1974年春に、アップル・レコードは閉鎖へと追い込まれて、ジョン・レノンは1975年10月にシングル集「SHAVED FISH(ジョン・レノンの軌跡)」をアップルからリリースして、ジョージ・ハリスンは1975年10月にアップルでは最後のオリジナル・アルバム「EXTRA TEXTURE(READ ALL ABOUT IT)(ジョージ・ハリスン帝国)」をリリースして(リンゴのマークが芯だけになっている)、リンゴ・スターは1975年12月にベスト盤「BLAST FROM YOUR PAST(想い出を映して)」をリリースしました。ポール・マッカートニーは早々とアップルから抜けていたので、1975年5月リリースのアルバム「VENUS AND MARS」からは自分の会社「MPL」とキャピトルもしくはEMIからのリリースとなっています。ジョージの場合は、1976年11月にベスト盤「THE BEST OF GEORGE HARRISON」をEMIに勝手にリリースされていて、内容はA面がビートルズ時代の曲で、B面がソロの曲と云う屈辱的な選曲となっている上に、ワーナー移籍後第1弾アルバム「THIRTY THREE & 1/3」と発売時期をバッティングさせられてしまったのです。
元ビートルズの4人は1967年に9年間のレコーディング契約をEMIと結んでいたので、1976年1月に満了となって、ポールは引き続きEMIと契約して、ジョージは自身のレーベルである「ダーク・ホース」(当初はA&Mと契約していた)ごとワーナーへ移籍して、リンゴはアトランティック(米国)・ポリドール(米国以外)へ移籍して、ジョンはどことも契約せず、つまりは引退して主夫になりました。リンゴは9月15日(英国)、同年9月27日(米国)、同年10月15日(日本)に、移籍後初で通算5作目(リンゴ的には3作目)のアルバム「RINGO’S ROTOGRAVURE」をアトランティック(ポリドール)からリリースしました。移籍後の最初のアルバムですから、リンゴもはりきって、プロモーション活動をしていますし、ジョン、ポール、ジョージに楽曲を提供してもらい、他にも、エリック・クラプトン、ハリー・ニルソン、ピーター・フランプトン、メリッサ・マンチェスター、ダニー・コーチマー、ドクター・ジョン、ジム・ケルトナー、クラウス・フォアマン、ジェシ・エド・デイヴィスと云った大物ミュージシャンが「WITH A LITTLE HELP FROM MY FRIENDS」形式で参加して、プロデュースはアリフ・マーディンです。
内容は、A面が、1「A DOSE OF ROCK & ROLL(ロックは恋の特効薬)」、2「HEY BABY」、3「PURE GOLD」、4「CRYIN'」、5「YOU DON'T KNOW ME AT ALL」で、B面が、1「COOKIN'(IN THE KITCHEN OF LOVE)」、2「I'LL STILL LOVE YOU」、3「THIS BE CALLED A SONG(これが歌ってものさ)」、4「LAS BRISAS」、5「LADY GAYE」、6「SPOOKY WEIRDNESS」(シークレット・トラック)の、全11曲入りです。ところが、先行シングル「A DOSE OF ROCK & ROLL(ロックは恋の特効薬)」は全米26位、第2弾シングル「HEY BABY」は全米74位、全英ではどちらもチャートインせず、アルバムも全米28位、全英ではチャートインせずと、惨敗してしまいました。リンゴとしては、ビートルズの他の3人に新曲を書いて参加してもらって、他も豪華絢爛なゲストを迎えて、ゴキゲンなオールディーズのカヴァーも入れると云う、この手段が切り札であって、もうコレ以上は無理なのです。それで、1970年代前半の大ヒット曲連発が嘘だったかの様に、リンゴは落ちぶれてゆくのでした。ジョンは「COOKIN'(IN THE KITCHEN OF LOVE)」を、ポールは「PURE GOLD」を、それぞれ提供してレコーディングにも参加しています。
一番の仲良しであるジョージは自分のアルバム「THIRTY THREE & 1/3」の制作中で多忙だった上にレコード会社に訴えられそうになっていた為に、新曲の提供もレコーディングへの参加も出来ず、シラ・ブラック用に書いた曲「WHEN EVERY SONG IS SUNG」を改題した「I'LL STILL LOVE YOU」を提供するカタチとなっています。ところが、アリフ・マーディンによる過剰なアレンジに怒ったジョージが発売中止を求めるトラブルになっています。ポールによる「PURE GOLD」は、当時絶好調だったウイングスをそのまんまリンゴのヴォーカルにした様な佳曲で、ポールとリンダがバッキング・ヴォーカルで参加しています。そして、ジョンが書いてピアノも弾いている「COOKIN'(IN THE KITCHEN OF LOVE)」ですけれど、当時に主夫をしていたと云う事になっていたジョンの生活を歌った様な内容です。そして、この曲が1976年から1979年までの引退期間に唯一発表されたジョンの楽曲でした。故に、当時は「ジョンは曲が書けなくなったのでレコードを出せなくなった」などと云うデマをバカな評論家が云っていたのですけれど、現在ではその期間にも膨大なデモ音源を残していた事実が「THE LOST LENNON TAPES」などで明らかになっています。
(小島イコ)