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2024年09月21日

「雲霧仁左衛門2」第五回、第六回(再)で内山理名ちゃん

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時代劇専門チャンネル 9:00〜11:00

第五回「甘い罠」
第六回「越後屋潜入」

内山理名 AS 七化けのお千代

「雲霧仁左衛門2」第五回と第六回の、今年2回目の再放送です。第五回では、敵対盗賊組織の女に騙された伊助を、理名ちゃんが演じる七化けのお千代姐さんが助けます。伊助は盗賊の一味と誤解されて、手配書が出回ってしまいます。更に自分が女に騙されていた事も知ってしまいますが、お千代姐さんは乱闘の時に伊助を手刀一発で気絶させます。雲霧一党は敵対盗賊組織を殲滅して、伊助はお千代姐さんに見送られて江戸を離れます。やはり最大の見せ場はお千代姐さんの秘めたる戦闘能力が明かされた手刀の場面で、流石は雲霧一党で、化けるだけではなかったと云う事です。

第六回では、雲霧仁左衛門が最後の標的を越後屋に定めて、富の市を引き込み役にします。しかし越後屋に気に入られた富の市は、欲が出てしまい錠前を外す事が出来ません。そんな中で雲霧仁左衛門の兄が登場して、雲霧仁左衛門の過去が明かされ、何故盗賊になったのかが分かります。理名ちゃんが演じる七化けのお千代姐さんは目立った活躍はないものの、雲霧仁左衛門にお茶を運んだり、手配書が出回って顔を変えようと焼いてしまった六之助の手当てをしたりと、内助の功で魅せます。

本放送:2015年3月6日、3月13日(NHK BSプレミアム)

(姫川未亜)

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「雲霧仁左衛門3」第三回、第四回(再)で内山理名ちゃん

キャロル・キング・ミュージック(紙ジャケット仕様)


時代劇専門チャンネル 17:00〜19:00

第三回「ほおずきの調べ」
第四回「忘れ形見」

内山理名 AS 七化けのお千代

「雲霧仁左衛門3」第三回と第四回の、今年初めての再放送です。第三回では、冒頭から江戸の町を歩く理名ちゃんが演じる七化けのお千代姐さんが登場します。お頭の指図で、豊田屋の内偵にむかいます。安部式部も内偵をもちいて、探り合いとなります。騙し合いの末、引き分けと云ったところでしょう。

第四回での雲霧一党の標的は、丸子屋です。早速、お千代姐さんが内偵に入ります。今回も、七化けぶりを魅せてくれました。別の盗賊も丸子屋を狙っていて、雲霧一党は難を逃れます。裏をかいてまんまと大金をせしめました。おなみが殺される以外は、雲霧の思惑通りでした。雲霧一党は悪党なのに主役で、正義のはずの安部式部たちが悪者に見えてしまいます。

本放送:2017年1月20日1月27日(NHK BSプレミアム)

(姫川未亜)

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「ポールの道」#500「FAB4 GAVE AWAY」#44 「YOU'RE SIXTEEN(YOU'RE BEAUTIFUL AND YOU'RE MINE)」「SIX O'CLOCK」

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1973年11月にアップルからリリースされたリンゴ・スターのアルバム「RINGO」には、元ビートルズのジョン・レノン、ポール・マッカートニー、ジョージ・ハリスンが楽曲提供してレコーディングにも参加しています。ジョンが書いたアルバム1曲目の「I'M THE GREATEST」では、ジョン、ジョージ、リンゴが共演しています。元ビートルズの3人の中では、ジョージの貢献度が最も高いのですけれど、それは次回に回して、今回は連載500回なので、ポールが関わった2曲について書きます。お忘れかもしれませんが、この連載のタイトルは「ポールの道」です。まずは、アルバムのA面5曲目(A面の最後)に収録された「YOU'RE SIXTEEN(YOU'RE BEAUTIFUL AND YOU'RE MINE)」で、この楽曲は1960年にジョニー・バーネットが発表して全米8位と大ヒットさせた曲のカヴァーです。結果から云うと、アルバム「RINGO」から第2弾シングル・カットされて、全英4位・2曲連続で全米首位!(第1弾はジョージとリンゴの共作「PHOTOGRAPH(想い出のフォトグラフ)」で、全英8位・全米首位!)となりました。

「YOU'RE SIXTEEN(YOU'RE BEAUTIFUL AND YOU'RE MINE)」のレコーディング・メンバーは、リンゴ・スター(ヴォーカル、ドラムス)、ニッキー・ホプキンス(ピアノ)、ジム・ケルトナー(ドラムス)、ジミー・カルヴァート(ギター)、ポール・マッカートニー(カズー風のマウス・サックス)、クラウス・フォアマン(ベース)、ハリー・ニルソン(バッキング・ヴォーカル)、ヴィニ・ポンシア(ハーモニー・ヴォーカル)となっていて、ポールは本当のカズーを担当したとも云われています。ポールは全身楽器みたいな人なので、どっちでもやれてしまうので記録が曖昧なのでしょう。それにしても、リンゴのシングルが2曲連続で全米首位!となってしまったのは、見逃せません。どちらも、ジョージやポールの手助けがあったとは云え、1970年代前半は、世の中が狂っていたのでしょうか。この頃までに、ポールとジョージは全米首位!となった大ヒット・シングルがありましたが、ジョンは1974年の「WHATEVER GETS YOU THRU THE NIGHT(真夜中を突っ走れ)」が初めての全米首位!曲だったわけですよ。ジョンよりもリンゴが売れているなんて、今となっては「摩訶不思議な時代」でした。

そして、ポールは「YOU'RE SIXTEEN(YOU'RE BEAUTIFUL AND YOU'RE MINE)」に参加しただけではなく、ポールとリンダの共作と云う事になっているB面3曲目の「SIX O'CLOCK」を提供して、レコーディングにも参加しています。こちらのレコーディング・メンバーは、リンゴ・スター(ヴォーカル、ドラムス)、ポール・マッカートニー(ピアノ、シンセサイザー、バッキング・ヴォーカル、フルート、ストリングスアレンジ)、リンダ・マッカートニー(バッキング・ヴォーカル)、ヴィニ・ポンシア(アコースティックギター、パーカッション)、クラウス・フォアマン(ベース)です。ポールの曲なのに、ベースをクラウス・フォアマンが弾いているのが珍しいです。手抜きなしで文句なしの名曲ですが、実はリンゴが先にジョンとジョージからの楽曲提供とレコーディング参加を決めてから、ポールに「またハブにされたくないだろう?」と誘って実現したので、ポールも燃えたのでしょう。この曲にはロング・ヴァージョンもあって、何故かアルバム「GOODNIGHT VIENNA」のCDの方にボーナス・トラックとして収録されているのですけれど、ポールが暴走していて、誰のレコードなのか分からなくなっています。

(小島イコ)

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2024年09月22日

「劇場版TRICK 霊能力者バトルロイヤル」

劇場版TRICK 霊能力者バトルロイヤル 超完全版 (2枚組) [DVD]


WOWOWプラス 12:15〜14:30

2010年公開作品

片瀬那奈 AS 杉尾園子

(公開:2010年5月8日、撮影:2009年11月頃、栃木県佐野市にてロケ)

「劇場版TRICK 霊能力者バトルロイヤル」の今年2回目の放送で、今回も劇場版4作が連続放送されます。那奈ちゃんが演じたのはインチキ霊能力者の杉尾園子で、かなり奇妙奇天烈な役どころです。この映画は、実は「きれいなおねえさん」の3代目(那奈ちゃん)と5代目(仲間由紀恵さん)の共演作でもあります。那奈ちゃんは、初代(水野真紀さん)と、2代目(松嶋菜々子さん)とも、それぞれドラマで共演しています。


(小島イコ/姫川未亜)

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「ポールの道」#501「FAB4 GAVE AWAY」#45 「PHOTGRAPH」「SUNSHINE LIFE FOR ME(SAIL AWAY RAYMOND)」「YOU AND ME(BABE)」

