
今回は、1970年代にジョージ・ハリスンが参加した曲のつづきです。1975年リリースのビリー・プレストンのアルバム「IT'S MY PLEASURE」に収録された「THAT'S LIFE」で、ジョージはお得意のスライド・ギターを弾いています。かつてアップルにジョージが移籍させたビリー・プレストンのアルバムには、ビリー・プレストンがA&Mへ移籍してからも参加していて、ビリー・プレストンをジョージは1971年の「バングラデシュ・コンサート」と1974年の「北米ツアー」にも参加させていて、特に「北米ツアー」ではビリー・プレストンに3曲もビリー・プレストンの自作曲を演奏させていて、ビリー・プレストンは1970年代から1980年代までのジョージの多くのアルバムにも参加しています。同1975年には、ピーター・スケラーンのアルバム「HARD TIMES」に収録された「MAKE LOVE NOT WAR」でスライド・ギターを弾いています。狙ったのかどうか分かりませんが、ジョン・レノンの「MIND GAMES」の原題と同じタイトルです。ピーター・スケラーンは、1981年にトニー・ヴィスコンティと離婚してカムバックしたメリー・ホプキンと「オアシス」を結成しています。最近再結成で話題の「オアシス」とは、同名異バンドです。
同1975年には、コメディ集団であるモンティ・パイソンの「LUMBERJAXK SONG」をプロデュースしています。ジョージとモンティ・パイソンは関係が深く、ジョージは自分のプロモーション・フィルムにも彼らを出演させています。同1975年には、トム・スコットのアルバム「NEW YORK CONNECTION」に収録された「APPOLONIA(FASTRATA)」でスライド・ギターを弾いています。トム・スコットもジョージのアルバムではお馴染みのサックス・プレイヤーです。1976年にはラリー・ホスフォードのアルバム「CROSSROADS」に収録された「DIRECT ME」でスライド・ギターを弾いて、「WISHING I COULD」にハーモニー・ヴォーカルで参加しています。1978年には、ダリル・ホール&ジョン・オーツのアルバム「ALONG THE RED LEDGE」に収録された「THE LAST TIME」でスライド・ギターを弾いています。ホール&オーツとの接点は彼らのアルバムをプロデュースしたデヴィッド・フォスターで、1976年にダーク・ホースからアティチューズとしてアルバムをリリースしていて、ジョージの1975年リリースのアルバム「EXTRA TEXTURE(READ ALL ABOUT IT)(ジョージ・ハリスン帝国)」や、1976年リリースのアルバム「THIRTY THREE & 1/3」に参加しています。
同1978年には、ビートルズのパロディ史上最高傑作のラトルズが登場しました。元々はBBCで放送していたエリック・アイドルとニール・イネス(元・ボンゾ・ドッグ・バンド)を中心としたコメディ番組「ラトランド・ウィークエンド」のコーナーで、ラトルズのアルバム以前にも既に「I MUST BE IN LOVE」などを披露していて、1976年にはアルバム「THE RUTLAND WEEKEND SONGBOOK」をリリースしていました。その番組でのビートルズをパロディ化したラトルズだけでのTV番組「ALL YOU NEED IS CASH」が制作されて、そのサントラ盤としてラトルズのアルバムがリリースされたのです。ジョージは演奏には参加していませんが、TV番組の方には白髪で眼鏡をかけたTVリポーター役で出演しているのです。つまり、本人がパロディ番組に登場しているわけで、ジョージのユーモア・センスが伺えます。ロン・ウッドもヘルス・エンジェルス役で出ている番組には、ポール・サイモンとミック・ジャガーも本人役で出ています。ジョン・レノンは番組を観て、ニール・イネスに「GET UP AND GO」は「GET BACK」にソックリだから訴えられるぞ、と忠告したそうです。1979年には、ジョージはモンティ・パイソンのシングル「ALWAYS LOOK ON THE BRIGHT SIDE OF LIFE / BRAIN」でミキシングを担当していますが、云われても分かりません。
(小島イコ)