1963年には、ジョンもレノン=マッカートニー作品として「BAD TO ME」や「I CALL YOUR NAME」や「I'M IN LOVE」と云った佳曲を提供していたのですが、1964年になるとビートルズに専念したかったのか提供曲は書かなくなっています。その分、本隊であるビートルズに力を注ぎ、1964年7月10日リリースの英国では3作目のアルバム「A HARD DAY'S NIGHT」ではレノン=マッカートニー作品のオリジナルだけで全13曲を構成していて、其の内の10曲はジョン作で、ポールは3曲しか書いていません。故に、ポールはレノン=マッカートニー名義で1964年には曲を書いても提供曲に回していたのですけれど、どうにもこうにも提供曲の出来栄えに良し悪しの落差が大きくなってしまうのです。ピーター&ゴードンに書いた「A WORLD WITHOUT LOVE(愛なき世界)」や「NOBODY I KNOW(二人だけのパラダイス)」の様な名曲もあるものの、他は酷い曲も多いのです。
1964年6月5日(英国・デッカ)・同年7月6日(米国・ロンドン)にリリースされたアップルジャックスへの提供曲「LIKE DREAMERS DO」も、所謂ひとつの「ポールの駄作」です。この曲は、1962年1月1日に行われた「デッカ・オーディション」でビートルズが演奏していて、現在では「ANTHOLOGY 1」でビートルズ・ヴァージョンが聴けるのですけれど、ポールが♪あんあい、あいあいあいあーあああい、あいるびぜあ、うえいてぃんふぉゆゆゆゆゆゆ♪と歌う歌詞(AND I'LL BE THERE WAITING FOR YOU)が酷過ぎます。これじゃあ、はっぴいえんどの「春よ来い」も吃驚なのです。ポールはよくこう云う出鱈目な事をやっていて、歌詞が思いつかないと鼻歌で誤魔化してしまうのです。後の「YOUR MOTHER SHOULD KNOW」とか「MOTHER NATURE'S SON」などでもやらかしている得意技のひとつで、何となく聴いているとポールの寝ぼけ節にやられてしまうものの、つまりは歌詞が思いつかないから鼻歌にしているんですよ。
そんな駄曲を、自分たちを落としたデッカに所属していたアップルジャックスにやらせたのですから、底意地が悪いのです。アップルジャックスはベースが女性のミーガン・デイヴィスで、キンクスのレイ・デイヴィスとデイヴ・デイヴィスの妹だとか云われているのですけれど、真偽は不明です。アップルジャックスには既に「TELL ME WHEN」と云う全英7位まで上がったヒット曲があったのに、この「LIKE DREAMERS DO」はレノン=マッカートニー作なのに23位までしか上がっていません。デッカのミュージシャンになら、こんな駄曲でいいだろう、と思ったに違いないのです。B面の「EVERYBODY FALL DOWN」は、ビートルズ関連曲ではありません。「LIKE DREAMERS DO」は、「TIP OF MY TONGUE」や「ONE AND ONE IS TWO」と並ぶ「ポールのクズ曲」で、ピーター&ゴードンへの曲は勿論、1964年当時にビートルズで「AND I LOVE HER」と「CAN'T BUY ME LOVE」と「THINGS WE SAID TODAY」を書いた人と同一人物が書いたとは思えません。
(小島イコ)