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1973年リリースのリンゴ・スターのアルバム「RINGO」には、元ビートルズのジョン・レノンとポール・マッカートニーとジョージ・ハリスンがそれぞれ楽曲を提供して、レコーディングにも参加しています。ジョンは前々回に紹介したアルバム冒頭を飾る「I'M THE GREATEST」を書いて、レコーディングにはジョン、ジョージ、リンゴが参加しています。ポールは前回に紹介したA面最後で第2弾シングルだったジョニー・バーネットのカヴァー「YOU'RE SIXTEEN(YOU'RE BEAUTIFUL AND YOU'RE MINE)」でカズー風のマウス・サックスを担当し、全米首位!に貢献していて、B面3曲目に収録されたポール&リンダ作の「SIX O'CLOCK」を提供して、レコーディングにも参加しています。そして、このアルバムに最も貢献したのは、ジョージでした。ジョージは先行シングルでアルバムではA面3曲目の「PHOTGRAPH(想い出のフォトグラフ)」をリンゴと共作して、全米首位!となり、他にもA面4曲目の「SUNSHINE LIFE FOR ME(SAIL AWAY RAYMOND)」を単独で書いていて、B面5曲目でアルバムでは最後の「YOU AND ME(BABE)」をマル・エヴァンスと共作しています。

全米首位!となった「PHOTGRAPH」のレコーディング・メンバーは、リンゴ・スター(ヴォーカル、ドラムス)、ジョージ・ハリスン(12弦アコースティック・ギター、バッキング・ヴォーカル)、ヴィニ・ポンシア(アコースティック・ギター、バッキング・ヴォーカル)、ジミー・カルヴァート(アコースティック・ギター)、クラウス・フォアマン(ベース)、ジム・ケルトナー(ドラムス)、ボビー・キーズ(テナー・サックス)、ロン&デレク・ヴァン・イートン(パーカッション)、ニッキー・ホプキンス(ピアノ)、ジャック・ニッチェ(オーケストラ・アレンジ、コーラス・アレンジ )です。リンゴとジョージの共作となってはいるものの、ジョージ色が強い楽曲ではあります。何にせよ、この楽曲はリンゴにとって初の全米首位!を獲得した代表曲のひとつとなったので、アップル時代のベスト盤や、後のオールタイム・ベスト盤にも収録されていますし、その2007年リリースのオールタイム・ベスト盤のタイトルにもなっています。ライヴでも定番曲で、2017年リリースのアルバム「GIVE MORE LOVE」では、ヴァンダヴィアーと共にセルフ・カヴァーしています。

ジョージの単独作「SUNSHINE LIFE FOR ME(SAIL AWAY RAYMOND)」のレコーディング・メンバーは、リンゴ・スター(ヴォーカル、ドラムス、パーカッション)、ジョージ・ハリスン(エレクトリック・ギター、バッキング・ヴォーカル)、ロビー・ロバートソン(エレクトリック・ギター)、レヴォン・ヘルム(マンドリン)、デビッド・ブロムバーグ(バンジョー、フィドル)、ガース・ハドソン(アコーディオン)、リック・ダンコ(フィドル)、クラウス・フォアマン(スタンドアップベース)、ヴィニ・ポンシア(バッキング・ヴォーカル)で、つまり「ビートルズ」と「ザ・バンド」が合体しています。ジョージとマル・エヴァンスの共作となっているラストの「YOU AND ME(BABE)」のレコーディング・メンバーは、リンゴ・スター(ヴォーカル、ドラムス、パーカッション)、ジョージ・ハリスン(エレクトリック・ギター)、ニッキー・ホプキンス(エレクトリック・ピアノ)、ヴィニ・ポンシア(アコースティック・ギター)、クラウス・フォアマン(ベース)、ミルト・ホランド(マリンバ)、トム・スコット(サックス、ホーンアレンジ)、ジャック・ニッチェ(ストリングス・アレンジ)です。

ジョージはジョン作の「I'M THE GREATEST」でもギターを弾いているので、リンゴとの共作「PHOTGRAPH」と、ジョージの単独作「SUNSHINE LIFE FOR ME(SAIL AWAY RAYMOND)」と、マル・エヴァンスとの共作「YOU AND ME(BABE)」と、全10曲中4曲に参加していて、シングル「PHOTGRAPH」のB面でアルバム未収録曲の「DOWN AND OUT」(現在はアルバム「RINGO」のボーナス・トラックで聴ける)でもギターを弾いています。大ヒット曲「PHOTGRAPH」で共作したリンゴがどの程度曲作りに関わっているのかは不明ですし、アルバムの最後の「YOU AND ME(BABE)」はジョージとマル・エヴァンスの共作となっていますが、マル・エヴァンスは歌詞を手伝った程度だと思えます。それだけ、共作となっている2曲もジョージ色が強いのです。元ビートルズの他の3人を始めとして、豪華絢爛なミュージシャンが「リンゴの手助けをしよう」と、正に「WIYH A LITTLE HELP FROM MY FRIENDS」で集ったアルバムですし、最後の「YOU AND ME(BABE)」でのセリフは感動的で泣かせますけれど、リンゴは役者もやっているわけで、ソノ辺のところは得意技なのです。ポールを引っ張り出す為に、既にジョンとジョージの参加が決定した事をちらつかせて誘ったりしていて、リンゴもなかなか強かなのですよ。

(小島イコ)

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2024年09月23日

TOKYO FM ホリデースペシャル 太田胃酸 presents「内山理名 RINA'S ROOM」



TOKYO FM 13:00〜14:55

理名ちゃんがラジオに戻って来ました。13時台のゲストは女優の三倉茉奈さん、14時台のゲストはフリーアナウンサーの松丸友紀さんでした。ラジオで復活したと云う事は、新たなる女優のお仕事も期待出来そうです。

(姫川未亜)

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「ポールの道」#502「FAB4 GAVE AWAY」#46 「94 BAKER STREET」「GRAPEFRUIT」

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アップル・レコードからのリリースも残り僅かとなってきましたので、ここで「アップル・レコード」の前身であった「アップル・パブリッシング」について書きます。レコード会社を作る前の1967年に、楽曲の出版契約をする会社を作ったわけですが、中には「ギャラガー&ライル」と云った優秀なソングライターとも契約していたし、後にバッドフィンガーとなるアイヴィーズとも契約していました。それでも、アイヴィーズの様にアップル・レコードからデビュー出来たバンドは稀有な存在です。その辺は、2003年10月リリースの「94 BAKER STREET THE POP-PSYCH SOUNDS OF THE APPLE ERA 1967-1969」や、その続編で2006年4月リリースの「AN APPLE A DAY : MORE POP-PSYCH SOUNDS FROM THE APPLE ERA 1967-1969」や、更に続々編で2008年10月リリースの「TREACLE TOFFEE WORLD : FURTHER ADVENTURES INTO THE POP PSYCH SOUNDS FROM THE APPLE ERA 1967-1969」の3作でまとめて聴く事が出来ます。

最初に出た「94 BAKER STREET THE POP-PSYCH SOUNDS OF THE APPLE ERA 1967-1969」には、フォーカル・ポストが5曲、グレープフルーツが4曲、ウェイズ・アンド・ミーンズが1曲、アイヴィーズが5曲、ペイントボックスが1曲、ジョン・フェルチ・アンド・アソシエイツが2曲で、全18曲入りなんですけれど、CDの裏や英文ライナーノーツにはミスアンダーストゥッドの3曲も加えた全21曲入りと書いてあります。小さな紙に「ミスアンダーストゥッドの3曲は契約上の問題により実際には収録されておりません」とお詫びが書いてあるんですけれど、何だかなあ、と云う感じです。まあ、コレがアイヴィーズやグレープフルーツの曲が未収録だったならば、ソレは一寸困ったちゃんで、金返せになっていたかもしれません。アイヴィーズのデモ音源は目玉で、1作目には5曲、2作目には4曲、3作目には2曲が収録されています。段々とアイヴィーズの曲が減ってゆくにつれて、よりアニアックとなっております。内容はタイトル通りに「サイケ・ポップス」なので、シド・バレットがいた頃のピンク・フロイドが好きな方にはオススメです。

