1970年代前半のポール・マッカートニーは、全面的にプロデュースしているのは実弟であるマイク・マクギアのアルバム「McGEAR」位なものですが、兎に角「音楽活動をしないと死ぬ病」に罹っているので、色んなところに顔を出しています。ポールが全面的にプロデュースしたアルバムは、メリー・ホプキンとマイク・マクギアとデニー・レイン位しかありませんが、それだけでは満足出来ない様で、1972年には、マイク・マクギアのアルバム「WOMAN」で「BORED AS BUTTERSCOTCH」をポールとマイクの兄弟で共作しています。同年にリリースされたカーリー・サイモンのアルバム「NO SECRETS」に収録されたジェームス・テイラーのカヴァー「NIGHT OWL」にポールとリンダでバッキング・ヴォーカルで参加していますが、別にポールとリンダでなくとも変わらないと云う出来栄えです。プロデューサーが翌1973年にリンゴのアルバム「RINGO」をプロデュースするリチャード・ペリーなので、少し手伝ったのでしょう。カーリー・サイモンのアルバム「NO SECRETS」には、カーリーの自作「WAITED SO LONG(待ちすぎて)」にジェームス・テイラーが参加していて、アルバムがリリースされた後に二人は結婚しています。
ポールの関与はよく分からないのですが、アルバム「NO SECRETS」には他にも、ニッキー・ホプキンス(ピアノ)、クラウス・フォアマン(ベース)、アンディ・ニューマック(ドラムス)、ジム・ゴードン(ドラムス)、ジム・ケルトナー(ドラムス)、レイ・クーパー(コンガ)、ボビー・キーズ(サックス)、ミック・ジャガー(バッキング・ヴォーカル)、ドリス・トロイ(バッキング・ヴォーカル)、と云った、所謂ひとつの「ビートルズ人脈」が多く参加しています。あたくしはカーリー・サイモンのファンなので、アルバムはほとんど持っているしライヴDVDも持っているのですが、どれか1枚をオススメするならば、ありきたりですが、やはりアルバム「NO SECRETS」です。1973年には、ポールはポール・マッカートニー&ウイングスとしてアルバム「RED ROSE SPEEDWAY」とアルバム「BAND ON THE RUN」と2作もリリースしているので、他にかまっていられなかったようです。それが1974年となると、3人組の「第3期ウイングス」になってしまったので、再び5人組の「第4期ウイングス」となってリハーサル(「ONE HAND CLAPPING」)から始める事となりました。
しかしながら、ポールが自分のアルバムを出さずにシングル「JUNIOR'S FARM」をリリースしただけで満足するわけがなく、1974年5月には以前に紹介したスキャッフォルド(マイク・マクギアが在籍)のヒット・シングル「LIVERPOOL LOU / TEN YEARS AFTER ON STRAWBERRY JAM」をプロデュースしていて、A面はカヴァーで、B面の「TEN YEARS AFTER ON STRAWBERRY JAM」は書き下ろしてベースも弾いています。同年9月リリースのマイク・マクギアのアルバム「McGEAR」では全面的にプロデュースしていて、楽曲のほとんどをポール(&リンダ)とマイクで共作して、演奏もポール、リンダ、デニー・レイン、ジミー・マカロックと「第3.5期ウイングス」が参加しています。同じく1974年10月には、ポールのアイドルであるペギー・リーに「LET'S LOVE」(アルバム「LET'S LOVE」収録)を提供して、ピアノで参加してプロデュースしています。楽曲提供だと同1974年6月にはジョン・クリスティーに名曲「4TH OF JULY」を、同年9月にはロッド・スチュワートに佳曲「MINE FOR ME」(アルバム「SMILER」収録)を、それぞれ提供しています。
レコーディング参加だと、同1974年にはジェームス・テイラーのアルバム「WALKING MAN」(ポール&リンダの1971年リリースのアルバム「RAM」でギターを弾いて、ジョンの1973年リリースのアルバム「MIND GAMES」にも参加したデヴィッド・スピノザのプロデュースとギターで、やはりアルバム「RAM」と、1980年リリースのジョン&ヨーコさんのアルバム「DOUBLE FANTASY」にも参加するヒュー・マクラッケンもギターで参加)に収録された「ROCK ’N' ROLL IS MUSIC NOW」と「LET IT ALL FALL DOWN」にポールとリンダとカーリー・サイモンがバッキング・ヴォーカルで参加していて、ジェームス・テイラーと云えばピーター・アッシャーで他の曲にバッキング・ヴォーカルで参加しているのですけれど、ポールとは和解していたのでしょう。同1974年にはソーントン、フラドキン、アンガー&ザ・ビッグ・バンドの「GOD BLESS CALIFORNIA」(アルバム「PASS ON THE SIDE」収録)にベースとバッキング・ヴォーカルで参加しています。更に、同1974年にはアダム・フェイスのアルバム「I SURVIVE」に収録された「CHANGES」と「NEVER SAY GOODBYE」と「GOODBYE」の3曲にシンセサイザーで、「STAR SONG」にバッキング・ヴォーカルで参加しています。
1974年だけでどんだけやっているんだよ、って話ですが、コレがまた、ウイングスでライヴが出来る体制になって世界ツアーをやっていた1975年と1976年にはパタッとなくなるのです。それが、また3人組になった1977年になると滅茶苦茶増えるのですから、ポールは分かり易いのです。それから、1960年代のビートルズ時代の参加曲では、1964年リリースのアルマ・コーガンの「I KNEW RIGHT AWAY」や、1966年リリースのエスコーズの「FROM HEAD TO TOE」にタンバリンで参加とか、云われても分からない曲もありますけれど、1966年リリースのクリス・ベネット&ザ・レベル・ルーザーズによる、ポールが主導で書いた「レノン=マッカートニー」作でビートルズのカヴァー「GOT TO GET YOU INTO MY LIFE」は、1966年リリースのビートルズのアルバム「REVOLVER」からの公認最速カヴァーで、ポール自身がプロデュースして全英6位とヒットさせています。ポールの提供曲や参加曲は数多く、それぞれ1曲の為にアルバムを買うのも大変なので、まとめて収録しているブートレグのお世話になるのもアリでしょう。
(小島イコ)