ポールは女優のジェーン・アッシャーと交際して婚約したのに、其の間にも「YOU WON'T SEE ME」や「I'M LOOKING THROUGH YOU」や「FOR NO ONE」と云ったネガティブな曲を書いています。勿論、「AND I LOVE HER」や「HERE, THERE AND EVERYWHERE」と云った美しい愛の歌も書いてはいますが、どうやらポールは後にジェーンから婚約破棄されるのを予感していた感じもします。それは、つまりは身に覚えがあったからでしょう。前にも書いた通り、ポールはアッシャー家にマスオさん状態で同居していて、ジェーンがポールと婚約破棄したのは、女優の仕事が早く終わって家に帰ったら、自分のベッドでポールが他の女性(リンダではない)とセックスしていたからだと云われていて、婚約破棄後のポールはアッシャー家を追い出されて、新しい家の中を多数の女の子が裸で歩き回り、ポールを巡って掴み合いの喧嘩をしている様な修羅場だったそうです。そんなポールもリンダと知り合って(ポールがわざとぶつかって口説いた)からは、リンダ一筋となって、一緒にいなかった夜は、1980年1月に日本で逮捕されたポールが牢屋にいた時だけだったそうです。
ジェーン・アッシャーの実の兄であるピーター・アッシャーが在籍していた二人組のデュオであるピーター&ゴードンには、ジェーンと交際している内には「A WORLD WITHOUT LOVE(愛なき世界)」や「NOBODY I KNOW(二人だけのパラダイス)」と云った佳曲を提供していたポールですが、1964年9月11日(英国・EMI・コロムビア)、同年9月21日(米国・キャピトル)にリリースされたシングル「I DON'T WANT TO SEE YOU AGAIN(逢いたくないさ)」も、ポールが書いた第3弾で、「愛なき世界」の二番煎じであった「二人だけのパラダイス」のこれまた三番煎じが「逢いたくないさ」です。「I DON'T WANT TO SEE YOU AGAIN」は、英国では余り売れなかったものの、米国では全米16位まで上がっています。ピーター&ゴードンは本国である英国よりも米国での人気が高く、「エド・サリヴァン・ショー」にも出演しています。B面の「I WOULD BUY YOU PRESENT」は、ビートルズ関連曲ではありませんが、何だか「CAN'T BUY ME LOVE」を連想します。
レノン=マッカートニーが他人に曲を書いていたのは、1963年と1964年が圧倒的に多くて、しかもジョンは1963年で書くのを止めてしまったので、1964年にはポールだけが提供曲を担当していました。其の辺の内幕は、後に判明した事実で、当時はレノン=マッカートニーは全てがジョンとポールの合作だと思われていたし、バカな日本人評論家は「詞がジョンで、曲はポール」などと云う出鱈目な事を云っていました。1964年になってジョンが提供曲を書かなくなったのは、ビートルズが忙しかったからで、アルバム「A HARD DAY'S NIGHT」は全13曲中10曲もジョンが書いています。ピーター&ゴードンにポールが書いた提供曲は佳作揃いではありますが、だからと云ってビートルズで演奏するレベルの曲ではない、とポール自身が云っています。だから、そう云う事を自分で云ってしまうのがポールと云う人なので、まわりの連中も自分と同じ様にそうしているだろうと思っているのもポールなのです。「I DON'T WANT TO SEE YOU AGAIN」のプロモ盤ではポールが曲紹介していて、「ジョンと僕が書いた良い曲だよ!」とか自画自賛しています。
(小島イコ)