さて、アイヴィーズからバッドフィンガーに関しては個別に書いておりますが、このコンピレーション盤を取り上げたのは「グレープフルーツ」に関して書く為です。「グレープフルーツ」の名付け親はジョン・レノンで、勿論、元ネタはヨーコさんの詩集「グレープフルーツ」です。グレープフルーツはソングライターであるジョージ・アレキサンダー(本名・アレックス・ヤング、「FRIDAY ON MY MIND」のイージービーツのジョージ・ヤングの実兄、つまり「AC/DC」のマルコム&アンガス・ヤング兄弟のお兄さん)を売り出す為に結成されたバンドです。バンドは短命で、1968年にアルバム「AROUND GRAPEFRUIT」を、1969年にアルバム「DEEP WATER」をリリースしただけですが、2016年にアップル時代の曲を集めた「YESTERDAY'S SUNSHINE」をリリースしています。コンピレーション盤には、アルバム「AROUND GRAPEFRUIT」に収録された「LULLABY」の別ヴァージョン(ポール・マッカートニーがプロデュース)が収録されていて、この曲はビートルズの幻のアルバム「HOT AS SUN」のブートレグに「LULLABY FOR A LAZY DAY」のタイトルで、ビートルズの曲と偽って収録されています。

(小島イコ)

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2024年09月24日

「ポールの道」#503「FAB4 GAVE AWAY」#47 「ROCK ’N' ROLL PEOPLE」

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ジョン・レノンは、1973年10月30日(米国)・同年11月16日(英国)に、単独名義では3作目のアルバム「MIND GAMES」をアップルからリリースしました。ジョンも楽曲提供をしてレコーディングにも参加したリンゴ・スターのアルバム「RINGO」は、同年11月2日(米国)・同年11月23日(英国)にアップルからリリースされたので、元ビートルズ同士でリリース時期が被っています。そして、ジョンのアルバム「MIND GAMES」は全米9位・全英13位で、リンゴのアルバム「RINGO」は全米2位・全英7位と、信じられないかもしれませんが、リンゴの方が売れました。それはシングルだともっと分かり易く、ジョンのシングル「MIND GAMES」は全米18位・全英26位だったのに、リンゴのアルバム「RINGO」からの第1弾シングル「PHOTGRAPH(想い出のフォトグラフ)」は全米首位!・全英8位で、第2弾シングル「YOU'RE SIXTEEN(YOU'RE BEAUTIFUL AND YOU'RE MINE)」は全米首位!・全英4位で、米国での第3弾シングル「OH MY MY」まで全米5位と、トップ5ヒットを3曲も連発して、その内の2曲は全米首位!だったのです。

現在の感覚だと、ジョンがリンゴよりも売れていなかったなんて信じられないでしょうけれど、ジョンのシングルはあの「IMAGINE」ですら全米3位だったし、生前のジョンのシングルで全米首位!になったのは1974年リリースの「WHATEVER GETS YOU THRU THE NIGHT(真夜中を突っ走れ)」だけです。シングル「(JUST LIKE)STARTING OVER」が全米首位!になったり、シングル「WOMAN」が全米2位・全英首位!になったり、シングル「IMAGINE」が全英首位!になったのは、ジョンが殺された後なのです。アルバムも、そもそもジョンにはマトモなオリジナル・スタジオ・ソロ・アルバムが、1970年の「JOHN LENNON / PLASTIC ONO BAND(ジョンの魂)」(全米6位・全英8位)と、1971年の「IMAGINE」(全米首位!・全英首位!)と、1973年の「MIND GAMES」(全米9位・全英13位)と、1974年の「WALLS AND BRIDGES」(全米首位!・全英6位)の4作しかなく、カヴァー集で1975年の「ROCK ’N' ROLL」(全米6位・全英6位)を加えてもたったの5作しかありません。そして、生前に全米首位!となったアルバムは「IMAGINE」と「WALLS AND BRIDGES」だけです。

アルバム「MIND GAMES」が完成してリリースを控えていた1973年9月18日に、ジョンはヨーコさんと別居します。それで、ヨーコさんが公認の愛人・メイ・パンを同行したジョンは、ロサンゼルスへ向かい、以後18か月にも及ぶ「失われた週末」に突入したのです。以前に「ジョン・レノン・ミュージアム」に行ったら、この「失われた週末」時期を廃墟みたいに表されていたのですけれど、アレはその内実をヨーコさんが知らないからアンナ風にしか描けなかったのでしょう。実際には、1973年から1975年の間には、数多くの名作が生まれているし、ソロのジョンとしても、提供曲やプロデュースも、最も充実していたと思います。何せ「失われた週末」を終えたジョンは、音楽業界から足を洗ってしまうわけで、やり切った感もあったのでしょう。「失われた週末」時代には、リンゴ、ニルソン、キース・ムーン、エルトン・ジョン、デヴィッド・ボウイ、ミック・ジャガーなど、提供曲や共演作も多く、アルバムも「WALLS AND BRIDGES」と「ROCK ’N' ROLL」を残しているのです。

さて、1974年11月にリリースされたジョニー・ウィンターのアルバム「JOHN DAWSON WINTER V(俺は天才ギタリスト)」のA面1曲目には、ジョンの未発表曲だった「ROCK ’N' ROLL PEOPLE」が収録されています。コレが収録されたのは、ジョンとも仕事をしたプロデューサーのシェリー・ヤクスが勧めたらしいのですが、アルバム「MIND GAMES」のアウトテイクだった曲です。ほとんどアレンジも変わらないジョンが歌うヴァージョンは、1986年にリリースされたアルバム「MENLOVE AVE.」(現在は廃盤)に収録されて聴ける様になりました。今年(2024年)にリリースされたアルバム「MIND GAMES」の箱にもボーナス・トラックとして収録されているのですけれども、特別な手順を踏まないと聴けない仕掛けになっていて、困ったちゃんなのです。バカ高い値段の上に、本編CDが13曲目から90曲目まで無音だったりもして、評判が悪いリイシュー盤です。ところで、ジョニー・ウィンターは異名の「100万ドルのギタリスト」と云い、この邦題「俺は天才ギタリスト」と云い、豪快でいいですなあ。

(小島イコ)

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2024年09月25日

「ポールの道」#504「FAB4 GAVE AWAY」#48 「MOVE OVER MS. L」

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1973年9月から「失われた週末」時代に突入したジョン・レノンは、ロサンゼルスを拠点として精力的にレコーディングをする一方で、多数の酒好きなミュージシャンと共に呑んだくれていました。リンゴ・スター、ハリー・ニルソン、ザ・フーのキース・ムーンなどと夜な夜なつるんで呑んでいて、ジョンはそんなにお酒が強くはないので心配されていて、ポール・マッカートニー(ジョンがヨーコさんと離れていたので和解していた)がわざわざやって来て、忠告したものの自堕落な生活をやめませんでした。リンゴはアル中になったし、ニルソンは酒で美声を失ったし、キース・ムーンは酒とドラッグで1978年9月7日に32歳の若さで亡くなっています。この時期にジョンは、リンゴやニルソンには楽曲提供してレコーディングにも参加してプロデュースもしています。そして、1975年3月にキース・ムーンの唯一のソロ・アルバム「TWO SIDES OF THE MOON」がリリースされました。

