アップル・レコード時代に、ジョン・レノンが最も関わっていたのは小野洋子さんです。結婚して夫婦になったのですから、そりゃあそうなんですけれど、厄介な事にヨーコさんはミュージシャンとしてジョンとの共同プロデュースでレコードもリリースしていたのです。まずは、1968年11月にアルバム「TWO VIRGINS」と、1969年5月にアルバム「LIFE WITH THE LIONS」と、同年11月にアルバム「WEDDING ALBUM」の前衛3部作を、ジョンとヨーコさんの連名でリリースしています。1969年7月にはシングル「GIVE PEACE A CHANCE / REMEBER LOVE」を、同年10月にはシングル「COLD TURKEY / DON'T WORRY KYOKO」を、同年12月にはライヴ・アルバム「LIVE PEACE IN TORONTO」を、1970年2月にはシングル「INSTANT KARMA! / WHO HAS SEEN THE WIND?」を、1971年3月にはシングル「POWER TO THE PEOPLE / OPEN YOUR BOX」を、同年12月にはシングル「HAPPY XMAS(WAR IS OVER) / LISTEN, THE SNOW IS FALLING」を「プラスティック・オノ・バンド」名義でリリースしています。これらのシングルは、A面がジョンのアルバム未収録曲のみを挙げております。
ライヴ盤もシングルも、A面はジョンが書いて歌っている比較的に聴き易い楽曲ですが、B面はヨーコさんが書いてパフォーマンスしている例の「キエーッ!」と云う奇声が聴ける困ったちゃんな代物です。中には普通の曲もあるのですけれど、根本的にヨーコさんは悪声なので人前で歌を歌うべき人ではありません。それでも、みんなA面だけ聴いていたわけで、アルバムも1970年リリースのジョンのアルバム「JOHN LENNON / PLASTIC ONO BAND(ジョンの魂)」に対してヨーコさんのアルバム「YOKO ONO / PLASTIC ONO BAND(ヨーコの心)」や、1971年リリースのジョンのアルバム「IMAGINE」に対してヨーコさんのアルバム「FLY」(アナログLP2枚組!)と分けてくれていた内は良かったのです。それが、1972年リリースのアルバム「SOMETIME IN NEW YORK CITY」の様にジョンとヨーコさんの連名となると、やっぱり困ったちゃんなのです。アルバム「SOMETIME IN NEW YORK CITY」は2枚組で、スタジオ盤の方はジョンが単独で歌う曲と、ヨーコさんが単独で歌う曲と、二人でデュエットしている曲がごちゃ混ぜで、ライヴ盤にはフランク・ザッパとの共演も収録されていて、もう滅茶苦茶なレコードです。
アップル時代のヨーコさんは多作で、1973年には1月にアルバム「APPOROXIMATELY INFINITE UNIVERSE(無限の大宇宙)」(アナログLP2枚組!)と、11月に「FEELING THE SPACE(空間の感触)」と2作3枚もリリースしていて、ソロ・シングルも結構出しています。そして、ジョンが1976年に引退してからは、ヨーコさんも音楽活動は休止していて、復活した1980年11月リリースのアルバム「DOUBLE FANTASY」は再びジョンとヨーコさんの連名となりましたが、ジョンの遺作になってしまいました。アルバム「DOUBLE FANTASY」のヨーコさんは、アレでも以前よりはずっと聴き易いのですけれど、やっぱりジョンの曲だけ聴く人も多いし、現在ではジョンのベスト盤にはほとんどの曲が収録されている事もあって、ジョンが望んだ「自分の曲とヨーコの曲の対話なので通して聴いて欲しい」と云う聴かれ方はしていません。ジョンの死後も1984年1月には遺稿集のアルバム「MILK AND HONEY」の様な無理矢理にジョンとヨーコさんの連名アルバムをリリースしたり、ソロでも何作もアルバムをリリースしていますが、ジョンが亡くなった後のジョンが関与したくとも出来ないヨーコさんの作品は、ビートルズ関連作品とは呼べないんじゃないでしょうか。そもそも、ジョンがいたからヨーコさんはレコードを出せていたんじゃないでしょうか。
さて、プラスティック・オノ・バンドはメンバーが流動的なバンドでしたが、1972年にジョンとヨーコさんの連名アルバム「SOMETIME IN NEW YORK CITY」やヨーコさんの「APPOROXIMATELY INFINITE UNIVERSE(無限の大宇宙)」や「ワン・トゥ・ワン・コンサート」などでバックを務めている「エレファンツ・メモリー」と云うバンドがありました。このニューヨークのローカル・バンドは、1972年11月20日(英国)・同年9月18日(米国)に、アルバム「ELEPHANT'S MEMORY」をジョンとヨーコさんのプロデュースでアップルからリリースしていて、シングル・カット(英・米・日本で別の曲)もされていますが、CD化もされていないし求められていないショボクレ盤です。1972年のジョンは政治色が強い傾向があって、まあ、純粋なジョンが反体制活動家に利用されていた、と云うのが本当のところでしょう。1972年4月17日にはデイヴィッド・ピールのアルバム「THE POPE SMOKES DOPE(ローマ法王とマリファナ)」を、ジョンとヨーコさんのプロデュースでアップルからリリースしていていて、速攻で発禁・回収されています。「ピー!」音連発のシングルも予定していたものの、企画倒れになっていて、英国やヨーロッパではアルバムも未発売で、どうしてこんなもんまで日本盤は出たのでしょうね。
(小島イコ)