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2024年08月25日

「HK/変態仮面 アブノーマル・クライシス」

【Amazon.co.jp限定】HK/変態仮面 アブノーマル・クライシス 究極版(B2ポスター付き) [Blu-ray]


MONDO TV 14:00〜16:00

2016年公開作品(2016年5月14日公開)

片瀬那奈 AS 色丞魔喜

「HK/変態仮面 アブノーマル・クライシス」の、今年なんと13回目の放送です。8ヶ月で13回は多いし、日曜日の昼に放送するような内容とも思えません。前作に続いて、那奈ちゃんは変態仮面の母親を演じています。2013年に公開された前作の頃とは違って、此の2016年に公開された続編の頃には主演の鈴木亮平くんは出世して人気者になっていたのですが、再び肉体改造して挑んでいます。福田監督は「スパイダーマン」へのオマージュなので3作目も撮りたかった様ですが、色々とあって2作目までとなりました。でも、もしもオファーがあったならば、亮平くんは受けると思います。

(小島イコ/姫川未亜)

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「デスノート the Last name」

DEATH NOTE デスノート the Last name (スペシャルプライス版) [Blu-ray]


WOWOWプラス 18:30〜21:00

2006年公開作品

片瀬那奈 AS 高田清美

(公開:2006年11月3日、撮影:2006年6月2日〜7月31日)

「デスノート the Last name」の今年なんと11回目の放送ですが、「DIVER」とバッティングしています。第1作から続けて放送されますが、完結編であるこちらは原作マンガとは大きく違った展開となり、那奈ちゃんが演じた高田清美も「第3のキラ」として原作マンガとは名前が同じなだけで全く違った役どころとなっています。原作マンガの複数のキャラクターから摘まんでいるものの、映画オリジナルのキャラクターと云える改変で、非常に印象的な役どころです。本日に放送された「HK/変態仮面」の色丞魔喜と云い、那奈ちゃんの映画出演作の役どころは、なかなか濃いキャラクターが多いです。


(小島イコ/姫川未亜)

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「DIVER-特殊潜入班-」(再)全5話一挙放送



ファミリー劇場 16:45〜21:05

片瀬那奈 AS 皆本麗子

#01「最凶の潜入捜査官!特殊詐欺の闇を追え」
#02「新たな捜査官登場!女子大生連続自殺の謎を解け」
#03「謎の連続誘拐!命の選択!狙われた伊達の娘を救え!」
#04「国際会議がテロの標的に!D班最大の危機!」
#05「衝撃の最終回!兵悟の反撃開始!最大の闇との決着」

「DIVER-特殊潜入班-」の今年4回目の全5話一挙再放送ですが、「デスノート the Last name」とバッティングしています。全5話と短いのは別に打ち切られたわけではなく、コロナ禍で全編が関西ロケだった為に元々全5話で制作されています。コロナ禍に、そうまでして新作ドラマを制作しなくともよかったと思いますけれどね。別に新しいドラマや映画を制作しなくとも、どうせ那奈ちゃんは出ないだろうから、旧作の再放送で充分だと思うのですけれどね。那奈ちゃんが演じたのは闇医者の皆本麗子先生で、潜入捜査官のひとりです。やはり全5話では短く感じられて、潜入捜査官の事も何も分からない内に終わってしまいました。潜入捜査官の5人中、那奈ちゃんも含めた4人が「闇金ウシジマくん」や「闇金サイハラさん」にも出ています。

本放送:2020年9月22日〜10月20日(関西テレビ、フジテレビ)

(小島イコ/姫川未亜)

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「ポールの道」#473「FAB4 GAVE AWAY」#17 「WOMAN」

ピーターとゴードン


ビートルズはEMIパーロフォンと、年に2作のアルバムをリリースする契約をしていました。故に、1963年にはアルバム「PLEASE PLEASE ME with Love Me Do and 12 other songs」とアルバム「WITH THE BEATLES」を、1964年にはアルバム「A HARD DAY'S NIGHT」とアルバム「BEATLES FOR SALE」を、1965年にはアルバム「HELP!」とアルバム「RUBBER SOUL」と、きっちりと契約を守っていたのです。それが崩れたのが1966年で、来日公演も行った1966年にはビートルズはアルバム「REVOLVER」しか出していません。苦肉の策でベスト盤「A COLLECTION OF BEATLES’ OLDIES(BUT GOLDIES)」を、12月に出しています。後に1968年のアルバム「THE BEATLES(ホワイト・アルバム)」をサー・ジョージ・マーティンが反対したのに2枚組でリリースしたり、1969年に中途半端なサントラ盤「YELLOW SUBMARINE」をリリースしたりしたのも、EMIとの契約枚数をこなす為でもあったようです。それでいて、常に新しい試みをして名盤を作りつづけたわけで、ビートルズはとんでもないのです。