内容は、A面が、1「CRAZY LIKE A FOX」、2「SOLID GOLD」、3「DON'T WORRY BABY」、4「ONE NIGHT STAND」、5「THE KIDS ARE ALRIGHT」で、B面が、1「MOVE OVER MS. L」、2「TEENAGE IDOL」、3「BACK DOOR SALLY」、4「IN MY LIFE」、5「TOGETHER」の、全10曲入りです。アルバムはチャート入りせず惨敗だったのに、キース・ムーンは2作目のソロ・アルバムも制作していて、現在ではアルバム「TWO SIDES OF THE MOON」にボーナス・トラックとして収録されています。楽曲は全てがカヴァーもしくは提供曲で、キース・ムーンはドラムスを叩いていたり叩いていなかったりして、ヴォーカリストに徹しています。「DON'T WORRY BABY」はビーチ・ボーイズのカヴァーで、シングル・カットもされていますが、アルバム・ヴァージョンでは地声で歌っていて、シングル・ヴァージョンではファルセットで歌っています。キース・ムーンが裏声で歌う「DON'T WORRY BABY」は、文字にしただけで背筋が凍ります。

ザ・フーのセルフ・カヴァーである「THE KIDS ARE ALRIGHT」はノリノリだし、リッキー・ネルソンのカヴァー「TEENAGE IDOL」(大瀧師匠作で西田敏行さんが歌った「ロンリー・ティーンエイジ・アイドル」の元ネタ)も気持ち悪くて良いです。ビートルズのカヴァー「IN MY LIFE」や、ニルソン作の「TOGETHER」と云った曲も聴きごたえがあります。そもそもキース・ムーンはビートルズに憧れていて、1965年にバーで呑んでいたビートルズの面々と初対面で「俺をビートルズに入れてくれ」と云ったのだそうです。そして、ジョン作の「MOVE OVER MS. L」が、ギラリと光ります。この曲はキース・ムーンもシングルB面にもしていて、ジョンは1975年4月にリリースしたシングル「STAND BY ME」のB面で、この「MOVE OVER MS. L(ようこそレノン夫人)」をセルフ・カヴァーしています。が、しかし、ジョンのヴァージョンはオリジナル・アルバム未収録で、1989年にCD化されたベスト盤「THE JOHN LENNON COLLECTION」や、2010年の箱「SIGNATURE BOX」などでしか聴けません。

キース・ムーンは、ビートルズのシングル「ALL YOU NEED IS LOVE(愛こそはすべて)」にも参加していて、ジョンのライヴに参加した事もあります。あの「LED ZEPPELIN」の名付け親(1966年にキース・ムーンがドラムスで、ジェフ・ベックとジミー・ペイジがギターで、ジョン・ポール・ジョーンズがベースで、ニッキー・ホプキンスがピアノでセッションした時に「もし、俺たちが今いるバンドを辞めたら、あいつらは鉛の飛行船=LEED ZEPPELINかな」と云ったのが由来)だったりもしますが、やはり、ザ・フーでの破天荒すぎるドラムスが魅力です。そのイメージで聴くと、このソロ・アルバム「TWO SIDES OF THE MOON」は、盛大にズッコケるでしょう。32歳で亡くなってしまったキース・ムーンですが、親友で呑み仲間であるリンゴの長男ザック・スターキーを可愛がっていて、キースおじさんと慕うザックにドラムスを教えたのはリンゴではなくキース・ムーンです。故にザックのドラムスのスタイルは完全にキース・ムーン直伝で、現在ではザックがザ・フーのサポート・ドラマーとしても活躍しています。

(小島イコ)

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2024年09月26日

「ポールの道」#505「FAB4 GAVE AWAY」#49 「TOO MANY COOKS(SPOIL THE SOUP)」

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ビートルズの公式ライバルとして売り出されたローリング・ストーンズとは、実はズブズブの身内で、そもそもデッカにローリング・ストーンズを紹介したのは当時若干二十歳だったジョージ・ハリスンです。ローリング・ストーンズのマネジャーだったアンドリュー・ルーグ・オールダムは、ビートルズのマネジャーだったブライアン・エプスタインの元・部下で、その繋がりでジョン・レノンとポール・マッカートニーは1963年にデビュー間もないローリング・ストーンズに「I WANNA BE YOUR MAN」を「レノン=マッカートニー」名義で提供していて、その後もジョンはローリング・ストーンズを「あいつらはビートルズの後追いばかりしている」とか云っていて、晩年になってもジョンは「MISS YOU」は俺様が書いた「SCARED」のテンポを速くしただけだ、などと生涯を通じて完全に上から目線で舎弟扱いしていました。ビートルズが1966年にライヴ活動を休止した時にミック・ジャガーが文句を云ったら、ジョンは「俺たちはミックがランチ・ボックスを持って学校に通っている頃から、毎日一晩中ハンブルグでライヴをやっていたんだ」と云い返されていました。

そんな表面上はライバル風にしていながら、ビートルズとローリング・ストーンズは滅茶苦茶仲が良くて、1967年のビートルズのシングル「ALL YOU NEED IS LOVE(愛こそはすべて)」には、ミック・ジャガーとキース・リチャーズがコーラスで参加しているのが全世界衛星中継されてバッチリと映っているのです。それでも当時は「ビートルズ派」と「ローリング・ストーンズ派」でファンが対立していたのですから、現在では考えられません。「ALL YOU NEED IS LOVE」にはマリアンヌ・フェイスフルやキース・ムーンも参加していて、つまりは、ビートルズもローリング・ストーンズもザ・フーも、更に云えば、ヤードバーズもクリームもジミ・ヘンドリックスもジェフ・ベック・グループもレッド・ツェッペリンも、みんな仲間で仲良しなのです。その仲間に入らなかったのは、アノ変人・レイ・デイヴィスが率いるキンクス位なもんでしょう。ジョンとポールは、1967年のローリング・ストーンズのシングル「WE LOVE YOU(この世界に愛を)」にコーラスで参加しているのですけれど、契約上の問題でジョンとポールの参加は公にされなかったので、実は仲良しと云う事実は隠されていました。

1967年にはローリング・ストーンズのブライアン・ジョーンズがビートルズの楽曲「YOU KNOW MY NAME(LOOK UP THE NUMBER)」にアルト・サックスで参加しているのですが、リリースされたのはブライアン・ジョーンズの死後の1970年3月で、シングル「LET IT BE」のB面でした。1967年11月にリリースされたローリング・ストーンズのアルバム「THEIR SATANIC MAJESTIES REQUEST」は、モロにビートルズのアルバム「SGT. PEPPER'S LONELY HEARTS CLUB BAND」の影響が感じられる内容で、3Dジャケットにはビートルズの4人の顔写真も紛れ込ませてあります。コレはビートルズのアルバム「SGT. PEPPER'S LONELY HEARTS CLUB BAND」のジャケットでシャーリー・テンプルの人形が着ているセーターに「WELCOME THE ROLLING STONES」と書かれてあるからお返ししたと思われます。ローリング・ストーンズは、1968年12月にリリースされたアルバム「BEGGARS BANQUET」からは独自の路線を見つけて、その後は2024年の現在もつづくモンスター・ロックンロール・バンドとなるのでした。

その1968年12月にはTV番組「THE ROLLING STONES ROCK AND ROLL CIRCUS」をマイケル・リンゼイ=ホッグ監督(直前にビートルズの「HEY JUDE / REVOLUTION」のプロモーション・フィルムを、直後にビートルズの映画「LET IT BE」を監督)で撮りましたが、18年後の1996年までお蔵入りとなっていました。ゲストとして「THE DIRTY MAC」と云うバンドが出演していて、そのメンバーが、ジョン・レノン(ヴォーカル、ギター)、エリック・クラプトン(ギター)、キース・リチャーズ(ベース!)、ミッチ・ミッチェル(ドラムス)と云う、スーパー・バンドでした。ビートルズとクリームとローリング・ストーンズとジミ・ヘンドリックス・エクスペリエンスが合体した化物バンドですが、4人で演奏したのはビートルズの「YER BLUES」のみで、2曲目はヨーコさんの奇声「キエー!」とイヴリー・ギトリスによるヴァイオリンが交錯する「WHOLE LOTTA YOKO」と名付けられた楽曲で、いつも通り、困ったちゃんなのです。「THE ROLLING STONES ROCK AND ROLL CIRCUS」がお蔵入りした理由は、ミック・ジャガーがゲストで呼んだザ・フーによる「A QUICK ONE WHILE HE'S AWAY」の圧倒的なパフォーマンスに及び腰となり、ローリング・ストーンズの演奏部分を撮り直したいと云い出したからだと云われています。

