1962年1月1日に行われた「デッカ・オーディション」でビートルズを落としたディック・ロウは、わずか10か月後の1962年10月5日にパーロフォンからビートルズがシングル「LOVE ME DO」デビューして、1年後の1963年1月11日にリリースしたシングル「PLEASE PLEASE ME」が大ヒットして、1年余りの1963年3月22日にリリースしたデビュー・アルバム「PLEASE PLEASE ME with Love Me Do and 12 other songs」が全英30週間連続首位!となった事で「ビートルズをオーディションで落としたアホ」と云われ、会社での立場も悪くなっていました。そんな時に心優しいジョージ・ハリスン(当時20歳)が「僕たちに対抗するなら、あのバンドと契約すればいい」とアドバイスして紹介したのが「ザ・ローリング・ストーンズ」です。
ローリング・ストーンズのマネジャーとなったアンドリュー・オールダムは、ブライアン・エプスタインの元部下で、当然の事ながらビートルズとも顔なじみでした。それで、オールダムが曲を書いてもらおうとジョンとポールをローリング・ストーンズに逢わせて、ポールが書きかけだった曲を披露して、ジョンとポールが少し席を外して直ぐに戻って来たのでローリング・ストーンズの面々は忘れ物でもしたのかと思ったら、さっき書きかけだと云っていた曲を完成して持って来たのです。ソレが「I WANNA BE YOUR MAN」で、ローリング・ストーンズが英国では2作目のシングルとして1963年11月1日にデッカからリリースして、全英12位まで上がるヒット曲となりました。B面はメンバー全員で書いた(ナンカー・フェルジ名義)オリジナルのほとんどインストゥルメンタルの「STONED」です。ローリング・ストーンズ版の「I WANNA BE YOUR MAN」はシングルのみでアルバム未収録ですが、シングル集のCDには収録されているので容易に聴けます。
「あっ」と云う間に曲を書いてしまったレノン=マッカートニーを見て、アンドリュー・オールダムはミック・ジャガーとキース・リチャーズの二人にもオリジナル曲を書く様に命じます。1曲出来るまで、キッチンに二人を閉じ込めてしまったりもしたそうです。当時ローリング・ストーンズのベーシストだったビル・ワイマンは、左利きのポールが自分の右利き用のベースを逆に持って難なく弾いてしまったのを見て驚愕したそうです。レノン=マッカートニーは元々「I WANNA BE YOUR MAN」をある程度は完成させていたのでしょうけれど、他にも「ONE AFTER 909」も提供しようと考えていて、ミックに断られています。兎も角、ミックとキースの「ジャガー/リチャーズ(グリマー・ツインズ)」に火を付けたのは、レノン=マッカートニーでした。昔からローリング・ストーンズはビートルズのライバルと云われていたものの、云ってみれば身内だし、ジョンは生涯を通してローリング・ストーンズを舎弟扱いしていました。
ご存知の通り「I WANNA BE YOUR MAN」は、1963年11月22日にリリースされたビートルズの2作目のアルバム「WITH THE BEATLES」でリンゴがヴォーカルを担当してセルフ・カヴァーしています。ローリング・ストーンズに提供した曲をすぐさま、しかもリンゴに歌わせる辺りは、レノン=マッカートニーの底意地の悪さが出ております。レノン=マッカートニーに負けじとミックとキースがオリジナル曲を書く様になって、当時のリーダーだったブライアン・ジョーンズの立場がなくなってゆくのですけれど、ビートルズとブライアン・ジョーンズの仲は良くて、1967年に「YOU KNOW MY NAME(LOOK UP THE NUMBER)」のセッションにサックスで参加していて、色々あってブライアン・ジョーンズの死後の1970年に英国では最後のシングル「LET IT BE」のB面になっています。「I WANNA BE YOUR MAN」はビートルズのライヴでも定番曲で、解散後はリンゴは勿論、ポールもライヴで披露している楽曲です。
(小島イコ)