1966年は、ビートルズがライヴ活動を止めた年でもあります。来日公演前には既に完成していたアルバム「REVOLVER」と、ライヴでの演奏の落差は凄まじいもので、どちらかと云うとライヴでのビートルズは「A COLLECTION OF BEATLES’ OLDIES(BUT GOLDIES)」に近いものでした。ビートルズの現役時代唯一のベスト盤は全16曲入りのお徳用盤で、当時の英国盤では全16曲中半数の8曲がアルバム初収録で、それらのステレオ・ヴァージョンは初出でした。ステレオだけではなくモノラル盤も新たにリマスターされているので、なかなか侮れない内容です。1966年のアルバム「REVOLVER」では、ジョンとポールのパワーバランスが崩れて、ポール主導の楽曲が目立つ様になっていたり、初めてジョージの曲が3曲も収録されていたりもします。兎も角、自分たちのアルバムを年に1作しか出せなくなっていたわけで、とてもじゃないけれど提供曲なんて書いてはいられない状況だったのでしょう。それに、例えば「TOMORROW NEVER KNOWS」みたいな曲は、ビートルズでなければやれないので、提供曲にはなりません。

そんな中でも、1966年2月11日(英国・コロムビア)・同年1月10日(米国・キャピトル)にリリースの、ピーター&ゴードンのシングル用に、ポールは「WOMAN」を書いています。B面の「WRONG FROM THE START」は、ビートルズ関連曲ではありません。ピーター・アッシャーとポールの関係はこれまでにも書いてきた通りに「ズブズブの身内」だったので、ビートルズが忙しくともポールは曲を書いていたわけですなあ。後にジョンが同名異曲を発表する「WOMAN」は、レノン=マッカートニー名義ではなくて、バーナード・ウェブ名義となっています。コレはですね、ポールが「レノン=マッカートニーではない名義で曲を提供したら、果たしてヒットするのか?」を試したのです。結果は、英国では22位で、米国では14位まで上がるヒットとなっています。些かライチャス・ブラザーズ風でもあって、後のフィル・スペクターとの因縁も思い起させます。でもですね、このポール版の「WOMAN」は、一聴してポールが書いたと分かる出来栄えで、やはりピーター&ゴードンには佳曲を提供しているわけですよ。それだけズブズブだったのですから、裏切られたアッシャー兄妹の怒りは相当なものだったでしょうなあ。

(小島イコ)

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2024年08月26日

「ポールの道」#474「FAB4 GAVE AWAY」#18 「LOVE IN THE OPEN AIR」



1966年8月29日のサンフランシスコ・キャンドル・スティック・パーク公演でライヴ活動を休止してしまったビートルズは、世間からは何をやっているのか分からない状態となり、1967年2月17日(英国・パーロフォン)・同年2月13日(米国・キャピトル)にロック史上最強のカップリング・シングル「STRAWBERRY FIELDS FOREVER / PENNY LANE」をリリースするまでの半年間は謎となっていました。現在の感覚では半年間レコードを出さなかっただけで「消えた」などとは思われませんが、1960年代にはビートルズは年間2作のアルバムをリリースしていたし、ビーチ・ボーイズは年間3作もアルバムをリリースしていたのですから、半年も新作がなくベスト盤のみだと「ビートルズは終わった」などと書き立てられたのです。1966年はオリジナル・アルバムを「REVOLVER」しかリリースしなかったビートルズは、ライヴ活動も止めたので、それぞれが個人的な活動をする時間的な余裕が生まれました。

ジョンは映画「A HARD DAY'S NIGHT」や映画「HELP!」を監督したリチャード・レスター監督の映画「HOW I WON THE WAR」に俳優として参加して、髪をバッサリと切って、ソレ以後にトレードマークとなる丸メガネをかけて出演しています。ジョージは本格的にラヴィ・シャンカールからシタールを学ぶ為にインドへゆき、リンゴは家族と休暇を満喫してジョンの撮影現場にも訪れたりしました。そうして他の3人がビートルズから外れた活動をしている間に、ポールは初のサントラ盤を手掛ける事となったのです。ボウルティング・ブラザーズ監督の映画「THE FAMILY WAY(ふたりだけの窓)」にポールが書いたのは主題曲の「LOVE IN THE OPEN AIR」のみで、サー・ジョージ・マーティンが変奏曲として全編に渡って演奏しているので、ジャケットの「MUSIC COMPOSED BY Paul McCARTNEY」は些か過大なコピーです。ポールが絡んでいるのでプレミアが付いていましたが、現在ではシングル・ヴァージョンも収録したCDがリイシューされています。