そんなヘタレな部分もあるミック・ジャガーですけれど、1973年秋に「失われた週末」に突入したジョン・レノンのプロデュースで、100プルーフ・エイジド・イン・ソウルのカヴァー「TOO MANY COOKS(SPOIL THE SOUP)」をレコーディングしています。レコーディング・メンバーは、ダニー・コーチマー(ギター)、ジェシ・エド・デイヴィス(ギター)、アル・クーパー(キーボード)、ジャック・ブルース(ベース)、ジム・ケルトナー(ドラムス)、ボビー・キーズ(サックス)、トレヴァー・ローレンス(サックス)、ハリー・ニルソン(バッキング・ヴォーカル)で、繰り返しますが、この非の打ち所がないバカ面子をバックに、ミックが歌っていて、ジョンがプロデュースしているのですが、これがまたお蔵入りしてしまい、長い間ブートレグでしか聴けない幻の楽曲となっていました。「TOO MANY COOKS(SPOIL THE SOUP)」が解禁されたのは、なな、なんと、レコーディングから34年後で、2007年10月にリリースされたミック・ジャガーのソロ名義でのベスト・アルバム「THE VERY BEST OF MICK JAGGER」に収録されて日の目を見ました。その音源はジョンの愛人だったメイ・パンがマスター・テープを大切に保管していたもので、近年はメイ・パンの株が上がっている理由のひとつです。

(小島イコ)

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2024年09月27日

「ドルチェ」(再)で内山理名ちゃん

ドルチェ (新潮文庫)


チャンネルNECO 12:30〜14:30

内山理名 AS 浜田知美

「ドルチェ」の、今年だけで早くも8回目の再放送ですが、「雲霧仁左衛門」と理名ちゃんバッティングしています。理名ちゃんが演じた知美さんは汚れ役の風俗嬢で、殺人事件の容疑者となり自供までするものの、真犯人をかばって偽証している役どころです。重要な役どころなので、続編の「ドルチェ2」にも、理名ちゃんは回想シーンで登場します。

本放送:2012年10月12日(フジテレビ)

(姫川未亜/小島イコ)

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「雲霧仁左衛門」第一回、第二回(再)で内山理名ちゃん

「雲霧仁左衛門」ブルーレイBOX [Blu-ray]


時代劇専門チャンネル 14:00〜15:45

第一回「大盗賊の首領」
第二回「子分の破門」

内山理名 AS 七化けのお千代

「雲霧仁左衛門」第一作の第一回と第二回の、今年3回目の再放送ですが、「ドルチェ」と理名ちゃんバッティングしています。其の後にシリーズ化されて、理名ちゃんは2013年の「雲霧仁左衛門」から2022年の「雲霧仁左衛門5」まで「七化けのお千代姐さん」を10年間演じて、当たり役のひとつとなりました。現在、時代劇専門チャンネルでは土曜日の夜に「雲霧仁左衛門3」を、午前中に「雲霧仁左衛門2」を再放送中ですが、本日から金曜日のお昼に「雲霧仁左衛門」からリピート放送される事となったので、要チェックです。

本放送:2013年10月4日10月11日(NHK BSプレミアム)

(姫川未亜)

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「ポールの道」#506「FAB4 GAVE AWAY」#50 「PUSSY CATS」

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1973年秋から1975年初頭までのジョン・レノンの「失われた週末」時代に、最もジョンとつるんで呑んだくれていたのは、ハリー・ニルソンです。二人の交流は、1967年リリースのニルソンのアルバム「PANDEMONIUM SHADOW SHOW」を聴いたジョンが、ニルソンに国際電話して「You are great!」と云った時から始まっています。ジョンとニルソンが酒場で酔っ払って追い出されるところを撮られた写真もあって、ジョンは「ニルソンたち呑み仲間連中が悪い」と云っていて、ニルソンは「ジョンやリンゴが始めたから俺は付き合っただけで、あいつらが悪い」などと罪のなすり合いをしていましたが、まあ、ジョンもニルソンもリンゴもキース・ムーンも、全員が同罪でしょう。そんなダメな部分が語られがちなこの時期ですが、ヨーコさんと離れた事で音楽活動は精力的に行っていて、ズバリ云って、ジョンのソロ・キャリアの中では最も成果を残している時期が「失われた週末」時代なのです。ニルソンとも、ただ呑んだくれていただけではなく、ジョンのプロデュースでニルソンのアルバム「PUSSY CATS」を制作しています。1974年8月19日(米国)、同年8月30日(英国)にリリースされたこのアルバムは、猫になって並んでいるジャケットで分かる通りに、ジョンとニルソンの合作と云って良い、重要なアルバムです。

内容は、A面が、1「MANY RIVERS TO CROSS」、2「SUBTERRANEAN HOMESICK BLUES」、3「DON'T FORGET ME」、4「ALL MY LIFE」、5「OLD FORGOTTEN SOLDIER」で、B面が、1「SAVE THE LAST DANCE FOR ME」、2「MUCHO MUNGO / MT. ELGA」、3「LOOP DE LOOP」、4「BLACK SAIL」、5「ROCK AROUND THE CLOCK」の、全10曲入りです。ドラムスはリンゴ・スターとジム・ケルトナーのツイン、ベースはクラウス・フォアマン、ギターはダニー・コーチマーとジェシ・エド・デイヴィス、ペダル・スティールはスニーキー・ピート、サックスはボビー・キーズ、ピアノはケン・アッシャー、オルガンはウイリー・スミス、更にキース・ムーンも加えたトリプル・ドラムスまで聴けます。レコーディングのメンバーは、そのまま1974年10月にリリースされるジョンのソロ・アルバム「WALLS AND BRIDGES」や、1975年2月にリリースされるジョンのカヴァー集「ROCK ’N' ROLL」の追加レコーディングに継続されています。更に、ニルソンが酒で美声を失ってしゃがれ声で歌っている事で、ジョンは断酒をして自分のアルバム「WALLS AND BRIDGES」を制作する事となるのです。アルバム「WALLS AND BRIDGES」に収録されたジョンとニルソンの共作「OLD DIRT ROAD(枯れた道)」は、このアルバムの流れを汲んでいます。

ジョンが提供したのはニルソンと共作した「MUCHO MUNGO / MT. ELGA」だけで、他はニルソン作の4曲「DON'T FORGET ME」と「ALL MY LIFE」と「OLD FORGOTTEN SOLDIER」と「BLACK SAIL」を加えた5曲がオリジナルで、残りの5曲はカヴァーです。このカヴァーの選曲がジョンらしく、当初は1973年にフィル・スペクターのプロデュースで制作を開始して頓挫したジョンのアルバム「ROCK ’N' ROLL」に通じるものです。ジョンがベーシック・アレンジをしたジミー・クリフのカヴァー「MANY RIVERS TO CROSS」のオーケストラ・アレンジは、そのまんまジョンの「#9 DREAM(夢の夢)」に継承されています。ジョンとニルソンがアレンジしたボブ・ディランのカヴァー「SUBTERRANEAN HOMESICK BLUES」や、ドリフターズのカヴァー「SAVE THE LAST DANCE FOR ME」や、ジョニー・サンダーのカヴァー「LOOP DE LOOP」、そして、最後のビル・ヘイリー&ヒズ・コメッツのカヴァー「ROCK AROUND THE CLOCK」と云った曲は、ジョンが歌ってアルバム「ROCK ’N' ROLL」に入れていたとしても、何ら違和感はありません。このアルバム「PUSSY CATS」は、現在では9曲もボーナス・トラックが収録されているCDも出ていますが、アルバム本編の最後を飾る「ROCK AROUND THE CLOCK」での、リンゴ・スター、ジム・ケルトナー、キース・ムーンによるトリプル・ドラムスのお祭り騒ぎが強烈すぎて、そこまででお腹いっぱいです。

