1976年6月リリースの編集盤「ROCK'N'ROLL MUSIC」も、1977年5月リリースのライヴ盤「THE BEATLES AT THE HOLLYWOOD BOWL」も、1977年10月リリースの編集盤「LOVE SONGS」も、ビートルズは売れました。解散して6年も経ったバンドの13年から6年前の音源を集めただけの編集盤やライヴ盤が売れるのですから、レコード会社はホクホクです。何せ、新たにレコーディングする費用が一切掛からない上に、リマスターやリミックスはビートルズ音源の番人であるサー・ジョージ・マーティンが「こんな酷い音では出せない」とノーギャラでやってくれるのですから、制作費はほとんどゼロで、レコード会社はジャケットを作ってプレスして宣伝するだけで売れてしまうのです。1970年代後半となると、ジョンは引退状態で、ジョージも寡作となり、リンゴは落ちぶれていて、現役ではポールのウイングスだけが頑張っていました。ポールの新作が売れれば、即ちビートルズの旧譜も売れるので、レコード会社は楽ちんでした。
そんな中で、1978年に映画「SGT. PEPPER'S LONELY HEARTS CLUB BAND」が公開されました。ピーター・フランプトンとビージーズが主演で、サントラ盤は後期ビートルズの楽曲をカヴァーしていて、サー・ジョージ・マーティンがプロデュースしています。ロバート・スティグウッドが制作した映画はコケましたが、サントラ盤はそこそこ売れました。が、しかし、評価は低くて、サー・ジョージ・マーティンは自分がプロデュースしたビートルズの傑作アルバムに自ら泥を塗ったなどと辛辣な意見もありました。当時のピーター・フランプトンはライヴ盤がバカ売れしていてルックスも良くてアイドル化していたし、ビージーズはディスコ路線に変更して大ヒット曲を連発していたので、ビートルズのカヴァーも期待されていましたが、余りにもオリジナルに忠実で拍子抜けしたものです。但し、敵役で出てくるエアロスミスの「COME TOGEHER」や、アース・ウインド&ファイヤーの「GOT TO GET YOU INTO MY LIFE」などの好カヴァーも収録されています。
それで、よせばいいのに本家であるビートルズの「SGT. PEPPER'S LONELY HEARTS CLUB BAND / WITH A LITTLE HELP FROM MY FRIENDS / A DAY IN THE LIFE」を、米国キャピトルは米国では36作目のシングルとして1978年8月14日に、英国パーロフォンは25作目のシングルとして同年9月30日に、それぞれシングル・カットしてしまったのです。完全なる便乗シングルでしたが、何せ肝心なカヴァーした映画がコケてしまったので、全英63位・全米71位と名作アルバムからのシングルとしては残念な成績となってしまいました。A面が「SGT. PEPPER'S LONELY HEARTS CLUB BAND / WITH A LITTLE HELP FROM MY FRIENDS」のメドレーで、B面が「A DAY IN THE LIFE」(拍手が被っていて、最後に「INNER GROOVE」も入っている)と、アルバム「SGT. PEPPER'S LONELY HEARTS CLUB BAND」の最初と最後を抜き出したシングルで、やはりアレはアルバムで聴いてこそと思わされます。そのアルバムの方は、同時期にピクチャー・レコードが出ています。
ピクチャー盤はアルバム「ABBEY ROAD」も1978年に出ていて、同年には英国オリジナル・アルバムの箱も出ています。それでシングルのみやEPのみの楽曲はオマケの「RARITIES」に収録したのですが、米国編集盤の「MAGICAL MYSTERY TOUR」を1976年になって英国でもリリースしていて、1979年には米国編集盤「HEY JUDE」も英国でもシレっと出しています。つまりは、英国オリジナル・アルバムの箱だけでは全曲制覇は不可能で、ベスト盤の「A COLLECTION OF BEATLES OLDIES」と編集盤「MAGICAL MYSTERY TOUR」と編集盤「HEY JUDE」も加えないと揃わないのです。バラ売りもされた英国盤「RARITIES」は、シングルやEP曲も水増しアルバムに入れていた米国ではレアではなかった為に、米国盤の「RARITIES」は従来のキャピトル盤では聴けなかった本当のレア・トラック集になっています。が、しかし、ソレはキャピトル盤のレア・トラックなので、英国盤では普通に聴けるヴァージョンも含まれています。
(小島イコ)