元々、此のサントラ盤は1967年1月6日(英国・デッカ)・同年6月12日(米国・ロンドン)にリリースされていて、英国盤が因縁のデッカからと云うのがポイントです。1962年1月1日のデッカ・オーディションでビートルズを落としておいて、5年後にはポールの名前でサントラ盤を売っているのですから、困ったちゃんなのです。それで、このサントラ盤「THE FAMILY WAY」がポールの最初のソロ・アルバムなのかと云うと、前述の通りポールは「LOVE IN THE OPEN AIR」を書いただけなので、ベースやピアノなどでも参加しているものの、一寸違うでしょう。どちらかと云うと、サー・ジョージ・マーティンがビートルズの曲をオーケストラ・アレンジしたアルバム「OFF THE BEATLE TRACK」やアルバム「GEORGE MARTIN PLAY THE “HELP”」やアルバム「THE BEATLE GIRLS」などに近いと思います。つまりは、ポールが曲を提供したサー・ジョージ・マーティンの作品だと云う事です。ポールはピーター&ゴードンへの「WOMAN」でバーナード・ウェブ名義で実質的にはソロ名義で曲を提供して、遂に「LOVE IN THE OPEN AIR」では「ポール・マッカートニー」名義で曲を書いてしまったわけで、大いなるフライングでした。

(小島イコ)

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2024年08月27日

tver asahi「匿名探偵2」第2話(再)

匿名探偵2 Blu-ray BOX 5枚組


テレビ朝日 0:20〜1:20

片瀬那奈 AS 冴島響子

第2話「探偵と信じがたい女」

「匿名探偵2」第2話の、今年初めての再放送です。今年初めてどころか、CSでも2019年以来再放送されていない「匿名探偵2」が、地上波での再放送です。テレビ朝日が深夜に再放送している「tver asahi」の枠では、今年(2024年)1月に「匿名探偵1」の第1話と第6話と第9話(最終話)が再放送された実績があり、今度はレアな「匿名探偵2」の第2話と第4話が再放送されます。地上波で再放送とは云え那奈ちゃんの出演作が堂々と流れるわけですから、それだけでトキメキますわなあ。まあ、テレ朝としては2話だけ再放送して、他は配信で観てケロヨンと云う事なのでしょう。基本的な設定は前作と変わらず、那奈ちゃんは美人すぎる弁護士の冴島響子を演じています。主演の探偵役の高橋克典さんと、田山涼成さんが演じる阿南エロ刑事も出ているものの、探偵の事務所が変わったので三浦理恵子さんが演じる大家さんは最終話にしか登場しません。バーのダン・マスターは前作と違って普通に会話したりと、変更された点もあります。画面左上に、ずっと配信への誘導テロップ入りでの再放送でした。やっぱり、那奈ちゃんは女優だし、芸能活動をしてくれないと魅力はありません。

本放送:2014年7月11日(テレビ朝日)

(小島イコ/姫川未亜)

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「ポールの道」#475「FAB4 GAVE AWAY」#19 「CAT CALL」

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1967年1月6日にデッカからリリースされたサントラ盤「THE FAMILY WAY(ふたりだけの窓)」に、ポールは単独名義で主題曲の「LOVE IN THE OPEN AIR」を書き下ろしました。実際のオーケストラ・アレンジや演奏はサー・ジョージ・マーティンが担当しているし、ポールもインストゥルメンタル曲ならば「レノン=マッカートニー」名義でなくともいいや、と勝手に思ったのかもしれません。ジョンが単独で映画に俳優として参加したのだから、自分も映画音楽を単独で書いたっていいじゃん、と思ったのかもしれません。しかしながら、ジョンが俳優に挑戦したのと、ポールが単独名義で映画音楽を書いたのでは、大きな違いがあります。ジョンとポールは、10代半ばで出逢ってから、どちらか片方が書いた曲も全て「レノン=マッカートニー」名義で発表すると決めていました。それは「ゴフィン&キング」の様な、職業作家を目指していたからだと云われています。

その取り決めは、ビートルズでのオリジナルだけではなく、提供曲でも「レノン=マッカートニー」名義だったし、現在ではジョンの単独作とされている1969年リリースのプラスティック・オノ・バンドの「GIVE PEACE A CHANCE(平和を我等へ)」まで、リリース当時は「レノン=マッカートニー」名義だったのです。其の辺に「ジョンのビートルズ(ポール)に対する未練」を感じるし、逆にポールは平気でライヴ盤で「マッカートニー=レノン」名義にしてしまう「何も考えていない天然バカボン」ぶりを発揮しています。時は1967年6月1日、ビートルズはアルバム「SGT. PEPPER'S LONELY HEARTS CLUB BAND」をリリースして、ロックの頂点に輝いていました。そんな「サマー・オブ・ラヴ」からの1967年10月20日に、ポールは「CAT CALL」を単独名義でクリス・バーバー・バンドに提供して、マーマレードからリリースしています。B面の「MERCY MERCY MERCY」は、ビートルズ関連曲ではありません。

クリス・バーバー・バンドは、ストレンジャー・ウィズ・マイク・シャノンみたいなへっぽこバンドではなくて、1959年に全英3位の「PETIT FLEUR(小さな花)」を大ヒットさせている老舗バンドでした。ソレで、ポールは「LOVE IN THE OPEN AIR」と同じインストゥルメンタル曲だからいいじゃん、と「マッカートニー」単独名義で提供して、見事に売れなかったのです。「CAT CALL」はビートルズが無名時代に演奏していた「CAT WALK」を改題した曲で、其の時には「レノン=マッカートニー」名義でした。コノ頃になると、ジョンはビートルズ用の曲すらポール程には書けなくなっていて、とてもじゃないけど提供曲なんて書いていられない状況でした。対してポールは、マメに提供曲も書くし、スキャッフォルド(ポールの実弟・マイク・マクギアが在籍)や、ボンゾ・ドッグ・ドゥー・ダー・バンド(後にラトルズをやるニール・イネスが在籍)をプロデュースしてヒットさせています。

