1962年1月1日に行われた「デッカ・オーディション」では全15曲が演奏されて、レノン=マッカートニー作品は3曲のみでした。それはジョン作の「HELLO LITTLE GIRL」と、ポール作の「LIKE DREAMERS DO」と、やはりポール作の「LOVE OF THE LOVED」です。其の内の2曲「HELLO LITTLE GIRL」と「LIKE DREAMERS DO」は、1995年リリースのボツ音源集「ANTHOLOGY 1」に収録されましたが、「LOVE OF THE LOVED」は「ボツ音源集からも弾かれた」のです。その事実だけで、「LOVE OF THE LOVED」と云う曲が如何に酷い出来栄えなのかがお分かりになられるでしょう。「デッカ・オーディション」の音源は、かつてはカヴァーの12曲が公式盤で出ていたし、レノン=マッカートニー作品も加えた全15曲もハーフオフィシャル盤やブートレグで聴く事が出来ます。
その音源を聴くと、曲も稚拙ながら、悦に入って歌うポールに、ジョージかジョンか分かりませんけど♪てんけてんけてんけてん♪と合いの手を入れるギターも間抜けで、「こりゃあ、オーディションに落ちるわなあ」と思わせてくれるヘッポコ曲です。ビートルズは其の後に此の曲をレコーディングしていないので、デッカ・オーディション音源しか残っていなくて、繰り返しますがソレも「ANTHOLOGY 1」にすら未収録だったのです。が、しかし、腐っても天下無敵のレノン=マッカートニー作品なので、それを放っておくわけがありません。特に、マネジャーのブライアン・エプスタインとプロデューサーのサー・ジョージ・マーティンは、ビートルズの公式ライバルを作る事に執着していて、レノン=マッカートニー作のボツ楽曲をそちらに回してヒットさせていたのです。
この「LOVE OF THE LOVED」は、1963年9月27日にパーロフォンから、サー・ジョージ・マーティンのプロデュースでシラ・ブラックがデビュー・シングルとしてリリースしています。シラ・ブラックのマネジャーも当然ながらブライアン・エプスタインで、ブライアン・エプスタインとサー・ジョージ・マーティンは、今度は「ビートルズの公式の妹」をデビューさせたのです。しかし、ポール作の「LOVE OF THE LOVED」は、どんなに手を変えても曲が酷く、全英35位までしか上がっていません。B面の「SHY OF LOVE」は、ビートルズとは関係がない曲です。シラ・ブラックは、翌1964年には第2弾シングル「ANYONE WHO HAD A HEART」(バート・バカラック&ハル・デヴィット作品で、ディオンヌ・ワーイックのカヴァー)を出して、全英首位!となっています。更に1964年の第3弾シングル「YOU'RE MY WORLD」(イタリア曲のカヴァー)も全英首位!となっています。
「ANYONE WHO HAD A HEART」も「YOU'RE MY WORLD」も、プロデュースはサー・ジョージ・マーティンで、マネジャーはブライアン・エプスタインです。逆襲したシラ・ブラックの実力もありますが、デビュー曲の「LOVE OF THE LOVED」がそんなに売れなかったのは、もうポール作の楽曲に問題があったからとしか説明のしようがありません。イントロでラッパが♪パパパパパ〜♪と鳴り響くアレンジは、サー・ジョージ・マーティンが実は「ロックでも何でもないものの異端の音楽家である事実」を知らせてくれるし、シラ・ブラックの一所懸命な歌声には萌えるものの、どんなにサー・ジョージ・マーティンやシラ・ブラックが頑張っていても、ポールのヘッポコリン楽曲の前では無力です。シラ・ブラックは英国を代表する歌手として2015年に亡くなるまで、歌手だけではなく司会者や女優としても活動しました。ポールは「LOVE OF THE LOVED」で反省したのか、後にシラ・ブラックに「IT'S FOR YOU」や「STEP INSIDE LOVE」と云った名曲を書いています。
(小島イコ)