(小島イコ)

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2024年09月28日

「雲霧仁左衛門2」第七回、第八回(最終回)(再)で内山理名ちゃん



時代劇専門チャンネル 9:00〜11:00

第七回「血戦」
第八回(最終回)「男の本懐」

内山理名 AS 七化けのお千代

「雲霧仁左衛門2」第七回と第八回(最終回)の、今年2回目の再放送です。第七回は、全八回なのでストーリーは大詰めで、しかも原作はこの「雲霧仁左衛門2」までで完結なので、大きなクライマックスとも云える回です。理名ちゃんが演じる七化けのお千代姐さんは、雲霧仁左衛門に保土ヶ谷に先に行って待っている様に云われますが、お千代姐さんは辻蔵之助が雲霧仁左衛門の兄だと見抜いていました。雲霧仁左衛門と別れた後に、六之助に「死ぬんじゃないよ」と告げて今回の出番は終了です。越後屋の鍵を外せずにいた富の市はおかねと共に安部式部たちに捕まり、拷問を受けますが口は割りません。いよいよ越後屋を襲う時となり、寺に忍び込んでいた雲霧一党を発見した密偵のお京は木鼠の吉五郎の刃に倒れます。雲霧一党と盗賊改の全面対決となり、雲霧仁左衛門を逃がす為に木鼠の吉五郎は名を名乗り壮絶な自決をします。更に辻蔵之助も弟である雲霧仁左衛門に仇討ちを託して、自らを雲霧仁左衛門と名乗って捕まります。

最終回では、安部式部は、雲霧仁左衛門と名乗る兄の蔵之助が偽者だと見破るものの獄門に処する事にします。七化けのお千代姐さんは、雲霧仁左衛門を救う為に江戸へ戻ってしまいます。辻蔵之助を救うチャンスを伺っていたお千代姐さんですが、六之助が本物の雲霧仁左衛門だと信じさせる為に突撃して盗賊改に目の前で殺されてしまい、お千代姐さんも爆薬を投じようとしたところを雲霧仁左衛門が止めます。そして雲霧仁左衛門はお千代姐さんに「もうお前の世話にはなれない」と別れを告げて、雪の中で雲霧仁左衛門の背中に寄り添うお千代姐さんを回り込みで映す演出があり、辻蔵之助は処刑されてしまいます。侍の姿となった雲霧仁左衛門は、仇である東堂家の行列に単身で斬り込みます。雲霧仁左衛門は20人位はいる東堂家の武士を滅多切りにして、東堂家の家老を斬り捨て1万両も奪い男の本懐を遂げます。雲霧一党は散り散りとなり、お千代姐さんは亡くなった仲間たちの墓参りをして、雲霧仁左衛門が大胆不敵にも安部式部に茶屋で煙管の火を借りて会話する場面で終了です。次週からは、オリジナル脚本による「雲霧仁左衛門3」が再放送される予定です。

本放送:2015年3月20日、3月27日(NHK BSプレミアム)

(姫川未亜)

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「雲霧仁左衛門3」第五回、第六回(再)で内山理名ちゃん

NIAGARA MOON -40th Anniversary Edition-


時代劇専門チャンネル 17:00〜19:00

第五回「奪還」
第六回「月下の誓い」

内山理名 AS 七化けのお千代

「雲霧仁左衛門3」第五回と第六回の、今年初めての再放送です。第五回は、富の市とおかねを奪還するお話です。雲霧一党は、式部の罠だと知りつつも挑戦します。江戸での奪還に失敗した一党は、最後の賭けに出ます。お千代姐さんはお婆さんに化けたりしました。脱獄に成功する一党ですが、待ち伏せされていました。隠れ家に逃げ込み、難を逃れました。

第六回の狙いは日本橋・松井屋です。他の組織とは組まない仁左衛門ですが、押し込み先の名を聞いて囮役を引き受けます。それを式部に見破られ、緊迫した展開となります。お千代姐さんは、夜回りに化けたりしました。暁一等の裏切りにも遭って、雲霧一党は絶体絶命の危機となりますが、なんとか逃れました。

本放送:2017年2月3日2月10日(NHK BSプレミアム)

(姫川未亜/小島イコ)

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「GTO ドラマスペシャル」(再)

GTO スペシャル [DVD]


日本映画専門チャンネル 21:40〜23:25

片瀬那奈 AS 山口梨香

「GTO ドラマスペシャル」の、今年2回目の再放送です。日本映画専門チャンネル版はノーカットで「ポイズンの前でポイズンを歌う場面」もあります。後に那奈ちゃんが出演した連続ドラマ「彼らを見ればわかること」と連続ドラマ「24 JAPAN」で名を連ねたのに全く絡みがなかった木村多江さんと、少しだけですが本当に共演しています。那奈ちゃんの女優としての実質的なデビュー作(事実上のデビュー作は「美少女H2 最後のデート」)とも云えるドラマですので、何だか分からない理由で欠番にならない内にどうぞ。コレが再放送出来るのですから、「古畑任三郎」の「再会」が欠番になっているのは、こっちで那奈ちゃんが演じた梨香ちゃんを捨てた「武田先生」を演じた「響鬼」のせいではないと思えるのですけれど、どうなんでしょう。それから、このドラマでは那奈ちゃんが演じた梨香ちゃんの父親役を演じた並木史朗さんとは、2010年のドラマ「ハンマーセッション!」第8話で、なんと婚約者同士で結婚式をあげる役どころで再共演しています。

本放送:1999年6月29日(関西テレビ、フジテレビ)


(小島イコ/姫川未亜)

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「ポールの道」#507「FAB4 GAVE AWAY」#51 「GOODNIGHT VIENNA」「ONLY YOU(AND YOU ALONE)」

Goodnight Vienna


1974年11月15日に英国で、同年11月18日に米国でリリースされたリンゴ・スターの4作目(リンゴ的には2作目)のソロ・アルバム「GOODNIGHT VIENNA(グッドナイト・ウィーン)」は、前作で大ヒットしたアルバム「RINGO」と同じリチャード・ペリーのプロデュースで、多くの大物ミュージシャンが楽曲を提供してレコーディングにも参加している、清々しいほどの二番煎じです。内容は、A面が、1「(IT'S ALL DA-DA DOWN TO)GOODNIGHT VIENNA」、2「OCCAPELLA」、3「OO-WEE」、4「HUSBANDS AND WIVES」、5「SNOOKEROO」で、B面が、1「ALL BY MYSELF」、2「CALL ME」、3「NO NO SONG」、4「ONLY YOU(AND YOU ALONE)」、5「EASY FOR ME」、6「GOODNIGHT VIENNA(REPRISE)」の、全11曲入りです。タイトル曲「(IT'S ALL DA-DA DOWN TO)GOODNIGHT VIENNA」で始まり、最後も「GOODNIGHT VIENNA(REPRISE)」で終わる構成は、ビートルズのアルバム「SGT. PEPPER'S LONELY HEARTS CLUB BAND」を思わせます。何で「グッドナイト・ヴィエナ」の邦題が「グッドナイト・ウィーン」なのかと云うと「VIENNA」が元々はドイツ語の「WIEN」なので、それをローマ字読みしたからなのだそうです。

