ジョージ・ハリスンがシタールの師と仰ぐラヴィ・シャンカールは、現在では歌手のノラ・ジョーンズと、シタール奏者のアヌーシュカ・シャンカールの父親である事でも有名です。ジョージが「バングラデシュ難民救済コンサート」を行ったのは、ラヴィ・シャンカールにバングラデシュ独立戦争による東パキスタン難民の話を聞いて、ジョージがそれならばとチャリティー・コンサートを行ったのです。故に、1971年8月1日に行われた「バングラデシュ難民救済コンサート」でも、ラヴィ・シャンカールは演奏しています。そして、1974年のジョージの北米ツアーにもラヴィ・シャンカールは同行して、自分のコーナーでインド音楽を披露しています。特にジョージの北米ツアーでは、お客さんはジョージを観に来ていたわけで、ビリー・プレストンが歌うコーナーはまだしも、ラヴィ・シャンカールによるインド音楽には戸惑い、それがツアーの不評(ジョージにもビートルズの「IN MY LIFE」の歌詞を変えたりして問題はあった)に繋がって、それ以後にジョージは1991年12月の来日公演まで、17年もライヴツアー恐怖症となってしまうのです。
1974年の北米ツアーは、ジョージとしてはラヴィ・シャンカールとのジョイント・ツアーだと考えていたらしいのですが、何せ元ビートルズのメンバーではジョージが最初に北米ツアーを行ったわけで、そりゃあ観衆は元ビートルズでソロになって成功した「ビートルズが解散して最も得をした男」であるジョージを期待していたわけで、いきなりシタールがビロ〜ンとか鳴らされたのでは困ったちゃんなのです。ラヴィ・シャンカールは、1971年8月27日(英国)・同年8月9日(米国)に、ジョージのプロデュースで3曲(B面はメドレーなので実質4曲)入りのシングル「JOI BANGLA」をアップルからリリースしていて、これは同年7月30日(英国)・同年7月28日(米国)に緊急発売されたジョージのシングル「BANGLA DESH / DEEP BLUE」(全英10位・全米23位)を後追いしたチャリティー・シングルです。CD化もされていないのでアップルのシングル・コンピレーション盤のブートレグで聴きましたが、インド音楽なのでよく分かりません。1971年12月7日(米国)には、ラヴィ・シャンカールの半生を描いたドキュメンタリー映画のサントラ盤「RAGA」をアップルからリリースしていて、ジョージがリ・プロデュースしています。
このサントラ盤は英国ではリリースされておらず、CD化もされておりません。面白いのが、このサントラ盤に収録されている「FRENZY AND DISTORTION」と云う曲が、1970年代に出ていたブートレグにビートルズ(ジョージ作)の「NOT GUILTY」として収録されていたのです。そのブートレグには、ニール・イネスがピアノの弾き語りで歌った「CHEESE AND ONIONS」(後にラトルズで発表)をジョンのアウトテイクだとして(流石に「?」としている)収録されてもいて、1970年代のブートレグなんてそんなもんだったのです。ラヴィ・シャンカールは、1973年4月13日(英国)・同年1月22日(米国)にアップルからLP2枚組のライヴ盤「IN CONCERT 1972」をラヴィ・シャンカール&アッリ・アクバール・カーン名義でリリースしていて、ジョージがフィル・マクドナルドとザカー・ハッセンと共にミックスを手掛けています。このライヴ盤は、1996年にCD化されています。と云う流れで、ラヴィ・シャンカールはアップルではシングル1作、サントラ盤1作、ライヴ盤1作を残していて、ライヴ盤の「THE CONCERT FOR BANGLADESH」にも演奏が収録されていて、その全てにジョージが関わっています。
その後は、1974年にジョージがダーク・ホース・レコードを設立して、1974年9月にアルバム「SHANKAR FAMILY & FRIENDS」をジョージのプロデュースでリリースしていて、A面は歌モノのポップ路線で、B面はラヴィ・シャンカールによるバレエのサントラになっています。アルバム「SHANKAR FAMILY & FRIENDS」からは、1974年9月に「I AM MISSING YOU / LUST」をシングル・カットもしています。1976年3月には、やはりジョージのプロデュースでアルバム「RAVI SHANKAR'S MUSIC FESTIVAL FROM INDIA」をリリースしています。ジョージが亡くなるまで交流は続いていて、ジョージの一周忌に行われた「コンサート・フォー・ジョージ」には、娘のアヌーシュカ・シャンカールと共に参加しています。そして、2012年12月11日に92歳で亡くなりました。弟子であるジョージは「シタールは難しすぎて、生涯をかけても完全には習得出来ない」と云っていました。ノラ・ジョーンズは3歳の時に別れた父親であるラヴィ・シャンカールの話はしたがらなかったのですけれど、ラヴィ・シャンカールの公式サイトにリンクされている通り、和解しています。それで、ジョージが関わっているから、とか、ノラ・ジョーンズのお父さんだから、と云った興味で聴くと、大火傷する音楽です。
(小島イコ)