(小島イコ)

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2024年08月28日

tver asahi「匿名探偵2」第4話(再)

匿名探偵2 Blu-ray BOX 5枚組


テレビ朝日 0:20〜1:20

片瀬那奈 AS 冴島響子

第4話「探偵と舌の肥えた女」

「匿名探偵2」第4話の、今年初めての再放送です。昨夜に続いて、地上波での再放送となっております。2012年版の「匿名探偵」は、深夜の「金曜ナイトドラマ」枠で平均「10.5%」と二桁を叩き出したので、2014年のこの続編が制作されて、同じ「金曜ナイトドラマ」枠で放送されています。こちらは平均「7.2%」と前作には及ばなかったものの、深夜枠ならば充分なヒット作(「24 JAPAN」を想起せよ)でしょう。那奈ちゃんが演じた美人すぎる弁護士の冴島響子の役どころは前作と大きな変化はないものの、探偵に無理矢理に協力させられる一平が大学生から社会人になっていたり、阿南エロ刑事の部下が代わっていたり、森次晃嗣さんが演じるマスターが普通に話す(前作ではセリフがひとこともなかった)様になっていたり、探偵の事務所が代わったのでオーナーが柴俊夫さんが演じる理髪店店主に代わっていたりします。何気に「ウルトラセブン」と「シルバー仮面」が両方出ているドラマです。普通に地上波で再放送が出来るのですから、那奈ちゃんの出演に関しては何の問題もないのでしょう。但し、当のご本人が芸能活動を積極的にやる気が全く感じられない侭、もう3年も経過してしまったのは、本当に残念でなりません。

本放送:2014年8月1日(テレビ朝日)

(小島イコ/姫川未亜)

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「ポールの道」#476「FAB4 GAVE AWAY」#20 「STEP INSIDE LOVE」



ビートルズの公式の妹であるシラ・ブラックには、1963年に「LOVE OF THE LOVED」を、1964年に「IT'S FOR YOU」を、レノン=マッカートニー名義でポールが書いてきました。マネジャーはビートルズと同じくブライアン・エプスタインでしたが、彼の死後も公式の妹である事には変わりはなかったようです。1968年3月8日(英国・パーロフォン)、同年5月6日(米国・ベル)にリリースされたレノン=マッカートニー名義でポールが書いた「STEP INSIDE LOVE」は、シラ・ブラックのテレビ番組のテーマ曲で英国では全英8位まで上がるヒット曲となっています。米国ではチャート入りしていませんが、ソレはおそらく番組を米国では放送していなかったからなのかもしれません。B面の「I COULDN'T TAKE MY EYES OFF YOU」は、ビートルズ関連曲ではありませんが、シングルのプロデュースはサー・ジョージ・マーティンです。

シラ・ブラックの番組「CILLA」は、BBCで1968年1月から1976年4月まで8年以上も放送された人気番組だった様です。ポールもやる気をみせて「STEP INSIDE LOVE」を書いているので、コレは「ポールの名曲」です。こうして「やれば出来る子」なので、余計に「ポールの駄作」も目立ってしまうんですよ。この曲は、ボサノバ調のAメロから盛り上がるサビ(タイトルを連呼するだけ)の対比が絶妙です。この曲のビートルズ・ヴァージョンは、1996年リリースの「ANTHOLOGY 3」や、2018年リリースのアルバム「THE BEATLES(ホワイト・アルバム)」50周年記念盤で聴く事が出来ます。それは「I WILL」のセッションで、ポールとジョンとリンゴの3人で和気あいあいとやっているのですけれど、ジョージがいないのが問題です。きっと、ポールがジョージのギターにイチャモンをつけたから参加していないんだろうなあ、と思わされるのは、ポールには前科があり捲りだからです。

この「STEP INSIDE LOVE」で分かる通り、シラ・ブラックは圧倒的に本国である英国で人気がありました。バート・バカラックの名曲「ANYONE WHO HAD A HEART」や「ALFIE」と云った楽曲も、英国ではシラ・ブラックによるカヴァーが大ヒットしていて、1964年にフィル・スペクターのプロデュースでライチャス・ブラザーズが歌って全米首位!となった「YOU’VE LOST THAT LOVIN' FEELIN'(ふられた気持ち)」も、シラ・ブラックが翌1965年にカヴァーしていて、全英2位と大ヒットさせています。ビートルズ関係でも、1966年にはシングルのB面で「FOR NO ONE」をカヴァーしていたり、1970年には何故かニュージーランド限定でシングルA面で「ACROSS THE UNIVERSE」をカヴァーしています。現役時代のビートルズに最も近かった女性歌手は、シラ・ブラックでしょう。