そのタイトル曲「GOODNIGHT VIENNA」は、ジョン・レノンの書き下ろしで、ジョンはピアノでも参加していて、ジェシ・エド・デイヴィス(ギター)、クラウス・フォアマン(ベース)、ジム・ケルトナー(ドラムス)と云うメンバーは、ジョンの1974年10月リリースのアルバム「WALLS AND BRIDGES」と同じ布陣です。そもそも、何故にリンゴがこのアルバム「GOODNIGHT VIENNA」を制作したのかと云うとですね、1973年からジョンやニルソンと呑み歩いていたリンゴが、1974年になってジョンとニルソンがニルソンのアルバム「PUSSY CATS」の仕上げをする為にロサンゼルスからニューヨークへ行ってしまい、残されたリンゴが暇になってしまったので、じゃあレコーディングするか、となったのです。そんなお気楽な気分で制作されたアルバム「GOODNIGHT VIENNA」は、全英30位とその後の落ちぶれる前兆を感じさせるものの、全米8位と大ヒットしているのです。本格的なレコーディングは、ジョンのアルバム「WALLS AND BRIDGES」の制作が終了してからそのメンバーをロサンゼルスに呼んで行われていて、ジョンも駆けつけて参加しています。当時は、ジョンとリンゴはお互いのアルバムのCMに出演していて、そう云えば、ポールやジョージとはジョンはケンカした事もあったけれど、リンゴとはずっと仲良しだったのです。

ブギ調でゴキゲンなジョン作の「GOODNIGHT VIENNA」は、シングル・ヴァージョンでは「(IT'S ALL DA-DA DOWN TO)GOODNIGHT VIENNA」と「GOODNIGHT VIENNA(REPRISE)」を編集しているので、アルバム・ヴァージョンとは違っています。そのシングルは、第3弾シングルだった事もあって、チャート入りしていません。この楽曲にもジョンが自らノリノリで歌ったヴァージョンもあって、ジョンの死後の1998年11月にリリースされた箱の「ANTHOLOGY」に収録されています。そして、もう1曲、ジョンはこのアルバム「GOODNIGHT VIENNA」に貢献していて、それがプラターズのカヴァー「ONLY YOU(AND YOU ALONE)」です。当時ジョンはアルバム「ROCK ’N' ROLL」も制作途中で、ニルソンのアルバム「PUSSY CATS」にもジョンが自分で歌いたかったであろうカヴァーを入れているのですが、このリンゴの「ONLY YOU(AND YOU ALONE)」もそのひとつだったのでしょう。ジョンはアルバム「ROCK ’N' ROLL」のセッションでは、ロージー&ザ・オリジナルズの「ANGEL BABY」や、ロネッツの「BE MY BABY」などもカヴァーしていて、ビートルズ時代から女の子が歌った曲でさえも軽々とカヴァーしてしまうので、それに比べたらプラターズの「ONLY YOU(AND YOU ALONE)」なんて、もうお手の物だったのです。

ジョンは、やはり前述のアルバム「WALLS AND BRIDGES」のレコーディング・メンバーで、リンゴの為にデモを制作していて、リンゴはそのジョンのヴォーカル・スタイルのまんまコピーして歌っています。ニルソンのコーラスも粋なこのカヴァーは第1弾シングル・カットされて、全英では26位止まりでしたが、全米では6位まで上がるヒット曲となっています。ジョンが歌ったヴァージョンは、やはり前述の箱「ANTHOLOGY」と、ダイジェスト盤の「WONSAPONATIME」に収録されているので、容易に聴く事が出来ます。アルバム「GOODNIGHT VIENNA」には、他にもエルトン・ジョンとバーニー・トーピンによる書き下ろしの「SNOOKEROO」や、ニルソン作の「EASY FOR ME」と云った提供曲もあって、レコーディング・メンバーも前述のジョンたちに加えて、ビリー・プレストン、デイヴィッド・フォスター、ニッキー・ホプキンス、ドクター・ジョン、スティーヴ・クロッパー、ロビー・ロバートソン、ロン・ヴァン・イートン、ボビー・キーズなど、豪華絢爛だったものの、前作「RINGO」での元ビートルズ揃い踏みに比べるとインパクトは弱かったのが、特に英国での成績に表れています。「ONLY YOU(AND YOU ALONE)」も「GOODNIGHT VIENNA」もリンゴの2007年のベスト盤でも聴けますが、「GOODNIGHT VIENNA」は前述のシングル・ヴァージョンですので、アルバム「RINGO」とアルバム「GOODNIGHT VIENNA」とベスト盤の3枚位は買って下さい。

(小島イコ)

さて、本日(9月28日)は、櫻坂46の山ア天ちゃんの19歳のお誕生日です。オーディションの時には12歳、欅坂46に二期生として加入した時は13歳、そのまま若干13歳で東京ドームのステージに立っていたわけで、初めて紅白歌合戦に出演した時には年齢制限で最初に「パプリカ」をFoorinと一緒に踊っただけで欅坂46のパフォーマンスには参加出来なかったのです。欅坂46の配信ライヴでセンターを務めたのが14歳で、「ViVi」の専属モデルになったのは15歳で、初めての表題曲センターを務めた「五月雨よ」の時でもまだ16歳で、早熟な逸材だったわけですが、17歳で再び東京ドームのステージにに立ち、18歳で2度目の表題曲「何歳の頃に戻りたいのか?」でセンターを務め、三度東京ドームのステージに立ち、今や櫻坂46のエースのひとりで、三期生や来るべき四期生の大先輩なのに、まだ10代なのです。世代的には三期生と同じなわけで、まだまだ天ちゃんには頂点を目指して頑張って頂きたいです。櫻坂46の新曲「I want tomorrow to come」を聴きましたけど、何だかプログレッシヴ・ロックみたいな展開の曲で、フルサイズでないと分かり難そうなので、歌番組ではどうするんでしょう。天ちゃん、お誕生日おめでとう。

(小島イコ/姫川未亜)

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2024年09月29日

「ポールの道」#508「FAB4 GAVE AWAY」#52 「LUCY IN THE SKY WITH DIAMONDS / ONE DAY (AT A TIME)」

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ジョン・レノンが1974年9月26日(米国)・同年10月4日(英国)にアップルからリリースしたソロ名義では4作目のアルバム「WALLS AND BRIDGES」には、エルトン・ジョンがピアノ・オルガン・バッキング・ヴォーカルで参加した「WHATEVER GETS YOU THRU THE NIGHT(真夜中を突っ走れ)」と、コーラスで参加した「SURPRISE, SURPRISE(SWEET BIRD OF PARADOX)(予期せぬ驚き)」が収録されています。それで、エルトンが「WHATEVER GETS YOU THRU THE NIGHT」をシングル・カットして全米首位!になったなら、ジョンに自分のライヴに出て欲しい、と賭けをします。ジョンは「WHATEVER GETS YOU THRU THE NIGHT」は大した曲ではないと考えていて、実際に全英チャートでは36位までしか上がっていないのですけれど、なな、なんと、エルトンの予言通りに全米首位!となってしまったのです。実は、この曲はジョンにとってはソロになって初めての全米首位!で、つまりは、生前のジョンにとっては唯一の全米首位!獲得曲なのです。以前にも書いた通りに、その後に全米首位!や全英首位!となったジョンのシングル曲は、全てジョンの死後に獲得しているので、ジョン本人はその事実を永遠に知りません。

同時期の1974年11月15日(英国)・同年11月18日(米国)に、エルトン・ジョンはシングル「LUCY IN THE SKY WITH DIAMONDS / ONE DAY (AT A TIME)」をリリースしていて、A面は、1967年リリースのビートルズのアルバム「SGT. PEPPER'S LONELY HEARTS CLUB BAND」に収録されたジョンが主導して書いた「レノン=マッカートニー」作のカヴァーで、B面はジョンの1973年リリースのアルバム「MIND GAMES」に収録されたジョン作のカヴァーです。1974年8月にレコーディングしたA面の「LUCY IN THE SKY WITH DIAMONDS」では、ジョンが「ドクター・ウィンストン・オーブギー」名義でギターとハーモニー・ヴォーカルで参加していて、B面でもギターで参加しています。この「エルトン・ジョン・レノン」によるカヴァー・ヴァージョンは、全英10位・全米首位!を獲得しました。オリジナルの「LUCY IN THE SKY WITH DIAMONDS」は、幼かったジョンの息子のジュリアンが保育園で描いた絵が元ネタで、ジュリアンが好意をよせていた女の子・ルーシーがダイアモンドと一緒に空にいる、とジョンに説明したのを聞いて書いた曲です。頭文字が「LSD」になっているのは偶然だと、ジョンもポールも云っています。

