ジョージ・ハリスンとエリック・クラプトンの仲は、常人には理解不能は領域に入っていたと思います。最初にクラプトンをビートルズのレコーディングに誘ったのはジョージで、1968年11月にリリースされたアルバム「THE BEATLES(ホワイト・アルバム)」に収録されたジョージ作の「WHILE MY GUITAR GENTLY WEEPS」でクラプトンがリードギターを弾いています。「ビートルズのレコーディングに参加するなんて、恐れ多くて出来ない」と云うクラプトンに、ジョージは「僕が書いた曲で、僕がギターを弾いてくれと云っているんだ」と説得して参加させたそうです。「ホワイト・アルバム」に収録されたジョージ作の「SAVOY TRUFFLE」は、甘いものが好きで虫歯だらけになってもクラプトンが食べていたチョコレートの名前を羅列していたり、1969年9月リリースのアルバム「ABBEY ROAD」に収録されたジョージ作の「HERE COMES THE SUN」は、ジョージがアップルの会議をサボってクラプトンの家に遊びに行って、庭でクラプトンのギターを借りて作ったと云われています。
兄弟の様に仲が良かった二人は、1969年2月5日にリリースされたクリームのラスト・アルバム「GOODBYE CREAM」に収録された「BADGE」を共作して(当初はクラプトンひとりの名義だったものの、現在ではジョージとクラプトンの共作となっている)、「BADGE」にはジョージが「L'Angelo Misterioso」と云う変名でリズムギターでも参加しています。シングルカットもされて(B面はジンジャー・ベイカー作の「WHAT A BRINGDOWN」)、全英18位・全米60位となっています。ジョン・レノンもクラプトンを気に入っていて、1968年の「ダーティー・マック」や、1969年の「プラスティック・オノ・バンド」で共演しているし、1969年の「THE GET BACK SESSIONS」でジョージがポールと揉めて一時脱退した時には「ジョージが戻って来なかったら、クラプトンを呼んでギターを弾いてもらおう」などと撮影中のカメラの前で堂々と云っています。クラプトンは、ジョージの生前も死後も彼を尊敬していて、生前は何度も共演していたし、ジョージの追悼コンサートを仕切ったりもしています。と、これだけ書くと「美しい友情物語」となるわけですが、二人の仲はそんな綺麗ごとだけでは済まされないのでした。
1970年11月9日にリリースされたクラプトンが在籍したデレク・アンド・ザ・ドミノスのアルバム「LAYLA AND OTHER ASSORTED LOVE SONGS(いとしのレイラ)」は、ジョージの妻だったパティ・ハリスン(パティ・ボイド)への道ならぬ恋心を歌ったもので、結局はパティとクラプトンは不倫関係となり、ジョージは別居後に離婚して1974年のアルバム「DARK HORSE」(クラプトンも参加!)に収録されたエヴァリー・ブラザーズのカヴァー「BYE BYE LOVE」で皮肉って歌ったりしています。まあ、ジョージもリンゴの妻・モーリンと不倫していたし、アルバム「DARK HORSE」には、既に後に再婚するオリヴィアさんの写真をレーベルに載せたりしているんですけれどね。ところが、ジョージとクラプトンの仲が良く分からないのは、1979年にパティがクラプトンと再婚する事になったら、ジョージはポールとリンゴと共に結婚式に参加して、新郎であるクラプトンも加えて余興でビートルズ・ナンバーを演奏しちゃったのですよ。其の後もずっとジョージが亡くなるまで仲良しで、1991年のジョージの来日公演(アレはクラプトンがいなければ実現しなかった)などで、ずっと共演しているのですよ。二人で来日した時に出た番組では、クラプトンも既に離婚していて、二人で「パティはイイ女だったなあ」「うん、イイ女だったね」などと、ニヤニヤしながら語り合ったりしていて、う〜む、分からん。
(小島イコ)