「STEP INSIDE LOVE」は名曲と褒めたので、ポールが「天然バカボン」ぶりを発揮した「LSD」問題を取り上げましょう。ジョンやジョージ、そしてリンゴも好奇心旺盛で、1965年中頃には「LSD」を試していたのですが、ポールはなかなか手を出さなかったのです。それで、遂に1965年末に「LSD」を使ったら、インタビュアーに「LSDを使っているんじゃないか?」と訊かれて、ポールは正直に「使ったよ」と応えてしまったのです。ジョンやジョージやリンゴは、訊かれてもはぐらかしていたのに、ポールは「LSDを使ったよ、それがどうした?」と開き直ったのです。それで新聞にデカデカと載って「青少年に人気のビートルズが麻薬を使用するとは何事だ!」と云われたら、ポールは「僕は使ったかどうか訊かれたから正直に使ったと云っただけで、こんなに騒ぎになったのはキミたちマスコミが報道したからだろ?青少年に悪影響があると分かっているなら、ビートルズが麻薬をやったなんて書かなければよかったんだよ。コレは、キミたちマスコミが報道したのが悪い」と云ったのです。そりゃそうなんですけれどね。

(小島イコ)

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2024年08月29日

「ポールの道」#477「FAB4 GAVE AWAY」#21 「THOSE WERE THE DAY」「POST CARD」

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レノン=マッカートニー名義での提供曲をまとめて聴くには、現在でも入手可能なのは「ETERNAL GROOVES」から出ているハーフオフィシャル盤の「LENNON & McCARTNEY SONGBOOK」が便利です。が、しかし、ハーフオフィシャル盤の宿命で、1967年リリースのシラ・ブラックによる「STEP INSIDE LOVE」までしか収録されていません。ビートルズは1968年にアップル・レコードを立ち上げるので、そこから提供曲やプロデュース作も増えてゆくのですけれど、メリー・ホプキンや、ジャッキー・ロマックスや、ジェームス・テーラーや、ビリー・プレストンや、バッドフィンガーや、ドリス・トロイと云った有名どころは勿論の事、ブラック・ダイク・ミルス・バンドや、トラッシュや、ホット・チョコレート・バンドや、ロニー・スペクターや、ラダ・クリシュナ・テンプルや、クリス・ホッジや、エラスティック・オズ・バンドと云ったレアなところを押さえたコンピレーション盤が、2010年リリースの「COME AND GET IT THE BEST OF APPLE RECORDS」です。特にジョージ・ハリスンが本領発揮するのはアップル設立以後なので、コレがないとあんまりなのです。

アップル・レーベルのリイシューは、1991年からアルバム中心に一度行われていたのですが、2009年9月9日のビートルズのリマスターCDが出た翌年の2010年に再度行われていて、「COME AND GET IT THE BEST OF APPLE RECORDS」はシングル曲だけだったミュージシャンの曲も丁寧に拾った全21曲入りで、アップル・レコードのビートルズ以外のミュージシャンを聴くにはお手軽かつ必聴盤です。廃盤状態かもしれませんが、中古盤もプレミアなどは付いていない様なので、「LENNON & McCARTNEY SONGBOOK」のつづきを聴きたければコレが決定盤でしょう。そんな全21曲の最初を飾るのは、メリー・ホプキンの「THOSE WERE THE DAY(悲しき天使)」です。英国では1968年8月30日に、米国では同年8月26日に、アップル第1弾シングルとして、ビートルズの「HEY JUDE / REVOLUTION」と、ジャッキー・ロマックスの「SOUR MILK SEA」(ジョージ・ハリスン作・プロデュース)と、ブラック・ダイク・ミルス・バンドの「THINGUMYBOB / YELLOW SUBMARINE」(ポール作・プロデュース)と共に、ポールのプロデュースでリリースされています。

当時18歳だったメリー・ホプキンは、モデルのツイッギーがテレビのコンテスト番組に出ているのを観てポールに紹介していて、デビュー曲で元々はロシア民謡で英語版はジーン・ラスキン作の「THOSE WERE THE DAY」は、英国ではビートルズの「HEY JUDE」をチャートの首位!から引きずり下して6週間連続首位!となり、全米でも2位まで上がり(首位!は9週間連続でビートルズの「HEY JUDE」)正にスター誕生となったのです。日本でも「悲しき天使」の邦題で首位!と大ヒットしたし、世界中で売れました。英語の他にも、ロシア語、日本語、フランス語、ドイツ語、スペイン語、イタリア語、ポルトガル語、北京語などでもカヴァーされています。アレンジは、後に「THE LONG AND WINDING ROAD」でポールと揉めるリチャード・ヒューソンです。シングルB面は、バーズもカヴァーしたピート・シガー作の「TURN TURN TURN」です。メリー・ホプキンは、1969年2月21日(英国)・同年3月3日(米国)にファースト・アルバム「POST CARD」を、やはりポールが全面的にプロデュースしバックアップしてリリースしています。此のアルバムの英国盤には「THOSE WERE THE DAY」が未収録で、メリー・ホプキンのシングル曲はアルバム未収録曲(ポール作の「GOODBYE」も)が多いので、ベスト盤やコンピ盤も意味があります。