「失われた週末」時代には、ヨーコさんがいないので、ジョンは前妻・シンシアとの息子・ジュリアンとも再び逢って交流する様になっていて、アルバム「WALLS AND BRIDGES」には父子共演の「YA YA」も収録されています。エルトンとジョンは親友で、エルトンはジョンの次男であるショーンの名付け親でもあります。エルトン版の「LUCY IN THE SKY WITH DIAMONDS」は、1976年公開の映画「映画と実録でつづる第二次世界大戦」でもサントラとして使用されています。そのサントラ盤は、全てがビートルズのカヴァーで構成されています。と云う経緯でエルトンはジョンとの賭けに勝ったので、1974年11月28日のエルトンのマジソン・スクエア・ガーデンでのライヴにジョンは飛び入りして、「WHATEVER GETS YOU THRU THE NIGHT」と「LUCY IN THE SKY WITH DIAMONDS」と、何故かポールが主導して書いたレノン・マッカートニー作でビートルズのデビュー・アルバム「PLEASE PLEASE ME with Love Me Do and 12 other songs」の1曲目に収録されている「I SAW HER STANDING THERE」を「いつもは別れたフィアンセが歌うけれど、今宵は僕が歌うよ」と云って披露したのです。ジョンが大観衆の前で、最後に演奏した曲が、奇しくも「I SAW HER STANDING THERE」となってしまいました。

1974年当時全米首位!となった「WHATEVER GETS YOU THRU THE NIGHT」と、翌1975年に全米首位!になる「LUCY IN THE SKY WITH DIAMONDS」は分かりますが、何故にもう1曲が「I SAW HER STANDING THERE」だったのかは、謎です。当時のジョンはポールと和解したどころかセッションもやっていて、翌1975年5月にリリースされるポールが率いるウイングスのアルバム「VENUS AND MARS」のニューオリンズでのレコーディングに、ジョンが参加する予定にもなっていたものの、前述のエルトンのライヴの楽屋でヨーコさんと再会してよりを戻してしまい、ヨーコさんの反対でオジャンになってしまったのです。メイ・パンと一緒だったから、ポールとも和解したし、ジュリアンとも再会出来たし、音楽的には実りが多かった事実は近年は認められてきてはいるものの、この時期のプロモーション・フィルムなどに何故か「いなかったはずのヨーコさんが出てくる」のは、歴史の改竄です。エルトン・ジョンのシングルはオリジナル・アルバム未収録ですが、両面共にエルトンの1975年リリースのアルバム「CAPTAIN FANTASTIC & THE BROWN DIRT COWBOY(キャプテン・ファンタスティック)」のCDにボーナス・トラックとして収録されていますし、ジョンとエルトンのライヴ3曲は1990年リリースのジョンの箱「LENNON」などで聴けます。

(小島イコ)

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2024年09月30日

「301万アクセスの摩擦係数」



当ブログのアクセス数が、301万を超えました。今後とも、何卒宜しくお願い致します。

(小島イコ/姫川未亜)

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「ポールの道」#509「FAB4 GAVE AWAY」#53 「ACROSS THE UNIVERSE」「FAME」

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1974年11月28日に行われたエルトン・ジョンのマディソン・スクエア・ガーデンでのライヴに、ジョン・レノンはシングル「WHATEVER GETS YOU THRU THE NIGHT(真夜中を突っ走れ)」が全米首位!となったので、エルトンとの賭けに負けるカタチで飛び入り参加して、エルトンと共に「WHATEVER GETS YOU THRU THE NIGHT」と「LUCY IN THE SKY WITH DIAMONDS」と、何故か「I SAW HER STANDING THERE」の3曲を歌いました。そのライヴを観に来ていたヨーコさんと再会して、翌1975年2月3日にジョンはヨーコさんの元へ戻って「失われた週末」時代は終わるのです。ジョンはヨーコさんと離れていた期間に、1974年リリースのソロ・アルバム「WALLS AND BRIDGES」と、1975年リリースのカヴァー・アルバム「ROCK ’N' ROLL」を制作していて、1974年にはニルソンのアルバム「PUSSY CATS」をプロデュースしていて、リンゴのアルバム「GOODNIGHT VIENNA」にも表題曲を書いて、カヴァーの「ONLY YOU(AND YOU ALONE)」もジョンのアレンジで協力していて、ジョニー・ウィンターへの「ROCK ’N' ROLL PEOPLE」や、キース・ムーンへの「MOVE OVER MS. L」を提供するなど、音楽活動は充実していました。ヨーコさんとの別居期間がもっと長ければ、更なるジョンの音楽活動があったし、その中にはポールとの共演も含まれていたのです。

そして、1975年3月7日にリリースされたデヴィッド・ボウイの8作目のアルバム「YOUNG AMERICANS」にも、ジョンは協力しています。ジョンが参加したレコーディングは1975年1月12日から15日ですので、ジョンの「失われた週末」時代最後の作品です。アルバムの内容は、A面が、1「YOUNG AMERICANS」、2「WIN(愛の勝利)」、3「FASCINATION」、4「RIGHT」で、B面が、1「SOMEBODY UP THERE LIKE ME(幸運の神)」、2「ACROSS THE UNIVERSE」、3「CAN YOU HERE ME(恋のささやき)」、4「FAME」の、全8曲入りです。アルバムは、全英2位・全米9位とヒットしました。ジョンがレコーディングに参加したのは2曲あって、まずはB面2曲目のビートルズのカヴァー「ACROSS THE UNIVERSE」では、ジョンがアコースティック・ギターを弾いています。ジョンは楽曲としては自信作だった「ACROSS THE UNIVERSE」のビートルズでの演奏に納得していなかったので、このデヴィッド・ボウイのカヴァー・ヴァージョンを大いに気に入っていました。但し、バカな評論家には酷評されていて、確かにスローテンポで些か大仰なアレンジではありますが、コレはコレでアリです。レコーディング・メンバーは、同じ1975年1月のセッションなので、後述する「FAME」とほとんど同じです。

アルバムの最後に収録されている「FAME」は、デヴィッド・ボウイ、カルロス・アロマー、ジョン・レノンの共作です。レコーディング・メンバーは、デヴィッド・ボウイ(ヴォーカル、リズム・ギター、ピアノ、パーカッション)、ジョン・レノン(バッキング・ヴォーカル、アコースティック・ギター)、カルロス・アロマー(リード・ギター、リズム・ギター)、アール・スリック(リズム・ギター)、エミール・カッサン(ベース)、デニス・デイヴィス(ドラムス、ヴィブラスラップ)、ラルフ・マクドマルド(パーカッション)、パブロ・ロザリオ(パーカッション)、ジーン・ファインバーグ(バッキング・ヴォーカル)、ジーン・ミリントン(バッキング・ヴォーカル)です。「FAME」はアルバムから第2弾シングル・カットされて、デヴィッド・ボウイにとって初めての全米首位!獲得曲となりました。ところが、全英では17位までしか上がっていません。1990年には、リミックスされた何種類もの「FAME 90」もリリースされています。それで、その1990年10月に、宮沢りえちゃんが「GAME」と改題した日本語カヴァー・ヴァージョン(カヴァーと云うよりも替え歌)をリリースして、年末の「第41回紅白歌合戦」でステージではなく、屋上に設置された泡風呂に入って歌っています。

(小島イコ)

posted by 栗 at 23:00| FAB4 | 更新情報をチェックする