ビートルズ以外のミュージシャンにレノン=マッカートニーが提供した楽曲の中で、最も成功したのはピーター&ゴードンの「A WORLD WITHOUT LOVE(愛なき世界)」でしょう。1964年2月28日(英国・コロムビア)・同年4月27日(米国・キャピトル)にリリースされた「A WORLD WITHOUT LOVE」は、全英首位!全米首位!と大ヒットしています。レノン=マッカートニー名義の楽曲ですが、書いたのはポールです。平気でクズ曲を他人に提供してしまうポールが、何故にこんな名曲をピーター&ゴードンのデビュー・シングル用に渡したかと云うと、ピーター&ゴードンのピーターことピーター・アッシャーは、当時ポールの恋人であった女優のジェーン・アッシャーの実の兄だったからです。当時のポールは、アッシャー家に「マスオさん状態」で部屋を借りて同居していたのですから、公私混同です。B面の「IF I WERE YOU」は、ピーター&ゴードンの共作オリジナル曲ですが、A面が良過ぎます。
ポールはこの後もピーター&ゴードンには手抜きなしの名曲を何曲か書いてゆくのですけれど、やはり一発目の「A WORLD WITHOUT LOVE」はインパクトがありました。この曲は、ポールが1958年頃に書いたと云われていて、10代半ばでこれほどの名曲を書いていたポールはやはり天才です。ビートルズとしてのレコーディングはなくて、ポールによるデモ音源しか残っていません。義理の兄に名曲を提供して大ヒットさせる美談とも云えますし、初期のレノン=マッカートニーはアッシャー家の部屋でジョンとポールで顔を突き合わせて曲を書いていたとも云われています。ところが、後にポールはジェーン・アッシャーと婚約したのに、ジェーンの方から婚約破棄されています。その理由がですね、ジェーンが女優の仕事で海外へ行って自分の家に帰ってきたら、部屋のベッドでポールが別のおねえさん(リンダではない)とやっている最中だったからだと云われています。正に修羅場で、これぞ本当の「愛なき世界」です。
ピーター&ゴードンが1968年に解散した後に、ポールはピーターをアップルの重役として迎え入れたものの、ジェーンに婚約破棄されて、すぐにリンダと結婚する事になって、ピーターが不信感を持ったら、ピーターを窓際に追いやってしまい、ピーターはアップルを辞めてジェームス・テーラーと共に渡米して、ジェームス・テイラーやリンダ・ロンシュタットのプロデューサーとして大成功するのでした。つまり、ポールの女癖の悪さがなくて大人しくジェーンと結婚していたら、ジェームス・テイラーやリンダ・ロンシュタットの大成功はなかったかもしれないのです。まあ、そんな事を云い出したならば、ポールがリンダと結婚しなければウイングスもないし、ステラ・マッカートニーも生まれていないわけですけれどね。ポールは「A WORLD WITHOUT LOVE」について「ビートルズで演奏するにはイマイチだと思って、ピーター&ゴードンにあげたら、売れちゃったんだよ」などと云っています。ピーター&ゴードンの当時の人気は凄まじく、1965年にはビートルズよりも早く来日公演も行っています。
(小島イコ)