デビュー・アルバム「POST CARD」の邦題は「ポップスのシンデレラ / メリー・ホプキン・ファースト」で、ポールがプロデュースしていますが、楽曲提供はなく、代わりにドノヴァンが3曲、ハリー・ニルソンが1曲、そして珍しく歌ものをサー・ジョージ・マーティンが1曲提供していて、他も幅広い選曲となっています。ジャケット写真は、リンダ・イーストマン(リンダ・マッカートニー)が担当と、ズブズブの身内で固めています。前述の通りに英国オリジナル盤には「THOSE WERE THE DAY(悲しき天使)」は未収録ですが、米国盤や日本盤には収録されています。その代わりに米国盤と日本盤にはスタンダード曲「SOMEONE TO WATCH OVER ME」が未収録です。現在のCDでは英国オリジナル14曲に「THOSE WERE THE DAY」(アルバム冒頭に収録)、「TURN TURN TURN」、「THOSE WERE THE DAY」のイタリア語ヴァージョンとスペイン語ヴァージョンが加わった18曲入りの1991年盤と、そこから「THOSE WERE THE DAY」のイタリア語とスペイン語を外して、ポール作の第2弾シングル「GOODBYE」と、ギャラガー&ライル作の「SPARROW」と「THE FIELDS OF ST. ETIENNE」を加えた19曲入りの2010年盤があります。2010年盤に新たに加わったポールがプロデュースした3曲(但し「THE FIELD OF ST. ETIENNA」はジェフ・エメリックがプロデュースした別ヴァージョン)はベスト盤にも入っているので、「THOSE WERE THE DAY」のイタリア語とスペイン語の方がレアかもしれません。

(小島イコ)

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2024年08月30日

「ポールの道」#478「FAB4 GAVE AWAY」#22 「SOUR MILK SEA」

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1968年8月30日(英国)・同年8月26日(米国)に、ビートルズが立ち上げたアップル・レコードは、いきなりシングルを4作も同時にリリースしました。それは、ビートルズの「HEY JUDE / REVOLUTION」と、メリー・ホプキンの「THOSE WERE THE DAY(悲しき天使) / TURN TURN TURN」と、ブラック・ダイク・ミルス・バンドの「THINGUMYBOB / YELLOW SUBMARINE」と、ジャッキー・ロマックスの「SOUR MILK SEA / THE EAGLE LAUGHS AT YOU」です。前回に取り上げた通りに、ビートルズの「HEY JUDE」は全英・全米首位!となり、特に米国では9週間連続首位!となり、ビートルズのシングルで最も売れたと云われています。そこへ、ポールがプロデュースしたメリー・ホプキンの「THOSE WERE THE DAY」が全英では割って入り、「HEY JUDE」を首位!から蹴落として6週間連続首位!となる特大ヒットとなったのです。いくらポールがプロデュースしたからと云って、18歳のポッと出の新人歌手だったメリー・ホプキンの大成功は、アップルとしても嬉しい誤算だったでしょう。

ブラック・ダイク・ミルス・バンドに関しては次回で取り上げますが、ひとことで云えばインストゥルメンタル曲なので、そんなにヒットは期待されていなかったでしょう。そこで、ジャッキー・ロマックスです。ジ・アンダーテイカーズで1963年にデビューしていたジャッキー・ロマックスは、生前のブライアン・エプスタインがNEMSでマネジメントしていて、旧知の仲だったビートルズがブライアン・エプスタインの死後にも面倒をみるカタチでアップル・レコード所属となりました。再出発のシングルA面「SOUR MILK SEA」は、ジョージ・ハリスンがアルバム「THE BEATLES(ホワイト・アルバム)」用に書いた曲のひとつで、現在ではアルバム「THE BEATLES(ホワイト・アルバム)」50周年記念盤の「イーシャー・デモ」でジョージが歌ったヴァージョンを聴く事が出来ます。個人的には、1968年頃のジョージ節が全開の名曲のひとつだと思うし、何だかお化け屋敷のBGMみたいな「LONG, LONG, LONG」を収録するくらいなら、「SOUR MILK SEA」をビートルズで演奏して欲しかったです。と云うか、ここに来て初めてジョージが提供曲を手掛ける事となったわけです。

それで、ジャッキー・ロマックスの新たなる門出にジョージが曲をプレゼントして、プロデュースして、アコースティックギターも弾いていて、他にリードギターがエリック・クラプトン、ベースがポール・マッカートニー、ドラムスがリンゴ・スター、ピアノがニッキー・ホプキンスと云う、トンデモナイ布陣でレコーディングしています。つづいて1969年3月21日に英国でリリースされたアルバム「IS THIS WHAT YOU WANT?」の邦題は「驚異のスーパー・セッション / ジャッキー・ロマックス・ファースト」となっていて、そちらもジョージがプロデュースしていて、ジョージ、リンゴ、ポール、クラプトン、クラウス・フォアマンなどによるロンドン・セッションと、ハル・ブレイン、ジョー・オズボーン、ラリー・ネクテルなどのレッキング・クルーによるLAセッションで、兎に角、メンバーが豪華過ぎます。ところが、コレが全く売れず、期待度や製作費だったならメリー・ホプキンよりもこっちだったはずなのに、困ったちゃんなのです。

