本も書いた同名映画のサントラ盤「GIVE MY REGARD TO BROAD STREET(ヤア!ブロード・ストリート)」も含めた3作のアルバムは、サー・ジョージ・マーティンのプロデュースで、ジェフ・エメリックがエンジニアと云う、ビートルズ時代と同じ布陣で、ポールが伝家の宝刀を抜いた本気度満点の名作揃いなのですけれど、商業的には徐々に下がっていました。
それで、10ccのエリック・スチュワートを連続して起用していて、1986年7月リリースのアルバム「PRESS TO PLAY」ではCD全13曲中8曲をポールとエリックが共作しています。アルバム「PRESS TO PLAY」は全英8位・全米30位と、特に米国では売れなかったのですが、その責任はポールと、共同プロデュースしたヒュー・パジャムにあるのにも関わらず、エリック・スチュワートが悪いなどと云う風説を流布する日本のバカな評論家がいます。そう云う連中に限って、分かり易いエルヴィス・コステロとポールの共作を絶賛したり、ジョン&ヨーコさんのアルバム「DOUBLE FANTASY」は通して聴け!とか、余計なお世話な事ばかり書いているのです。さて、1985年にポールは、クラウドの「MESSAGE」にメッセージで参加して、「LIVE AID」では英国のトリで「LET IT BE」を歌ったのですけれど、マイク・トラブルで最初の方の歌声が聴こえなかったので、後にヴォーカルをレコーディングし直しています。1986年には「プリンス・トラスト」に出演して、やはりトリで「I SAW HER STANDING THERE」と「LONG TALL SALLY」と「GET BACK」を演奏しています。この時にポールは、ウイングスとロケストラでの1979年12月の「カンボジア難民救済コンサート」以来、7年ぶりに観衆の前でライヴをやっていて、「I SAW HER STANDING THERE」をオリジナルのキーで歌えた事で、1989年から現在(2024年)までつづくライヴ活動に繋がっています。
1987年にはフェリー・エイドの「LET IT BE」のヴィデオで最初の歌い出しで出演していて、音源はビートルズの「LET IT BE」が使われています。同1987年には、デュアン・エディのアルバム「DUANE EDDY」に収録されたポール自身が書いたウイングス(と云うかロケストラ)のカヴァー「ROCKESTRA THEME」をプロデュースして、ベースとバッキング・ヴォーカルで参加しています。1988年には、クリケッツ(バディ・ホリーのバック・バンド)の「T-SHIRT」をプロデュースして、ベース、ピアノ、バッキング・ヴォーカルで参加しています。コレは、ポールが版権を持っているバディ・ホリーにちなんだソング・コンテストをポールが開催していて、優勝曲を演奏したものです。同1988年には、カントリー界の大物であるジョニー・キャッシュのアルバム「WATER FROM THE WELLS OF HOME」に収録された「NEW MOON OVER JAMAICA」をジョニー・キャッシュとトム・ホールとの3人で共作して、プロデュースしてバッキング・ヴォーカルで参加しています。そして、1989年にはエルヴィス・コステロのアルバム「SPIKE」に収録された「...THIS TOWN...」でベースを弾いて、「VERONICA」をコステロと共作してベースを弾いて、「PADS, PAWS AND CLAWS」を共作しています。同1989年には様々なミュージシャンによるジェリー&ザ・ペースメイカーズのカヴァー「FERRY ’CROSS THE MERSEY(マージー河のフェリーボート)」でリード・ヴォーカルで参加しています。1991年のエルヴィス・コステロのアルバム「MIGHTY LIKE A ROSE」では、「SO LIKE CANDY」と「PLAYBOY TO THE MAN」をポールとコステロで共作しています。
ポールとコステロの共作は、1987年のポールのシングル「ONCE UPON A LONG AGO」のB面だった「BACK ON MY FEET」が最初にリリースされていたのに無視した(聴いていなかった?)日本のバカな評論家は、1989年2月リリースのコステロのアルバム「SPIKE」からのシングル「VERONICA」が全米19位とヒットして、同1989年6月リリースのポールのアルバム「FLOWERS IN THE DIRT」で4曲もの共作曲が出た事でようやく騒ぎ出したのです。コステロのアルバム「SPIKE」とアルバム「MIGHTY LIKE A ROSE」は全英ではトップ5入りしているものの、全米では32位と55位です。二人の共作はアルバム「FLOWERS IN THE DIRT」の時点でほとんどが出揃っていて、「SO LIKE CANDY」と「PLAYBOY TO THE MAN」の2曲もポールのアルバム「FLOWERS IN THE DIRT」に収録される予定だったし、二人の共作アルバムとしてリリースされる可能性もあったようです。1980年代のポールのアルバムを見てゆくと、1980年の「McCARTNEY U」は全英首位!・全米3位で、1982年の「TUG OF WAR」は全英首位!・全米首位!で、1983年の「PIPES OF PEACE」は全英4位・全米15位で、1984年の「GIVE MY REGARD TO BROAD STREET」は全英首位!・全米21位で、1986年の「PRESS TO PLAY」は全英8位・全米30位で、1987年の「ALL THE BEST!」は全英2位・全米62位で、1989年の「FLOWERS IN THE DIRT」は全英首位!・全米21位です。英国では安定した人気があって、米国ではそれほどヒットしなくなっていたと云うのが本当のところなのです。アルバム「FLOWERS IN THE DIRT」でポールが復活したのではなく、リリースしてすぐに世界ツアーをやったので、ライヴを観て、みんな「やっぱり、ポールは凄い」となったのです。
(小島イコ)