1964年になると、提供曲はポールが書いて、ジョンはビートルズに専念してゆきます。そのポールによる提供曲なんですけれど、明らかに駄作と佳曲の落差が大きくなってゆきます。ポールは「ビートルズで演奏するレベルに達していない曲を他人に回していた」などと平気で公言する様な「天然バカボン」なので、トミー・クイックリーの「TIP OF MY TONGUE」とか、シラ・ブラックの「LOVE OF THE LOVED」とか、ザ・ストレンジャー・ウィズ・マイク・シャノンの「ONE AND ONE IS TWO」とか、アップルジャックスの「LIKE DREAMERS DO」と云ったクズ曲も多いのです。そんな中で、ピーター&ゴードンには「A WORLD WITHOUT LOVE」や「NOBODY I KNOW」を、ビリー・J・クレイマー&ザ・ダコタスには「I'LL KEEP YOU SATISFIED」や今回取り上げる「FROM A WINDOW」と云った良い曲を提供しています。
ピーター&ゴードンは義理のアニキであるピーター・アッシャーがいたし、ビリー・J・クレイマーはブライアン・エプスタインのお気に入りだったのでクズ曲は回せなかったのでしょう。1964年7月17日(英国・パーロフォン)・同年8月12日(米国・インペリアル)にリリースされたビリー・J・クレイマー&ザ・ダコタスの5作目のシングル「FROM A WINDOW」は、ポール作の佳曲です。このシングルは全英10位まで上がるヒット曲となりますが、米国では23位でした。B面の「SECOND TO NONE」は、ビートルズ関連曲ではありません。この5作目のシングルを最後に、ビリー・J・クレイマーにはレノン=マッカートニー作品が与えられなくなりました。と申しますのも、1作目シングルが「DO YOU WANT TO KNOW A SECRET / I'LL BE ON MY WAY」で、2作目のシングルが「BAD TO ME / I CALL YOUR NAME」で、3作目のシングルが「I'LL KEEP YOU SATISFIED」で、5作目のシングルが「FROM A WINDOW」だったのです。
つまりは、余りにもレノン=マッカートニー作品頼みである事に悩んだビリー・J・クレイマーは、4作目のシングルをモート・シューマン作の「LITTLE CHILDREN」にしていて、それが全英首位!・全米7位と大ヒットしちゃったのです。それで、もうレノン=マッカートニー作品に頼らなくともやっていけると勘違いしてしまったわけですなあ。その結果、翌1965年から落ちぶれてゆき、ダコタスとも別れて、1966年にはパーロフォンも辞めちゃったのです。ピーター&ゴードンへの曲や、ビリー・J・クレイマーへの曲には佳曲も書いていたポールですが、だからと云ってそれらの曲がビートルズで演奏するレベルに達していたかどうかは疑問です。1964年7月10日リリースの英国では3作目のアルバム「A HARD DAY'S NIGHT」は全13曲がレノン=マッカートニー作のオリジナルですが、ジョンが10曲で、ポールは3曲しか書いていません。
ポールが書いたのは「AND I LOVE HER」と「CAN'T BUY ME LOVE」と「THINGS WE SAID TODAY」だけで、ジョンは「A HARD DAY'S NIGHT」、「I SHOULD HAVE KNOWN BETTER」、「IF I FELL」、「I'M HAPPY JUST TO DANCE WITH YOU」、「TELL ME WHY」、「ANY TIME AT ALL」、「I'LL CRY INSTEAD」、「WHEN I GET HOME」、「YOU CAN'T DO THAT」、「I'LL BE BACK」と10曲も書いています。「A HARD DAY'S NIGHT」は合作だと云う説もありますが、それなら「AND I LOVE HER」も合作なので、10対3の比率は変わりません。その13曲に、果たして「ONE AND ONE IS TWO」や「LIKE DREAMERS DO」は問題外として、「A WORLD WITHOUT LOVE」や「NOBODY I KNOW」や「FROM A WINDOW」などが対抗出来るでしょうか。アルバム「A HARD DAY'S NIGHT」は全13曲入りなので、もう1曲増やせたのに、EP「LONG TALL SALLY」全4曲入りも出したのに、ポールの駄作は収録されていないのが答えでしょう。
(小島イコ)