「SOUR MILK SEA」のエンディングでは「GET BACK」と連呼されていて、こっちの方が先なので、ポールは頂いたんでしょうね。ドキュメンタリー作品「GET BACK」では、ポールがヘフナーのベースをストローク奏法して、ジョージとリンゴの目の前(ジョンは遅刻して不在)で「GET BACK」を作曲する場面がありますが、ジョージは特に文句は云っていません。そんな事よりも自分のギターに一々イチャモンをつけるポールに、ジョージは苛ついています。ジョージもジョージで、ジェームス・テーラーがアップルからリリースしたアルバム「JAMES TAYLOR(邦題「ニュー・フォークの旗手 / ジェームス・テーラー登場」)」に収録された「SOMETHING IN THE WAY SHE MOVES」からそのまんま冒頭の歌詞に頂いて、あの名曲「SOMETHING」を書いているので、身内だからいいやって感じだったのでしょうか。あと「SOUR MILK SEA」は、クラプトンのリードギターがうるさくて、歌が入ってきません。売れなかったのは、逆にバックが凄過ぎたからかもしれません。ジャッキー・ロマックス本人も、余りにも豪華なバックに「自分のレコードじゃないみたいだ」と発言しています。

(小島イコ)

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2024年08月31日

「雲霧仁左衛門」第五回、第六回(最終回)(再)で内山理名ちゃん

「雲霧仁左衛門」ブルーレイBOX [Blu-ray]


時代劇専門チャンネル 9:00〜11:00

第五回「絶体絶命」
第六回(最終回)「最後の大仕事」

内山理名 AS 七化けのお千代

「雲霧仁左衛門」第五回と第六回(最終回)の、今年2回目の再放送です。理名ちゃんが演じる七化けのお千代姐さんが、冒頭部分で怪しい動きをする三次(「24 JAPAN」の民三)を強烈にビンタして「私を見くびるんじゃないよ!」と啖呵を切ったり(「24 JAPAN」の現場も「俺を見くびるな!」などと一般人女性を恫喝していた)、雲霧仁左衛門とのラヴシーンの様な受け渡しがあったり、公家の後家に化けている事がバレそうになったりと色々な見せ場があります。岡田と云い三次と云い女絡みで組織を裏切るどうしようもない展開で、事件の陰に女ありと云ったところでしょうか。最終回では、遂に雲霧一党が松屋を襲撃します。鍵を渡さない松屋に対して、雲霧仁左衛門は松屋の目の前でお千代姐さんにキスをして手籠めにしようとさえ見せかけ、まんまと鍵を奪います。お千代姐さんは雲霧仁左衛門を愛しているので、芝居とは云えキスされて放心状態になっています。女絡みで裏切った三次は、熊五郎と六之助によって始末されて、雲霧一党は散り散りとなってひとまず物語は完結します。次週からは、続編の「雲霧仁左衛門2」が引き続き再放送されます。第2シリーズまでは原作通りなので、そこまでの制作は当初から予定されていたと思われます。

本放送:2013年11月1日11月8日(NHK BSプレミアム)

(姫川未亜/小島イコ)

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「雲霧仁左衛門2」第五回、第六回(再)で内山理名ちゃん

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時代劇専門チャンネル 17:00〜19:00

第五回「甘い罠」
第六回「越後屋潜入」

内山理名 AS 七化けのお千代

「雲霧仁左衛門2」第五回と第六回の、今年初めての再放送です。第五回では、敵対盗賊組織の女に騙された伊助を、理名ちゃんが演じる七化けのお千代姐さんが助けます。伊助は盗賊の一味と誤解されて、手配書が出回ってしまいます。更に自分が女に騙されていた事も知ってしまいますが、お千代姐さんは乱闘の時に伊助を手刀一発で気絶させます。雲霧一党は敵対盗賊組織を殲滅して、伊助はお千代姐さんに見送られて江戸を離れます。やはり最大の見せ場はお千代姐さんの秘めたる戦闘能力が明かされた手刀の場面で、流石は雲霧一党で、化けるだけではなかったと云う事です。

第六回では、雲霧仁左衛門が最後の標的を越後屋に定めて、富の市を引き込み役にします。しかし越後屋に気に入られた富の市は、欲が出てしまい錠前を外す事が出来ません。そんな中で雲霧仁左衛門の兄が登場して、雲霧仁左衛門の過去が明かされ、何故盗賊になったのかが分かります。理名ちゃんが演じる七化けのお千代姐さんは目立った活躍はないものの、雲霧仁左衛門にお茶を運んだり、手配書が出回って顔を変えようと焼いてしまった六之助の手当てをしたりと、内助の功で魅せます。

本放送:2015年3月6日、3月13日(NHK BSプレミアム)

(姫川未亜)

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「十万分の一の偶然」(再)で内山理名ちゃん



テレ朝チャンネル2 19:00〜21:00

内山理名 AS 布川麻奈美

「十万分の一の偶然」の、今年5回目の再放送です。今は亡き田村正和さんが主人公のルポライターを演じて、冒頭で中谷美紀さんが演じた娘が交通事故で死んでしまいます。其の事故現場を偶然に撮影し賞を取った高嶋政伸さんが演じたカメラマンに主人公は疑念を抱き、身分を偽って接近して追い詰めてゆきます。理名ちゃんが演じた麻奈美は、事故の唯一の生存者で目撃者でもある人物が入院した病院の看護師ですが、実はカメラマンの愛人で共犯者でもあり、目撃者も殺されてしまいます。果たして、主人公は娘の死の謎を解明できるのか、と云った内容です。主人公の娘の少女時代を、当時12歳だった久保田紗友ちゃんが演じているのも見どころのひとつです。本日は「雲霧仁左衛門2」から「十万分の一の偶然」と4時間連続再放送の「理名ちゃんデイ」です。

本放送:2012年12月15日(テレビ朝日)

(姫川未亜/小島イコ)

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「ポールの道」#479「FAB4 GAVE AWAY」#23 「THINGUMYBOB / YELLOW SUBMARINE」

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1968年8月30日(英国)・同年8月26日(米国)に、ビートルズが立ち上げたアップル・レコードから第1弾として、ビートルズのシングル「HEY JUDE / REVOLUTION」と、メリー・ホプキンのデビュー・シングル「THOSE WERE THE DAY / TURN TURN TURN」(ポールがプロデュース)と、ジャッキー・ロマックスの再デビュー・シングル「SOUR MILK SEA / THE EAGLE LAUGHS AT YOU」(A面はジョージ作・プロデュース)と、このブラック・ダイク・ミルス・バンドの「THINGUMYBOB / YELLOW SUBMARINE」(レノン=マッカートニー作でポールがプロデュース)が、4作同時にリリースされました。ビートルズのレノン=マッカートニー名義でポールが書いた「HEY JUDE」は、2週間連続全英首位!9週間連続全米首位!となり、ビートルズの最も売れたシングルとなりました。ジョンの息子であるジュリアンに向けて書いた7分以上もあるシングル曲は当時としては異例で、ポールとしても挑戦的な楽曲だったと思います。

ところが、モデルのツイッギーの紹介でポールがプロデュースしてデビューさせた当時18歳の「ポップスのシンデレラ・メリー・ホプキン」による「THOSE WERE THE DAY(悲しき天使)」が、6週間連続全英首位!全米2位と、予想外の大ヒットとなったのです。特に本国である英国では、ビートルズの「HEY JUDE」を蹴落としての大ヒットだったわけで、本末転倒です。そんな中、ジョージ、ポール、リンゴ、エリック・クラプトン、ニッキー・ホプキンスと、ジョン以外のアルバム「THE BEATLES(ホワイト・アルバム)」時期のビートルズ人脈を総動員して、ジョージが書いてプロデュースしたジャッキー・ロマックスの「SOUR MILK SEA」は、盛大にズッコケてしまったのです。当時のアップル・レコードでも「何故、売れなかったんだ?」と云われた程の結果で、まあ、余りにもバックが強過ぎて主役のジャッキー・ロマックスが戸惑う様なレコーディングだったからなのかもしれません。個人的にも、曲も演奏も良いので、何故に売れなかったのかサッパリ分かりません。やっぱり、クラプトンのリードギターがうるさすぎたからでしょうか。

そして、4作目がブラック・ダイク・ミルス・バンドの「THINGUMYBOB / YELLOW SUBMARINE」です。ブラック・ダイク・ミルス・バンドは1855年に創設された老舗のブラス・バンドで、レノン=マッカートニー名義でポールが書いた「THINGUMYBOB」は、ヨークシャーテレビで放送していた同名コメディー番組の主題曲です。B面はビートルズの「YELLOW SUBMARINE」のインストゥルメンタル・カヴァーで、両面共にポールがプロデュースしていて、雰囲気を出す為に街頭でレコーディングしています。つまり、ポールはアップルからの第1弾シングル4作全てに関わっているのです。このシングルはヒットせず、日本では「イエロー・サブマリン」がA面になっていて、ジャケットにポールが(おそらく愛犬・マーサと)ど真ん中にいます。ブラック・ダイク・ミルス・バンドがアップルに残したのはこのシングル1作だけですが、ポールは1979年6月リリースのウイングスのラスト・アルバム「BACK TO THE EGG」に収録されている名曲「WINTER ROSE / LOVE AWAKE」の後半の「LOVE AWAKE」のパートで、ブラック・ダイク・ミルス・バンドを再び起用しています。

(小島イコ)

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